低ランクダンジョン《バベル・ピース》
個人を取り巻く環境は、人生におけるあらゆる選択の機会と、その結果によって生じるものだ。
選択の機会が巡ってくるのはけして平等ではない。そして、必ずしも善いものばかりでもない。
しかし、場面場面で何を選んできたのかによって、今の自分が形作られるのだと思う。
つまり何を言いたいかというと──、
「まったくどうしてこんな人を上司にしてしまったのか」
適応高い人に本気で駆け出されたら僕が追いつけるわけないだろ……!
無駄に汗をかかされた僕は、心に浮かんだ疑問を相手がはっきりと聴認できるよう言葉にした。
「いいでしょう? お弁当は用意してあげたのだから」
「僕はこれで疲れてるんですよ。まあ喋るだけですよ? 普段と同じくらい喋るだけです。とはいえ神経はそれなりに使うものでしてー? 精神的疲労と肉体的疲労は違うとかそういうつもりなのかもしれないですけど疲れてるんですねー。ええ確かに、スメラダさんのお弁当はありましたよ? ありましたとも。ええ皆で食べました。ダンジョンに入る前に、迷宮特区の隅っこで、シート広げて食べましたね。今日もおいしかったです。一日の疲れが取れそうな味でした」
「それじゃあ──」
「それじゃあ、もう、あとは軽い運動してお風呂入って寝たいんですよ。僕はね、健康というものに、それなりに気を配って生活しています。それは、僕の選択によって維持できる、僕だけのものなので。だから健康をとても大切にしたいー。したいんですー。その辺おわかりになられますかねーーご聡明であらせられるステラ様ぁーー?」
「そう。お疲れなら、ダンジョン入ったあとは眠っていてくれてもいいわよ?」
「はーぁ??? ダンジョン内で寝れるわけないんですけどー? というかステラ様、はっきり言わせてもらいますけど、迷宮資源の目利きとか全然ダメな人でしょ。これは極めて客観的な判断なんですが、僕が寝てたらたぶん成果ゼロですよ。ステラ様、普段ゴミばっか集めてますし」
「なっ……、ごみ!? ご、ゴミではありません! 錬金術の素材です! シアっ! シアからも何か言って頂戴!」
「……姉さま。分が悪いです。……姉さまのご趣味については、……言及いたしかねますが。我々には、迷宮資源の市場価値について判断することができません」
「適当な物を見繕えばいいじゃない」
「ぷっ……、ははっ。ステラ様は冒険者適性が高くいらっしゃいますねーー?」
「ふふっ、そうかしら?」
「得意げなとこ悪いですがぜんぜん全くこれっぽっちも褒め言葉じゃないですからね? 僕これ言われたらキレますよ」
「……そんな言葉を雇用主に向けてはなりません、キフィ」
なんというかステラ様は、ぜんぜん無根拠に、自分のやることは全部上手くいくとか思ってるフシがある。
……ほんと、この雇い主様はいちいち危なっかしいのだ。
僕はまぶたを擦りながらため息をついた。
コアの破壊を目的とした探索と、迷宮資源の回収を目的とした探索では、装備や携行品が違ってくる。……もっとも、コアを破壊することを目的にする冒険者なんてのはほとんどいないけど。大体、欲をかいて奥地まで入りすぎて帰りの分の食料が足りないから突っ込むとか、帰りの道がわからなくなったとかだ。特に後者、探索のたびに形を変えるタイプのダンジョンだと度々起こる。
『未踏ダンジョンに入るな』って教訓は、こういった事態を避けるためでもある。あるんだけど、チャンスだと勘違いして死ぬんだよね……。火に突っ込む羽虫みたいなところがある。
「肌が出ない、歩きやすいブーツを着けましょうねー。ヒールとか論外ですよー? わかりますかー突然着の身着のまま走り出したステラ様ー?」
「だいじょぶよ。あれから、私たちは適応を重ねてきてるのだもの」
「そうやって慣れてると思い込んでる時期が一番危ないんですよ。あと草むら通る時虫とかいますよ。肌出してると刺されますよキモ虫に。僕ぜったい嫌ですね」
