盗品市
貴族が下賜する紋章とは、ひとことで言ってしまえばよかったマークと同じだ。
紋章を掲げることを許された店は御用達であることを示すものだし、装飾品に付いていればそれは所持品に名前を書いておくのと同じこと。基本的には手放さないものだ。
だから、それを渡されているというのは、まあ……、くすぐったくなる気持ちだけど、目をかけられていることを意味する。
「スリの洗礼でも受けてもらおうかなって思ったんですが……、すみません。これ、普通に僕のミスです」
僕は素直に謝罪した。
「……受けてもらおうかなと思っていたの?」
「え? はい。そうですけど」
「時々本気であなたのことわからないのよね……」
ステラ様は信じられないものを見るような目で僕を見てくる。
その反応はいまいちピンとこない。
「だって、ステラ様はこの街が見たかったんですよね? 綺麗なモノだけじゃない街の姿が」
「それは……、そうだけれど。でも、盗みは罪でしょう? 真っ当な生き方ではないのだわ」
「そうですね。犯罪です。──でも、そうしなきゃ生きていけない人間もいるんです。それしか選択肢を選べない、脳裡に浮かぶ選択肢がそれしかない。社会に受け皿がない。受け皿に乗ろうとしない。
彼らをどう思うかはさておいて──彼らの存在を、トップに立つなら知っておくべきだ」
「……でも、被害を受けることないでしょう?」
「ええまあ。僕は受けたくないですけどね。痛い思いも怖い思いもしたくないので。
まあでも、子どもの盗みなら別にいいかなーって。痛くも怖くもないじゃないですか」
「このひとほんと」
「わざわざその服に袖を通してもらった以上は、ここまで体験してもらった方がいいかなーって思いまして。
多様な選択肢が人にはある。でも、真っ当な選択ができない人だっている。……その上で、個人の選択に基づいて、それぞれ人は生きているんだ」
そんな彼らを『かわいそうな人』として扱うのか、それとも『排斥すべき社会の敵』と扱うのか。……僕はどちらでもなく、この人はそういう生き方を選んだのだろう、と思う。
ステラ様がどう判断するのかはわからない。でも、机の上で知った風聞だけで判断することじゃないだろうと僕は思うのだ。
……彼女たちが、弱者救済をお題目でなく、本気で掲げるのなら尚更に。
「弱者って呼ばれてる人たちだって、いろんなのがいるんですよ。全員が全員、運が悪かっただけで報われて救われるべき人間、なんてことはない。
もちろん、けして誰かを傷つけず、何もいいことがなくても、それでも笑って死ねるような人だっている。報われて救われるべき人はいる。でも、社会はそんな人ばかりじゃない。どうしようもない類の──まあ、僕みたいなのもいますよ。むしろ多数派かも」
「多数派? あなたが5人いたら、この街はきっとおしまいなのだわ」
「メリーが増えるよりマシですね」
「あなたの方がひどいことするわよ、きっと。……ともあれ。あなたに考えがあったのはわかりました。
回りくどくて、言葉足らずで、その上配慮がないけれど。そういう考えがあったなら、なくしちゃったことも不問にしてもいいわよ」
「え?」
「どうせ、お屋敷が爆発しちゃった時に、紋章付きの道具なんて外に流れていそうだしね」
「あー、いや、憲兵さんたちが回収してましたけど……まあ全部は無理かもか、冒険者いるもんな……。火事場泥棒の一人や二人はいるだろうし……」
「ええ。だから、授業料を払ったと思って諦めるのだわ。当初あなたが考えてた通りね」
「あ、はい……」
ステラ様の発言は、とても好ましく思える。重罪になるけど仮に刻もうと思えば誰でも刻める、適当に買い換えればいいようなものに、そんなこだわっても仕方ないよなと普段の僕なら思う。
──なのに、何故か落ち着かない。
「……ええと。とりあえず、いったん帰りましょうか、ステラ様。
そんな格好ですし、今度はちゃんとエスコートしますので」
「そう? じゃあ、お願いね。頼りにしてるのだわ」
「頼りにならないことはわかっててくださいよ。あなた上司なんですから」
「いいえ。頼りにしてるわ」
……はあ。もう、これだから困るんだ。
行きがけにも何もなかったことを改めて確認しながら、僕らは屋敷に戻った。
喉に小骨が刺さったような、どこから来たのかわからない、消化不良の感覚を味わいながら。
・・・
・・
・
「……おかえりなさいませ、姉さま。……それから、キフィとメリスも。……あのような格好で出歩いたのは、おまえが発案ですね」
「考えがあってのことよ。少なくとも、私は納得したわ」
「……考えがあろうとなかろうと、姉さまは次期領主なのです。軽率な真似はすべきではありません。……それならば、私が担当します」
「シアは私と違って気品があるからダメって。キフィナスさん言ってたわよ」
「なっ……、そ、そうですか。……その評価は、や、やぶさかではありません。で、ですが姉さまにも気品はあります。し、詳細を。詳細を話しなさい、キフィ」
……しかし、まったくもって落ち着かない。
僕は貴族様が嫌いだ。当然、貴族様がお持ちの紋章とかいうシステムだって別に好きじゃない。というかバカバカしいと思ってる。
