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アイ・ラブ・ユー《挿絵あり》




 頼りないランタンの灯りが、周囲をぼんやりと照らしている。

 僕の裾を掴んで、すぐ真横にシア様がいる。様子を見ようとそちらを向いたら思ってたよりずっと近くに顔があって、僕は思わず首を背けた。


 歩く。

 歩く。

 ……首すじに息がかかる距離にシア様がいる。



「…………やっぱり近くないですか?」


「……メリスは、もっと近いです」


 そうですけども。

 ……パーソナルスペースというものがある。それは、ここタイレル王国ではまだ一般名詞として定着していない概念ではあるが、ちゃんと存在している……はずだ。


 他人を寄せてもいい距離。そこよりも近づかれると、居心地の悪さを覚える距離。そしてそれは、人それぞれ違う。

 それが狭くてすぐ人の懐に寄れる人もいれば、他人を寄せ付けることに生理的な苦痛を覚える人もいる。

 で、僕はたぶん、人よりもずっと広めだ。


 表通りの往来で他人とすれ違うとか、そういうの、実はちょっと嫌だなって感じたりする。本音を言うと、僕の背中を視認できる距離に他人をあんまり寄せたくない。人がうごめく都市社会で生きるにそんなこと言ってられないし、何なら大体の人々は己の生活の維持のために他者を構うヒマなんてない。……わかっている。だけど、どうしても石とか投げられそうな気がしてしまう。

 だというのに、どうも僕の周りには、それがバグった人が多いような気がする……。


「シア様も広めだと思ったんだけどな……」


「さまではなく」


「シアさん……。…………やっりづらぁ……」



 シア様と僕の歩幅は、メリーのそれよりも近い。メリーがてちてち歩くのに対し、シア様はゆったりと歩く。

 握られているのも裾だ。当然、がっぷり四つ組みで僕の腰椎を圧迫骨折させようとしてこない。痛くない。ぜんぜん痛くない。逆におかしいなって思える自分にちょっと動揺してるくらい痛くない。

 こんなもの、何をどう考えてもいつもより楽だ。

 楽なのだ、が──。



 ──どこか居心地の悪さを感じてしまうのは何故だろう。


 地図を書いてみたり、罠探知をしたりしても、どこか落ち着かない──肺の一部をきゅっと握られたような、うまく呼吸できない感覚がある。

 僕の心の右側の方から『釣り合わない』『お前は無能』『勘違いするな』という言葉が絶えず聞こえてくるのは、なぜだろう。


 ……今更、勘違いするワケがないというのに。

『勘違いするな』わかってるさ。彼女たちは良い生まれに安穏とするようなアホの屑貴族じゃなく、生まれつき背負わされた責任から逃げずに誰かを導こうとしている。僕は信頼の置けるような人間じゃない。『勘違いするな』最低のろくでなしだ。『勘違いするな』『勘違いするな』勘違いするな。わかってる。ああわかってるさ。スキルもステータスもなくて何の取り柄もない僕が家令なんて不相応すぎるポジションに就けてしまったのはあくまでタイミングの問題でしかなくて猿回しの猿が喋ったくらいの貴重性でせいぜい奇貨エラーコインくくらいにしか感じてなくて本来間違いなことなのは『勘違いするな』

 誰に言われなくったって最初っから正しくきちんと正確に認識してるとも──、


「……キフィ? なにか、ありましたか……?」


「……あ。えっと……、すみません。ちょっと、ぼーっとしてました。何でもないです」


「…………そう、ですか」



 シア様に先行するように歩く。

 おっと。不自然に盛り上がった箇所があるな。



「ああシア様、そこは踏まな──わあ、合理的だあ」



 燐光が弾けると、宙へと伸びる氷の轍ができた。ぐんぐんと伸び続け、壁や床に接触しない吊り橋のようになっている。罠が作動するには感圧式の他にも熱感知とか魔力感知とか色々ある。とはいえ、大部分の罠は感圧式だ。低ランクダンジョンなら、これだけで全部素通りできる。

