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光輝の訪問者


 何かを壊すことは、作ることよりもずっと簡単だ。

 物体でも関係でも法則でも何でもかんでも、綻びのあるモノの方が社会には多くて、補修もせずに無防備に千鳥足で歩いている。

 それらがあまり突かれないでいることが僕には少し不思議に思える。おそらく、個人の良識とかあるいは惰性とか幸運とか、そういったものに由来するんだろう。

 そうあれかし、などと期待するようなものじゃない。



 レベッカさんとのディナーから数日。

 協力の話を纏めたことで、迷宮公社ステラリアドネというツギハギだらけのシステムは、何とか最低限を取り繕えた。


 まあ……あの後もふた悶着さん悶着くらいあったんだけど。真夜中までずーーーーーーーーっと議論をしてた。報酬の話でも経営状況の確認でも揉めたし何ならこちらが提供できるリターンですら揉め直した。



 ──王都タイレリアに難民が流入するという一件。これは、貴族社会の権威を脅かすものだ。

 貴族・商人・冒険者の微妙な均衡によって今の社会は安定しているわけだけど──少なくとも僕はそう考えている──今回の一件は貴族のパワーバランスの変化。それに伴って大都市ウチへの人口流入が更に活発化することが予想される。

 そもそも都市社会が過疎地域と過密地域に分けられるものなのだが、そこは封建制社会の底力。領民の自由な移動権を制限・管理することで、人口の流出入をある程度防いでいるという現状があった。

 しかし……首都で食料危機になるような事態は、人々の目にはどう映るだろう? もちろん事前に防ぐために色々と動いているわけだが、耳の聡い吟遊詩人は既に歌詞を考えている頃だろう。この世界に新聞はないが、彼らがマスメディアの代わりをしている。人の口に戸は立てられない。


 冒険者になるのは簡単だ。斧を一本握って、冒険者ギルドに足を運べばいい。そうすると、領民としての扱いが受けられなくなる代わりに、より自由に物事を決める権利を得られる。

 個人としての僕は、そちらの方がずっと望ましい生き方に思えるんだけど……次期領主様の部下としては、ウチに過剰に人が押し寄せることは困ってしまう。

 余所者の来訪は治安の悪化とセットみたいなところあるしね。


 そういうわけで、人口流入を防ぐためにも、地方領主には領地経営を支える手札を持ってもらいたいという気持ちが僕らにはある。

 だからビジネスモデルを作って共有する。それにあたって、冒険者ギルドと協調した方がいいという判断があれば領地と冒険者の微妙な関係は改善が大いに期待できる。

 僕は冒険者ギルド側のメリットの部分を強調して喋っていた。

 けど、そこに『冒険者ギルドの組織力がなければ地方までの情報伝達はできない』というカウンターカードを切られたのである。


 ……ほんっっと大変だった。ステラ様の大胆な提案、シアさんの理路整然とした反論、それからメリーが何らかの動作をする度の知能指数の低下を以て(アイリーンさんは途中でふつーに帰った)なんとか話をまとめることができた次第である。


・迷宮資源に対する冒険者ギルドの先取権。

・資源を回収したダンジョンの確認・報告。

・迷宮資源を卸した相手とその内容の開示。


 最終的には、この三点を呑ませられることになった。

 前二つは別にいい。僕らはあえて渋ってみたが、これは手放せる権利だし、まあ客観的にも納得がいくだろう。どちらかと言えば、取扱う商品が冒険者ギルド公認であることを示す効果の方が大きいと見ている。

 問題は最後にある。逆にこれは絶対避けたかった。商人は同業者相手に先んじる必要がある。あとは僕らは多少フッ掛けられそうな相手には当然フッ掛けるし。

 僕らも、おそらく相手も相場観がない商品を取り扱っている。

 そんなものをどれだけの値で買ったのか明らかにするのは商人側が絶対に嫌がる……。

 なので、冒険者ギルドではなくレベッカ・ギルツマンさん個人に話す、ということにした。密約である。できることなら、僕はレベッカさんに運営スタッフになってほしいのだ……事務能力が違いすぎるから。スキルの力もあるんだろう。

 レベッカさんはメリーが絡むだけで知能指数が下がるけど、逆に言えばメリーが絡まないと冒険者という社会の枢軸の一角を監督してる人物なのだ。メリー絡むと知能指数が野生動物みたいになるけどね。




「今日のはどれくらいで売れるかしら? 売れなかったら私のものにするわね。しょうがないわよね、だって売れないのですもの」


「部屋にガラクタ増やすのどうかと思いますよー。主にシアさんとインちゃんが被害者になるのでー」


「シアとあの子からは文句を受けていないのだわ。ね、シア」


「……はい。姉さま」


「受けてないんじゃなくてあっても言わないんですよ。人間ができてるから。だから僕が代わりに言ってあげなければならないんですー。僕も人間ができているので」


「そう。素敵な冗句ね」


 一度軌道に乗せさえすれば、物事というのは謎の推進力で勝手に前に進んでいく。レベッカさんによると、今日は5件ほど商会から僕らへと取り次ぎを依頼されたそうだ。

 指名依頼ってシステムだね。よっぽど相手しなきゃマズい相手を除いて──次期領主の代行様とかね──断ることはまあ、普通に許される。じゃなきゃ有名冒険者様は指名に次ぐ指名で、誰かとの顔合わせだけで一日を使い切ってしまうことになる。時間とは誰もが平等に持つ、それでいて有限の資産だ。

