シューティングスター・レイルウェイ
──彼には、矜持というものがない。
おしゃべりな癖に肝心な言葉がいつも足りないところとか次々飛び出す皮肉とか張り付けた卑屈な笑みとか、改善してほしいところは沢山あるが、それがステラにとって一番哀しい。
「……メリー。命より大切なものないだろ。だいたい、ただの娯楽以上のものじゃないじゃないか。これ以外に選択肢がないなら危険を冒すのはしょうがないかもしれないけど別にそういうわけじゃないんだから──」
お喋りな彼の声は、少し遠ざかった程度じゃぜんぜん聞こえている。
どうもシアは、聞いていないふりをしているけれど。
このひとは、自分にとって大切なもの以外に無頓着だ。
そして、その大切なものはどうやら最小限で、その上自分のことをぜんぜん計上していないところがある。
……その、大切なものの内に自分がいることも理解している。
だけど、ステラは彼に、己の名誉だって大事にしてほしいのだ。
宿屋から屋敷までの道中で。
奪還した屋敷の渡り廊下で。
冒険者ギルドのテーブルで。
今日一日、彼を遠巻きに眺める視線は奇異と軽蔑だった。
ステラが同席していなければ、そこに罵声のひとつもあったかもしれない。
なのに、彼はそれに、まるで心を動かさない。
空が青いのが当然であるような態度で、意識すらしていない。
きっとそれが、ステラがこうして竜殺しをする決定的な理由になった。
──私はステラ。ステラ・ディ・ラ・ロールレア。
伯爵領を継ぐもの。
あの時の、震えて動けなかった小娘じゃない。
これは、克服なのだ。
(たかだか竜程度よりも、あなたの上司はずっと強くて頼れるのだと。教えてあげなくちゃいけないのだもの)
懸命に訴えかける無防備な背中に、ステラは悪戯っぽく声を掛けた。
視 。るい
界 て
が っ
ぐるぐると回
地 。い
面 な
に い
足が着いて
ぼ
ん
やりしてると地面とキスだ! 何手ある!吹き上げられて墜落僕が墜ちるまであと何回行動できる何秒だ考えろ考えろ考え──!?
「メリーっ! ステラ様! シアさん!」
竜巻に吹き飛ばされる人影に、思わず叫んだ。──違うそんなことしてる場合じゃない! みんなを安全に降ろすにはどうする?考えろ!糸は足りない届かない。だったらどうするどうすればいい! どうにか概念瓶を開いて、
「……そう叫ばれては、おまえの声まで聞こえなくなってしまいますよ」
空中に何条もの細い氷のレールが張られる。虚空に巻き付くように広がる蔓薔薇を思わせる。
シアさんはその中心で自分の身体を固定させていた。
「助かりまッ──」
僕はレールに首絞め草の生きたツタを絡ませ──うおおおッ!? 勢いがぜんぜん殺し切れない! 僕は逆上がりを何度も決めるような体勢で視界が回る回る回る! 腕からバキバキと小気味のいい音が鳴った気がするが今はそんなこと気にしている暇はない。アドレナリンが痛みを麻痺──どうでもいい! 風だ!
暴風は今も吹き荒れている! 僕の身体をミニチュアか何かのようにブン回す風が! あの巨体を飛ばすための羽撃きが今も止んでいないためだ……飛ぶ!? そうだ突っ込んで!?
「……今度は、効きません」
──直後、ゴワゴワした物体が耳穴を無理くり拡げるような不快な感触があった。どうやら鼓膜を潰しかねない轟音があったらしい。
氷壁は大きく抉れて破片をばら撒いたが、まだ原型を留めていた。
ぐるぐる回る視界の中で、竜は赤黒い血を吹き出しながら透明な壁に衝突したことをかろうじて確認した。どうやら衝突の轟音を吸ったらしい。
堅牢な氷壁は、この国最高戦力の一人が投擲する光剣をも通さない程度の強度はある。何枚もの薄氷は一撃で割られたが、正面衝突してくる方向に障壁を合わせれば、ということだろう。
心臓を焼かれた手負いの獣が体格に任せて強引に突っ込んできた程度では割ることはできなかったわけだが──それだけで終わるはずがない。狂ったように氷壁に頭をぶつけ牙を剥き爪を振るい氷壁にヒビを入れていく。
僕は目を回しながら、ただそれを観察することしかできない。
すると突然腕の先がガクンとずり下がる。
僕がおそるおそる確認すると──何十いやもしかすると何百回転もの摩擦と遠心力に晒された首絞め草のツタが千切れかけていた。
一回転。
なるほど今も吹き荒れる暴風に僕の身は再び攫われて断崖に叩き落とされるとーこのバキバキに折れた右腕だと巾着袋が上手く動かせないのが困るとかなんか逆に冷静になる僕がいるんだけど
二
回転。
困る困った死刑執行直前ってのはこういう心持ちなのかいやまあシアさんは大丈夫だからいいってそういえばステラ様は!? あの子はどこに
。転
三回
竜牙が氷の壁を砕いた! 吹き荒れる風が一際強くなって僕の身体も
転回
。四 墜ちっ
「──おまたせっ!」
レールの上を滑走するステラ様が、僕の腰をぐっと掴んだ。
そのまま僕を担いで駆ける。
吹き荒ぶ風に上体を前後左右に危なっかしくふらつかせながら、燐光を散らして、レールを溶かして嵐の中を駆けていく。
流星みたいだと思った。