 やっぱり凄まじいの一言に尽きるな、シア様の能力……。普っ通に僕いらないな。


「でも勿体ぶらずに最初からやってほしかったです」


「……姉さまは、このダンジョン探索を思いの外楽しまれているようですので」



 そう言ってシア様は苦笑した。

 それは、ほんの少しいたずらっぽい──月にひっそりと咲く花のような笑みだった。



* * *

* *

*



 虚空に映るつたない恋劇場に、ステラは夢中になっていた。


「キフィナスさんの前だからってあんなこと言うっ!? シアだってすっっごい楽しんでるのに!」


「ん」


「あの子、昔からいい子ぶるところあるの! もちろんいい子ですけれど!」


「ん」


「もーーっ!……世界いちっ、可愛い妹なのだわ!」


「わかる」


 くねくねと熱狂するステラは、メリスのぞんざいな相槌もまったく気にならない。

 この叫びは返答を求めたものではない。さながら、目にした素晴らしい表現を口に出して反芻するような感覚である。


 ステラとシアは寝床さえも同じくする双子であり──互いに、世界で一番、互いのことを知っているという自覚がある。

 それでも些細な機微には気づかない部分もあり、こうして『自分のいないところでの妹』を見ることは、それだけで楽しかった。

 そこに、自分がよく知っている相手への好意の表明まで絡んでくるのだ。楽しくないはずがない……!

 秘密を覗き見るという罪悪感というスパイスもまた、ステラの熱狂を高めた!



「もちろん、お姉ちゃんとしてあとでシアにはいっぱい謝るとして……そこは姉というか人として……! 少なくとも今はっ。楽しんだ方がお得よねっ!!」



 迷宮都市の次期領主は、いい性格をしている。

 そんなステラが開き直り、綺麗な正座のまま背筋せすじを一段と伸ばして本格的に鑑賞の体勢に入った、まさにその瞬間──。



「ん」



 唐突に、映像が切られた。



「あーっ!?」


「ゆく」



 メリスはステラの顔を見ようともせず呟く。


「そんなぁ……。……でも、今回の目的は迷宮資源……、キフィナスさん不在時にすごいもの見つければ、あの子たちの見る目も変わるかしら……?

 メリスさんだって、実質戦力外通告みたいなあのひとの態度、わりと不服よね?」


「ん」


「……いまいち、肯定か否定かわからないお返事だけれど……それじゃあ、行きましょうっ! 私たちで、すっごいやつ見つけるの! いちゃいちゃしてる二人には負けてられないのだわ!」


 握りこぶしを掲げながら前を見据えるステラに、棒立ち無表情で虚空を見ているメリス。

 少し二人きりで過ごしてみたところで、その関係は変わらなかった。



* * *

* *

*



 シア様は自分から喋る方じゃない。だから、僕が黙ると沈黙が広がる。

 洞窟という地形では音が反響する。だから、逆に静寂が強調されることになる。

 二人っきりでの沈黙がどうにも重荷だから。僕はいつものように、取り留めなく言葉を口から吐き出している。


「この辺のコケとかも採取していきましょう。本職プラントハンターじゃないですが、たしか、これは薬師が素材として使ってたはずです。ステラ様とメリーよりも良いもの回収して二人のことバカにしましょうね」


「……控えなさい。回収は許可します」


「はいはーい。あ、ランタンは予備ここに置いときますね」



 僕は氷の吊り橋から降りる。たんっ、という軽い足音が空洞内に大きく響いた。

 当然のことながら、このタイミングで罠踏んだりとかはない。低ランクダンジョンの罠踏むとか素人丸出しなんですよって話なのだ。


 僕は採取用のナイフを取り出しつつ、紫色をした《長翁苔》の生えた岩陰へと向かう。

 すると、もう一人分の足音が後ろから付いてきた。シア様だ。……どうしたんだろ?



