新領主のスピーチ
専用機だからと好き勝手に改造が施されたゴーレム馬プロトオデッセイ弐号で訪問団の送迎を終えたステラは、未だ混乱する使用人たちを中庭に集めた。
そこには、当然コッシネルの姿もある。唯一姿を消しているのは、灰髪の家令ことキフィナスだけだ。計画の時点で、ちょっと野暮用があるとか、間に合わないかもとかは聞いていた。
注目を集めるのが嫌なだけではないか、とステラは少し疑っている。
「お嬢様! 今もタイレリアの暗殺者が──!」
「心配はいらないわ。私は、デロル領の統治者です。それに──いえ。何でもないわ」
同じ皿のケーキを切り分ける仲だもの。彼の方が一口分多いけれど──という言葉をステラは呑み込んだ。
どうも自分は、あの言動がおかしめの友人から、くすぐったくなりそうなほど悪影響を受けているらしい。
それは大領地の領主としては良くない傾向で、しかし悪い気はしなかった。
整列する使用人たちをステラは眺める。
解雇された者たちも、新たに雇い入れた者たちも、その所作に乱れはない。
僅かな期間の内に、ここまで統制が取れることにステラは内心驚きを覚えた。ステラが学んだ帝王学には、畏怖の有効性が語られており、コッシネルはそれを遺憾なく発揮したらしい。
ステラの中にある合理的な部分はそれを肯定するが、情緒的な部分がそれを否定した。
ステラは、すっと息を吸う。
意識がこちらに向いた。
「………………」
そして、注目を集めてから三秒の沈黙。沈黙には力がある。
演説は技法であり、伯爵家当主のステラはそれを備えている。
「687年前。当家の始祖アルパは外敵を斥けた功績で叙爵され、53名の部下と共に、ここにデロル領を築き上げました。国難に人民の心は荒れ、この地の領民たちもまた、深く傷ついていた。当時ここにあったのは、たった二つのダンジョンだけだった、と記録されています。
時は流れ、王家の信を得て伯爵位となり、この地はこんなにも栄えました。それは、先人たちが積み重ねた努力の賜です。
そして先代亡き今、私が38代目の領主になります。……正式には、来年の式典で、陛下から拝命することになるでしょう。私は、ロールレア家の長として、歴史の前に立つ小人として、当家が重ねた歴史に敬意を払い、領民たちをより善い未来へと導くことを、ここに誓います」
ステラは、静かに、穏やかに語り始めた。
「だけど……その前にまずは、謝らなければいけないわね。一連の騒動は、私の責任です」
静かな言葉には深い衝撃があった。
統治者は絶対である。その判断には誤りがなく、自分の手足に謝罪などあり得ない。もし失策があれば、それは手足の能力の問題である。この地の領民は──この国の貴種ならざる者たちは──そのように教育を受けた。
それは、能力が伴わず、信心とも呼べるほどの忠誠心までは備えていない新規に雇用された者たちであっても同様である。
開口一番の謝罪に使用人たちは口を挟もうとする。
しかし、彼らはステラの持つカリスマに沈黙した。
「選択には責任が伴う。青い血だからという理由で、その原理から免れることはできません。いいえ、むしろ決定権を持つ者こそ、その言葉を胸に刻まねばならないのでしょう。
それでも、私は騒動へと導いた選択に迷いも後悔もありません。だって私は──」
ステラは、ゆっくりと息を吸って。
「……私は、遠い昔にロールレア家があなたたちから奪ったものを、返してあげたかっただけなのだから」
静かに、噛みしめるように語る。
「──人には、自分の人生を選ぶ権利があるの。当家は、歴代当主たちは、お父様は、あなたたちからそれを剥奪してきた。
それを意識させないように、当家に仕えることが当然であると認識するよう振る舞ってきたのです。
迷い無く、未来に向かって歩むために──この歪んだ過去は、現在に糺すべきものです」
それが封建領主としてロールレア家が積み上げた合理性であり敬うべきと理性が語る一方、血塗られた黒い歴史の中で最も卑劣な罪であるとステラの感情は非難した。
「もちろん反省はあるわ。拙かった。あなたたちを慮った遣り方ではなかった。あなたたちなら理解ってくれる。そんな甘えがあったのだわ。
想いは、言葉にしないと伝わらない。……だから人は、たくさん、たくさん言葉を重ねなければいけないの。たとえ、理解してもらえなくても、言葉を重ねて、重ねて、伝える努力を怠るべきではないのです」
あのときの自分は、きっと傲慢だった。
そして、今も変わらず傲慢でいる。
「──だって、わたしはあなたたちが大好きなんだもの!」
──だって、それでもきっと何とかなると思ってるのだから!