「着けます。早く頂戴」
はいはい。
僕は《魔法の巾着袋》からブーツを取り出した。
「履き心地、大丈夫ですか? カカトに隙間とか。あったら取り替えます」
「取り替えてくれるの? それなら、もうちょっと可愛い靴がいいのだわ」
「ナメてんですかね」
「ふふ。冗談よ。誰かさんの真似っこなのだわ」
誰だそいつ。話の流れを遮るわかりづらい冗談とかこの上なく厄介な奴だな……。突然ボコボコにされろよ。
まあいいや。それより気にすべきことがある。具体的には足元で、いつでも、まず最初に気にするべきだ。
ダンジョンの中では、魔獣と戦う時間よりも探索をする時間の方がずっと長い。だから武器の新調とかよりまず最初に防具、更に言えば足元を整えるべき。……だと思うんだけど……、残念ながら、多くの一般的冒険者はまず武器を買う。次に武器を買って、それから武器を買う。血の気が多すぎる。
そして防具を買うにしても、だいたい靴は後回しになる。胴と頭は致命部位だから優先順位どれにするかってのはあるかもしれないけど、どう考えても篭手よりも靴が先だろう靴が。だって足なきゃ帰れないじゃん。
そんな調子で、僕らは探索の準備を進めていく。
「光源よし、水よし、十尺棒よし。肌出さないヨシ! ええと回収目的だと他には……」
「もうよい」
「よくないです。事前準備って大事だよ? 備えがあれば嬉しい。いや嬉しくはないな。かさばりすぎても問題があるし備えが必ずプラスではない。けど、僕はなんかこの物理法則に喧嘩売ってる魔道具があるから人より備えられるんだよ。じゃあ備えないとでしょ」
メリーは普段、迷宮資源の回収とかしない。付き添っている僕もそうだ。だから備えとかを軽視する。僕が備えすぎとかそんなことはない。
だって『貴重な迷宮資源の回収』などという、冒険者ギルドの規則に則った模範的でお利口さんな冒険者らしい活動など、最初の半年くらいしかやってないんだからね。……もう5年くらい前の話になるのかな?
まるで一般的な冒険者と呼べない僕らが、一般的な冒険者らしい迷宮資源の回収なんてやろうとしているわけだけど、そこにはやっぱり戸惑いとかがある。まあ、メリーは着の身着のまま、何も考えてなさそうな顔をしてるんだけど。事実何も考えてないんだろうな。
資源回収を目的とする探索のうち、多少マトモな側に入る連中は──全体の約7割。残り3割は違う。3割も違うとか暗澹たる気持ちになるよね──当然、持ち帰ることを考えた装備をする。
だいたいパーティごとに荷物持ち担当が誰かをダンジョンに入る前に決めて、それを交代でやりくりしてって具合だ。そして荷物持ち担当は、軽装で武器も長物は避けるようにする(適応が高ければその限りじゃない)。
「順番なんですが、とりあえず、僕が荷物持ちます。《魔法の巾着袋》あるので」
「……キフィ。おまえには、既に斥候の役割を期待しています。……ですから、荷運びを臨時雇用するのはどうですか」
「やめた方がいいですねー」
シア様は、どうやら姉の方と違って冒険者について色々調べてくれてたらしい。荷物持ち専門を臨時に同行させるってパーティは確かに結構ある。
……けど、これが何とも厄介で、報酬の取り分とかで度々問題になるんだよな。本気で荷物を持つだけだと報酬の取り分はどこまでもケチられる。
だから、荷運びは活動を迷宮資源がよく産出される特定のダンジョン──保護指定貰ってるものが多い──に絞って、そのダンジョン内の知識を付けて臨時パーティをサポートしたりするわけだけど。『これは高値で売れる』とか『この道は安全』とかの知識よりも、まず戦えるかどうかの方が評価されやすい。シンプルに言ってしまえば冒険者は頭が悪いので、知識というものの価値を理解していないし、荷物を持つことは誰にだってできることだと考える。じゃあお前らがやれよって話なんだけどね?
