「ねえこれ本当に治療行為なんだよね?」
僕の両手が塞がってる件でインちゃんともひと悶着あった。
「メリスさん。やっぱおにい監禁すべきだとおもう。ベッドに縛りつけよ?」
僕の口にスプーンを運ぶインちゃんの目が今も据わっているのがすっごい怖いのだ。……思えば、インちゃんにはいつもボロボロになった姿を見せてばかりな気もする。
「なんですぐ大ケガするの?」
「命の危険はなかったよ。それがまた腹立たしいところだけど」
「そうじゃないでしょ? なんで?」
「えっ……。あの、えっとね? これガチのやつじゃんちょっと待って今考え──そうじゃなくて、ええと、その──」
うわっインちゃん泣き出しちゃったぞ! ぱっちり大きな瞳から大粒の涙をぽろぽろ零している……!待って!待って待って待って! 僕は手を伸ばし──、
「あいっだぁーーッ!?」
痛い痛いマジで痛い! インちゃんの涙を拭おうと手を動かしただけですごい激痛が走る。脂汗が一気に吹き出て思わずテーブルに倒れ臥しそうになるところを何とか堪えた。これでごはんひっくり返したりしたらあまりにも何もかもが最悪だからな……!
「おにぃ……?」
……心配かけたり泣かれたりするのは、なんていうか、結構心にくるものがある。
これ何とか解決できませんか。こう……、権力的なやつで……かつ穏当な形で。
僕は雇い主様を見た。アイコンタクトを送った。ウインクをバチバチやった。
「ふうん。私たちよりずっと焦ってるわね」
「……はい、姉さま」
「もう監禁されちゃえばいいんじゃないかしら」
「そうですね。姉さま」
えっなんですか急に……嫌ですけど。
なんで……?
もしかして怒ってますか?
「いいえ? この程度のことで、怒りを露わにしたりはしません。ご自分で解決なさって頂戴?」
ステラ様は貴族的な笑いを浮かべた。
……どこで道を間違えた? なんか不機嫌な人に囲まれたんだけど……僕ごはん途中なんだけど。
えーっと……、スメラダさんの朝ごはん食べたい。まだごはんの途中だ。泣きやまないインちゃんには申し訳ないんだけどその……、そこのルフの卵焼き取ってほしい。インちゃんがダメならステラ様でもシアさんでもいいから僕の口に運んでほしい。
でも流石にこの空気の中でそんなん言い出せないじゃん……。
ちょ、あの……、えっとぉ……。メリー……?
どうしよう、もうメリーしかいない。
もう詰んでる感しかないんだけど、これ、なんとかならない……? せめて卵焼きの方だけでも……。
「かんきん。する? する?」
しない。
はあ……。メリーはどうしてこう……どうしてなんだい? ねえ、メリー。
監禁されることで解決する問題がどこにあるの? 解決すると本気で思ってるの? 正気なの?
そもそもなんでそれ被害者側に聞くの?
──実際のところ、冒険者にとって死なない程度の怪我はどれもこれもかすり傷だ。
同じ場所に住んでいても、冒険者とそれ以外とでは怪我に対する認識は大きく違う。
だって、この国ではだいたいの傷は、治そうとすれば治せるのだ。
東京で得た知識の感覚では、穢血を体外に排出することが健康にいいとか体内にある複数の体液のバランスが健康に繋がるとか世界の最先端医療はだいぶ迷信と合体してる感じの謎医学なのだが、怪我の治療手段としては魔術とかいうものや迷宮資源だかいう文明レベルを大きく無視した便利なものがある。
たとえば最高位の回復魔術師は欠損した手足すら生やしうる。魔力を使って一瞬だ。
たとえば僕が毎日のように拾ってる薬草。塗り薬にも飲み薬にもなる謎の草だ。雑草のようにそこらに生えてて雑草のような扱いをされている。
効能が弱いとはいえ万能薬がそこらに転がってるのに見向きもしないってどういうことだ?ってなるよね。単純に、数が多すぎて価値がないんだ。
薬草が捨て置かれてるんだ。そりゃあ学問としての医学も発展しないだろう。だって対症療法で十分治せるんだから、あえて原因を探ったりする必要がない。
もちろん金なり権威なり暴力なり、治療を受けるにあたり適当な手段を用いなければならないことはある。
しかし冒険者ギルド協賛の施薬院など、傷の治療機会はある程度見込みのある冒険者であればいくらでも得られる。
つまり何を言いたいかというと──。
「──愛ですっ! 愛をもって! あなたさまの痛みを解します!」
