燠火
敵対者には、過剰に、必要以上に、執拗に。
執拗に執拗に執拗に残虐である必要がある。
苦痛と恐怖には相手から抵抗の意志を奪う力がある。
そして、僕はそれに慣れて久しい。
つまらない抵抗をされるのは御免だからね。
「きみはッ……! ぼくと、おなじギッ、ア、ああぁあッ!!」
「どれだけ叫んでもいいよ。あんたの声は、誰にも届かないからさ。──今度は逃がさない」
盗聴防止等の理由で、この執務室には防音を始めとする考え得る限りの大小さまざまな魔術が掛けられている。ムーンストーンには、ロールレア家が健在であるとアピールする偽領主を一定期間まで何とか延命させるため周囲に控えている必要があり、それと同時に存在を知られてはならないという制約があった。
人払いを命じた後の執務室は、こいつが潜むのには大変都合のいい場所だったということだ。
そしてそれは、僕にとっては尚更都合がよかった。
「きみは、世……、界、をゲッ」
「しっかし厭だね。まるで、僕が非道いことをしているみたいだ」
呟きながらナイフを振るうと、骸骨のような男は苦悶の叫びを上げる。噴き出た鮮血が床に垂れ落ち、赤いカーペットに赤黒い染みと鉄錆の臭いを遺した。ああこれは買い換えないといけないなと思いながら、二・三とナイフを振るって骨と皮の間に気持ち程度に挟まっている肉を裂く。
僕のナイフの軌道は肉を切るに留まっている。血は噴き出るが、いずれも致命傷ではない。
目前の男の悪魔の研究で一体どれだけの人間が犠牲になったのか、最期にその報いを受けさせなければ……なんて人道的な考えは僕にはない。
ただ──僕はナイフの取り扱いがまったくの下手ってだけだ。
刃を肉に通す度に骨までガツガツ当たる。付与魔術のない獣肉を削いで加工するための道具は、骨を断つためには刃渡りが短すぎる。相手の命を一切考えなくていいこともあって、刃を深く落としすぎているんだろう。
一振りする度に今のは角度がよくないだの脈からズレただの反省点を考えながら──ぎゃあぎゃあ喚く声がなんとも耳障りでしょうがないな。
「なんっ、なんでこんなッぼくはっ、きみとおなじ灰の──べぷ」
「鏡を見ろよ。全ッ然違うからさ」
僕はひん掴んだ頭をそのまま鏡に叩き込んだ。破片と血ヘドがきらきら宙を舞う。奴のくすんだ灰の髪は既に汗と血に塗れて変色していたわけだけど、顔中に破片が突き刺さっているので上手く見えなかったかもしれない。だから、頭の下に鏡の破片を敷いたまま何度も何度も顔面を踏みつけてやった。
当然、執務室もすっかり血の海だ。汚さないようにという意識を最初のうちは働かせてたが、どうせこの部屋の調度品類はほぼ全てが偽領主の手によって置き換わっている。
今日中に終わらせる仕事に『部屋の掃除』という一行を加えた方が、殺し方に縛りを設けるよりもずっと効率的だ。
薬草なりポーションなり回復魔術なり、この世界には外傷に対する備えが多数存在する。
生きたまま血抜きをすることで、そういった備えの多くは効率的に消費させることができる。
「き……、大母キキのお言葉を! き、みも、聞いたはずだッ!」
これだけ傷つけても、血を流しても、ムーンストーンは言葉を発するのを一向にやめない。
スキルやステータスのような、生まれながらにして持つ武器として、言葉以上のものを備えてないためだろう。喉は刳り貫いてて、ひゅうひゅうと穴から息が漏れているのにな。
