よその子を千尋の谷に投げたらそれはもう言い逃れきかない犯罪行為なんですよ
多くの人にとって幸いなことに、ランクの高いダンジョンはそうポンポン生まれるものじゃないし、タイレル王国内の大きなダンジョンは大体メリーが潰している。
冒険者は武勇伝とかのために高いランクのダンジョンがあったら潜って最深部まで行こうとする。だいたいカブトムシくらいの脳みそだから、危険性と自分の能力とを秤にかけたりしないで突っ走って死ぬ。入っちゃダメって言われても入る。周りを出し抜ける、とか考えちゃうんだろうね。
だから、メリーみたいに高ランクの冒険者がその手のダンジョンを潰すことは、冒険者という職業の離職率を下げるという点でも割と歓迎される行為だったりもする。
──まあ、その辺の事情とか関係なく毎日ダンジョン壊して回ってるんだけどね! ……レベッカさんはともかく、冒険者ギルドという組織としてはメリーのことをどう思っているんだろうと時々思う。いざという時は王都の頃みたいに──僕はいつでも敵対できる準備をしている。……今は執行官もいるしな。
「そんなわけでここに来たって虐待に向くような過酷なダンジョンは別に残ってないと思うよ。ひ弱な僕と違ってカナンくんは武器のスキルだって使えるしさ。だからやめよう。さ、その手を離すんだメリー」
「なければ。つくる」
メリーが手からバチバチと紫電を発する。周囲の空気が弾けるような感覚がある。
そして、メリーは手元にある小さな次元の歪みをむんずと掴んで、
周囲の 弱き想念を掌理し加工する
景色が 重力は不定となり浮き沈む
弾ける極彩光のスペクトル
ぐちゃ 小さな掌の上の超新星爆発
天地は創造と共に崩壊した
ぐちゃに 天が地が人があらゆる色が
溶けるように溶けるように
かき混 弾けるように弾けるように
ぜられる。崩れるように崩れるように
混ぜられる混ぜられる混ぜられる混ぜられる
祈るように願うように呪うように憎むように
混ぜられる混ぜられる混ぜられる混ぜられる
愛すように殺すように冒すように涜すように
混ぜられる混ぜられる想念が混ぜられる文化
が混ぜられる歴史が混ぜられる生命が混ぜら
れる愛■が混ぜられる欲■が混ぜられるまぜ
られるまぜられるまぜられるまぜぜぜぜぜぜ
ぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜぜ
「できた」
できてしまったらしい。
どうやら、僕がまばたいてる内に魔改造が終わったようだ。
……うん。他のダンジョンの入り口と比べて……もう明らかに見た目からしてヤッバいな……!
ダンジョンの入り口である次元の歪みは、なんかもう次元の歪みとしか言えない形状をしている……んだけど、メリーの作ったそれは、なんか黒洞々としている。
例えるなら、光のすべてを吸い込む空虚な孔だ。虚空に穿たれた孔からは、ビリビリと肌をヒリつかせる気配が漂ってくる。
なんか地獄の底みたいな音するし。
「うわ何だコレ……。やばくね?」
カナンくんが明らかにヒいている。でもメリーは腕を放さない。いやいやいい加減離してあげてよ。ほら。ほーーらっ。くそっ力強いな!
「きふぃも。て。つなぐ」
「え? なに? ひょっとして輪になって入るの? いいけど……ぎゃッ!」
僕がカナンくんの血豆がいくつもできた手を繋ぐと、メリーの華奢な手のひらが僕の手首を潰した。
いや、あるいは握りしめたのかもしれない。でも僕にとっては同じだった。少なくとも、僕の脳はぐしゃって音を確かに聞いたし、もう手の先からの感覚がない。
痛くはない。もう痛くはないけど、そのことに対して怖さがある。この腕どうなってんの?みたいな。
僕が不安に思ってると、メリーはのそのそと歩き始めた。
「……ん?あれ? もしかして僕背中向けながらこのいかにも危険なダンジョン入るの?」
メリーは無言で僕をぐいぐい押してくる。
一歩、二歩、三歩……、後ずさりをするように、僕はギロチンの刃まで近づいていく。
「メリー? メリーさん? あの、ちょっと?」
メリーはぐいぐいぐいぐい押してくる。
こうなると見えないことが逆に恐怖だった。
「……アニキはこういうの慣れてんの?」
「ええ、まあ……。よくありますね。ここまで張り切ってるメリーは珍しいけど。でもこういうときが一番まずいんだよなぁ……」
「いや無表情だけど……? 全然しゃべんねーし……」
「ははっ。カナンくんはメリー学を履修するにはまだ早かったですね。はははっ。ははははっ」
僕はけらけら笑った。笑うしかなかった。恐怖を前になんか逆に面白くなってきたのだ。
死刑台の階段を登らされる囚人ってこんな感じだったのかなと思いつつ──あっ
・・・
・・
・
そこは天も地もない空間だった。
僕もメリーもカナンくんも、手を繋いだまま、なにかを間違えた天体のように軸が定まらない上下左右の回転している。くるくると自転をする。
それは高速だったり、はたまた超低速だったり。物理法則とかいう概念を完全に無視して──酔う! 酔うわこれ! 三半規管を破壊する動きだよこれ!
