ロールレア伯爵新邸宅、襲撃の日
絢爛豪華な大ホールで、いかにも高価ですよといった装いの多数の男女が歓談をしている。
政治だの芸術だの詩だの音楽だの、何やら高尚なお話のようである。が、どいつもこいつも知見を共有したいというより薄っぺらい知識をひけらかしてマウントがしたいご様子だ。その顔には傲慢さがべったりと張りついていて、一列にずらっと並べて一人ずつ背中を蹴り飛ばしたくなる。
「……その表情はなんですか、キフィ」
「はい。全員まとめてぶん殴りたいと存じました次第です」
「言葉遣いは丁寧なのに。あなた、ときどきすごく野蛮よね」
僕にお貴族様の歓待は無理だな、って改めて思った。なんかもう見てるだけでストレスで胃がねじれて破裂しそうだ。
こんな人間を接遇担当に据えていた見る目溢れる上司様がいるらしい。きっとアイリーンさんの方が100倍マシだ。というか商売と同じで僕よりずっと上手くやってくれそうな気がしてならない。
「アイリは当家の顔として、ちょっと、ほら、出せないでしょう? だって言動がアレだもの」
「僕もそうでは」
「あなたはいーの」
「……ええ。おまえは時となれば弁えられるでしょう。
ちょうど、今のように」
新築されたロールレア家邸宅。
張り巡らされた屋根裏部屋の存在は、僕らしか知らない。
「何なら私も今知ったのだわ」
「だってステラ様、無意味に屋根裏部屋使いそうですし」
「使……うわね。ええ。あなたの理解は正しいです。確かに、ここは少しワクワクするもの。だけど、あなたには──」
「……姉さまはともかく。私も聞いていません、キフィ」
「ともかく!?」
「シアさんには。使用人の色分けができたら報告する気でした。信用できる相手とできない相手、短時間では調べ切れませんでしたから」
「めり。やるってゆった」
「洗脳とか言い出す子に思想調査とか任せられるわけないよね。君の手口は知ってるんだ。めんどくさいから全員味方って報告するために洗脳やるだろ」
「めり。やるよ? やる」
「そうだね。やるんだろうね。やるのが調査なのか洗脳なのか明言してないもんね。ダメに決まってるだろ」
ゴロツキに毛が生えた連中が襲撃してきたことが──ひいては使用人による内部犯行が──前ロールレア邸爆破解体の原因である。自分やその周囲ごと爆死させる忠誠心というものを、僕は欠片も理解できない。ハッキリ言って気持ちが悪い。
だけど、その対策は何をどう考えたって最優先事項だ。……もちろん倫理的にセーフな範囲で。
セーフな範囲で、それなりに僕は工夫をしている。
「この屋根裏の空間は、有事の際の避難経路として設けたんです。安全性という意味で、これを知っている人間は最小限でいい」
防音、防壁機能を備えた入り口のない空間は、建築を担当した魔術師もその存在を知らない。
鍵として、ダンジョンの罠を応用した謎アイテムをメリーは作った。魔力とかは一切不要で、ただの小さい石ころ──不揃いなのは適当に外で拾ったからだ。飾り気がないというか飾る気がないんだなぁメリーさんは──それを握りしめるだけで、この空間に飛ぶことができる。宿屋からここまでひとっ飛びだった。
たとえ遅刻しそうって時にもしっかり走ったり諦めて歩いてみたり、平時には使わないように心がけていたのだが、今はまさしく有事だ。だからステラ様たちに知らせることになった。
まあもっとも──僕らの方が、これを使って襲撃をするワケだけどさ。
「さて。貴族どものバカ騒ぎをもっと盛り上げるとしようか」
僕は懐から一本の瓶を取り出した。
* * *
* *
*
新築されたロールレア家の大ホールには、微かに酒精の甘い匂いが漂っていた。
その芳香は不快なものではなく、むしろ迷宮伯がこれから饗するであろう酒食の質を物語っている。
訪ねた貴族たちは、まずそこに小さな驚きを覚えた。
領主の邸宅とは権威の象徴である。それが爆破炎上したことは、隣領ダルアの子爵によって躑躅閥に素早く共有されていた。
そこに加えて王都大禍の生存者にして政治の怪物・オームは王都屋敷の火災と共に行方を消し、その後継は未だ王都の式典はもちろん社交界に姿を見せることもなかった幼き姉妹である。
その風聞は吟遊詩人たちによって地方にまで広まっており、事実その認識を元にして貴族たちは訪問を定めた。