「大量殺人。違法薬物の製造・流通。医療行為と称した傷害。その他さまざまな犯行の動機が『夢のお告げ』なんてのは、笑い話にもなりゃあしない」
「ぼくらが! 虐げられた灰髪だけが、キキの声にしたがい、真に世界をすくうことができ──ぎいいッ!」
僕はナイフを振るった。
「選民思想まで拗らせてるとか本当にロクでもないな。くッッッだらねえ妄想は、どこかで独りでやってろよ」
「なんッ……で、なんで邪魔をするんだああッ! あの時も、ぜんぶ燃やしてェ! オマエさえいなければああああ!」
叫びとともに、肉体から魔力の燐光が薄ぼんやりと灯る。
僕は思わず欠伸をした。
「──魔術を使える相手くらい、何十人と相手してきてるんだよ」
ここまで弄くった肉体で灰髪がどうとかよくもまあ言えたものだと感心はするが、それだけだ。
ナイフで腑を抉ると、励起した魔力光は霧散した。
「大方、魔術を便利で都合の良いモンだとでも思ってたんだろ? 残念だったな?」
魔術行使には集中力、強固な想像力が必要だ。
そのために多くの冒険者連中は詠唱なんて七面倒臭いことをするし、マジックユーザーを護るために陣形を組んで亀みたいに行動する。痛みに悶えながら魔術を発動できるようなのは極々少数の、言葉を飾らずに言えば異常者だけだ。
痛みに慣れた冒険者ですらそうなんだから、死線から遠いとこで過ごした奴が使えるわけがない。
「追い詰められて、取り繕ったモノ剥ぎ取られて、あんたに残ったのは醜いコンプレックスだ。魔術に縋ってみたのにロクに使えない。ま、しょうがないよな灰髪なんだから。気分はどうだ? ぜひ感想を教えてくれよ」
「っ──」
「うるせえな」
開こうとする口に爪先ねじ込んで蹴り飛ばすと、いよいよムーンストーンはぐったり脱力した。
──さて。そろそろいいかな。心は十分にへし折った。僕は切断用の糸鋸を取り出し──。
「あああ──ああ!! 来い! 来い、こい、こいッ!!」
「だから、ヒステリックに叫んでも外にあんたの声は聞こえないって──ん?」
──執務室の扉が軋んだ。……アイリーンさんのタックルを基準にしてたんだけどな。
なるほど、何かしらの合図は用意していたらしい。
掃除の手間が増えそうなのは困る。
「ははッ、はははっ! こんなところで浪費するわけにはいかなかったが仕方ないッ! 天使に至るための、想念を集めるための、世界を救うための──!」
ぼうっと床に座っていたメリーが掌を握ると、ぷちゅんという音がした。
続けて扉の隙間から、赤い液体がぼたぼたと垂れ流れてくる。
それが止めだった。
骸のような男は、糸が切れたように崩れ落ちる。
その様子に、僕は無性に苛立って大きな舌打ちをした。……もっと早く折れとけよ。何なら三年前の時点で焼け死んどけよ。
「あ、あ、あ……」
「あんたのやってきたことは、全部無意味だったな」
それから、その苛立つ感情に任せて、灰髪の武器こと言葉で追い討ちを決めてやることにした。
「世界のためって題目を掲げて、バカどもを集めて、実際やってることはクソみたいな犯罪行為。何ができた? 研究の成果物とやらは、ぶっ壊れちまったんだろ? ハハ、いったい何のために生きてきたんだよ。他人の人生を奪って奪って奪って奪って奪い奪い奪い奪い、残った物は一体なんだ?