「私の眼は、何かを組み上げることはできません。私の炎は、何かを燃やして、溶かして、灰にする力です。傍らに誰かがいないと、きっと、私には大したことはできないわ。
……だからこそ、支配しているままなんて関係は嫌なの!」
彼らには全能感に酔った癇癪だと思われているかもしれない。そんな癇癪を通す力が領主にはある。
それでも、それでもとステラは言葉は重ねる。
「私には夢がある。ささやかな、大それた夢があるのだわ。
このデロル領の端から端まで、笑顔でいっぱいにしたい。暗闇で凍える誰かを、この火で暖めたい。闇を照らして、ひなたの道だけにしたいの。
実はね? ──貴族に青い血が流れてるなんて、昔の人の嘘っぱちなのっ! みんな、そう思ってくれていた方が都合がいいから言わないだけ。
自由意志を持って、何かを選ぶ人は、みんながみんな平等なのよ。生まれながらの能力や地位の違いはあるけれど、尊ばれるべきひとつの命であることに。何も代わりがないのだわ」
──あのひとのように。
ステラは、あっけらかんと貴族社会の禁句を口にした。
「だからどうか──どうか、自分の人生を選びなおしてほしいの。
当家に仕えることは至上だったかもしれないけれど、私に仕えることは、あなたの人生の、沢山ある選択肢のひとつ。
悩んで、悩んで、沢山悩んで……、それで、決めてほしいって思うの。
そうね。これは、わたしの我が侭よ。みんなが笑顔の未来には、ぜんぜん関わりがないことだもの。だけどわたしは、この我が侭を貫き通したいと思うわ。
だって、わたしは──大好きなみんなを、大好きだって誇りたいのだもの!!」
ステラは心臓をばくばく拍動させながら、演説の技術なんてすっかり忘れて、感情のままに叫んだ。
* * *
* *
*
「どうも、レスターさん」
音無蜘蛛の糸電話を使って領主様の拙い演説を遠くから聞いていると、僕に近づく人影がある。
聴くに堪えない言葉が流れる受話器からは片手を離さず、巾着袋にぶち込んでいた生首を無造作に投げ渡した。
「胴体も持ってきますか?」
「その方がありがたいな。骨の一片でも残せば妙なことになりそうだ」
「ええ。腐れ秘密結社の患部ですからねー」
僕は残った首から下を取り出し……片手でぽいと投げられるほどの腕力は自分にないのを思い出して、取り落とした死体を蹴り飛ばした。大して飛ばなかった。
レスターさんは顔色も変えずに虹粒子でそれを掌大のボール状に歪めた。骨や臓器が潰れる音がした。
「顔色が悪いな。大丈夫か、キフィナス?」
「そうですか? いやあ、いきなりグロい音聞かされればそうなりますよ」
「死体はゴミと変わらん。お前も慣れてるだろう」
「そういう冒険者的な感性を隠そうとしないから騎士団で友達できないんですよ」
「いらん。一人の方がずっと美味いからな。……話を逸らすな。その前から、お前は青い顔をしてたぞ。
逃げられない状況に誘い込んでから先、俺やセツナがやっても良かったんだ」
「そういうわけにもいきませんよ。こいつの命を奪うことを選んだのは、他ならぬ僕です。実行犯が僕以外だろうと、その罪は変わらない。だって、この国の司法はこいつを裁かないんですから。こいつを排除すべきだと認識したのは、僕のエゴだ」
「ずっと昔に死んでいるべき男が、まだ生き延びていただけだ」
「それでも、そんな男を殺すのは処刑を執行する人間であるべきです」
この国では罪刑法廷主義すら曖昧だ。
領地それぞれに法律があり、北部には犯罪者を匿うことを是とする領地だってある。冒険者ギルドは王家と関わりが深いが、どこかの火傷女のように量刑を官僚個人に委ねてさえいる。
「そう思い悩むなら、俺に任せれば良かっただろうに」
確かに、近衛騎士にはそういった権限も認められている。
少なくとも僕よりも適格だろう。
「いやいや。デロル領の問題は、ウチで解決すべきでしょう」
思い悩むようなことは何もない。僕は執行官ではないが、三行くらい理屈を並べればその真似事を許される立場ではある。
ただ──愛されて生きてきたひとたちと笑いあう資格がないことを再確認しただけだ。
