ステラの狡智
下手の考え休むに似たり。
そんな言葉を、かつて僕は辞書で見たことがある。
もちろんタイレル王国じゃない。この国の方針として、知識という資産を簡単に共有しようとしないのだ。統治する相手はちょっとおバカなくらいの方が都合がいいからね。
もしかすると一般には表に出ないだけで、あるいは諸貴族様たちはそういった教科書テキスト類を共有して貴族社会の初等教育なんかで使っているのかもしれないけど、少なくとも僕はその存在を知らない。
つまり何を言いたいかというと──考えすぎることは、時として毒になりうるんじゃないかなーって……。
「あんたのせいでしょっ……! 何をどう考えてもっ……!!」
ここは冒険者ギルドのバックヤードの中にある、特別談話室なる部屋だ。VIP待遇すべき高ランク冒険者を──つまり個人の身に余るほどの戦闘能力を持っていたりする危険人物を──隔離するために設けられたスペースだ。
「違ぇーわ」
生まれてはじめて利用した冒険者ギルドのパーティ登録制度。
栄光あるパーティ名:ステラ様ズ(僕命名。なかば嫌がらせのつもりだったがステラ様には意外とウケて困惑している)の栄えある四人のメンバーのうち、なんと僕だけがレベッカさんに呼び出されて叱られている。
他にもっと呼ぶべき人──具体的にはパーティ名で全力アピールしてる人がいるのに。なんとも理不尽なことである。
なんだろー?僕ー、またなにかしちゃいましたぁ?
「ブン殴りたくなる反応やめてくれますか?」
「こっわぁ〜。野蛮ですね。野に交われば蛮くなるのかな? おかしいですよレベッカさん」
「おかしいのはあんたの所業ですよ。ぶっとばすぞ」
はあ。なんだかすいません。若干申し訳ないでーす。あ、ところで僕は無実ですよ。僕、無実です。
僕は素直に謝りつつ、罪状を確認しないまま無実を主張した。
心当たりが多すぎ──間違えた。まったく心当たりがないけど、僕は自分が無実だと思うので、きっと僕は無実なんだろうなあと思って素直な気持ちを口にしたのだった。
「テッキトーなことばっか言いやがって……。わからねーわけないでしょうが。
──ウチの仕事をご領主様にやらせていいワケねーでしょ!?」
あ、うん。それはそう。完全にそう。
僕は激しく同意した。
お貴族様が冒険者なんて賤業卑業に興味をもたれあそばした原因は、おそらく最近足元をチラチラうろついているあの灰髪野郎のせいに違いない。
……うん。レベッカさんがそう考えるのもわかる。客観的に見たら、まあ、間違いなくそうだろって思う。僕なら推定大有罪で石投げるレベルだ。
それを嫌疑と詰問で済ませているあたり、レベッカさんはすごく人間ができてるなって思う。
でも……僕だって止めたよ?止めたんですよ。だってありえないだろ。
……そもそも年頃の女の子が冒険者として過ごすとかさぁ……! 絶対よくない影響を与えるって僕だって普通にわかってるって……!!
「大名案でしょ!?」と叫ぶステラ様。
何か言いたげだけど、結局なんかステラ様に流されてるシア様。
ぼーっとしているメリー。
どうにか説得しようと言葉を重ねに重ねる僕……。
いつの間にか僕の言いくるめ話法がまるで通じなくなっててとても困る……!
「聞いてるんですかキフィナスさん!」
「きーてますよー。よくないと思います」
よくないと思う。すごく、よくないと思う。心からそう思う。
だけど──説教されるのは面白くない。
だって僕悪くないもん?
「もん、じゃねーよ。ほんと『でも』と『だって』が多すぎンですよあんた。メリスさんが言うならともかく……」
「ああ、確かにメリーはもうちょっとお喋りになるべきですけどね。もんとか喋るのはちょっと難し──」
「もん」
突然の後ろからの声。
「メリスしゃん!?」
レベッカさんの挙動がバグった。
「もん。おそい。もん。きた」
メリーはもんもん連呼している。
どこから聞いていたんだろう。趣旨をあまり理解してない。
「きゃわいぃ……!」
レベッカさんはくねくねしていた。
なんかもうこの人メリーなら何でもよさそうだな。あんま近寄んないほうがいいよメリー。
「……キフィ。……その、彼女は大丈夫なのですか?」
「ああメリーと一緒に来たんですねシアさ──」
「……今のわたくしは。た、ただの。シアです。……呼び方も、より適切なものがあるかと」
……えええ……?
