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忠誠イミテーション



「……お父様、ですか?」


「そうだよ。シア。どうかしたかい?」


 ──その男の顔は、姉妹が何度となく出迎えた顔であった。

 再会のたび、彼は慈しむような笑顔を娘たちに見せていた。

 そして、深い紺碧の瞳には今も確かな優しさを湛えている。


 適応を重ねた者の肉体は、その全盛期を維持しようとする。故にこそ、貴種は実年齢よりもずっと年若く見えるものだ。

 オーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロル──その男もまた、元服の儀を控える子を持つとは思えないほどに若々しかった。


「……ああ、しばらく帰らないうちに何という有り様だろう。我が物顔で闊歩する下層民ノイジイたちが、ロールレアの家人を名乗っている。何よりも──この執務室はあまりに粗末だ。赤紗熊のカーペットは敷かれていないし、人王樹ロードトレントの一枚板張りの机もない。身分には、それに相応しい振る舞いがある。それに相応しい道具というものがある。私が外しているうちに、なんと非貴族的イノーブルになったものだ」


「……どうして? お父さま、あなたは王都の──」


 訊ねようとするステラの袖口を、シアが引く。


「……お父様。()()()()()です。……お帰りを、お待ちしておりました」



「ああ──久しぶりだね、シア」



 そう言って、男は笑った。

 その笑顔には一切の害意がなかった。



 ほんっと無駄な時間だった。


 休憩時間残り5分。神学論争よろしく、狂信者2名の信仰は結局どちらも揺らがないまま解散になった。

 残された時間5分でダンジョン特区まで行って手頃なダンジョンを見つけて最奥部まで探索してコアを破壊して執務室まで戻る。

 なかなか達成不可能性が高め(エクストリーム)な状況に追い込まれたわけだけど──でも、僕はなんとかやり遂げた。

 さすが僕である。



 まあ、その間に僕のやったことと言えば、まずメリーにお願いをしたってことだけどね。次いで、懇願をしようとした。それから──拝み倒そうとした。

 でも一回目のお願いの最初の一文字目で「よい」という二つ返事でメリーは了承するや否や僕を米俵みたいに細い脇に担いで街の石畳を破壊しながら移動してダンジョンもその調子で即座に破壊して復路でもその調子であまねく問題は何もかも全部すべて解決したので、いつもの長口上は必要なかったワケだけど。

 僕らは多分肉眼では見えない速度で動いていて風どころか大嵐になってたと思う。道路の石畳をどれくらい破壊しているのかが気にかかるところだ。他人の家とか店とかと違って公共財は管理するの領主ウチだからな……。


 そういったわけで、メリーが僕をお屋敷の玄関前に降ろすと、銀時計の針は休み時間終了の2分前を指していた。


「ありがとうという気持ちと、もうちょっと色々あったろという気持ちと相反する感情が並存しているんだなぁ。メリーはどう思う? 具体的には、まあ幼なじみの身体的な特徴をあげつらうのはあまり良くないことだなって思うんだけど、純然たる事実として君はちびだよね。ドちびだよね。だから、あんな持ち方をされると、しぜん地面と僕の顔とは熱烈なキスをする寸前の距離になるよね。これは恐怖だよ? 恐怖がある。恐怖しかない。

 それを踏まえてメリーはどう思う?」


「ん」


「わあ適当なお返事ありがとうね。難しかったかなぁ? 僕はただ君に反省を促したくてね」


「いそぐ」


 あーまあ確かに銀時計は残り1分30秒、29秒、28秒──ギリギリだけども。僕は君に反省を促していてだね……。あーだめだ、この表情は微塵もそんな気がなさそう。


「はー……。夜にまたこの話するからね。長時間コースだから今は後回しにするけど」


「たのしみ」


「楽しい話題じゃないんですけど?」


 執務室の窓は……開けてくれてるな。よし、最短距離でぜんぜん間に合う。

 僕はメリーを抱き抱えると、二階の窓枠に首絞め草のツタを投げ絡める。細長い一本のツタで曲芸師のような綱渡りを僕は危なげなく──おおっと危ない。メリー、動いちゃダメだよ。これもまた稽古? いやいや、普通に危ないからね。稽古で誤魔化すのやめようね。