ねえちょっと地面ないの地面!? 人間の足って何のためにあると思う?それは大地を踏みしめるためにあるんだよね!人体の構造って地面があることを前提にしているわけ。それだからこんな風にふわふわ浮いたり回転されたりするとおぼろろろろろ……!
僕はこみ上げる吐き気を何とか抑えつつメリーに地面を作るように要求した。
「ん」
メリーの返事と共に、足が唐突に地面の存在を感じた。重力がないためなのか、足にふわりと板きれがくっついたような奇妙な感触がある。
下を見ると、まったく水平な、線を引いたような半透明な地面ができていた。
「はッ、はっ、はっ、は──ふう……!」
入り口だというのに、僕はもうすっかり息切れをしていた。
カナンくんに至っては意識が曖昧なまま目を回している。次元の歪みを抜けたダンジョン酔いの直後にこの物理的な酔いだし無理もない。
僕は息を整えながら周囲を観察し──。
「なにこれ」
狂気の世界だった。
世界の全てが極彩色の中にあった。
赤と青と緑。光の三原色がちかちかと明滅をし、混ざり合い、塗りつぶし合い、正しい色というものがわからない。何もかもが曖昧だ。
例えるなら──宇宙空間に、四方八方からさまざまな色の絵の具のチューブを潰すようにぶちまけられ続けているような、そんな世界。
僕の肌も緑になったり青になったりピンクになったり忙しい。カナンくんの髪色もランダムに変化している。……僕の灰の髪もここでは別の色に変わってるんだろうな、と他人事のように思った。
……そして、今気づいたんだけど、そんな空間で、そこら中で何かが浮かんだり沈んだりしている。
何かだ。『何か』としか表現しようがない。こう、元々人型だったのかなー、これは四つ足の獣かなー、って面影らしきものを感じられそうなシルエットに、全身から生えた原色色とりどり鮮やかな触手やむき出しの神経らしきものが付いていて、しかも色を変化させ続けている。
狂気の、忌まわしく、名状しがたい、冒涜的な、唾棄すべき、慄然とする──沢山の形容詞が思い浮かんで、その全てが当てはまるような、それとも全然的外れのような、何かだ。
その空間の中で、メリーだけは不変だった。
いつもの白い肌と、金色の髪をしている。
何かを考えているようで、多分何も考えていない表情もいつもと同じだ。
「メリー。精神やられそうなんだけど」
僕はそんなメリーに視界の焦点を合わせた。
「けいこ」
「メリーさんは稽古の一言ですべて解決できると思ってるフシあるよね。頭おかしくなるよこれ。エグいとかグロいとかの前に出てくる感想が『頭おかしい』だよこの空間」
メリーは僕の指摘を受けて、ぱち、と一回まばたきをした。
反応はたったそれだけ。それからはいつものように、無言でぼーっとしている。
それから唐突に「てき」となんか浮いてる変なのを指さした。
……視界をそっちにやると目と頭がおかしくなりそうなので嫌だった。
「てきから。めを。そらさない」
メリーが僕の首を掴あのやめてください折れます首はやばい首は見ますよ見ればいいんでしょ!
僕は目と頭をおかしくしながら変なものを直視した。
なに?なんなの?あれを僕に棒で叩けと? カナンくんに斧で潰せと?