えーと、あー……えーっと。シアさ……、
し、シアさん。
「はいっ……」
「はいじゃなくて……、いや、はいでいいのか? あの、えっとー……」
「ふうん。ねえねえキフィナスさん。わたしもわたしもっ」
「ステラ様」
「……もう! ただのステラだっていってるでしょ。いじわる」
「かわいい……お人形さんみたいかわいい……しゃべるともっとかわいいまじ国宝……ハッ領主さま!? ももも申し訳ありませんが今コイツ──じゃなくてキフィナスさんとお話することがありまして──」
我に返ったレベッカさんが、僕の背を押しのけてステラ様へ謝罪の言葉を並べようとする。
「ごめんなさいね。このひとのコトだから、ずーーっと煙に巻くようなコトばっかり言ってたのでしょうけれど、許してあげて頂戴ね。
──これは、他ならぬ私の意志なのだもの。レベッカ・ギルツマン」
そこに、ステラ様は口元に微笑を浮かべた自信満々な顔をした。
……話すんですか?
「ええ。迷宮都市デロルにある冒険者ギルドの、事実上のトップですもの。私のやること、理解してもらわなければ困るのだわ。
わたしの領地の──ひいてはこのタイレル王国にある、権力の分立構造。それを利用させてもらうんだから」
「……敵が二人に増えた?」
王都に本部を構え、タイレル王国の各地に支部を設立している冒険者ギルドは、倫理綱領の中に『所属地域との融和』とかいうキーワードを申し訳程度のお題目として掲げている。もちろん、ぜんぜん進んでないけどね。
力のあるなしだとか生活文化の違いだとか、まあ色々と原因はあるんだろうけど。町民と冒険者とが相容れない関係にある最大の理由は、絶対的な権威権勢を維持したい領主サイドと冒険者ギルドとかいう機関が根本的なところで噛み合わないことにある。
冒険者の中でもちょっとだけ知能が高い《資源翻訳局》出向組──まあ、どんぐり同士で比べてもどんぐりは所詮どんぐりなんだけど──彼らが語るところには、ギルドの運営が認められている歴史的背景に、国内東西南北に散らばった貴族たちの力を削ごうという王家の意図があったんだとか。
裁判や警察といった暮らしの中での問題を解決するための領主由来の公的なサービスと並行して、依頼だかいうシステムで問題解決を担当する機関がある。『地方領主たちに完全なる統治をさせたくない』という意図がある、という意見には頷けるものがある。
もっとも、歴史の中でそういった考え方は薄らいでいったようだけどね。
少なくとも現在の冒険者ギルド側は自分たちを地方貴族の枷とは考えてないし、支部の存在は資源産出と人の流入に伴う経済活動でその領地にとってもプラスであると考えられている──とはいえ、尾てい骨や盲腸みたいに、領主サイドの枷になるという役割自体はしっかり名残を残していて、なんとなればその部位は痛くなるというわけだ。
ステラ様はこれを悪用しようとしている。いや、悪用ではないのかな。正しい行いだって確信してるし。正用? うーん、しっくりこないな。まあいいや。
「どこから話そうかしら……。とりとめのない話かもしれないけれど許してね。質問はいつでもしてくれて構わないわよ。
領主オームが戻ったけれど、それがニセモノなの。本物は私が殺したのよ」
「……えっ?」
「ウチの領地の、前のお屋敷を爆破したのはオームだったの。だから、言ってしまえばその報復ね。使用人たちの多くを処分するつもりだったみたい。それが、ずっと昔からのならいだったんですって。他にも、戸籍のない局外者を人体実験の材料にして、大量に殺していたみたいなの。冒険者に集めさせていたみたい」
「あれ? いま私、もしかしてとんでもないこと聞かされてます?」
「その流れで、ウチの家が何代も前からある秘密結社?に入ってたことがわかったのよ。今回のニセモノも、そこから来ているのだわ。
きっと私たち以外、あれが偽者だって誰にも判断できない。……本人すら、自分がオーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルだと思っているみたいなのよね」
「何その……狂言……ならメリスさんはいない…………あ、あのっ、聞かなかったことにさせてくれませんか!?」
「ごめんなさいね、レベッカ。それはできないのだわ。
特別談話室、と言ったかしら。ここはとても便利な場所ね」
扉の方に目をやると、いつの間にか白霜が降りていた。