 それにしても、こんな新興の、貴族の道楽とも思えるような商社に声をかけてくれるなんて……、いやあ、とてもありがたいことだ。しかも前金を貰って対面するだけでいい、商談の成否は勘定しないなんて……実に、破格なことだ!

 もちろん僕は──その場で全員断った。けらけら笑いながら。


 レベッカさんからはこいつ最悪だなって目で見られたし何なら口にもされたけど、思惑通りに動いているんだから楽しくなるのはしょうがない。

 もちろん彼らが領主様のような無視できない権力をお持ちだったら話はまた別なんだ。次点でロールレア家の御用商人。その次に株券持ち。でも、どれでもなかったよね。

 せめて最後くらいは満たしてほしかった。ウチの株券は売買が可能なので、是非とも他の商人さんからお買い求めください。いくらで買えるかは知らないけどね?


 目的である『商人たちへの影響力を持つ』という意味では株券は配る必要があるのだが、同時にブランディングも考えなければならない。すぐ手に入るものだったら価値がないのだ。最初に配ったのは、味方に付けておきたい影響力がある相手だからであるからして、入手性が違うのも当然なのである。これは差別ではなく区別というものです。

 あと、商人さんたちは利益で動くといっても人間だから、関係者を増やすとこの商会とあそこの商会は関係が良くないとかそういうアレコレが出てきて非常にめんどくさい……!



「……当初の想定よりも、ずっと利益が出ていますね」


「権利があれば行使したがるものです。そして、この株券というよは、次期領主様とのコネクションを形で示すものでもある。今は風向きが悪いだけ、というのは誰もが理解していることですからね。だってオーム伯の後継は、ステラ様とシアさんしかいないんですから。

 僕の存在がお家騒動の元凶だ、って認識は結構大きなマイナスだと思いますけどね」


「そうね。あなたがいなければ、きっとロールレア家は昔のままだったでしょう。お……、オームによってシアか私か、どちらかが間引きされていたでしょうね。

 だから、元凶は、ロールレア家のこれまでの家長よ」


 僕の軽口に、ステラ様は真剣な口調で答えた。

 澄んだ緋色の瞳が、軽薄に笑う僕を映している。

 ……僕はなんだか居心地が悪くなって、咳払いをして、


「えー、あー、それはそうと。それはそうと、です。

 仕掛けは整った。一通り、糸は張り終えました。憲兵隊の機能が回復しても、もう僕らを捕まえようとはしないでしょう。

 ここから先は、時間が僕らに味方します」


 ま、自分をオーム伯爵だと思いこんでいるおかしい人の健康状態って制限時間はありますけどね。


「……姉さまの計画であれば、その前には終わらせられるでしょう。……些か、野蛮にも感じますが……」



「うふふふ。楽しみね?」



 そう。

 あとは、時が来るのを待つだけだ。

 なにか不測の事態が起きない限りは──え、なにメリー。急にどうしたの? またあのプライバシー権を侵害するような邪悪なあぶくを虚空に出し──えっ……。



 ──銀膜の泡沫に映っていたのは、虹彩の神装具を構えた騎士がロールレア家に足を踏み入れる姿だった。



* * *

* *

*



「仕事を片づけに来た」


 近衛騎士レスターは、正面玄関で誰何する守衛にそう答えた。

 そのまま訝しむ守衛に手刀一閃。無防備な守衛は桁違いの膂力を受けて昏倒した。


「加減はしたが、死んだらすまんな」


 レスターは呟くように告げた。

 適応を重ねた──数多の生命を葬り去った彼にとって、無関係な個人の生死は瑣事に過ぎない。友人キフィナスの関係者であるから一応は加減しよう、という意識が働いた程度だ。

 彼は、大切なものとそうでないものの区別を明確にし、そうでないものに対しては深い関心を払わない。適応を重ね、肉体からクオリアが少しずつ喪失する中で、人間じんかんに踏み留まるには熱量が必要となる。

 レスターにとって、それはこの国の姫ヤドヴィガだった。


「《クシナヘギノヒ》《シガノヤボオヒ》起動」


 接触したモノを湾曲させる極光の微粒子が、石造りの館の周囲を霧のように覆った。そして、粒子があらゆる隙間から館の内部に侵入する。

 虹翼神器《シガノヤボオヒ》の権能によって、粒子が滞留する空間を立体的に把握することができる。こうして、レスターは瞬時に迷宮伯邸宅の構造を完全に把握した。

 個人ソロ冒険者としてレスターが活躍できた理由には、この能力によって短時間に効率的な資源収集ができたことが大きい。


(……およそ高位貴族の館らしくない質素さだな。あのキフィナスが心を許すのもわからなくはない)