「ん。うごかない。殺すの、らく」
「あれが生命活動してるの尚更に冒涜的だろ生きとし生けるものとかに対して……!」
メリーは何やら不服げだ。……なに?なんなの?
あの、まさかとは思うんだけど。君さ、もしかして僕らに配慮したつもりだったりする?
「よくわかた。えらい。ほめる」
偉くないんですよ。ちっっとも偉くないんですよメリーさん。
ちょっと誇らしげにしないでほしいんですよ。
いやもう、僕はメリーのやることに慣れてるからいいけどさ、せめてカナンくんは人間世界に帰そうよ……?
「これは。かなんのけいこ」
「君も君なりにカナンくんのこと気にかけてくれてるのはわかるんだけどさ。なんていうの? もっとこう──安全なダンジョンで敵と戦ったりとかできないの?」
「あんぜん。てきも、いる」
「確かに生命活動にただちに危険はないようだけど? この景色見るだけで自分の正気がガリガリ削れる音がするんだよね。ん?なんだいメリーさん。高ランクダンジョンにはこういうの結構あるって? その指導はいま必要かなぁー。順番ってあると思うんだよね。僕はDランでカナンくんはE昇格直後だよ。あとメリーさんは安全って言うけど僕すっごいこの足下の板切れの感触に不安を感じててーこれ足使えないよね? あっ崖際で戦うのと変わらないだろって思ってるね? いや違うから。重力感じない時点でもう全く特異な環境なんだよね。確かにこういうパターンのダンジョンあるよでもね繰り返しになるけどそれって基本があっての例外だからね。あのねメリー。僕はいわゆる普通のダンジョンに潜りたかったんだ。いわゆる洞窟型とか建物型みたいなやつね? いやもちろんダンジョンとか例外なく自分から入りたくない空間なんだけどしいてこのメンツで探索するとすればって話ね? 出てくる相手もなんかあの変なのじゃなくてゴブリンとか出てきて銀の扉の先にいる奴もオークくらいのやつね。で、メリーがカナンくんに教えてる横で、僕は僕で『警戒すべきものは何か』とか教えてあげて……みたいなのを想像してたんですよ。うーんそれは願望にも似た妄想だったのかなぁー」
「けいこにならない」
僕が言いくるめようとしても一言でばっさり切り捨てられた。
メリーに僕の話法が通じるワケがない。
「あといい加減この手は離してもいいと思う」
僕がそう言うと、メリーはパッとカナンくんの方だけ離した。ダンジョン酔いと自転酔いしたカナンくんがずさっと崩れ落ちる。
一方僕の手は離してくれない。
「ん……」
あ、衝撃でカナンくんが目覚めた。
「やっっばい何秒倒れてた!? ごめん師匠命だけは──」
「落ち着いて、カナンくん。ここに悪鬼羅刹はいません」
「えっ……? あ、そっか。よかった……。師匠に言われてんだよね。『無様に隙を晒したら殺す』って。とりわけダンジョン入る時は気を持たなきゃいけないんだ」
「これ例外でいいと思いますよ? というかあの人もダンジョン酔い結構激しい体質ですし……。だからあんま自分からダンジョン入らないんですよ。ほんと自分を棚に上げるのが上手なんですよね」
僕は自分を棚に上げてセツナさんの棚上げ性の高さを批判した。
そう。僕はいいのだ。
「師匠も同じようなことよく言うよ」
……僕はいいのだ!
僕はセツナさんとの違いを強調した。
カナンくんの視線の温度が下がっているような気がするが僕はいいんですセツナさんとは違うんです一緒にされるのは心外だということを改めて主張したい。
「それはそうと──どうなってんだここッ!?」
カナンくんが叫んだ。
・・・
・・
・
いつまでも指示に従わないとメリーが拗ねるので、僕は嫌々ながら「てき」と戦うことにした。
拗ねたメリーはめんどくさい。
「僕が先にやります。カナンくんも、安全を確認してから攻撃してください」
「お、おう……。……大丈夫アニキ?」
「メリーは無茶させてきますけど、無理なことを要求することはないですから」
そんなことを言いつつも僕は完全に腰が引けていた。
当たり前だ。ただでさえ戦うのとか嫌なのに、ふわふわした相手の正体が掴めない。どこ打てば致命傷になるの?
しかしこういう時にも……十尺という長さの棒は都合がいい。可能な限り対象から距離を取れる……!
