「もうね、絶対こうなると思った。なんというか、もう、最初から見えてましたよね。知ってた」
およそ10年前の王都大禍がどんなものだったのか、実のところ僕はあまりよく知らない。
当時の生き残りは、都市人口100万の内わずか数十人程度だったそうだ。そして誰もが口を噤んでいる。
それは風化を待っているのかもしれないし、深い瘡蓋を剥がす趣味は今のところ僕にはない。
僕にわかるのは、旧王都はこの国に深い絶望を与えた後に、黄昏郷ホロウ・タイレルという名前だけを人々に寄越したということだ。
その危険度は《鑑定レベル足りません》。一帯は巨大な次元の歪みと化し、現在では付近に立ち入ることさえできない。
一定程度危険なダンジョンで活動している中古品回収業の人たちだって裸足で逃げ出す生存否定領域となっている。
「──ってワケで。王都拠点の高ランクには話きてんすよコレ。ほんと困ったモンっすよね」
建国千年という千年に一度しかないイベント(当たり前だ)を記念する大きい祭に、それに見合うだけの成果を持ってきたいという意志が働いたのだろう。
どうも使用人の立場から政治的な動きを見るに、有力な領主たちは現在の王家を軽んじている。ウチの前領主が領地から離れる期間が長かった理由は、結社としての活動の他に、王の直轄地に地方の有力領主が集まらず、外交にかかる時間が長くなったことに起因している部分もあるようだ。
ここらで成果を示し、権威を取り戻したいという考えは理解できなくもない。……金剛石のテーブルにへばりついた偉そうな人たちが考えそうなことだ。
メンツに拘らなきゃ呼吸ができなくなるらしい。
「ムリだって少し考えりゃわかるだろって正面から言いたいっすよ」
「言えばいいのでは?」
「センパイはやっぱセンパイっすね」
「いやいや。数字を頼りに人員を配置することが仕事になってるから、脅威度を上手く計れないんです。それは改めた方がいいですよね? 高ランク冒険者が指摘しないと聞きませんよ」
「マジで王都はヒドいっすよねー……」
「……受付の私に聞こえるようにギルドの愚痴を言われている……」
レベッカさんは作り苦笑いをしている。
そりゃそうだ。──王家主導の奪還作戦なり、冒険者たちの大規模探索なり、既に数百人単位で犠牲者を出しているわけだから。それがようやく風化してきたところでまた犠牲者出すのかって。レベッカさんにも思うところはあるだろう。
メリーに話が行ってないのは、この人の判断で情報を止めていたから……かな? 僕はレベッカさんのこういうところが好きだ。
「ニーナくんは参加するんですか?」
「まさか。命をミキサーされんのはもう御免っすよ。それに、参加しなくても睨まれない仕事が自分にはあるんで」
「僕の薬草と同じですね」
「いや睨まれてばかりっすよね」
それが睨まれなくなったんだなぁー。なんかー、僕の採る薬草が素材として必要不可欠って人がいるらしいんでー。
僕は自慢した。
「あ? 睨んでるが?」
睨まれなくなったんですよ。
僕は繰り返した。
「ま。少なくとも、自分らにゃ関係ないっすよね。メリっさんなんかは指名来そうな気もしますけど」
「断るよ」
「っすよねー。賢明すね」
「それほどでもないですよ。どうやら僕なんかよりもずっと馬鹿なのが多いってだけだ。しかもそいつら上の方に生息してるんですよ。いや、まったく悲しいことですけどね」
(……なんか、かなり親しげよね?)
