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愛情神学論争



 平穏な時間とは、まだ問題が表面化していないうちのごくわずかな間を指す。

 そんなことないだろ!と大声で否定したいところなんだけど、残念ながら社会生活の中には大小たくさんの問題が浮きつ沈みつ漂っており、この言葉は限りなく真理だ。

 ──しかし幸いなるかな、問題は問題にならなければ問題はない。

 そういうわけで僕は、僕が気づいている問題らしきものが、第三者から問題として指摘されないことを日々祈りながら、うとうとだらだら日々を過ごしているわけだ。わけだけど……。


「愛のちからでやっつけてください!」


 ぷかぷか浮いてる問題が、今日もまた僕を巻き込んで爆発した。


「愛の力って暴力も込んでるの?」


「愛には無限のちからがあるのですっ」


 答えになってないだろそれ。

 ……僕はグイグイと無遠慮に背中を押されている。結構痛い。見た目には華奢な腕をしているアイリーンさんだけど、力はかなり強い。言葉の通じない帝国の元皇帝様すらパワーでゴリ押しして救貧院ぶち込むだけはある。実にパワー系だ。

 そこにメリーまでなにを面白がったのか同じ行動をしている。背骨がバキビキ鳴ってる。こっちはすっごい痛い。


「まあっ! 愛ですねっ♪」


「あい」


 暴力ってよくないことだと思う。良さげな言葉で飾っても暴力の本質は他者を害することなのだ。

 悶絶しながら大切なことを考えていたら、僕は身なりのいいお兄さんの前まで来ていた。


「大いなる愛によって! 蒙なるあなたは今日、啓かれるのです! ささっ!どうぞ愛のひと!! この哀れな迷い人に、愛を教えてさしあげてください!」


「そんな大仰な口上並べて他人ひと任せってどういうことなんですかねアイリーンさん」


「アイリですっ! 愛とは、ときに委ねることでもありますっ♪」


「無敵か?」


 勘弁してほしい。ほんと、勘弁してほしい……!

 僕は愛の伝道師とかそんな胡散臭いことしてない。僕がやってるのは毎日嫌々ダンジョンに潜りながら、気が向いたときに薬草をむしりつつ、領主さまたちのアドバイザーみたいなことをしているだけで……あれ?胡散臭いな。だいぶ胡散臭いぞ。《D級冒険者》で《薬草ハンター》で《迷宮都市の家令》、肩書きを並べるとまるで統一感というものがない。ひょっとするとここに《愛の伝道師》という肩書きが載っかっていても違和感がないくらいには胡散臭い……。

 とはいえ、当然ながら僕はそんなんと違う。

 どちらかといえば愛の反対語、憎という単語の方がずっと馴染みがある。……いや、これはこれでヤバい人だな? あくまで、どちらかといえば。しいて言うならだ。憎しみの伝道師というわけでは決してない。ない。ないと思う……。愛の伝道師と違ってこっちは断言はできないけど……、まあ、どっちもあんまり馴染みはない……うん。ないということにしておこう。


「まったく、どうして僕がヤバめの妄言に付き合わなきゃいけないんだろう……」


 無視して逃げる代わりに、僕は疑問を口にした。

 立場がその選択を許さなかったのだ。僕は上司であり彼女は部下。そして、彼女の働きぶりにはかなり問題があるのだが、うまいこと洗濯物を片づけてくれるひとを僕は見つけられそうにない。

 そして一般論として、上司の仕事とは部下のモチベーションを高めることにある。


 ──ほんと勘弁してほしい。アイリーンさんが絡んでいる相手、あからさまにタダ者じゃない。

 どう見ても偉い立場の人です。一目見ただけでわかる。



「きふぃがうえ。もっとえらい。ずっとえらい」


 あのねえメリー……。……いや、まあ冷静に考えると迷宮都市の家令って立場は結構上の方なのか……? いやでも、僕は中身が伴ってないからね。肩書きと中身が伴ってない輩なんてのは掃いて捨てるほどいるけど、僕だってその一員だ。