「さ──行くわよ! ば、ば、ばばばばばばばッ!!」
竜巻を逸らして躱して翻り、手に持つ回転式魔導詠唱機から魔弾が二連四連八連十六三十二連、次々分裂しては竜をめがけて飛んでいく。鱗は魔力を通さない。しかし瞳目掛けて飛ぶそれを煩わしく思ったのだろう竜が再び吼えたらしいことを耳への圧迫感が教えてくれた。
「爆炎幕っ!」
魔弾を起点とする小規模爆発があちこちに起きた。黒煙を伴う爆発は僕らの姿を覆い隠す。
そこらの魔獣なら一撃で葬り去る、超大火力の撹乱だ。
そのまま、どこまでも伸びるレールを時に溶かし時に飛び移り、ステラ様は縦横無尽に空を駆ける。
次第に、竜と追いかけっこを始めた。
竜が僕らを追う。突き落とさんとばかりに吹く追い風が背中を押していく。加速する風景が無数の線になる。
僕らが竜を追う。シアさんが障害物として設置する氷壁のために速度を上げきれない相手の鼻面へと魔弾を次々当てていく。
「ふふっ。このまま逃げ続ければ、最高級のお肉が手に入るってワケよね! 帰ったら、スメラダに作らせましょう!」
「いつになく聡明なご提案ですね」
「いつだって聡明なのだわっ」
胸を──心臓を吹き飛ばされて夥しい量の血を垂れ流しながら、それでも未だ倒れない竜の様子にステラ様が軽口を言う。それだけの余裕がある。
小回りが利かず、速度を上げきれないために、こちらを捉えきることができないのだ。
そして、魔弾による牽制と爆炎による煙幕も効いている。さっきから耳が膨らんだり萎んだりしているのは、それだけ竜が暴れたということだろう。
深手を負わせて逃げに徹する。巨体を動かすエネルギーを枯渇させる。
次善案としては悪くないが──、
「それは、どうやら難しそうですけどね」
僕は多分めちゃくちゃに折れてる方の腕で竜の胸元を指さした。
向こう側が見えそうな大きな空洞を作っていた胸には、噴出する赤黒い血の奥に、赤紫に輝いた拍動する器官がある。
治療魔術と同じ要領で、急拵えの心臓を作り上げたのだろう。
流石は伝承に残る怪物といったところだ。
──風が止んだ。
すっかり荒廃した地面に、赤紫の竜が足を着けた。
氷の足場を広げ、僕らも足を止めることにした。
……いやまあ、僕は今も抱えられたままなんだけどさ。年下の、僕より背の低い女の子に。
「心臓の具合はすっかり良くなったようですよ。……どうするんですか、ステラ様」
「もちろん。私には、観察と思惟があるのだわ」
竜の眼光が僕らに突き刺さる。
ステラ様は、ウインクで応えた。
閉じた竜の口から、燐光が漏れる。
破壊の代名詞、竜の吐息。真正なるそれが、いよいよ僕らに放たれようとしている。
「──シアっ!」
「……はい!」
瞬間。
氷の口枷が、竜の口を塞いだ。
「……キフィ。あなたは、竜の生態を説明しましたね。
咬合力の強さ。牙の突き貫く力。それは恐ろしいものですが、開けなければ用を為さない。
そして、最大の脅威、吐息に対するカウンター手段を、我々は考えていました。……今よりも、ずっと前から」
「あなたは初動で終わらせる、安全策にずっと拘っていたけれど。私たちは、必殺のタイミングを考えていたのよ。どう? ──びっくりしたでしょ?」
竜は口枷を解こうと暴れるが、残念ながら二足歩行生物のように器用な前足をしていない。
漏れ出る赤い光は、弾けそうなほどに煌めいている。
極めて不安定な状態だ。今ここに引火させれば、間違いなく大爆発を引き起こす。
「キフィナスさん。これを使って頂戴」
……はい? え? いきなり何。
なんか、さっきステラ様がばばばばという掛け声で魔弾をスッ飛ばしていた魔杖を差し出された。困る。
こんなものあっても使えないんですが。
「魔力は先込め式よ」
……ほんの一瞬、昔のことを思い出しつつ。それなら使えるなと僕はそれを受け取った。
この形状は、投石紐にやや似ている。音声認識機能はステラ様専用らしいけど、どうやら振っても発動できるらしい。
「いっせーの、せ!……で撃ちましょう」
「僕の弾が届く前に燃えるのでは」
「いいのよ。こーゆーのは気持ちなんだから。ね、シアも」
「……はい。ご一緒します。……メリスはどうしますか? ……返事がありませんね」
どんな気持ちだろうと思いながらも、僕はステラ様の合図に従って魔杖を振った。
──紅蓮の炎が内側から炸裂し、暴走寸前の魔力を蓄えていた頭は弾け飛ぶ。
青蓮の氷が爆発の衝撃を内側に圧縮し、その威力を更に高めたのも影響しただろう。
一方、魔杖から出た魔弾はシャボン玉のようにへろへろと首から先を吹き飛ばした竜の骸に揺れていき、鱗に触れてぱちんと弾けた。
「《竜殺し》の誕生ね!」
ステラ様はそう言って、僕の腕をじっと見た後、折れてない方の腕を高く掲げた。
……まったく、ほんとに。この子は何を考えてるんだか。
ところでメリーはといえば、なんか体育座りのまま虚空にふわふわ浮いてた。
手を出す気がなさすぎる。全身でやる気のなさを表現してるつもりだろうか。
というかシュールすぎるだろ。もう終わったよ。いいから早く降りてきてよ。