「………………き、キフィ」



「どうしました? 回収なら僕がしますけ、ど……」



「おまえが好きです」



 唐突に。

 シア様はそう言って、後ろから僕を抱きしめた。


挿絵(By みてみん)


 僕は思わずランタンを取り落としてしまい、周囲は真っ暗になった。


 さっきまであれだけ動いてた口から、気の利いた言葉がまるで出てこない。

 ぱくぱくと陸に打ち上げられた魚のように口を開いては閉じて、それでも言葉が出てこず、


「…………は、はい。僕も好きで──」


 なんとかようやく出てきたのは、そんな月並みな、



「いいえ。……わたくしは。ひとりの女として。

 キフィナス。おまえが、好きです」



 まったく言葉が出てこなかった。






 僕は、自分のことをよく知っている。

 何せ自分自身のことだ。世界で一番よく知っていなきゃおかしい。

 薄々気づいていたんだ。二人の中での僕の評価と、現実の僕との乖離ギャップは広がり続けている。

 それはいつか取り返しの付かない失敗になりそうで──だけど、こうして過ごす時間が心地よかったから、見て見ぬフリをしていたんだ。


 失敗だった。



「……シア様。考え直しましょう」


 僕は、誰かに愛されるべき人間じゃない。

 護りたい女の子の影に隠れてばっかりの、

 臆病者で、嘘つきで、恥知らずな人間だ。


「貴方は、外の世界を知ったばかりで──だから、僕みたいなどうでもいい相手を、とくべつだと思いこんでしまっただけなんだ」


「……キフィ、おまえは、」


「だからそれは、ただの気の迷いなんです。すぐに褪める微熱です。世界は広いんですよ。鳥籠の中にいた青い小鳥は、鳥籠の外の、幸せへと向かうべきなんです。

 貴方の人生はこれから、色んな人と出逢うことになるでしょう。僕みたいな路傍の石に構うことないんですよ。素敵な貴方には、素敵な貴方に相応しい人と。きっと、出逢えるはずですよ」


 命の価値は等価じゃない。

 天秤の片側に僕の命を載せたとして、シア様とじゃ釣り合わない。……貴方に比べて、僕の命は軽すぎる。どんなにそっと置いても、僕は弾き飛ばされてしまうだろう。

 別に僕はいい。……僕なんかに感情を向けた相手を置き去りにしてしまうことが、何よりも怖い。





「…………おまえの考えは、わかりました」



 沈黙を先に破ったのは、シア様の方だった。

 彼女は聡明で思慮深い。すぐにでも先ほどの発言はただの気の迷いだったと訂正することだろう。それでいい。



「わたくしは、世間知らずかもしれません」



 腰に回された細腕に力が籠もって、僕はぐ、と唸った。


「この感情も、おまえの言うように気の迷いかもしれません」


 かもしれない、じゃない。

 気の迷いなんだ。



「ですが、今このとき、この瞬間。

 わたくしがおまえのことを好いていることは、おまえにだって否定させません」



 シア様はそう言うと、後ろから覆いかぶさるようにして。

 僕の頬を優しくついばんだ。



「……はじめて、ですよ?」



 暗闇でもわかるくらい、シア様の頬は紅潮していた。

 ……でもわからない。

 シア様がわからない。僕なんかに、誰かに好きになってもらえるところなんてありやしない。


「……おまえは。何でもできます。なぜ、そんなにも自分を卑下するのですか」


「……はは。灰髪相手に、なかなかキツいブラックジョークですね」


 暗闇でよかった。作り笑いが多少ぎこちなくても見えないだろうから。

 ……何でもできる? 僕にできることなんて、誰にでもできることしかない。色んなモノに手を出したから普通人よりちょっと小器用なだけで、どの分野の専門家にもどうやったって敵わない。

 僕だけができることは、世界のどこにもない。

 僕にあるとすれば──、


「……ただ運良く、生まれたときからメリーの隣にいられたってだけなんだ。ずっとそうだ。メリーがいなきゃ、きっと僕はずっと昔にどこかで野垂れ死んでる。僕の知識だって、メリーがいたから、かろうじて身につけられたものだ。それだって、普段やる気がないだけで、メリーの方がずっと賢い。

 僕の持っているものなんて、全部、ぜんぶが借り物なんだよ。それなのに返せるあてがないんだ。

 世界最強の冒険者をやってる幼なじみと一緒にいる、どれだけ頑張ってみてもD級冒険者(下から三番目)程度で頭打ちになるような実力しか持てない僕は、いつも護りたい女の子の背中に隠れるだけの、最低最悪の、まさしく誰もが言うとおりの、