 中身の分はしっかり割り引いておくべきだろう。プラマイゼロかちょっと赤字ってとこで……おっといけない。

 そんなことより挨拶をしないとね。挨拶は大事だ。



「ええと……。初めまして。僕はキフィナスと申します。そこの修道服着た言動に怪しいとこがある女性の上司と、そこのワンピースの言動に怪しいとこがある子の保護者……ちょっ僕保護者だろ!君に姉はムリだっていつも──ええと失礼。とりあえず、そういう立場であるとご理解いただければ。

 この度は、こちらのアイリーンがご迷惑をお掛けしたようで。お詫び申し上げます」


 お詫びを申し上げる以上の対応はできかねますので言外にご了承ください。


「いや、構わんさ。突然のことだったが、なに。中々に上等愉快だった」


「それは結構なことですね。それでは、先ほどの謝罪はこちらで回収させていただきます」


 僕は謝罪も回収した。相手が納得しているというなら──それがたとえ迷惑をかけられた時の定型句であっても──自分から立場を弱くする必要はない。


 だって、この人たぶん貴族様だし。



 相手が何者なのかを判断する目安は、それはもう山ほどある。

 まずは服装。高レベルなスキル《裁縫》持ちによって、オーダーメイドで作られたそれは、見るからにその質が違う。それから、着こなし方もソツがない。裾や袖のあたりを見れば既製品を買ったのかオーダーメイドで拵えたのかがすぐに理解できる。

 そこで、お忍びで動くときなんかはそんな服装を粗末なものにして変装をするわけだけど──こんなの相当使い古された手だからね。

 そういったものに左右されない情報、たとえば姿勢と筋肉の付き方だとか、イントネーションと語彙だとか……。これらを押さえておけば、相手がどういった人種なのかの判別は大体つく。

 だから、バレないようにしたければ大きめのマントなんかの体のシルエットが隠れる服装で、かつ無言でいることが望ましい。

 スキルとか持ってると容赦なく暴いてくるらしいけどね。


「俺は冒険者のアルマスト。この街には先日来て──」


「なるほどー。冒険者さんなんですねー。はあーー。あ、ところで。ちょっと場数を踏んだ冒険者って、だいたい足音を立てないように歩くものですけど。あなたの足取りは随分堂々としていますね、冒険者のアルマストさん」


 貴人は周囲に自分の居場所を告げるため、しっかりと音を立てて歩く。使用人だって、いついかなる時も気を張り続けているわけじゃない。足音を立てて、身なりを正すように促すのだ。

 ステラ様たちと一緒に行動してた時にも、その癖はよく感じられたものだった。

 染み着いた習慣というのは、なかなか抜けない。



「ああ、いや、俺はまだ冒険者になって日が浅く──」


「ははあ。その剣は随分と質が良いものに見えますね。駆け出しが持つには不相応なほどに。ご実家からの持ち出しですか?」


「あー……、そうなんだよ」


「なるほど、なるほど。──そうなると、あなたはやっぱり冒険者ではないですね。だって、なったばっかりなんですから。それまでに何かしらのたっとい立場にあったんでしょう?」


 まずは相手の言を否定して、嫌疑を掛けて、それから一見同意しやすい疑問を投げる。嘘を吐いている人間というのは、相手と調子を合わせるために、何となくの同意をしたがるものだ。鞘に入ったままの剣が実際どれくらい良いものかとか知らない。判断できるほど僕は強くないしね。

 ただまあ、梯子は登ってくれた。



「あなたから認めてくれると思わなかったですね。ご実家はどこですか?」


 ──うまいこと登ってくれたところで、梯子を外せばおしまいだ。

 僕はけらけら笑いながら言葉を重ねる。


「うーん、いったい何者なのかなぁー。なかなか難しいですね? 冒険者のアル……なんとかさん? あ、ところで良識溢れる僕の善意のみで構成された忠告ですが、冒険者を騙るのはやめた方がいい。《領地間を申請なしに自由に移動する》って権限はそんなに軽くないですからね。ギルドから怖い執行官が来ますよ。ああ、貴族様なら話は別かもしれませんけれど」


「……その長口上……王都で聞き覚えがあるな」


 ──おや。

 数年前にやんちゃしてた頃に会ったかな。

 僕は覚えてないけど……過去の因果っていうのは、得てしてそういうものだ。

 僕は姿勢を低く──、



「そうじゃありませんっ!!!」



 ──なに!? アイリーンさん真横から何なの!? 耳キーンってなるから大声やめてくれませんかね!?