(…………はい。冒険者を強く嫌悪しているキフィにしては、珍しいことです……)
背中の二人がこそこそと話をしている。
別に僕は冒険者が特別嫌いってわけじゃない。
同じくらい貴族も嫌いだ。
・・・
・・
・
ニーナくんに渡した竜牙は、そのまま冒険者ギルドへと納品された。ギルドの純利益として取り扱うらしい。そしてレベッカさんはその場にいた冒険者たちにいい酒を振る舞った。代表として名乗り出て、そのまま楽して大金ゲットってなったら同業者に睨まれるからね。
誰かと不和を作らない立ち回りがとても上手い。正直、僕にはそういう配慮みたいなやつ、よくわからないんだよね。多分ステラ様とシアさんもそう。メリーは勿論そう。
「すっかり暗くなっちゃったわね」
「お腹すきましたし、何よりこの体勢維持するの結構しんどいです」
世間話がすっかり長引いて、すっかり月が顔を出した帰り道。
僕らはまだドラゴン持ってる。会話中ももちろんずーっと持ってた。
先頭の僕は勿論、ステラ様もシアさんもドラゴン担いだままだ。メリーがここから抜けたら僕は竜の首に潰されるので絶対に手を離さないでほしいな、と思っている。
クソつまらない冒険者ジョークに真っ正面から応えるためだけに冒険者ギルドに寄ったわけではないし、こうして変な体勢を維持して筋肉に負荷を掛けることが目的でも勿論ない。
冒険者ギルドに寄ったのは、今回探索したダンジョンの報告。それに加えて一部の資源を納品するためだ。
一部──すなわち竜鱗を20枚だけ渡した。もちろん、竜の鱗は全身に生えている。数えてないけど、まあ少な目に見積もっても1万枚以上はあるんじゃなかろうか。……この後数えなきゃいけないんだけどさ。はーー。極めて面倒だ。
これは何も、成果を見せびらかしながら最低限の付き合いを維持する程度の利益だけ渡したケチくさい所業ってわけじゃない。
商品というものは需要と供給によって値段が定まる。なので、一度に卸しても得はしないものだ。買うときは大量に。売るときは少量を、というのが基本である。市場をブチ壊してムカつく商人にダメージ与えたいとかの場合とかはその限りではないよ。
牙1、鱗20というのは明らかに少ない。が、それだけでも冒険者ギルド側にもこっち側にも利益が出る丁度良い数字だったりする。ここで大量に卸した場合、保存管理だとかの問題も出てくるわけだ。盗難にせよ買い手の捜索にせよ素材の状態の悪化にせよ、ギルド側が丸々一体譲り受けることにはデメリットもある。
迷宮都市は冒険者が多いのだ。
その点、僕らが管理する場合は問題が起きない。メリーが作った巾着袋は時間を止めて保存することができ、僕しか開けることができない仕組みになっている。
……いや。うん。もはや卑怯すぎる便利さだ。詳しい理屈はわからない。メリーは専門的な言葉を理解しやすいように置き換えたりする配慮をしないし、何よりめんどくさがりだ。「ん」の一言で貰ったから使ってる。正直、そこに不安がないことはないよね。
「ドラゴンステーキは明日の晩かしらね」
「解体しないといけませんからね。スメラダさんが喜びそうです」
「……彼女の腕前は、宮廷料理人にも劣りません。……当家に取り込みたいところです」
「何度も言ってますけど本人の意志が最優先ですからね」
肉は勿論、鱗とか翼膜とか爪とか骨とか、これから部位のひとつひとつを丁寧に解体する必要がある。これをギルド任せにすることもできるのだが、ちょっと手数料として持っていかれる量が──相場なら2割程度、竜ならまあ1割で済むだろうけど──多すぎる。可能な限り自分たちでやるべきだ……というのが、財務を管理してるシアさんの主張。
竜鱗は、たったの一枚でも貴族が身につける宝石として使えるのだ。
迷宮公社ステラリアドネの目玉商品に使う。新領主の着任祝いで減税もするから公費に充てたい。
シアさんの判断は合理的だ。少なくとも、旧王都へ生きた餌をまた送り込もうとしている連中とは比較にならない程度に。
でも僕は、正直しんどいので適当なところで飽きたら誰かにパスしたいと思っている……! 冒険者ギルドじゃなくてもいい。皮革ギルドとかに《解体》スキル持ちとかいるだろ多分。……弱めのギルドに資金分配できるって理由なら外注許してくれそうだし調べとかないとな……。
いや? 指示ならやるよ? やりますよ? でもさぁ、僕は腕力とかないから竜鱗一枚剥ぐだけで全身汗塗れになるんだよね……!