──敵を見据える。目は逸らさない。思考を研ぎ澄ます。
気が狂いそうな色の海。しかし観察することこそが肝要だ。思考を加速させることが最も重要だ。それだけが僕の勝ち筋になる。打ち倒すべき相手は誰だ。こいつだ。中空に浮かんでいる。全身から夥しく生えた触手は細く神経や血管らしきものが剥き出しになっている。その動きは緩慢で時折痙攣するような挙動をする。攻撃手段は全身の触手かあるいは魔術か。今のところ不明。
思考を回せ。相手の攻撃手段がわからないなら次善手だ。回せ。相手から攻撃を貰わずに殺すにはどうすればいい。肉体には急所がある。その身体構造から死角になる位置がある。そして周囲の環境情報を把握するための器官がどこかに付いている。非力な僕がやるべきは初撃で感覚受容器にダメージを入れることだ。目があるなら目を潰す。嗅覚が鋭いなら鼻を潰す。聴覚で位置を把握しているなら耳を潰す。三半規管や中枢神経を酔わせる。
視界が混乱し焦点がぼやけてきた。やるべきことを思い出せ。相手の感覚器を奪い反撃の届かない位置から隙を晒した相手の弱点を叩く。それだけだ。しかし今のケースなら僕よりカナンが適任だろう。相手が人型なら目と耳か鼻どれかひとつ以上を潰した後に背中から脊椎を狙えばいい獣であれば受容器の性能に偏りがある場合が多いからそこを潰して脳を狙え。感覚受容器が一揃いになっている人間とは違い目や耳や鼻がない代わりに別の器官を持っていることもあるが今は考慮しない。
観察し、観察し、観察する。
色の海に溺れそうになりながら、最初に突くべき位置を僕は定めようとするが──狙いが定まらない。
思考の精度が落ちてくる。……なんか、どこを打っても突いても同じように見えてきた。
僕らが近づいていて話をしていても動きがない辺り周囲の情報を把握する能力には欠けているっぽいし……。
もういいんじゃないかな。もういいよね。十分考えた末の判断だよねこれ。冷静に思考を回していた僕はすっかり色の波にさらわれて溺れ死んでしまった。
「えいっ」
そういうわけで、僕は棒の端っこを持って、へっぴり腰でちょいっと触手の先っぽをつついた。
「──ぴぎいいいいいぎいいいいいいぎいいいいいいいい──いいいいいぎ──ぎぎぎじぎぎ」
僕が棒で突くと、なにかは全身を痙攣しながら耳が潰れそうな大声で、屠殺される豚のように鳴いた。
…………。
……えっ怖い!怖い怖い怖い!ちょ、待
って! 冷静さとか抜けるわ! なにこれ! 稽古と称した無茶ぶりはいつもだけど、でもいつもは流石にこんな宇宙的怪異っ
て感じじゃなかった!
なんか一瞬思考が止まってその後にゾッとするような恐怖が背中に来た!
どう来る……!? 次は何が来る!?
「な、何だこれッ!? なんだよこれ!?」
メリー……は微動だにしてないけどカナンくん!大丈夫かいカナンくん!!
混乱する彼を僕は気遣いつつ相手の反撃に備え──、
「しんだ」
……え?
「ふせる」
僕は直ちにメリーの言葉に従った。
棒をすぐさま手放し、カナンくんに覆い被さるように姿勢を屈める。
──瞬間。なにかはぐちゃぐちゃな色の閃光を発しながら破裂した。
その爆風の余波で身体が倒れそうになる。足下が不安定なせいということもあるけど……おそらく、直撃すればひとたまりもない威力だ。
そして極彩色の肉片が辺りに飛散し、宙へと漂っていく。
…………ああ、気分が重い。
「つぎは。かなん」
何が重いって、メリーは伏せずにその肉片に直撃しているからだ。
なんで伏せない……いやわかるよ、メリーは喰らっても別に痛くも痒くもないからだろう。服には汚れがこびりついてぐっちゃぐちゃだけど……。
「……これ続けるの? 帰りたいんだけど。すごい帰りたいんだけど」
「かなん」
「あ、ああ! 最後のアレに気をつけりゃいいんだよな! やるよ……やってやる!」
今すぐ帰ってメリーをお風呂にぶちこみたいです……!
あと斧は射程範囲が短いから気をつけてね……!




