EX. 妹の日
東京にいた頃から、自分の中でひっそりと定めていた記念日がある。
「これ、くれるんですか!?」
「うん。インちゃんにはいつもお世話になってるからね」
宿屋に帰宅した僕は、インちゃんに買ってきた花のポプリをあげた。
白い小壷の蓋を開けると、ほのかに甘い香りが漂ってくる。
「わぁ……! 一生大事にしますね、おにいっ!」
「虫とか出たら捨てた方がいいよ」
「いーえ! 毎日お手入れしてなんとかします!」
「いずれ匂いも消えちゃうんじゃないかなぁ」
「もう! お兄はいじわるばかり言うんですから」
「いやいや。変わらないものはどこにもないよ。ごはんだって、食べないままじゃ冷めちゃうし、最後には腐る。そんなものだよ。
ダメになったら、新しいものを買ってくるからさ」
「…………そのとき、おにい。いてくれます?」
「少なくとも、もうしばらく出てく気はないよ。まあ……、そうだね。そのポプリがダメになって、買い換えなきゃいけなくなるまでは。インちゃんが許してくれるなら、一緒にいることを約束するよ」
「言いましたね、お兄? じゃ約束です。破ったら、ぜったい、ぜーったい、許しませんから。
……ふふっ、やっぱり大事にしないとですねっ!」
そう言って、インちゃんは満面の笑みを浮かべた。
予想よりもずっとずっと喜んでくれた。僕も嬉しくなる。やっぱり、贈り物というのはいい。
夕食のお手伝いをする、今日はいっぱいお手伝いしてフルコース作るからと、インちゃんは元気いっぱい台所まで駆けていった。
本日、タイレル王国歴で、コリネアールの12日。
東京で使われていた太陽暦でだいたい9月6日ごろ。
──彼らは、その日を指して『妹の日』と呼んでいたそうだ。
「……」
翻って。自室。
絶対に自分を妹とは認めないメリーさんが僕を眺めている。
僕の体にひっついたまま、ほっぺたをごりごりと擦り付けてくる。普通に痛い。
「あのさ、メリ──」
「めりが。あね」
まだ何も言ってないんだけど。
……先手を打たれた。
メリーはそのまま、のそっと鏡面台の方まで行って親指と人差し指だけで木製の櫛をつまんだ。
「ん」
メリーから受け取った櫛は、柄の部分に大きなヒビが入っている……。
今日使ったら買い換えないとな、と思いつつ、僕はメリーを膝の上に乗せた痛い! うわいま大腿骨バキっていった……!人間の骨の中で一番長くて頑丈にできてる骨が悲鳴を上げたぞ。
メリーがそんな僕の太股をさする。痛い痛い痛い。『いたいのいたいのとんでけ』じゃなくてそれ逆に痛いからやめてほしい。いたいいた、いたたたた……!!
長くてふわふわの髪は、手入れをしないと酷いことになる。メリーは雑で無頓着なので、髪の毛に色々ひっかけたまま動いたりとか平気でする。
朝に一回。帰ってから櫛で一回。お風呂に入って髪洗って、その後にもう一回。感触がいいのでいつまでも触っていられるので、こうやって区切りを定めている。
痛みに慣れることがないように、メリーの髪のお手入れにも飽きることは今のところない。
「……ふ。……ふ」
髪を一度梳くたびに、メリーは小さな吐息を漏らす。
あ。小枝発見。
「さっきのダンジョンで挟んだかなー」
僕は小枝をぽいっと捨てた。
これは毎日のことで──メリーは、今日に限っては、何かとくべつなことをすることを許してくれない。
「……ふ。……みぎ。みぎ」
「はいはい。いつでも注文どうぞー」
ゆっくりと時間が流れていく。
9月6日は妹の日。特別な日のようで、当たり前のいつもの日常。
そんな日が、僕は大好きだったりするのだった。