時間が経って筋肉が弛緩すればもう少し取りやすくなるんだろうけど……。実はこうして見せびらかしている間もシアさんが冷やしている。少しひんやりとした感触があるが、凍傷にはならない程度という調整をしている。素晴らしい温度管理だ。
「……任せなさい、キフィ。領地における利益を最大化するのは、我々の義務です」
保存状態に気を配ってくれていて大変ありがたいことだなぁ……!
こんなの文句言えないじゃんね……!
暗かった迷宮都市の夜道は、今や明るい。
裏通りまで照らす街灯はまだ設置されていないが、ステラ様が空中に人魂みたいな灯りを点しているからだ。それも一列にずらーっと。
目立つわ。バカ目立ちするわ!
「だって、たくさん目立つことが目的だもの」
僕はその正面を歩かさせられてるんだよなぁ……!
目立ちたくない。目立ってもいいことはない。
だって──。
「はーー。こういうリスクもあるんですよ」
スメラダさんは経営の才能がないので宿屋の立地も当然悪く、大通りから大きく外れたところにある。
僕らは柄の悪い連中に囲まれていた。
「なるほどね。勉強になるのだわ」
「……領主を襲い、盗みを働こうとするとは。通例であれば極刑を免れ得ない行為です」
お二人は、まあ、社会のどうしようもない部分をあまりよく知らない。
どうして後先を考えられないのか──なんて疑問は、生活に余裕があったり、視野が広い立場だから出てくる言葉なんだろう。
それはそれとして僕はそういう短慮が大っっ嫌いだけどね。だから冒険者って嫌なんだよ。事情はわからなくもないってだけだ。
「ですが、今回は不問とするのだわ。だって、私たちがこうして見せびらかさなければ、そこまで愚かなマネはしなかったのでしょうから。
……お父様であれば、ここで厳罰に処すことで綱紀粛正を計ったのでしょうけれど──」
「ステラ様はステラ様でしょう」
バカのステラ様に暗い顔は似合わない。
まあ、僕の背中でどんな顔してるのかは見えてないけどさ。
自作自演で治安の引き締めとか、そんなお利口なことができる人だったら、僕はこうして付き合っていないのだ。
「……そうね! 私は、私の判断で、あなたたちを免罪とします。安心していいわよ。
ただし──ヤケドくらいは覚悟して頂戴ね?」
周囲から爆炎が上がった。
……しかし、ステラ様ってばドラゴンを担ぎながらこんな口上立ててるんだよな。
カッコつかないなと思って、僕はにやにやと笑った。
* * *
* *
*
舐められたら殺せ。気に食わねば殺せ。殺してから考えろ。
セツナの先鋭化した人生哲学は、暴力を生業とする在り方に適応したものだ。
やっとうやっとう腕を振らば、全てはするりと片付き申す。
己を大蜥蜴の生贄にしようとした一族郎党を鏖にしたあの日より、セツナは羅刹として生きる道を選んだ。
その道に後悔はない。
「同志セツナ! 愛の力ですっ!」
「師匠。またアイリ来たぞ」
「そうか」
適当な相槌を打つ。それに不満を抱いたのか、アイリは馬鹿力で正面から組み付いてきた。セツナはそれを躱す。愛が足りんと。知らぬ。
この、アイリとかいう女はどうも頭がおかしい。愛がどうこうと叫ぶその感性を、セツナは何一つ理解ができぬ。今現在は治癒を受けた借りはどこかで清算せねばならないが、それだけだ。
このカナンという小僧も同様だ。セツナを畏れながら師と仰ぐ。暇潰しに殴りながら歩法の一つでも教えてやると、それを死ぬ気で真似ぶところは面白くはある。
(此奴らは、一合と掛からず殺せる)
里から持参した長啼丸は、毒を盛られた折に奪われ、あやつに代わりにと寄越された陰打千鳥も光のと遣り合った際に折られた。
今手に持つは、ただの棒切れだ。あやつが手にしたというだけのもの。
此奴らにしても同様だ。あやつに関わりがあること以上の理由はない。
──キフィナス。
神威野に来た小さな銀灰のまれびとは、そう名乗った。