 よいしょー、っと。



「ただいま戻りまし──」



 ──僕が窓から執務室に入ると。

 どこかで見かけたクソ男が、先日僕が辞めさせた家臣連中を引き連れて立っていた。



 瞬間、思考よりも先に体が動いた。


 ──殺す。

 顎先蹴り上げ狙うは脳震盪。つま先が綺麗に入って身体が揺れる。そこに追撃を叩き込む。

  ──どっかの呪術師の特技《屍繰人形ソックパペット》かあるいは炭クズになっても生き延びたか。

 膝を曲げて重心を低くした突進から足を掬う。男を押し倒しその勢いのまま馬乗りになった。

   ──どちらでもいい。

 関節の稼動域は人間であれば変わらない。力で大きく劣る相手も不意を打てばこの程度は容易い。

    ──ここで殺す。

 そこらの術師の回復魔術では人体の致命部位へのダメージは治せない。例えば臓器欠損は多くの回復魔術師が対応できない死傷で刃が刺さらないほどの臓器まで鍛えた戦闘者はごく一部だ。多くの場合は刺せば死ぬ。刺して殺す。

     ──今殺す。

 転倒させた理由も殺し合いに慣れてない人間は倒れたとき反射的に急所である背骨と頭を守ろうとするためだ。合理と省力の工夫が効率的で確実な死を運ぶ。

      ──僕が殺す!

 隙だらけの胸元めがけて。

 麻痺毒のナイフを突き立

「やめて」       てようとしたところで、ステラ様に止められた。




 …………なるほどね。

 スイッチを切るように、僕の全身から力が抜ける。

 震える手が猛毒のナイフをカーペットへと落とし、刃が触れたところが赤から黒紫色へと変色した。


 置物で隠せ──なさそうだな、これは。じんわりとシミが伸びているし、最悪素足でここ踏んだだけで麻痺毒が回りかねない。

 こりゃあ買い換えないといけないかな。


「なんて野蛮な……! お嬢様! これが冒険者上がりの本質ですぞ!」


 僕が解雇した……誰だっけ? まあいいや。そんな声が後ろから聞こえてきた。

 偏見はよくないですねと反論をしようとして、まったくその材料も説得力もないことに気がつく。



 旧家臣団──彼らにとっての勝利条件である『領主を連れてくる』を有耶無耶にしようとしたのが僕だ。そんな人間の言葉を聞くわけがない。

 いや、これは困った。

 僕は不可能と思いこんでいたけれど──考えてみれば、やりようは幾らでもあった。



「……噂には聞いていたが、実際に見ると改めて驚きだ。当家の家令が、不吉なる灰髪だとはね。……退きたまえ。その立ち振る舞いも、社会性が著しく欠けていると判断せざるを得ない」


「大変申し訳ありませんが、僕に命令をできるのは貴方ではないです」


「……キフィ……、キフィナス。……その方から、離れなさい」


「はい。承知しました」


 その言葉に従って、僕は敷いていた身体から離れた。

 男は不潔そうに服を払うと、フンと鼻を鳴らして起き上がった。暴力の一つでも振るわれるかなって思ったけど、それは思い留まってくれたらしい。

 僕は痛い思いをしなくて済むし、彼は彼で、メリーに八つ裂きにされなくて済んだ。お互いによかったなって思った。


「この身を誰だと心得ているのか。私は、ロールレア家の現当主にして、この迷宮都市デロルの統治者だ」


「はあ。大層な肩書きですね。どなたなのか存じ上げませんが」


 誰だと心得てるって──偽者だろ?