なにせ、この紋章とかいうのはとにかく色々と複雑で、まず国が管理に関わってくる。わざわざ国で管理って時点でうんざりするわけだけど、理由もまたしょうもない。連中はメンツとかそういうくだらないものを後生大事に抱えて生きてる。で、デザインが被ったりするとそれだけでトラブルになるのだ。それを管理する専門の公職があったり、学問なんかもある。
それなら紋章のデザイン固定にすりゃいいじゃんって思うんだけど、子どもに跡目を継がせる時とか分家作るときとか、後は王家の褒賞にも紋章の変更とかがあるらしい。そのたびにトラブルが起こる。いっそトラブルを起こしたいのか?とすら思える制度だ。起こしたいのかもしれない。貴族同士で不和を起こし、協調させないことは王権の強化にも繋がる……ってその辺はどうでもいいや。
いずれにせよ──すっっっごい、バカバカしい!! そんなの別に被ってもいいだろ? 誇りとかなんとか綺麗な言葉で飾ってるけど、やってることはただのナワバリ争いと変わらないじゃんか。徒党を組んだ冒険者がパーティ名──そもそもこんなものわざわざ付けるのもバカバカしいと思うんだけど、なんかチームワークとかで大事らしいよ。あとはギルド側としてはあった方が管理しやすいらしい。僕はパーティとか組まないのでよくわからないけど──被ったときにトラブルになるあれと一体何が違うのさ。ああでも、パーティ名に使う単語って似通うんだよな。だって冒険者くん学がないから。『竜』とか『剣』とか付くやつ多すぎる。大抵名前負けしてるし。竜はトカゲで剣は棒きれだ。多分貴族様だってそうだろう。モチーフにしたいものなんて大抵同じようなものだ。
社会の底辺にいる冒険者と、頂点に立ってる貴族様とで似たようなことでトラブルになるんだからつくづく俗も貴もないなーと思わさせられるし、そんなつまらないものに拘る連中の姿を、僕はオモシロいなって嘲笑しながら眺めていた。
それがこれまでの僕のスタンス。
だから、今回だって別に、大したモノじゃない。
世間知らずのお嬢様の小さな失敗。それも、痛くも怖くもない代物。
……なのに、僕はなんだか落ち着かない。
「──フィ? キフィ? ……どうしましたか、押し黙って。いつものおまえらしくありませんが。……体調が優れないのですか?」
「すみません。忘れ物したのでちょっと出かけます!」
「あっ──」
二人の返事も聞かずに、そのまま窓から飛び降りた。
僕の内側からなにかが僕の身体を押していて、玄関を使う間も惜しいくらいだった。
走る。急ぐ。駆ける。
壁を蹴り縄を投げよじ登って屋根の上へと躍り出て、そのまま屋根伝いにデロルの下街を見下ろしながら風を切る。
ここなら鬱陶しい人混みはない。障害物もなく、目的地まで一直線だ。何か不都合があるとすれば、メリーが僕と併走すると屋根がぶち壊れるって部分だけかな。今回はメリーを腰だめにぶら下げているのでこれも問題ない。
……王都の頃と違って壊したらマズいからね。
その分体力がよけい消費されるわけだけど──まあ、問題ないだろう。
走る。飛ぶ。走る。……もう疲れがきた。ぜんぜん問題なくなかった。走る。いくら小柄でも人ひとりは普通に重い。それでも走る。
息せき切って泡吹いて、跳ね飛び地を蹴り前に向かう。
──目指すは盗品市。迷宮都市の失せ物が集う場所。
ツテのない子どものスリは貴重品を盗んでも使い道がない。だから足下を見られることがわかってても、盗品商に商品を二束三文の値で売ることになる。
それが領主の紋章付きとなれば、値段交渉で時間を食っているはずだ。
あっちを曲がってこっちで飛んで、最後の一歩を踏みだして──あっ。
「足がすべっ……!!わ、わわわわわ!!」
僕はそのまま露店の籠までダイブした。
いったたたたぁ……。受け身した時にひじ打った……。
うわ、なんか商品らしきもの壊れてるし。奥の方に隠しとこっと。
「な、なんだぁ!?」
「いたたぁ……、あー、はいこんにちは。盗品市の店主さん。僕は──」
ん?
あれだけ派手に落ちたのに、店主の人ってば僕の方見てないな。
「クク。一所に纏まった塵は、掃いて捨ててしまうが佳いと聞くが。どうやら、あの小娘どもは塵掃除を怠っていたようだな」
……ひどく、聞き覚えがある声がした。
「だから、この市に出されたモンは買ったヤツのモンだって言って──ひいいいッ!?」
「くだらん理屈を垂れるなッ。次は首を落とすぞ。よいか?
我は。か、え、せ、と言ったのだ。貴様らの戯けた規に従う道理が何処にある。我の道理に従え」
「なっ……! 何しやがる! こっちには用心棒がいるんだぞ!」
「用心棒ぅ~? クククッ。そいつは、そこで四肢を切り落ちた輩か? それとも首を落とした者か?」
むせかえるような鮮血の臭い。
馬鹿になりそうな鼻先を凍えさせるほどの、純粋な殺意。
──人斬りセツナ。僕の知り合いの中で、だいぶ激しくヤバい人。
「我に従わぬのだから、相応の覚悟はあろう。貴様ら全員、此処が死に場所だ。売り手も買い手も此処で死ねッ!
せめてもの慈悲だ。死出の船頭への駄賃くらいは遺してやる。悪銭握って逝くが──む?」
……目があった。
僕は目を逸らした。
「くくッ。くくくく……」
すっげえ楽しそうに近づいてくるぅ……。
「クハハハハッ! ぬしぃ~、いつ盗人のカス共の商い物になったのだ?」
僕の顎をクイって掴んで強引に見つめてくる。
怖い……。
「ふむ……よかろう。おいそこの塵芥。これを、よこせ。さすれば貴様の命は助けてやる。よいな?」
よくない……!