「言動に不安しかない」
……僕は痛いのとか怖いのとか冒険者とか冒険者とか冒険者とか嫌いだから、可能な限り怪我するのは避けているわけで。
そういった相手との縁が遠いのである……。
というか治療担当者のことを信用できない。だってそいつが持ってる医療の知識、僕にとっては全くのデタラメなんだからさ。
血液は酸素や栄養を体内に循環させるために流れてるものであって、そう気安く捨てていいものじゃない。そんな僕にとっての常識はこの国にとっての非常識で、医療関係者はみんなこぞって二言目には血を抜き取りたがる。しかも使い回した機材でやろうとする。
僕からしたら、どうして信用できるのか不思議なくらいだ。まあ、そんな有様でも魔術とか魔道具とかあるので治療行為として成立するんだけども……。怪我が治っても病気貰ったら本末転倒だろって思わずにいられない。その病気を治すために医者に行って血を抜かれて……というループだ。
減点方式でかろうじて信頼できそうな治療魔法を使える相手がアイリーンさんだけという僕の人脈の狭さだった。
「一応言っておきますけど。瀉血は絶対やめてくださいね」
「大丈夫ですよう。わたくしはお医者さまではありません。ただ、愛してさしあげるだけです!」
「血を取るより不安になってきたな」
「あらぁ? 瀉血が怖いの? ふふ、お可愛らしいところもあるのね。キフィナスさん」
「……姉さま。キフィは、事あるごとに痛みと恐怖が苦手であると言っています。感心しません」
「でも、ちょっとチクってするだけじゃない?」
「あ? 何ですかステラ様。別に怖くないですけど? 僕はただ血液感染症とか気になるだけなんですけど」
「そう。そのけつえきかんせんしょう?が怖いのね。ふふ。あなたも、結構かわいいものが苦手なのね」
ステラ様が腹立つ反応をよこした。腹立つ。
「……キフィ。普段はどうしているのですか?」
「普段の僕だったら、まあ、しばらく包帯ぐるぐる巻きのまま日常生活を過ごしていたんじゃないですかね。そもそも、まず怪我しないことを心がけてます。基本的にメリーは治療魔法を使ってくれないので」
だから、まあ、だいたいの場合は身体がまるで受け付けないけど無理して薬草を食べたり吐いたり食べたり吐いたり吐いたりとかして何とかしてたんだけど……両手指の開放骨折含む傷となると、一日二日薬草食べる程度で治るようなものでもない。
「……その包帯は、メリスの治療によるものではないのですか」
「唐突においしゃさんごっこがしたくなっただけだと思います」
今回のメリーは、僕の両手に雑に包帯を巻いているときも、ただ無言で、じーっと僕の顔を見つめているだけだった。
「……それでよいのですか?」
「ん」
──この傷痕が、僕の選択とその責任だからだろう。
メリーは基本的に雑で人の話をあまり聞いてなくて性格が割と悪い。
だけど、僕が本当に大切にしたいものに対しては一定の理解を示してくれる。
メリーに一方的に寄りかかりたくない。ずっと昔、辺境にいた頃から、この気持ちは変わらない。
「ふー……、ふー……、それでは、参りますっ。──《世界に愛を。種蒔き芽吹き花咲く愛を、幾千幾万重ねるように! 愛し愛され相思相愛、世界は愛でできている! ──》」
魔術の詠唱と共に、ビカビカ光る薄桃色の燐光がアイリーンさんの身体から展開される。紅潮した頬、潤んだ瞳、荒い息……これ本当に大丈夫なのか?
「ふーっ……! ふーっ……! 《ちいさな愛を、たしかな愛を抱える旅人に、心からの花束を。荒野を往く旅人に、癒しの甘い水杯を。どうか、どうか! 世界すべての隣人の庭に、恵みの雨が降らんことを!》」
光は渦巻き、指向性を持ち、ぎゅおおんと凄まじげな轟音とともに僕のぐるぐる巻きになった両手に暖かな感触が……うわ熱い!? これあっかたい通り越して熱い!
だッ……大丈夫なのかこれ!? 僕の手! 何やらひとりでにピアノでも弾くように10本の指がワキワキと動き出したんだけど!! 痛みはないけど痛くないのが逆に怖いんだが!?
「──ととのい、まし、たぁっ」
めちゃくちゃに巻かれた包帯がべりべりと剥がれる。まるでサナギが破られるように──えっ怖い。
僕の手にはメリーに雁字搦めに縛られた布を引き裂けるほどの力とか無かったはずだぞ……?