逃がす気はないということだ。
秘密には種類がある。
探ろうと思えば探れる公然の秘密と、表に出すことすら許されない絶対の秘密だ。
レベッカさんは、両者を区別し、後者を後者だとはっきり認識できる人だ。
それを抱え込むということは──。
「まさかっ、最初からハメられたっ……!?」
──必然、利害関係者にさせられることになる。
レベッカはバッと勢いよく僕の方に振り返った。僕はバチッとウインクをした。
「いやー若干申し訳ないです。いちおう、僕はやめた方がいいって言いました。ここまで話すとは思ってなかったです」
「やっぱりアンタの差し金ですか……!」
その言葉に対して、ただ意味深な──自分で意味深長とか言うのもなんだけど意味深だと捉えられるような表情を全力で作った──笑みだけを返した。
僕の差し金ではない。違います。全部ステラ様が考えて、ステラ様が実行したことだ。
レベッカさんにここまで喋るなんて思ってなかったし、そもそも最初にお説教喰らった時点から僕の行動は完全にアドリブである。ステラ様の目的は、冒険者ギルドとの繋がりを深めることだ。その過程で冒険者やるわよ!とか言い出したから僕は止めたし、止めきれなくてずるずる来た。
賛同はしてない。正直今でもやめたほうがいいと思ってる。だけど目的を鑑みれば、ここで狡智を巡らしたステラ様への反感は、いけすかない僕への敵意へとすり替えておくべきだろう。
「いいえ? 私が考えて、私が実行したことよ? このひとはただ、タイミングよく悪そうな笑い方をしてみせてるだけね」
「混乱の元かよ……!」
「諦めて頂戴。そのひとは、軽はずみに誤解されるようなことばかりするのです。その上、あまり考えなしだったりするの。私は諦めたのだわ」
「……あれの露悪的な振る舞いを許容しろ、と要求するのは酷ではないでしょうか、姉さま」
「嫌われたがりなのよね。困ったひとなのだわ」
……すり替えておくべきなんだけど。
レベッカさん、お二人のことすごく怪訝な目で見てるぞ。
「私はね。誠実でありたいの。私の周りにいてくれるひとが、当然のようにそう在るように。
もちろん立場上、簡単に公にすることができないことだってあるけれど……、それでも、力になってほしい相手に隠しごとはしたくありません。
あなたは信頼できると思った。だから、こういうわけで私たちは窮状にあるって伝えることにしたのよ。
お恥ずかしい話だけれど──誰かを自分の味方につけるやり方は、これくらいしか知らないのだもの」
ステラ様の言葉を受けて、レベッカさんは困惑と怪訝さを投げ捨てた。
仕事モードだ。迷宮都市の冒険者ギルド、その最前線で闘う女性の姿がある。
「事情は、ある程度理解しました。しかし冒険者ギルドに、具体的に何をお望みなのですか?」
「……私たちの身柄を、冒険者として保障することです。恐らく、一両日中に我々を確保し、キフィを逮捕しようという動きが始まることでしょう。冒険者として、我々の保護を希望します」
──冒険者ギルドには、不逮捕特権のようなものがある。
「ないです……」
「あはは。苦しいですねー。セツナさんの存在がそれが実在する証明ですよ。王都で公爵を──王位継承権のある相手を殺したひとが今も大手を振って歩けるのは、あなたたち冒険者ギルドが、セツナさんの力を認めているからに他ならない。まあ、女王と公爵の関係が悪かったっていうのもあるのかな」
「ちがっ、例外ですよあれは! 捕縛とか余計に血が流れるだけだからですよ!?」
「ええ。私たちも、その例外にして頂戴な。それだけの働きはするわよ? いっぱい目立って、すごく難しい依頼だってこなしちゃうんだから」
「そうですね……」
レベッカさんは、その言葉を冷静に吟味している。
音も立てずに部屋の扉を氷で塞いだことも大きな加点対象だろう。
「……興味深いお話です。ですが、私はトップではないです。これ以上の話は、一旦ギルドマスターに──」
「いやいや、立場上ではあのおじさんの方が上ですけど、この組織のオピニオンリーダーはどう考えてもレベッカさんでしょ。あなたの意見でこの都市のギルドは動いてる」
一旦持ち帰って考えようということだろう。
その時間は与えない。
「……やっぱ、アンタが一番厄介ですね。
それではステラ様。目的はどこにあるんですか? 今の発言が、全部事実だとして……はっきり言って、かなり苦しいですよね?
