エロ本買いのアネットさん
裏路地。
「ああ゛……、あ゛ああ……」
つま先から耳の先まで真っ赤にした──つま先は流石に見えてないけどこの調子なら多分赤い──アネットさんが顔を覆っている。顔を隠す小さい手の甲も真っ赤だ。
口からはうめき声を出している。
どうしたんだろ。
「きふぃ、きふぃなすく……っ! はなれて……!!」
離れますけど……。
僕は何やら身悶えをするアネットさんから後ずさりをした。
「その本をじめんにゆっくりおいて……!!」
「これですか? ええと『らぶらぶ勧善──」
「読みあげないでぇ!!」
注文が多いなぁ。
僕は指示通り、ゆっくりと本を地面に置いた。
「──っ!!」
ぶかぶかなマントを着たアネットさんは散乱した本に飛びつくように駆けて回収すると、まるで産卵するウミガメみたいに、抱きかかえた本を守るように地べたに四つん這いになった。
……なに? そんな大事なのこの本?
「…………これはね? ちがう。ちがうんだ、キフィナスくん」
なにが?
「これは、えっとぉ……そのーー……、あ!そうだっ! 証拠! 証拠物件なのだ!!!」
なるほど。その言葉に、僕は合点がいった。
タイレル王国では、出版技術というものが貴族階級様によって規制されている。そのため、一般的な市場に乗るのは自筆の本だ。写本を専門とする職もあって、だいたいDEXだかいう数字が高い人が就いている。
そして、図書には執筆者と写本師の名前を明記する必要がある。表向きの理由はよく覚えてないけど、為政者の批判を許さなかったり、思想の蔓延を防ぐためだろう。
これは貴族による統治を安定したものにするという一点において、非常に合理的である。……まあ、本に囲まれたところで育った僕としては、あまり気が進まないことなんだけど……。
「そうですか。本の事後検閲も憲兵の仕事ですもんね。詰め所に行くんですよね? 僕もお供しますよ。話聞いておいた方がいいかなーってことがあったりなかったりするので」
「え゛っ?」
アネットさんはあからさまに動揺した顔を見せた。汗がだくだく流れているし目線がふらふらしている。
様子がおかしい。
「え? しないんですか、検閲?」
「いやー……? わたしは、こ、この本ならベツにしないでもいーと、おもうなぁーー……?」
歯切れが悪い。
僕は一歩前に出て──、
「ひゃひぃ゛っ! は、はなれて……!!」
「なんか様子がぶっちぎりでおかしい……」
いつものハキハキとした喋りじゃなく、びくつきながら奇声を上げたり突如大声を上げたり……あ、大声はいつもか。背がちっちゃい分なのか、アネットさんはいつも過剰に声を張り上げてるところある。
となると……様子がおかしいかおかしくないかは五分五分か? 実のところ僕はプライベートのアネットさんをよく知らないわけで、制服を脱いだ平常運転がこれなのかもしれない。その場合はつきあい方を考える必要がある。
いやでも、そもそもおかしな挙動を見せた時点でつきあい方を考えるべきなのでは? ふむ、なるほどね……。どちらにせよ、僕はこれから彼女とのつきあい方考えるべきだと言うことになる。
「しつれいなコトを思われているきがするぅ……!」
「はあ。ところでお尋ねしますけど。
不審者のカッコした人が不審な行動してたとして。普段憲兵をやってるアネットさん、それなんだと思います?」
「なにって……、それは不審者だろ」
「はい。それが今のあなたです」
「ちがぁ──!?」
不審者はうずくまったまま手足をバタバタしている……。
「…………ちがぅんだよぉ……、にんげんをえがく創作物には葛藤とともにリビドーもまたあるべきものでぇ…………それを追求したいわゆる耽美っていうかぁ…………、ほ、ほらっ!ききっキフィナスくんだって! メリスちゃんとイチャついてンじゃん!? ところかまわ゛ず!!」
「なぜ今僕らの話が……? 今は不審者目撃情報の話でッぐえぇっ!?」
背中への突然の衝撃で舌噛み切りながら内蔵飛び出るかと思った! 下手人は……どう考えてもメリーしかいない。
振り返ると、メリーはただ無言で自分の頭を指さしている。なでなでの催促だ。これ多分腕つるまでやらされるんだろうな……。
拗ね期間の長さに比例して終了後にメリーがべったり絡んでくる時間は長くなる。そして、メリーは結構拗ねる。10年以上僕が世界最高権威をやってるメリー学の基本だった。
「またイチャついてる……、いいじゃんかよぅ、ちょっと、その…………げ、芸術性?の指向がその、ちょっと……ううう……」
「要領を得ない」
「……ソレいつもはわたしがゆってることだろ……!」
「はい。今なら言い返せるかなって。実際よくわからないですし」
それから、アネットさんはうーうーむーむーと唸った後、
「………………これは、わたしの私物だ」
そんなことをぽそっと呟いた。
「へえ。そうなんですか」
「リアクション薄っ!?」
そう言われましても。私物なら私物で。はあ、としか。
趣味ってそんなものだと思いますし。
「…………みそこなわない?」