「さあっ! これがあなたさまの腕です! 愛無き世界に愛を与える救いの御手です──!!」
──僕の手から銀色の鱗が生えてた。
それから長くてナイフみたいな爪も。
シンプルに表現して異形の腕だった。
「ふうっ。完璧な仕上がりですねっ♪」
「やり直しだよ!?」
僕は叫んだ。
・・・
・・
・
「アリ寄りだったわよ?」
「ナシに決まってんでしょうが。ナシ極みのナシですよ。当事者じゃないからって適当言いやがりますね……。何ならステラ様が腕光らせますか? ねえメリー。今日はステラ様の手を改造しよっか。ドリルとか生やそう」
「はやす」
「ごめんいやマジでやろうとしないで。両手にドリル生やした上司にどう向き合っていけばいいのかわかんないから」
「どりる? よくわからないけど、なんだか少し心惹かれる響きがあるわね……! いいでしょう。片腕だけならいいわよ」
「……姉さまいけません。軽挙はいけません。キフィ。姉さまの好奇心を妄りに刺激するのは控えるように」
「ほんといつか身を滅ぼしそうなんだよな」
まったく想定してなかった問題に直面したけど、何回かの治療魔法を挟んでなんとか元の両手に戻った。
これでダンジョンで斥候ができるし、巾着袋を使って商品を取り扱うことができる。
メリーは商品を破壊する可能性が高く、ステラ様とシアさんには立場的に商品を持たせたりはできない。というか、ある程度人手が確保できればお二人を商人連中と対面させる必要とかもなくなる。現状は人手がないから分担できる仕事を作れない状態なのでこうして付いてきてもらってるけど……。
……そう。人手だ。
この際荷物持ちでいいから欲しい。
「──愛ですっ! わたくしも同行しましょう! なんでもしますっ!」
「リスクだ……」
ふんふんと鼻息を荒くするアイリーンさんには不安しか感じない。
感じないが……今は一人でも多くの労働力が欲しい。切実に欲しい。欲を言えば荷物持ち以上のことをやってほしい。
やる気だけはあるみたいだし、なんとか……。
「で──皆さまがたは、なにをなさっているのでしょう?」
わからないで何でもするとか言ってたの?
「はぁいっ!」
勢いのいいお返事だなぁ……。
「あー……、まあ、わからないことがあればいつでも尋ねてください。僕が答え──」
「わからないことがわからないんですっ!」
「なんで自信満々に言えるんですかねそれを」
「わからないからです!
どうして、皆さまがたは商人さんをしているんですか?」
ええと……改めて整理した方がいいのかな、これ。
そうですね。
僕らが商人をやる理由は大きく三つあります。
「みっつも?」
アイリーンさんは自分が立てた三本指を眺めている。……失礼かも知れないけど、なんか、理解力が不安になる仕草だな。
なお、ステラ様も三つの指を見てちょっと驚いていたのを僕は見落とさなかった。ほとんど部外者だったアイリーンさんはともかく、ステラ様は責任者だろ。まったく困ったひとである……。
「ひとつの石で鳥を二羽三羽落とせるならその方が都合がいい。だって、石を投げるのも労力が掛かるんですから。二兎を追っていかない理由がないです。効率的にいきましょう、ってことですね」
えー、では、まず第一。
僕は一本目の指を立てた。
「僕らは商人たちとの交渉力がない。相手が提示する価格に対して、それを呑むか突っぱねるかしか選択肢がないんです」
「価格を付けるのは商人さんなのではないですか?」
「そうですね、それが普通です。そして、それが問題だという話です。たとえば──商人に食料の値を吊り上げられた時、相手の商業権を取り上げる以上の手札がないんですよ。
同じ業種で組合を作ってるから値の吊り上げが容易なんです。そして何より、商業権の停止という札を切っても領地から商人を流出させるだけなんですよね」
領地法はあくまで領内にのみ適用される法律だ。
ここを追い出されたら、隣の領地で商いをすればいい。かと言って厳罰化したらしたでそれ以外の商人にも影響が波及する。
「この組合ってやつ。やろうと思えば商人使って他領の治安ぐちゃぐちゃにするのとかできちゃうんですよねー……いややらないですけど。思えば、の話です。
で、それを防ぐには領主が残忍であると認識させたり、忠誠があるように振る舞うことには利益があると思わせたりしなければならないわけですが……我らがステラ様は、残念ながらどちらもお持ちではない。
甘っちょろく──ごほん、寛大であらせられる一方、利益を出そうにも家財が爆裂したのはこの領地の誰もが知っていることですからね」
「……法を遵守させるためには、権威が必要ということですね」
「ええ。ですが、それは一朝一夕で手に入るものでもなく、僕らは急拵えで商人に通じる力を持たなければいけない。相手がフッ掛けてくるならどうするか? こっちも商人になって物々交換でフッ掛けてやればお互い様ですね?