何もない。あんたの人生は、全部、一切、余すことなく無駄だった」
「……そんなワケにはいかない! ぼくは、ぼくはぼくは、ぼくは! 王家の裔セレニテス=タイレルとして──」
「世界とやらを救って、銅像でも建ててもらいたい──ってか? そうか。そりゃどうでもいいな」
目の前の男が何を抱えていようと、そういうのは心底どうでもよかった。ただ、腹いせに相手の心をぶち折りたかっただけなんだ。
僕は他者の選択を肯定も否定もしない。聖人だろうと凶人だろうと、善行だろうと悪行だろうと、それは重要なことじゃない。
これはあくまで僕の選択として、社会にとって有害な──それ以上に僕にとって気に障る相手を殺すことにした。
ただそれだけの話で、それ以上はどうでもよかった。
「あんたに建てられんのは墓標だけだ。碑にはこう刻んでやるよ。『誇大妄想に狂い、何も為せなかった屑の墓』ってな」
首筋に刃を添えて、僕は因果を断った。
・・・
・・
・
案外あっさり片づいたな。
僕は物を言わなくなった死体に蹴りを入れながらそんなことを思った。
「きふぃ」
大切なもののためなら、僕はどこまでも残酷になれる。
王都の貴族街ごと連中の本部を焼き捨てた時もそうだ。
あの時は、全部燃えてしまって構わないと思っていた。
「きふぃ」
広い王都は誰ひとり、メリーを受け入れようとはしなかった。
見ているのはその力だけで、貴族どもはとりわけ醜悪だった。
「きふぃ」
ふわふわした金髪の、めんどくさがりの、へそ曲がりの、割と性格が悪くて口下手で乱暴で一見何考えてるかわかんないけど結構わかりやすくて鉄面皮で押しが強くて無愛想で──愛すべき僕の幼なじみは、世界を壊すバケモノ呼ばわりされた。
許せるわけがなかった。あの頃の僕の世界は、今よりもずっと狭い範囲で完結していて、その半径5mちょっと以外はどうでもよかった。
……そして、このムーンストーンに至っては、ただそこに居るだけで直接的にも間接的にも害を撒き散らす。
たとえ、この野蛮で乱暴で非人道的な選択肢を選び直す権利を100万回与えられたとしても、僕は100万回あいつを殺す道を選ぶ。
他者を殺して、選択の権利を永久に奪って、それでもへらへらと生きている僕には、きっと日向の道を歩く権利はない。迷宮伯家の責任者なんて分不相応な肩書きを貰っても、その本質は変わらない。
でも、別にそれでいいさ。僕の人生における勝利条件は──痛っ!
「きふぃ」
……なんか、メリーが僕の肩に頭突きをしている。
目があった。また頭突きをしようとおじぎの体勢になってる。
僕は思考をそこそこに、催促してくるメリーの髪を撫で──ようとして自分の両手が血塗れなのに気がついた。
「きふぃきふぃ」
そこに頭突きが来る。普通にめっちゃくちゃ痛い……!
僕はメリーの髪を汚すのと肩から全身をバラバラにされるのを天秤に掛けて、三回くらいダメージを受けてから髪を汚す方を選んだ。
「ん。よい」
メリーは嬉しそうに鳴いて、僅かに目を細めた。
普段とおんなじ平常運転だ。
……人ひとり、殺した直後だっていうのに。
「……目ぇつぶって耳塞いでてって言ったのに」
「あれは、きけん」
「そうかもだけど、抵抗の権利くらいは認めるべきかなって。殺そうとした以上、殺される覚悟くらいはあるよ」
「めりも。殺した。殺したよ?」
…………それが、一番イヤだったんだよ。
「めりも。めりもなかま」
「あのねメリー。一般的に、悪い仲間とは黙って縁を切るべきで──」
「きふぃは。ひとりじゃない」
メリーの端的な言葉を誤魔化すように、僕は髪を撫でた。
僕は、君をひとりぼっちにしたくないだけで、別に独りになりたくないってわけじゃないんだけどね。
……こんな僕なんかを信頼してくれる二人には、一体、なんて言えばいいのかな。
きっと幻滅されるだろう。それとも、幻滅されるような信頼を稼いでいる、なんて考え自体が都合のいい錯覚かな。
「ひとりじゃない」
メリーはいつものように、同じ言葉を繰り返した。
都合のいい僕の精神は、そんな言葉に救われた気がした。