アネットさんは不安そうに尋ねてくる。
僕は思わず鼻で笑った。この街でまっとうに生きてる住人のうち、この人を軽蔑できるほど立派な人間が果たしてどれだけいるんだか。
つまらなさすぎて逆に笑える。僕は笑った。
「な、なにその態度! なんか……なんか思ってたのと違うっ! 逆にヤだぁ!!」
「なんですかそれ。僕にどんな反応を求めてるんですか」
「ええと、なんていうか……、……うーん? 言われてみると、なんだろう……? な、なんだったのかなぁ?」
「知りませんけど」
僕はメリーを撫でつけながら言った。
というか、もう話聞くよりメリー撫でる方がメインだ。こっちの方がよっぽど意義がある。
というか、いい加減立ち上がった方がいいんじゃないですか? いつまでも地べたに横になってるものじゃないですよ。汚いし。
「う、うん。……あの、だ、誰かに言わないでね……? わたしが、その、ちょっとえっちな本……あ!いや!えっちって言ってもそこまでじゃないよ!?そこまでじゃない本だからっ! ただ、ちょっと、ちゅーとか……、く、くびすじ噛んだりとか……、ニオイを……な、なんでもない!と、とにかくっ!……こゆのシュミで買ってる、とか……」
「言いませんけど。アネットさんの弱みだったりしますか?」
「…………する……」
するのか……。ほんと、素直なひとだな。
……しかし、敵対する予定がない人の──この人と敵対する時はたぶん僕が間違えている──弱みを握るのは、なんというか、すわりが悪い。
「……見て見ぬフリをしてくれればなぁ……」
「しませんよ」
痛いのも怖いのも、事前に防げるならそれが最良だ。傷を癒すことより、傷つかない方がずっといい。
誰かに疑いをかけるというのは相手と敵対しうる行為だ。誰だって気分のいいもんじゃない。嫌うのも嫌われるのも疲れるからね。人間の皮膚の下には──厚さはそれぞれ違っても──大なり小なり問題があって、自分や他人にとって不快なものだって抱え込んでる。で、そんなドブの中を喜んで見に行くような人間はどっか病んでいる。
まあでも、僕は平気でそれができるけどね。疑うのは得意だし、疑われるのも慣れている。
……僕は、まあ、この街に愛着がなくもない。
ま、気まぐれの暇つぶしだ。空き時間にドブ浚いくらいなら喜んでやるさ。そういうのも低ラン冒険者の仕事だしね。
「というか、アネットさんだってそうでしょう。見て見ぬふり。します? しないでしょ。
一般論ですが、自分ができないことは人に求めない方がいい。僕は求めていきますけどね。できないコトのが多いし」
「……しないケドさ。まずわたしは、きみに、危ないことはしてほしくないんだけど……」
「はい。僕よりずっと背が低くて弱そうだったので追いました」
「くっ……!! きみはいつもそう──」
「なーーんて。ステータスと背は関係ないですね。いつもの調子に戻りましたね、アネットさん」
僕はけらけら笑った。
ぽかーんとしていたアネットさんも、僕につられて笑う。
「ふふ……、立場は人をつくるというのは、やっぱホントだな。正直に言えば、本当にショージキ言えば、きみがあの子たちの部下になるのはちょっと不安だった。
──うん。ちょっと見ない間に、きみは素敵な男の子になったね」
「きふぃは。ずっと。すてき」
「そっか。……そうだね。キフィナスくんがいい子なのは、わたしも知ってた。メリスちゃんは見る目があるなぁ」
……こっちの方が、よっぽど恥ずかしくて見損ないそうな態度だろうに。
いかがわしい本を後ろ手に隠しながら。
全身をかきむしりそうなくらいくすぐったい言葉を、アネットさんは恥ずかしげもなく口にした。
《出版規制》
人類の歴史は焚書の歴史である。言論の自由が保障されたのはつい最近、人類史の中でごく限られた年代に過ぎない。
封建制を採用しているタイレル王国にもそれは当てはまる。
活版印刷術の規制による出版物の数量制限、著者・写本師の表記、そして図書の事前・事後検閲。この三種によって、出版物は規制されている。
規制はされているが──その裁量を定めるのは、王家直轄領以外は各領地の貴族である。すなわち、活版印刷術を備えて領民に布告するにあたって活用する領地や、匿名で出版された過激な内容の禁制品を貿易資源とする領地もタイレル王国内には存在する。旧王都グラン・タイレルの崩壊はその手の領地の活動を勢い付かせることとなった。
なお、アネットが変装しながらこそこそと購入している図書は、きちんと著者と写本師が記されたもの──すなわち禁制品ではない。表現内容自体はR-15タグを付けるか付けないか程度であり、検閲にかかる内容であればアネットは自身の良識を裏切らない。
……しかしながら、この手の規制を定められると、度し難い作家という生き物は規制の範囲内ギリギリでできることを追求する傾向にある。
一人暮らしのアネットは、寝る前、顔を真っ赤にしながら本を読む。数ページ読んでは本をばたんと閉じ、ベッドの中で足をバタバタし、心を落ち着けてから読むを繰り返す。




