謁見
高い尖塔がそびえるタイレリア城は、元々は王族の使う別邸だったらしい。狩りという娯楽のため、ダンジョンが数多い直轄地に建てられた城を一部改築して使っている。
それもあって、このお城は居住性よりも見映えを重視しているところがある。謁見の間がこんな高い位置にある必要がどこにあるんだ? 地震とか怖くないのか? いやダンジョンの外じゃそういうの滅多に無いらしいけどさ。
でもまあ、ウチの新築と比べたら、金と労力を浪費することが目的な──それも建築前も建築後も──馬鹿の建物と表現して差し支えないだろう。
「才ある者を[Royal We]は尊ぶ。才なき者を余どもは慈しむ。才なき、灰のキフィナスよ」
金の玉座に物憂げに坐すはこの国の最高権力者、ヤドヴィガ・リコ・なんかやたら長い尊称とか色々あって覚えてない・タイレル様だ。少なくとも手紙とか書かないなら三つ覚えてれば十分だろう。顔を合わせたときにクソ長いフルネームを読み上げたりはしな……ん?僕、今後この人相手に手紙書くのか?えっ覚えなきゃいけないの?あの寿限無みたいなのを? やだなぁ……。カンニングペーパーを用意しとかないと。
僕は頭ではそんなことを考えつつ、
「いやぁ、どうも陛下様。ご機嫌麗しゅう存じますでーす」
目元の隈が白粉でも隠せないほど深い女王陛下に、そんな言葉をかけてみた。
もちろん、気分良く過ごせていたとはどうにも思えない。定型句というのは何とも軽薄な言葉で、軽薄な僕が使うには都合がいいのだ。
「この国の者どもは皆、何れも、己が天分を全うせねばならぬ」
この女王様も聞き飽きた定型句を使い回してるんだから、そこはお互い様というものだろう。
──そんな人間が、果たしてどれだけいるもんかね。
・・・
・・
・
王都にはあまりいい思い出がない。……いや、いい思い出がある場所の方が少ないか。
人間は後悔ばかりを重ねる。頭の中に残っているエピソードは、プラスよりもマイナスの方がずっと総量が多い。人それぞれに違うのは、瘡蓋が痕を残さず綺麗に消えているか、それともまだ痛んでいるかという部分だけだ。
道の端から端まで人に溢れる王都の中央通り。道行く誰もが僕の髪見て眉間に皺を寄せている。あの頃と同じだ。まあ、何ならデロル領でもそう変わらない。なのでメリーは拳を構えないように。
あの頃と違う点といえば、軒先に並ぶ店の看板と、言葉の通じない帝国人が増えたことくらいかな。んーなんか睨まれてるし叫ばれてるけど何言ってるんだかわかんないや。わかんないからメリーは暴力を控えるように。
「……羨ましいね。ヒマそうで」
誰かに因縁をふっかけようという手合いは、他にやることがないんだろう。王国人と帝国人のトラブル発生件数はどうやら少なくないようで、僕はどうも目立ちやすい。
いや、皮肉を抜きにしても羨ましい限りだね。僕は暴走特急メリー号に運ばれてったってのに。
はーー……、帰りたい。雲一つない快晴だってのに煌びやかに輝く街灯が、なんとも僕の心を薄曇りにしてくれるのを感じるよ。
「かえりたい? かえる。かえってよし」
メリーは僕の胴に細い腕を回そうとした。予備動作で察して避けた。二回、三回、どれも躱した。メリーはリーチが短いから──うおっ危なぁ……!