これが商人やってる理由の一つ目です」
「はー……」
アイリーンさんの目が点である。
大丈夫かな……僕は言葉を続けた。
「ふたつ。これは先ほどの内容とリンクします。
いまロールレア家を動かしている偽領主。あいつはあと数日で、冒険者ギルドへの食料支援を停止させることでしょう。食料支援はロールレア家の財政に負担があり、むしろ有償でこちらが優位に立ち回れる交渉材料として使うべきだ、と相手は考えるはずだ。
で、それはチャンスです。こちらが正統であると主張できる機会に繋がる。あらゆる商行為には契約を伴います。その契約を途中で反故にする権力者は、当然叛意を買うわけですが──反故にするなら、僕らで続けてしまえばいい」
契約の名義は当然《ロールレア家》になっている。
冒険者ギルドという在野の権力集団は、どちらに正統性を認めることになるかな?
「……とはいえ、そのためには資産を集めなければいけない。自転車操業で──ああ自転車とかこの国にないかええと──借りれるだけのお金を借りながら、モノの売り買いをして用意する。その時には、やはり商人の屋号があった方が便利だ」
「あなたさまがお支払いになればよいのでは?」
「個人としてのお金と組織としてのお金は区別すべきです。混同して使うことを許すのは、むしろ僕が金を持ち逃げすることだって許されてしまう」
「するの?」
「別にしませんけど。稼ごうと思えばSランク冒険者のメリーなら一週間あれば稼いでくれる額ですし。ただ、できるのは健全じゃないだろうって話です」
「そういう手続きに拘るとこ、シアに似てるわよね」
「規則は弱者の盾ですからね。まあ弱者を排斥する口実に使わることも多々ありますけど。
ええと、つまり、直近に大きなお金を使うために商人って立場が必要である。これで二つ目です。
……アイリーンさーん。だいじょぶですかー?」
「……、愛っ! 大丈夫です!」
ついに返答が愛になったぞ。
「漠然とした不安はありますが……、これで最後です。
──僕たちは、勝ち方を考える必要がある。
つまり、領主の座を取り戻したときの支持基盤が必要です。ステラ様は伝統に背を向けた。ならその代わりを味方に付けなきゃいけない。
冒険者ギルドと大商人との繋がりは、現在の権力基盤を損なってなお余りあるものでしょう。……もっとも、彼らは忠誠心なんて曖昧なモノより、情動や利益などで動く手合いですけどね」
……というわけで、まとめてみました。
これが僕らが商人まがいのことをやらなければいけない理由です。
わかりましたか?
「はいっ♪ すべて理解しました! 真理をっ! つまり──愛ですね!」
「何をどう詰まればそうなるんですかね」
もうだめだ。アイリーンさんは愛モードに入った。
何一つとして大丈夫な要素がない。なさすぎて逆に笑えてきた。
ああ、僕は人脈がか細い……。
「……領地が得られる利益を損なうことは、代々この地を治めた父祖に、従ずる領民に対する裏切りだ。冒険者を通じて、王都への無償の食料支援だと? 優位に立ち回る機会を捨てるだと? ……それは、もはや罪悪だ。この地の領主として、到底許せるものではない。
ステラたちにも困ったものだ。冒険者のために差し出すものなど、髪一本すら有り得ない。……このデロルには、服わぬ者どもも、迷宮さえも不要だというのに」
執務室に座る男の顔色は蒼白であった。
その言葉にも覇気はない。
「……契約の詳細を窺い知れたことは評価するが、君には、娘の無事を確認していたはずだね。
肝心の相手に逃げられるとは、一体どうしたのかな。トロイアム」
ただ、全身に染み着いた残忍さだけは残っていた。
「いえ。申し上げました通り、これらは前家令キフィナスから提供されたものです。今後も彼と継続的接触を図り、御息女様についても──」
「退去してもらうことはできなかったのかな」
「何千本もの見えざる糸が張られておりました。時と場所を改めるべきと判断した次第です」
「……ふむ」
その報告は、トロイアムに尾けていた三人の部下の発言とも一致する。
彼らは王都組──故オームに能力を認められた、デロル領の上澄みの澄みだ。
領主は、離反者の報告に偽りはないと判断した。
「裏切者のトロイアム。君が裏切るのは、私ではない。私であってはならない。卑しき客分であれど、忠を尽くすのならば受け入れよう。
君の王家への信仰を、寛大にも私は許そう。……せいぜい、落ちゆく陽に想いを馳せるといい。
私からは以上だ。退室したまえ」
トロイアムの礼に対し、領主は一瞥もしない。
「かっ……」
迷宮伯に座す男は、一人吐血した。
吐き戻しては呑み込んだ血は、既に黒く変色している。
「どれだけこの身が保つ……? 黒躑躅の連中を招き入れるのは、私がまだ生きている時分に終わらせるべきだろう。私の死を期にこの地を訪ねる浅はかな連中だが、ステラにはまだ荷が──死? オーム様が──死──否、否。否否、否!否ッ!! 私は、私がオーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルだ。オーム様は、我が主は、私はまだ生きている……!」
「ムーンストーン……あの灰髪めを、また訪ねねばならないか」