あれと語るまで刀巫女の小娘は、自らが大蜥蜴の生贄とされる定めに疑問を抱くことはなかった。
獣にその身を捧ぐ刹那に助けられ、己が五体満足であることに激昂し、あやつを強く咎め立てた。
そして、小娘はその足で神奈備へと帰った。
神威神奈備神楽刹那は、酒精に酔いしれる村人たちが、己を見て顔面を蒼白にする様を見た。
化生と罵る村人を斬った。煩いきまりの父母を斬った。何かを斬ることは楽しかったから、やはり連中を斬っても楽しかった。
親しげな顔をする者は、誰も彼も刹那を疎んでいた。打算なく刹那と語らった者は、あのまれびと以外に居なかったのだ。
五秒と掛からず庄村の全員を斬殺し、刹那は最後に、地に着くほどに長く伸びる髪を斬って捨てた。
刀巫女という役目に就いて以来、斬ることはならぬという下らないきまりであった。
きっとあの時に、刹那という小娘は一度死んだのだ。
「……どした? 師しょ──うおっ!?」
顔を覗き込む馬鹿弟子にセツナは目潰しをした。
隙だらけだと思ったが、カナンは腰を低くした歩法で躱してみせる。
「クク」
返す刃で大斧を振るのも悪くはない。しかし此処は室内にして刃には被いが掛かったままだ。途中で止めようとする点もいただけない。
反射で相手を殺せて初級。それを止めるは落第だ。
セツナは十尺ほどの木棒を手に取った。
「ちょっ──ここ宿屋! しかもアイリがいんだぞ──!」
「だからどうした」
「同志セツナ。抱きしめさせてください」
「断る」
「いいえっ。抱きしめさせてください! わたくしが思うに。同志セツナはもっと、世界に愛があることを知るべきなのですっ!
愛の人以外にも、愛はそこにあるのですから!!」
「そんなものはない」
突進してくるこの女は頭がおかしい。
そのおかしさに気が萎えた。
アイリに家具や壁を破壊され、宿屋をまた変える必要が生まれてしまった。
今度の主人は聞き分けがよかった。修繕費を払わなくともよいとはなかなか接遇が出来ている。また来てやってもよいと言ったら顔面を白くしていた。
しかし、主人の申し出を受けてもアイリは払ってやるらしい。アイリの金は雇用主から出ているものなので、それは元を正して少し操作するとあやつの金であるとも言える。
それは、セツナにはなかなか愉快だった。
セツナは一人、裏通りを歩いている。宿屋を探すのは弟子の仕事であってセツナの仕事ではない。
宿屋選びにはコツがあり、首の皮を一枚剥いてやれば格安で泊まることができるのだが、どうやらカナンは実行していない。宿泊料は弟子の金だから構わないが。
ここに来るまでに二人殺した。耳障りな噂を語る口は首ごと棄てるに限る。
「セツナ」
そこに、己を呼び止める声がする。
「そうか。よし!殺す!」
声の主は王都の飼い犬だ。
あの時はお互いに殺しきれなかった。消化不良はお互い様のようだ。
「待て、セツナ。今日は敵対する気はない」
「ならばより容易く殺せよう?」
「キフィナスの件だ」
セツナは言葉を聞いてから殺そうと思った。
「期待していなかったが、ムーンストーンが死んだ」
「誰だ? それは」
セツナはその名前に覚えがない。
殺した相手の名前を覚えても無駄であり、これから殺す相手の名を覚えるのも同様だ。
「……君は施設を襲撃していただろう?」
「知らぬ。もう殺してよいか?」
「……。本題から話そう。私は、キフィナスからメリスを離したい。今のままでは彼は死」
「もういい。ここで死ねッ!」
セツナは黒衣の雨羽織を斬った。
「《幻影舞踏》。……君にも利がある提案のつもりだが。弟子というのは可愛いものだろう?」
「音鳴り石か。本体はどこだ。殺してやる」
「君は、キフィナスを守護する立場に──」
黒布に覆われた石を、セツナは踏み砕いた。
周囲には既に凶報女の気配はなかった。
「次は殺す」
冒険者らしき背格好の女を殺しながら、セツナは呟いた。
世界には、愛よりずっと殺すべき輩が多い。