「あの……、いいかい? まずは手をお膝に。いいね。うん。王都に寄るってのはそういう意味じゃないからね? 寄れば条件達成してるわけじゃないから。僕が何のためにメリーに運ばれたかわからないだろそれ。いやまあ、普通に乗合馬車で行く気だったし何のためって謎なんだけどさ」
「めり、は。めりたくしー。なった。いってもどる。きふぃせんよう」
「あのねえ。使うたび寿命縮むようなタクシーは乗車拒否が妥当なんですよ。空気の壁に全身ガリガリぶつかるんだよ。絶対寿命もガリガリ減ってる。へらない? いや減ってるから。よく知らないけど絶対そう。……それに、幼なじみを足として使うことへ罪悪感みたいなのは僕にもなくはないんだよ」
「ん。よい。とてもよい。おうふく。ついかする」
「なんで……? なんでですか? しないよ? 罪悪感を追加する気か?何の目的だ?君の情緒ってときどき僕にも本気でわかんないことあって怖いんだけど? というかまだ帰らないからね? ……まあ気は進まないけどさぁ……」
僕が不在のうちに、ステラ様とシアさんには内向きの忠誠心をしっかり育んでおいていただきたい、という考えもある。だからシアさんの同行を断ったしステラ様のカッコいいスケルトンカラー馬も使わなかった。
組織への信頼とは対外的なものと対内的なものの二種類があるが、信頼とはただでさえ目減りしやすいものだ。客観的に考えて、僕を雇用していることで、その信頼の両方は損なわれ続けている。
例のドラゴンのバラバラ死体の管理とか。僕以外にもちゃんと重要な仕事を振っていくべきだろうって思うのだ。最初の一日でスケッチ付きで記録するための書式は一通り整えておいたし、難易度だけ見るならもう誰に任せても問題ない状態になっている。
例の偽領主様による、新規採用された使用人一同に対する忠誠の植え付けが果たしてどこまで上手くいったか次第だけど、その効果は残念ながらまだ生きているだろうし、そこに重要な仕事を振られるという経験を重ねれば上書きして高めてくれるだろう。
この辺りの按配は、僕よりもあの二人──生まれながらに上位者である彼女たちの方が得意だろうけどね。
「はあ……、なんか。尚更帰りたくなってきたな。なんか。なんとなく」
「かえる?」
「帰りませんってば。帰らないことにも意味はあるんだし。何日か、ここで時間を潰すよ。……やりたくてもできないこととか。やっちゃいけないこととか。我慢とか。そういうものをメリーは覚えていこうね」
「ないよ」
「あるの。人の間で生きていくためにはね」
「ない。きふぃが、のぞむなら。なにをしてもよい」
「僕の望みはそういう乱暴なことをしないことだよ」
ふと辺りを見ると、帝国人っぽい人が──僕のわからない言葉で喚いているのがそう判断した理由だ──厳めしい顔をした憲兵様に拘束されている。
……拘束にあたり、そこまでは不要だろって類の暴力があった。弱者への暴力に慣れてる奴の、厭らしい顔を貼りつけていた。
ま、僕には関係ないしどうでもいいことだ。ただ、僕はなんとなーく、群衆に混ざって石ころのひとつでも投げてみた。
偉そうな憲兵様の後頭部に直撃して、かこーんとイイ音を立てる!
やったぜ!
「クク、きヒヒッ!」
鬼ごっこ開始の合図代わりに、僕は大きな笑い声を残してやる。いやまあ実際なかなか面白い。お辞儀みたいになったのは愉快だった。何なら僕以外も笑ってたもんな。
僕らはそのまま裏通りへ堂々と歩いた。顔を真っ赤にした彼は、このまま私怨で犯人探しを始めることだろう。拘束した哀れな帝国人をそのまま置いて、ね。
大した勤務態度だと感心するところだ。
「あたま。つぶす?」
「いやいや。ただの悪戯だよ。王都の治安を護るとかいう憲兵隊の数を減らしちゃあいけない。ま、ああいうのなら間引いてやった方がまだマシかもしれないけどね」
話している内に、王都中央冒険者ギルドを横切っていた。
すれ違う長物持った冒険者っぽい連中は──メリーの方は見ていないな、よし。Sランク冒険者と言っても、人相書きが配られてるわけじゃない。三年も経てばそんなもんか。
僕の髪は見ているようだけど──おやおや。ガラの悪い同業者にぶつかって因縁付けられてる。かーわいそ。僕はけらけら笑った。
ふと思い出した。
あの頃は、あの女の勧めで悪目立ちしないように髪を染めていたっけ。侮りと嘲りを含んだ視線が一時的に消えても、僕自身の何かが変わったわけじゃない。
……そういうの。全部が全部面倒になったんだよな。
──王都の人間は、メリーを愛さなかったから。
全部どうでもいいなって思ったんだっけ。
・・・
・・
・
それから二日。
この髪が原因で表通りの宿屋は拒否された。なので裏通りのチンピラどもの溜まり場に挨拶代わりに火を着けて廃墟にテント敷いて寝た。
他にもまあ、時間潰しがてら色々やった。……メリーに絡んでくるからそうなる。
そんなことを考えながらの玉座の間。仄かに漂う香りは、香木か何かによるものか。
心地よくなって僕は欠伸を──傍らに控えたレスターさんから殺意の籠もった視線が来たので噛み殺した。こわー……。
別に寝れない人への当てつけじゃないですって。昨日は寝不足だったんですよ。一緒に家焼いたんだから知ってんでしょ。レスターさんだってタイレリアのダニが減ったな!ってノリノリだったじゃないですか。え?いいから殺すぞ敬意を払え?こっわ……。
「其方は嘗て、冒険者に軸足を置いているという理由で、余に仕えることを拒んだな。
だが、今は違う。其方は、余どもの社会に参った」
ん、そんな理由で逃げたんだっけ?
……あー、当時はもうちょっと真面目に、冒険者なんてのをやろうとしてたんだっけ。
「余どもに仕えよ。宮廷道化として、其方の天分を全うするが良い」
へえ。
僕の天分、ね?