ところで冒険者って職業に縋りつく灰髪は、だいたい荷運びをやって、魔獣の囮にされたり事前に取り決めたはずの報酬分配トラブルで死んだりする。王都の頃、実際に僕も何度か荷運びをやったことがあるし、もれなくどれもトラブルが発生した。なお、すべてメリーが非平和的解決に導き遺恨は物理的に残っていない。
あ、でも逆に、相場より高いカネを支払ったら感謝とかより先にナメられるよ。そりゃそうだ。……実に始末が悪い。
まあそういうワケだから、たとえスキルがなくても、斥候の真似事くらいはできた方がいい。自分の命を危険に晒さない相手を、戦う者は仲間と認めないのだ。……ん、これ言ったのグレプヴァインだったか?んーじゃできなくてもいいや。
まあ、僕の目の前にいる子たちは、全員が全員、どうにも危なっかしいので、僕が斥候やらざるを得ないけどね……。
「このゲロマズ保存食はステラ様に渡すとして……よし、こんなもんかな」
「何か聞き捨てならないことを言ったように聞こえたのだけれど」
「空耳ではないでしょうか」
僕は適当な次元の歪みを見つけて、安全確認を終えた後、みんなをダンジョンに連れ立った。
鑑定結果はEランクだそうだ。ふーん。
・・・
・・
・
うー……気分悪っ。ダンジョンに入るたび、三半規管がぐちゃぐちゃにシェイクされたような感覚を味わえる。毎日入ろうがぜんっぜん慣れない。
ここは入った途端に両側に壁がある、回廊型のダンジョンだった。
壁の肌触りは……滑らかだな。床も平らだ。
「そこそこ期待できそうですね」
「そうなの?」
「そうなんです。そうですね……『迷宮資源が見つかりやすいダンジョンは何か』という話をしましょうか。
まず第一に、極端に暑いところと寒いところは避けること。険しい探索をしても良いことは特にありません。《鑑定》で表示されるダンジョンのランクと、回収した迷宮資源にどれだけの値が付くのかには、そこまでの因果関係はありません」
僕は先導して罠を確認しながら喋り始めた。
十尺の棒で地面をカンカンやる。石橋は叩いて渡るべきだ。僕に抱きついてる子と違って、叩き壊したりとか僕にはできないわけだし。
「そうかしら? 高ランクダンジョンの魔獣の爪牙は、いい素材になると思うのだけれど。新素材をどう使うのかって、応用魔導工学の領域よね?」
「おっしゃる通り、研究の段階を踏まなきゃいけないんです。それが問題なんですよ。パトロン掴まえてない学者はカネ持ってませんし、掴まえてる学者は既に研究テーマを抱えてます」
「……学術の振興ですか……」
シア様が考え込んでいる。
学術活動が貴族の管理対象で、ロールレア家が制限してきたからだろう。
僕はデロル領のダンジョン学会に──ダンジョン学は数学などに優越するこの国の中心的な学問だ──所属しているわけだけど、王都のそれに比べて随分と弱々しい感じがある。……灰髪でも会員として所属できるあたり、ね。
「でも『精鋭しか行けない高ランクダンジョン由来』って珍しさはあるじゃない。それだけでも売れないかしら?」
「珍しいってだけならこの都市には溢れてるんですよ。だって、冒険者どもが毎日毎日、沢山の死骸を持って帰ってくるんですから。
問題は、それがしっかり加工して使い物になるかどうかです。商人を相手にするなら、そこを最初に考えなきゃいけない。売り文句にはなりますが、何に使えばいいかわからないものにお金は出しません。
あとは、できるだけ傷を付けないようにぶっ殺す必要があったりとか、結構気を遣うんですよ。そこが難しめかなーって」
どこにでもいるタイプの雑魚──ゴブリンくんを視認した僕は、まず小石を投げて片目を潰した後、その眼窩を通すように十尺棒を脳に突き立てた。びいいとひと鳴きした後、びくっと一度痙攣して、そのまま倒れ伏した。
即死だ。
「……っと。こんな具合に、傷痕は最小限に。値下げの大きな理由になりますからねー。
竜鱗とかは磨くと宝石みたいに加工できるので、そういったものであれば、まあ、また話は違いますけど……高ランクダンジョン原産ってだけで売り物になるかっていうと、微妙なところなんですよ。やろうと思えば産地偽装とかもできますしね。というか王都で数年前ありましたし」
「……改めて。なかなか、悪くない動きですね。キフィ」
「ステータスが無いなりですけどね」
「これはシアの精一杯の褒め言葉よ?もっと喜んで──」
「姉さまっ」