件のダルア領、ドーレン子爵家の代表者──フェルディナントはオームの姿を見て顔色を蒼白にするが、オームはそんな彼を一瞥するだけだった。
「ステラとシアは、少し調子を崩していてね。出席は控えさせた」
「それは残念ですな。一目お会いしたく存じましたのに」
「ええまったく。ご聡明な御息女様のお噂はかねがねお伺いしておりますぞ」
ロールレア家の大ホールに集まった貴族とその従者たちは──ある者は誼を結ぼうと、またある者は優位な取引を持ちかけようと──地盤の揺らいでいるであろう迷宮伯家を利用しようとした。
しかし、招致された宮廷音楽家、芸術家、学者、料理人、その他大量のゲストの質が、ロールレア伯爵家の家格が損なわれていないことを物語っている。
家財の多くを失い、新しく設えたであろう家財一式も、地方領主の目からすれば手が出ないほど高価な代物である。
彼らの常識からすれば、それらは即日で用意できるものではない。
「当家ではかのメシアンを召し抱えており、音楽には造詣が──」
「マジックジュール門下を家庭教師として──」
自領が抱えた文化、すなわち貴族政治的な武器をアピールする田舎領主たちの声も空滑りするばかりだ。それどころか迷宮伯領の豊かさが強調されている。
まるで最初から仕組まれていたような居心地の悪さを出席者たちは感じ、それを埋めるために平時よりも多弁になった。
──唐突に、人々の視界から光の一切が消えた。
それはさながら月のない夜。
これも何かの演目かと来客たちは訝しむ。
「紳士淑女の皆様。お集まりいただき、どうもありがとう」
それはテノールの、心がざわめくような声だった。
歌うように、囁くように──凶報を告げるように。
「僕は《タイレリアの暗殺者》。このロールレア家には、とてもお世話になっててさ」
誰かが悲鳴を上げた。
「今日は、芸術家として馳せ参じたよ。僕からも作品を提供してみようと思ってね。
作品名は──『ひと皮剥けば皆同じ、焼いてしまえばどれも灰』、かな」
その言葉と共に、闇を縫うように床から赤黒い炎が噴き上がった。
光に照らされて、一体の人影が衆目に晒される。
「ヒッ……、」
「あ、あああ……」
そこに在ったのは、全身の皮を剥ぎ取られて逆さ吊りにされた人影が、
「うわあああああああああああああッ!!」
今まさに、火に焼べられて灰と化す姿であった。
「き、ききッ。きヒひひっ。この暗闇を照らすには、まだまだ蝋燭が足りないかな!」
大ホールは阿鼻叫喚と化した。
* * *
* *
*
「はい足下に火を点けて。将棋倒しに転ぶと危ないですからね。窓を塞いでいた氷はもう溶かしてください。扉は氷で塞いで」
天井裏にて、僕はステラ様とシアさんに指示を出す。
3000倍に希釈した《貴腐人の口噛み酒》の酒気を漂わせ、軽い酩酊状態にしているからそんな速度とかも出せないと思うのだが、まあ念のためだ。
銀時計の秒針を眺めながら、僕はタイミングを確認して、
「そろそろ出番ですステラ様。渡り廊下に降りて、ドアを焼き払って開けてください。あとは、手筈通りに」
「ええ、わかったわ」
この後の茶番のため、ステラ様は一足先にテレポートした。
さてさて。
──タイレリアの暗殺者とは、言ってしまえば貴族相手の都市伝説だ。
今の王家には貴族たちの不正を糺すだけの力がなく、王都における貴族たちの犯罪行為は年々大胆なものになっていた。
法律がその抑止力にならない以上、残忍な貴族殺しが潜んでいることを以て抑止力とする他ない。……それはそれで王家の権威は下がるんだけどね。そんな相手を野放しにしてるわけだからさ。
だから、タイレリアの暗殺者の犯行と目されている事件の多くは、実際のところは下手人が僕以外のケースの方がずっと多い。まあ時計塔に逆さ吊りはやった。ポーション使って切断した手足を逆に生やしてみたりもした。生皮剥ぎの胡椒漬けも普通にやった。毒も飲ませたし王都の半分ごと燃やした。まあ、そこまでは認めるよ。
でも、全身に毒矢を射ってハリネズミにしたのは僕じゃないし、貴族街で歩いていた貴族が突然全身48箇所のバラバラな破片になるのも僕じゃなければ、全身がカタツムリの殻みたいに渦巻きになってねじ切れてるのだって僕じゃない。どれもこれも犯行が残忍すぎるなって思う。一緒にしないでほしい。