「……お前は、相変わらず難儀な性格をしているな。臆病で傲慢で、俺より賢いくせに驚くほど頭が悪い結論を出したがる。……ま、それを諭すのは俺の役目じゃない、か。おいメリス。メリス?ダメだな。無理か。まあ他にもいるだろう。
それより。お前には借りを作ってばかりだから、ここで少し返してやる。何か、俺にできることはあるか? できる範囲で何でも叶えてやるぞ? お前らの愉快そうなパーティに参加するとかな」
「いりません」
「おい俺Sランク冒険者だぞ」
「いらねーんですってば」
「俺のプライドに配慮をだな……。別にそれ以外でもいいぞ」
「それ以外で……? めんどくさいな。んー、そうですね……、それなら、ステラ様が次の伯爵だって認める勅許状とか?あ、我ながら良案だな。勅許状ください。新年の、地方の貧乏バカ貴族とか含めて全員集めるアホな式の前に貰っておきたいです。暗殺のリスクも怖いですし出席しないって選択肢は用意したいんですよね選ぶのはお二人ですけど。憲兵隊の警備とかほんとガバガバですからね?近衛騎士は人数少ないし……。あ、王家とウチの繋がりがまだ生きてるって意味でも、政治的なメリットはあると思います。勅許状とか体調を理由に発行してないでしょう? もちろん王都に訪ねさせるって意図があるんでしょうけどそれ以上に──」
「……急に生き生きとしだしたな。いや悪くはないが……随分夢中らしい。
俺としては構わん。だが、その程度じゃ、お前への借りを返すことにはならないぞ? その提案は俺にもメリットがあるし、そもそもロールレア家に何らかの利益を与えるのは規定事項だ」
「あ、そうですか? そうですか。でも、僕に余計なものはいらないです」
僕はただ、大切なものがほんの少しあればいい。
それから、明日がいい天気であればいいと思ってるだけだ。
未来を語る言葉が、受話器から聞こえている。
……ほんと、まったくつたないったらない。耳まで真っ赤にした顔が目に浮かぶくらいだ。これは帰ったら、嫌みと皮肉をたっぷり込めた感想を一番に伝えないといけない。
──君らしくてとってもよかった、って。
第四章『因果錯綜・過去/未来/現在』/了
「王家の血を継ぐ者は一人でいい。これは、姫様のお側を離れて余りある成果だ。ここまでの土産が手に入ることは考えてなかった」
近衛騎士は一枚岩ではない。件の結社に加盟している者は、恐らく円卓内にまだ残っている。
レスターが近衛騎士となった切っ掛け──キフィナスが減らした近衛騎士の一部は《哲学者たち》の一員だった。
洗礼名ムーンストーンことセレニテス・リタ・タイレルは、大禍以前は灰髪であるが故に王宮から離れることを許されなかった。
爵位持ちの中に王位継承権を持つ者もいるが、それはあくまでスペアだ。唯一の直系血族であるムーンストーンは、レスター個人にとって、ずっと体調が芳しくない姫様の立場を脅かすという意味でも抹殺すべき対象であった。
「……しかし、詰めが甘いところも変わらんな」
レスターは、引き渡された頭蓋を砕いた。
ムーンストーンの頭脳は存在してはならない。
非人間的な暴力装置になりきれない友人の人間性に、レスターは難儀だな、という言葉を繰り返した。
「あいつの道にはこれからも波乱が絶えないだろう。……あいつが主と仰ぐ伯爵の思想は、この国では自虐的……いや、破滅的でさえあるのだから」
キフィナスが大切そうに抱えていた魔道具の端から漏れ聞こえる言葉は、レスターに以上の感想を与えた。
あの冒険者基準でもなかなか凶暴な小娘が友人の理解者であることは素直に喜ばしいのだが。どうも、キフィナスのことを理解しすぎているように思える。
それが火種になりうる怪しい人間関係をキフィナスは築いてきた。具体的にはセツナとかだ。あいつに初めて刃を向けられた時の理由は大体そんな感じだった。いや、太陽が眩しかったからだったか?見た目は最高なのに頭おかしいよあいつ。レスターは友に同情した。
「まあ。色々な問題からキフィナスのやつが泣きついてきた時には、せいぜい力になってやるとしよう」
あの偏屈な頑固者がそんな殊勝な態度を取ることはないだろうが。むしろ、力を借りるのは次も自分の方かもしれない。
レスターは自分の言葉に笑いつつ、王都タイレリアへの帰路についた。