 女頼りのクソヒモ野郎──」

「と呼ばれています。


 ──ですが。おまえがそんなものではないことを、わたくしは知っています」


 シア様の言葉が、いつもよりもずっと力強い。口を開く前の逡巡がない。



「おまえに贈った銀時計は、おまえだけの物です。借り物などではありません。おまえの言うように、おまえの全てが借り物だったとしても。私が贈った想いだけは残ります」


「……だから、僕は想いを向けられるような人間じゃないって言ってるんだ。偏見と無責任が服を着て歩いてる」


「いいえ。軽薄そうな振る舞いをしていても。おまえは細やかに気を回すことができ、責任感と良識を持っています」


「……そんなものあったら、適当に休暇を求めたりしてないですよ」


「休日と称して、おまえが当家のために各所を駆け回っていることは、私も把握しています」


「……僕には、ただ、それくらいしかできないってだけで……」


「我々の行動は、それだけで公務となります。おまえのような身軽さは持ち得ません。私や姉さまにできないことを、おまえは既にしているのですよ。

 おまえ以外の誰かには、もっと巧く出来ることがあるのかもしれません。ですが、その誰かは、おまえに出来ることが出来ないことだって当然にあるでしょう。

 ……きっとおまえは、メリスを意識しすぎているのです。ですが、彼女にだって、できないことはあるでしょう」


「……メリーに、できないことなんてないよ。ただやらないだけで──」



「炊事。洗濯。その言葉への反論は容易ですよ、キフィ。おまえは少し、メリスに対して盲目的すぎるのです。

 ……その認知の歪みは、おまえの心のきずから生まれたものなのでしょう」


「……そんなもの、ないよ。僕は無神経な人間なんだ」


「そのように振る舞っているだけです。……無神経な人間は、自分が無神経だなどと言わないものです。その論理は破綻している。自分自身のことを理解していると思いこみ、先回りして自分を傷つけている。

 ……なのにおまえは、疵を認めようとさえしない。……それほど、深いとは思いませんでした」


 ヒトなんて、生きてるだけでもどこかが痛んでくるものだろう。……別に、僕だけが特別じゃない。


「いいえ。おまえの、いつかの言を借りるなら──おまえの痛みは、きっと、おまえにしか理解できないものです。誰もが皆、それぞれに、特別な痛みを抱えているのでしょう。……私は恵まれた環境に生まれた人間です。おまえの心の疵に、同情も、共感さえもしてやることができません。

 ですが……、おまえの振る舞いには、私にも心当たりがあります。前以て自分を傷つけておけば、本当に痛みが来たときに備えることができる。痛みに馴れることができる。そう思いこんでいるのでしょう。

 ──そんなことはありません。自分に向ける言葉の刃は、的外れな自傷行為なのです。胸にある重い痛みを、僅かな間に麻痺させることができても、痛む箇所が増えるばかりです。

 何より、世界に隔意の壁を作って自分を(鬱/ふさ)いでいても、いつか予想外の方向へ吹き飛ばされてしまうものなのですよ。

 おまえは私を世間知らずと言いますが、それを知らないようですね」


「……シア様は、知ってるんですか?」



「勿論です。吹き飛ばしたのは、おまえなのですから。

 ……それまでの私は、箱庭の中で、優秀な予備スペアでありさえすればよかった。わたくしが、わたくしの人生を始められたのは、おまえと出逢ったためなのです。

 ですから──そうやって自分を卑下することは、許しません。その態度は、何よりも私を貶めていると思いなさい。……おまえには、その方が効くでしょうから」



「……すごく傲慢なこと言ってません?」



「為政者とは、時に傲慢であるべきなのです。……おまえの心が癒えるまで、本件は保留とします。

 ただし、これだけは覚えておくように。


 ──わたくしは、おまえが好きです。


 どうか、忘れないでください。いつかおまえの疵がすっかり消えて、たとえその時に私の心がおまえの側になかったとしても。

 いま、この日この時のシア・ラ・ロールレアは、おまえのことが好きです」



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