一緒にしないでほしいと心から思うのだが──正義と悪という単純な二項対立で語れるほど、世の中は単純ではない。自分の利益のために、結果として誰かを害するという選択肢は、意識しようと無意識だろうと誰もが選んでいるものだ。
領主には自らの領地を富ませようという正義があり、その為に取りうる選択肢の幅がより広い。その結果が軋轢を生むケースは数多見てきた。
そこに『絶対悪の仮想の存在が、素行の悪い貴族を殺す』というストーリーは色々と都合が良かったのだろう。
ロールレア家は無謬ではない。
そして、そんな家の不幸をきっかけに集まった貴族連中もまた、無謬ではなかったんだろう。
少なくとも、アルコールで頭の働きを少し鈍らせるだけで容易く恐怖という感情を爆発させるくらいには。
「……どういうつもりかな」
「どういうつもりも何も。いい加減取り戻しにきたってだけですよ」
僕は、また随分と若作りした元老執事(現偽領主)の問いに答えた。月のない夜を下ろした最大の理由は、彼を回収するためだ。
本来答えるべきは領主様なんだけど、残念ながら今回のタイムスケジュールの内に彼と問答するという時間はない。
「灰髪が。この私を誰だと心得──があああああああああッ!!」
「メリー」
メリーは頭を掴んで、そのまま無造作に腕を振り下ろした。
ミシミシメキメキと鳴っちゃいけない音と共に、何かがベリベリと引っ剥がされる。
地獄の苦しみを味わっていることは、悲鳴しか上げられないその姿が雄弁に物語っていた。
……もちろん、僕はあえて苦しめるつもりはないんだけど。
あのムーンストーンの手術を受けた以上はこれしか解法がない。何なら僕の合図より先に頭蓋を砕かんとばかりに掴みかかっていたような気もするけどそれはきっと気のせいだ。僕はシアさんの視界を塞ぎつつ幼なじみの暴力行為から全力で目を逸らして──、
「おわった」
「が、あ、ああああ……! ああ、あ……、あ。あ……」
メリーの言葉を合図に目を向けると、破裂した喉から血を流しながら、憔悴しきった老人が倒れ込んでいた。
「いきてた」
「本当にまじで心の底からよかったと思うよ」
メリーはどうでもよさそうに言う。実際どうでもいいんだろう。ほんッとそういうとこ良くないと思う……。
全身を痙攣させて、目から鼻から口からドバドバ血を垂れ流して……通行人が100人いたら100人全員が哀れむくらいヤバい容体してるんだもんな。
「……コッシネル。私がわかりますか」
「い……、妹、さ……、ま…………」
「……貴方には。全てを開示する義務があります。喋ることは可能ですか」
僕はシアさんにポーションを手渡した。下水みたいなゲロマズ味だが効果は保証する。
「ふ、よう、です……」
「んー何喋ってんだかわかんないですね。そりゃそうだ。だって喉破裂してますもん。飲ませましょうねー。死ぬことないんで溺れてもいいですよ」
僕はシアさんからポーションをひったくってガボガボ飲ませた。
誤嚥してもまあ身体にいい成分を使ってるらしいから大丈夫だろうという気持ちだった。
こういうところで痩せ我慢をする、いわゆる忠誠心とかいう概念が僕には何一つ理解ができないし、こっちとしては正確に聞き取るためにもとっとと回復させる必要がある。
「……なぜ私に寄越す手順を踏んだのですか。私がやります」
「いや。なんか飲まないとか言うんですもん。それに僕はこのひと相手に気遣いとか不要ですし。僕は僕でやることあるんで時間の無駄だなって。あ、シアさんは聞き取りしててくださいねー」
「なッ……! 妹様に、なんと無礼な口を! 弁えよ灰──」
「──弁えるのは貴方です。自由に口を利く権利を、私は赦していません」
さてさて。
こんなところでいいだろう。
事情聴取はシアさんに任せて、僕はふわふわと階下に降りた。
・・・
・・
・
ロールレア家の人員のほとんどは大ホールとその周囲に配置されている。
定常業務をこなす人員も一定数はいるけど。
少なくとも、今この部屋に誰かが控えているはずがない。
僕は不在であるべき執務室の扉を開けた。
「おや? どうもお客様。迷ったのかな?トイレだったら向かいの部屋だよ。
それから、あんたの死に場所は此処だ」
──過去の因縁をすべて、今ここで清算しよう。
「ムーンストーン。あんたを殺す」