相手が偽者って公表することは、この領地を二つに割ることになりますよ。もっとも、冒険者ギルド全体として見たら、その状況はウチの勢力を伸ばすことに繋がりますから望むところ。あなたたちを抱えて、本部と連携して政争を始める……それも、可能だとは思います。
ですが……、私個人としては、それは避けてほしいです。この街で生きてる冒険者さんと、街の人たちのために」
「そうね。本格的にコトを構える気はないわ。あなたたちに一蓮托生になれとは言いません。私にとっても、ここで生きるひとたちが何より優先すべきことだもの。
──だけど、『何かを決めること』は難しくても、『何かを決めさせないこと』ならできるわよね?」
「……父の名で、私たちの捜索命令が下ることでしょう。しかし、それに従わず、我々は冒険者として名を上げる。
……領主にとって、命令とは絶対のもの。それが達成されないことは、権威が揺るがされていることに他ならない。
その上で、他領の貴族たちを歓待する予定を控えており、既にその勢力は当地に潜伏しています。
……すなわちこれは、ロールレア家の権威を落とす試みなのです」
「なんっ……!? おい! おいちょっと! ちょっとこっち!!」
レベッカさんが僕を引っ張ろうとするのを、ステラ様とシア様が止めた。
「これは、私の考えです。キフィナスさんのものじゃないわ」
「いやでも明らかにこいつの影響が──」
「あるかもしれないわね。……ええ。言われてみると、ちょっと笑っちゃうくらいあるわね……?」
え、いや、そうでもなくない? 僕かなり止めましたよ?だって冒険者とかカスだし。
僕がそう言うと、なんかみんな大きなため息をついてた。
「目的はわかりました。ですが、すぐに決められる案件ではないです」
「いま必要なのは速さなの」
「もちろん、それは理解しているつもりです。ですが、我々は組織として──」
「めり。てつだってる」
「全面的に支持しましゅっっ!!!!」
「次は商人勢力ね。彼ら利益団体の存在は、領主に安易な政策を立てさせない。……不思議なものだわ。いつもの私たちにとって、すごく厄介な相手なのに。
まずはあの黒髪の……クロイシャって言ったかしら。話をつけておくべきでしょう」
「嫌だなぁ……、僕あのひと苦手なんですよね」
「……レベッカ・ギルツマンとの関係の方が険悪に見えますが」
「いえ。だってレベッカさんはいいひとですし」
「その辺りの機微がわからないのよね……」
冒険者ギルドを出た頃には、日はすっかり陰って雨が降っていた。
少し肌寒さを感じる。僕は魔法の鞄から四人分のコートと雨具を取り出した。
「雨ですし行くのやめましょう。寒いですし。カゼひいちゃいますよ」
「いま雨具出してくれて何言ってるのあなた」
「……支離滅裂です。……おまえだって、行かなければならないと思っているのでしょう。早く行きますよ、キフィ」
「──お待ちください」
そこに、一人の小さな人影が立っている。
傘もささず、その制服は雨に濡れてぴったり体に貼り付いている。
「ステラ様。シア様。……それから、キフィナスくん。あなたたちを捕縛するよう、オーム様から命令が出ている」
俯いて表情の見えないアネットさんに、僕は傘を差し出した。
「……それじゃ、傘、持てないですよ」
「……そうだね」
その返答は、両手に構えた槍だった。