 というか、あなたがボコボコにしろって僕に命じたんじゃ……?



「愛で、です! 相手のいやがることをすべきではありません!」


「……それ僕に言うのぉ……? 今まで僕は人の嫌がることを進んでやってきたんですけどー……」


「はい♪ それはとても立派なことですっ」


 会話が噛み合わないよぉ……。

 アイリーンさんは結局何を望んでるの……? ちょっと向こうで話聞くから……。



・・・

・・



「……仕切り直しましょうか。冒険者のアルなんとかさん。僕はあなたを冒険者だってことにします」


「あー……ああ。そうか」


「いやほんと、申し訳ないですね。用事とかありました? あるならこの際帰ってもらっても──「いけませんっ!!」何がいけないのか」


 僕は結局なにをしてほしいのかアイリーンさんに訊ねた。何とも要領を得ない受け答えだったがつまり──この自称冒険者相手に神学論争がしたいらしい。正確には神じゃなくて愛をテーマにだけど、本質はそう違えてないだろう。

 で、どうもアイリーンさんは自分なりの愛を語っても相手が持論を曲げようとしなかったらしい。

 そこで諦めとけよ。


「よいですか、哀れな人! 愛とは、お互いがお互いを支え合うかたちなのですっ!」


 僕の背中からアイリーンさんがひょこっと口を出す。

 僕を矢面に立たせて安全圏から攻撃をする気なのかもしれない。普段なら僕がそのポジションにいるはずなんだけど。



「違うな。愛とは、与えるものだ。君が幾度言葉を重ねても、この心が変わることはない」



 お? おお。


「愛は有限だ。二人、三人と同時に愛すことは不義理に当たる。それは真摯ではない」


 なんか……すごいマトモじゃないですか?

 アイリーンさんには悪いけど勝ち目が薄い議論だなこれ。いや別に悪くはない。なかった。

 こうなったら適当に言いくるめてアイリーンさんにさっさと敗北を認めてもらお──、



「──そして、適切な時が来た時に取り返すものだ」



 ん?



「悲しいことだが、愛情は移ろいゆくものだ。初恋の熱は持続しない。次第に冷めゆき、惰性になり、腐敗する」


 んー……まあそういう考え方もある、かな。

 僕は、気に入った相手とはずっと面白く過ごせると思うけど。悲観的な見方だなとは思う。



「肉が腐る寸前に最も滋味があるように、愛の火が白熱する瞬間というものがある。月が欠けるように頂点を過ぎれば劣化するのみだ。

 しかし、もっとも美しい場面で華を摘み切ればそれは永遠になる」


 ん……んー…………?やっべーぞこれ。

 なんかスイッチ入れちゃったぞ。

 目がイってるんだ。



「だから──全幅の愛と信頼が惰性に変わるその寸前、頂点のところで愛を引っ込めて追い出すのさ。そして、ひとつの愛を清算し終えた後に、また別の愛を探すのさ……たまらないだろうッ!?」




「愛ではありませんっ!!」










「いいですか? 愛とは、大きなうつわがあれば誰にでもたくさんを注げるのです。お互いに注ぎあえば、2+2は4なのです。たくさんの愛があります。愛は尊いのです。無限なのです。もちろん、愛の人ならばその程度わかっておいでですが!」


「わかっておいでではないですが」


「愛のとうとい。量の総和に意味はない。問題は質だ。純正なる愛こそが貴いものだろう。愛の伝道師を自称するのなら、わかっているだろう?」


「わかってないですが」


 そうして。

 僕を挟んだやべーの2名による議論は、当然のごとく平行線を辿った。

 休み時間が減るから勘弁してほしかった。







 キフィナスが厄介な手合いに絡まれている最中に、事態は進展する。



「──ただいま。……今帰ったよ、私のステラ。シア」



 迷宮都市デロル領、ロールレア伯爵邸。


 放逐された旧家臣団を引き連れて、ひとりの男が、執務室の扉を叩いた。


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