 レスターはその日の内にデロル領に到着し、その情勢を把握することに数日を費やした。主に、冒険者行きつけの酒場で。

 雑味の強い酒を嗜んでいると、冒険者にも領民にも友人は灰の髪と侮られながら、領民としての最高位である家令職に就き、結果次期領主の二人の少女を連れて出奔したことが面白おかしく語られていた。器用なことができるのに不器用な生き方をする気質は、王都の頃から変わらないようだ。

 口さがない連中はそこに痴話の醜聞があるような噂を垂れ流すが、そこは友人の名誉のため、光粒子で唇をねじ曲げておいた。吐いた言葉に相応しい見た目に整形してやった。

 彼の友人は複雑骨折を幾重に重ねて重ねきった難儀な性格をしているが、酒の肴に嗤われるような下卑た人間ではない。



「さて。あれで生き残れたと言うのなら、俺が直接首を刎ねる必要があるのだろうな」


 レスターは館をゆっくりと歩く。目指すは当主の座す執務室だ。真新しい赤いカーペットが足音を吸っている。

 これは帰還したオーム伯が用意したものだろう、とレスターは見当をつけた。伯爵邸の家財には豪奢なものと質素なものが並立している。

 家財の多くは二度の爆破で散逸したはずだが、これが大領地の力ということだろう。


 光粒子は大気中の魔力に干渉し、魔術の行使を阻害する働きがある。

 次々遭遇する使用人たちを、レスターは声を上げさせずに体術で無力化していく。

 異常事態なのは理解しているだろうが、その危機感はどこか漠然としたものだ。彼らは生粋の戦闘者──冒険者とは違うのだな、とレスターは思う。


 レスターは難なく、執務室の扉に手をかけ──、


「そこまでですよ」


 背後から、友人の声を聞いた。



* * *

* *

*



 なんつーことをしてくれているのか。何をしくさってやがるのか。

 早速不測の事態だぞ。時間ぜんぜん味方しないよ?

 どうなってんの?


「あーーーーッもう! 急ぎますよ! ステラ様!シアさんっ!」


 屋敷に向かって僕は走る。……が、僕よりもステラ様とシアさんの方が速い。小脇に抱えてるメリーの差だ。いやそうでもないな、ウェイトの差がなかろうと普通にステラ様たちの方が足速いわ。

 メリーは進行方向にぶくぶくと不気味な泡を出しながらぼーっとしている。ほんっと君はマイペースだなあ……!



「……キフィ。あれは?」


「Sランク冒険者で近衛騎士のレスターさんです! 光の神器を使います。あの粒子の、たったひとつぶでも触れたら手足がもげます!」


「その子と同格なだけあるわね……どうしてウチに来たの?」


「あの人は姫様のためなら何でもします……やば、やばいぞ、やばば……!」


 何を目的としてるかは知らないけど──とにかく止めないと!

 あの人老若男女問わず平等にぶん殴るし。本質的に本質が冒険者なんだよな……!



 屋根を飛び越え人波潜り──ああもうなんだこの窓ぜんぶ塞ぐとか!

 正面玄関しか開いてないしがら空きだし……!


 はっ、はっ──間に合った!



「よう。タイミングがいいな」


「はー……、ふー……、ええ、メリーのお陰で。レスターさんの犯行を察知することができましてね。この短時間でいったい何人なんにんやってんですかね」


「殺してはいないはずだが。多分な」


 そこでアバウトにならないでほしいんだけど?

 他人の命がどこまでも軽い。


「ご機嫌よう。このひとから伺っているわ、近衛騎士のレスター。守衛のロブは気絶していたけれど、いったい誰に断りを得て、ここにいるのかしら」


 ステラ様が僕を庇うように、一歩前に立った。


「ステラ伯爵……でいいんだよな? やり残した仕事をきちんと終えるのは、ことわりに適った行いだろう」


「……仕事、とは?」



「──迷宮都市の現領主。オーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルの殺害だ」



「わたしが。この、ステラ・ディ・ラ・ロールレアが、それを許容するとでも思っているの?」


「ん? 王都で襲撃していただろう? 俺たちは目的を同じにできると考えているんだが」


「……近衛騎士レスター。なぜ、それを知っているのですか」



「何故もなにも。

 お前たちの襲撃の後、生き延びていたオーム伯を俺が殺したからだが」



 レスターさんは、事も無げにそう言った。


「…………燃えなさいッ!!」


 叫びと共に、真紅の燐光が迸る。

 ……その時、ステラ様はどんな顔をしていたのだろう。

 僕の目には、彼女の背が小さく震えるところしか見えなかった。


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