別に褒められるようなことでもない。僕はこれでもD級冒険者で、格下狩りくらいなら出来なくはないワケで。
生き物を殺す感触への慣れが、体の動きを阻まないというだけだろう。……それはやっぱり、褒められるようなことではないと思う。
「けいこにならない」
何やらメリーさんが不満げである。
知るかよ性が高い。僕らは今、資源回収をしてるんですよ。稽古と称した虐待ではないんですねー。
「迷宮資源には種類がある。大きく分ければ、そこに生息している動植物のもの……魔獣の爪や皮もそうですね。それと知的生命体が遺したと思しき道具、それから鉱物ってとこです。
この中で僕らが狙うべきは、後者。文化資源だと考えます。
ダンジョンのランクが関わらないというのはそういう理由です。過ごしやすい環境は、文化の発展を促進させますからね。ダンジョンの中には、タイレル王国よりもずっと進んだ先史文明があるのは公然に認められていることです。
もちろんクソ暑かったり寒かったりする極地でもヒトは生息できるでしょうけど、そこは既に、生活するためにコストを追加で支払ってる環境ですからね。文化は余剰から生まれるわけで、発達しづらいんです」
「でも、かつての人たちが、私たちと同じ性質とは限らないじゃない。魔人みたいな人たちが、昔はたくさん暮らしていたかもしれないのだわ」
「そうですね。その可能性はありますがー、まずそんな厄介極まりない世界を探索しようとすべきじゃないですね? 仮に魔人たちが使っていた道具見つけたとして、それ、もれなく危険でしょ。痛いのと怖いのは避けましょうよ。
それに、統治をする側として。あまり高度な迷宮資源が産出されすぎても困りませんか?」
「……それは、確かにその通りです。我々貴族は、冒険者ギルドが回収した迷宮資源について、度々介入をしてきました。領民を纏めるために、治安を脅かす事物は、適切に管理される必要があります。当家の権威をある程度失墜させることを目的としているとはいえ、限度というものはあるかと」
「そうかしら? 《迷宮兵装》とかすごく浪漫だと思うのだけれど!」
「あんなん持ち帰んなくていいんですよ。あれを王宮の奥に押し込んで鍵かけてんのは流出したら社会がヤバいからですからね。兵装司書とかいつ職場が爆発するかわからない地獄の地獄にいますからね」
……というか、僕らが拾ったものが原因で誰かが痛い思いするとか後味悪いだろ。
さてさて……お? なんかありましたね。
「これは……本棚、かしら? 書かれている文字は……読めないのだわ」
「なぜ僕が確認する前に読むのか」
図書という物理媒体の形状は、かなり洗練されている。
情報を後世に伝えるにあたって、最初は石碑やら粘土版なんかに刻んで残した。しかし、それは場所を取る。少しでも多くの情報を、よりコンパクトにまとめるにはどうすればいいのか? そこで巻物形式を取ることになった。
しかし、巻物の場合は特定の箇所を読むために全部広げなければいけない。その不便さを解消したのが図書になる。地球の歴史だと、だいたい二世紀くらいには既にあって、そこから形を変えていないらしい。それくらい完成された形状なのだ。
そういうワケで、ダンジョンでも図書は結構出てくる。文化がどういう形で発展をしようと、何かを伝えようとすれば、図書って形を経由しないことはない。
……まあ、魔術とかいう胡っ散臭い技術があるために、この国では魔石だかいう魔術媒体を使った録音、録画とかでも記録してたりするんだけどね。
「というかですね。こんなもんは現地で確認するんじゃなく。まず持ち帰ってじっくり見るんですよ」
僕は本棚(らしき物体)に魔法の巾着袋を近づけると、巾着袋が本棚の周囲の空間ごと吸い込んでいった。
「はい。じゃあ次行きましょう」
「醍醐味っ!! あなた、いろいろ台無しにしてないかしら!」
あ? なんですかそれ?
まーた貴族みたいなこと言い出してきたな……。安全第一なのは当たり前でしょ。低ランクダンジョンだからレジャー気分とかやめてくれます?
「……訪問してきた他領貴族への歓待の予行と考えなさい、キフィ」
「もっともらしい理由付けね。それじゃあ、そゆことで。……すばらしいわシアっ」
「……はい、姉さま」
……これ、シア様もレジャー気分してんな?
僕はめんどくさがり屋の髪を撫でながら、このひとら、実にめんどくさいなって思った。