「ではまず手始めにそうですねー労働条件を確認しても? ええっと最初は労働時間と週休かな?週あたり40時間未満は最低限遵守ってほしいところですよね。最低限ね。もっと少なくても勿論いいですよ。そうそう、福利厚生というのも大事だ。ご飯がおいしいことは最低条件ですからね?その上でどれだけ自由時間があるか……昼寝を保障してくれると嬉しいです。あーいえ、常に寝るわけじゃあない。だけど眠いときには寝てもいいという権利があること。それが一番重要なことなんですよ。ああそれから交通費とか旅費とかも。どうしても他のところに行かないとって機会はあるでしょうからね。たとえば出張の扱いってどうなりますか? どうも僕、今回、旅費申請とかやっても却下されそうなんですよねえ──」
「キフィナス」
「──あーはいはい。とりあえず、神器から手を離してもらっても?」
「レスター。楽にせよ」
「はっ」
レスターさんが無駄にお行儀よくしてる姿は何度見ても面白い。胴体と首の繋がりを30cmくらいズラされそうだから顔には出さないけどね。
「キフィナス。其方が望むことを全て叶えよう。地方領主の使い走りよりも一等高い位置に置いてやる」
なるほどね。
忙しい日々を送らなくてもよさそうな程度には、優遇してもらえるってわけだ。
「メリスの立場も保障しよう」
それは大切なことだ。
僕の労働条件なんかとは比べものにならないくらいに大切だとも。
僕はほとんど働かなくてよくて、メリーも過ごすのに不自由はしない。
現在の職場と比較して……まあ、間違いなくこっちの方が安らいでいるだろう。
なるほど答えは決まった。
「謹んでお断りしまーす」
僕はけらけら笑って答えた。
おどけてみたが、ちっとも面白くはなかった。
「レスターさん? 今から。ちょっと不敬やってもいいかな」
「キフィナ──」
「構わぬ。道化の雑言を容す」
そいつは寛大だ。
僕は大きく息を吸う。
「まず最初に、これだけは言っておかないといけない。女王様。貴方様が欲しいのは、僕じゃなくてメリーの助力だ」
「左様。しかし、それを区別する意味が有るか」
「あるよ。僕を抱えてることでメリーという最強の駒を動かせる、なんてのは絶対に許さない。メリーの行動は、メリーの意志に拠るものだ。
自由意志を持ち、自分で何かを選び取る人間は、駒じゃないんだよ。その態度が王都の憲兵隊は無能揃いにしたんじゃないか」
王都タイレリア。この国の中心部は空虚だ。
スキルとステータスで選定された優秀な連中はご覧の有様。賄賂と暴力が横行している。
三年前よりよっぽど酷い。
「旧王都攻略の勝利条件は、ダンジョンの解体という完全勝利以外にない。だからメリーの力を必要とした。なるほど合理的な判断だ。──優先順位がおかしい点を除けばね。
だけど、一万人の帝国人はどうする。彼らをどう社会に包摂するんだ。彼らには文化があり、独自の言語を持ち、コミュニティを作ってる。そこにクソ無能の憲兵隊が無駄に無駄な暴力振ってるぞ? このままだと暴動が起きてもおかしくない。これじゃあ寛大なのか冷酷なのか、まるでわからない。政策に一貫性がない。
そもそも、彼らの存在で食料事情は逼迫しているはずだろ。軍団単位でダンジョン攻略なんて作戦、どれだけの食料を消費する予定になる? 武官と文官、それぞれの判断が別のラインで動いてる。やっぱりこっちも一貫性がない。
となると、旧王都攻略だってこんな調子だろ? そもそも、旧王都奪還の明確なメリットが見えない。なんでそんな状況で、メリーを戦わせなきゃならないんだ」
僕は静かに怒っていた。
「……キフィナス。だから、お前の力を貸してほしいんだよ」
「悪いね。レスターさん」
僕の天分とかいうのは、ごく僅かなものなんだろう。
だけど、それを尽くしたいと思える相手は貴方たちじゃないんだ。
「企ては失敗だな。レスター」
「しかし姫様。旧王都を取り戻すのは、あのメリスの力なしには不可能です」
「『姫』はやめよ。……余は、余どもは、一人遺った王としての責務を果たさねばならない」
レスターは、黒鉄の巨躯を片手で止めるメリスの光景を思い返した。同じSランクを冠しているが、メリスの力には隔絶したものがある。
不可能迷宮の攻略において、万全を期すのならばメリスとキフィナスの存在を欠くことは考えられない。
「……もう、機会がないのだ、レスター……。余の、グラン・タイレルを……旧王都と呼ぶ声の多くが、示している。……すべてが、風化、してしまう……」
「……あいつらは、辺境から来たので。……おれは、理解しているつもりです。姫様……」
「…………姫は、やめよ」