 整形手段は多いし、影武者を──まあ武者じゃないけど──用意している家はいくらだってある。

 家が爆破された一件以来、領主代行の姉妹は暴走をしている。そこで一時的な当主に……とでも担ぎ上げたんだろう。

 実態は知らないけど、納得がいくシナリオだ。

 少なくとも、突然押し倒されて刃物を向けられたことへの怯えを隠せない目前の人物が、あの下衆とは別人なのは間違いない。


 ……とはいえ、この場で偽者であることを指摘することは憚られた。

 それは『正統なロールレア家当主様は僕がぶっ殺しました』という自白と同義だからだ。それをぶちまければ、屋敷どころかこの街から出て行かざるを得ないだろう。


「──不適格だ。灰の髪が、灰髪ごときが、当家の歴史に名を連ねてよいはずがない」


「はあ」


 軽蔑の念が全面に出ている物言いだけど、やっぱり僕からは反論できる言葉がない。社会性がないというのは全くその通りだし、能力的に優れているところもないわけで、残っているのは身内人事の誹りだけだろう。

 家令スチュワートとかいうポジションは使用人の長であり、領地運営における事実上のトップだと言っていい。ここ数世紀ほど、この迷宮都市デロルという土地では跡継ぎが領主代行を勤めていたため置いてなかったと聞いている。

 デロルを出たことのない町民やギルド外のことに関心をあまり持たない生態をしている冒険者が、この役職の希少性をどれくらい認識しているのかは定かじゃないが、どう考えたって過分な立場だ。

 そして少なくとも、僕の目の前に立っている人たちはみんな揃ってそれを理解している。



「「「我ら家臣一同、その男の解任を希望します」」」



 ……しかし彼らは、純粋にこの家を想っている目をしていた。


 貴族に仕える人たちというのは、基本的には住み込みで24時間365日暮らしていて、個人のプライベートを捧げて仕事をしている。

 より正確に表現するなら、労働時間とプライベートの余暇時間がカッチリ分かれているという考え方がそもそも少数派である上で、時々取得を許される休暇を除き、余暇時間というものが存在しない。

 そんな環境だから、しぜん忠誠心とかいうものが勝手に育まれていくのだろう。

 彼らにとっては、家族がやらかしている姿を見ているように思えるんじゃなかろうか。



「……参ったなあ、これは」



 ……まあ、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思っていた。

 辺境の旅路で学んだことがある。

 メリーを恐れず僕を疎まずいてくれる居心地のいい場所が、ずっと残り続けてくれるなんてことは、都合のいい錯覚なのだと。


 温かな日向でもやがて陽は沈み陰になる。好天はいつまでも続かない。時間の止まった穏やかな世界だって、些細なきっかけから壊れてしまった。

 ──いつだって僕の隣にはメリーしか残ってくれないし、メリーの隣にも僕なんかしか残っていない。


「……ごめん、メリー。また、住むとこ変えないといけない」


「いん」


「そうだね、インちゃんにも謝らないといけない。……きっとアネットさんも失望するだろうな。……ま、ぜんぶ昔に戻っただけだ」


 最初から持っていないことより、手にしたものを失くすことの方がずっと痛みが深い。

 昔に戻っただけなんて、小鳥の羽より軽い言葉だ。口にした自分すら騙せない。これから何度も繰り返す言葉なんだから、今のうちに慣れておかないといけないのに、こういう時に自分の賢しさが憎くなる。



 ……こんな直前で気づくなんて、我ながら滑稽にもほどがあるけど。

 忙しなくて心安まらない、おおよそ理想からは遠い日々に、滲むように名残惜しさが染みてきた。

 ここ最近の僕は──ああ。こうして想うと、すごく、すごく楽しかったんだな。


 舌が乾く。喉が震える。足が棒になったようだ。

 ──覚悟を決めよう。



「まあ、僕が解雇になるというのは甘んじて受け入れる必要があると思いますけど、その前にこれだけは指摘しなきゃいけない。

 あんたは──」



「あなたは偽者よ。お父さまではありえません。

 だって──優しすぎるのだもの」


 僕が言うべき言葉を、ステラ様が口にした。


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