閑話・人工魔人計画
陽のあるところには影がある。
華やかなりし都市社会には、便利な文明都市には、その活気と利便性を目的とする手合いが巣くうものだ。
迷宮都市デロルの裏路地。
店である目印として軒先に箒の頭を掲げただけの、休業状態の飲食店が一軒ある。
単身で都市へと移住してくる冒険者に向けた産業として、飲食店は定番である。その数は多く、経営に失敗して潰れた数は更に多い。
そのため、こういった廃屋はさして珍しいものではない。経営に破綻したか、犯罪に巻き込まれたか、さもなければ自分も冒険者の真似事をして帰れなくなったか。土地の権利者が失踪した場合──すなわち、地税が未納であった場合──1年の申し立て期間を待ち、領主はその土地を接収する。回収した土地を新たな領民へと卸すまで、廃屋はそのまま形を残すことがほとんどだ。
ただし、その地下に巨大な研究拠点を構え、迷宮都市デロルを含む近隣都市の棄民を──戸籍に名前のない、国民ではないとされている人々──招き寄せる廃屋となれば、話は別である。
人工魔人計画。人為的に、ヒトをヒトあらざる種へと変貌させる研究には、数多くの人手が必要である。
──哲学者たち。彼らはそう呼ばれている。
「冒涜的だ……」
さまざまに解剖された老若男女の身体がいくつも浮かぶ培養層が、通路中に連なり置かれている光景を見て、ラスティ・スコラウスが呟く。
ラスティの隣には、くすんだ灰髪の男と、獣面の肉感的な体型の女の姿がある。
──世界《ラーグ・オール》に獣人などいない。彼女は、遺伝子改造を施され、後天的に生み出された人工魔人だ。
「冒涜~? おかしなことを言うねぇ~?
きみは世界の真実を知り、もう時間がないと理解したはずだよね~」
「しかし、これは……。いったい何人の人間を手に掛けたのですか?」
「この間の補充で325人になるかな~?」
「327人デす」
「だってさ~」
「なんて、なんて罪深い──!」
「罪ぃ~? 罪ってなんだい?
これは棄民だ。法的には『いない』人間。人工魔人計画は、さもなければ同意を取った人間に限っているよ~? 定められた法を犯してはいない。
だいたい、領主のオーム様からはある程度のことは許可を取っているしね~」
「法ではなく! 道徳や規範というものがあるでしょう! それほど大勢の人間を殺すなんて……!」
「道徳、規範……う~ん? どこにあるんだい? それは重さがある? 書かれていないことはわからないよねぇ~。
──罪なんて、足を止めようとする者の言い訳に過ぎないよ」
培養層の中の人体は、ある者は輪切りになり、またある者は臓器を腑分けされている。
全身から骨が露出している者もいれば、脊髄が露呈している者もいる。
遺伝子を乱雑に組み替えられて、犬の足を首から生やした者や、猫の頭を胴に付けた者もいる。
「そもそも。失敗したとはいえ、彼らはまだ生きてるよ~?」
培養層の中で痙攣する肉塊たち。
意識がある者も──外界の変化に肉体的反応を返すというだけであるが──意識がない者もいる。
彼らはみな、生物学的には未だ生きていた。
「いくら傷ついていても、即死でなければ、まだ再生可能であれば、こうして生かすことができるんだ~。生命の神秘だよねぇ~!
《上薬草》から抽出した薬液に浸かっている限りは大丈夫さ~」
「……おぞましい! なぜ彼らは生かされているのですか!?」
「この世界のために」
間延びした口調の灰髪の男──ムーンストーンは、迷いなく断言した。
「世界のためとはいえ、無為に傷つけるなど!!」
「失敗と言ったけど、無意味ではないよ、ラスティくん。
ヒトは本来、失敗を積み重ねて積み重ねて、文明を発展させていくものだからね。ぼくらはダンジョンから得た知識に、依存しすぎている。高度文明資源を取り扱うのに検証は欠かせないはずなのにね~?
たとえば──ぼくたちは自分の身体のことすらよくわかっていないんだよ? 四体液説~? 瀉血~? なんだいそれ~? それはなぜ正しいんだい? 正しいと言えるんだい?
見えるだろラスティくん。ぼくらを構成する部品は、これだけの数があるんだぜ?」
タイレル王国の知識・技術は、ダンジョンから出土した資料に大きく依存している。それは、医療という分野にも言える。
四体液説──人間は「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の四種の体液のバランスが崩れることによって体調を崩すという概念と、瀉血──血を抜くことでそれを整えるという医療行為。
定期的に瀉血をすることで、健康を保つことができ、病の際にも瀉血をして整える。
これらが一般的に認知されている。
「しかし、ムーンストーン氏……。それで多くの病は治るではないですか」
「そうだねぇ~。世界の基本法則の中に、想念というものが組み込まれているからね~。
だから、治る治ると誰もが信じていれば、ある程度のものは治ってしまうんだ~。まあ、ぼくみたいな灰髪は、そういった恩恵は受けられないけどね。
それに何より非効率的なんだよね~」
「灰髪……」
「ぼくらは世界に愛されていない。だけど、ぼくは世界を愛しているよ。
ま、それはいいかな。僅かな灰髪のために治療法を開発するのは効率が悪いからね~。効率、効率、効率~……。問題は効率なんだよ。
うん。言ってしまえば、時間の無駄だよね?
きみたちの認知は、灰髪のぼくには伺い知れない多くのルールを認識しているそうだね~? 回復魔術を使うに当たって、誰しも《回復魔術では病を癒すことはできない》というルールを暗黙の内に理解するという。だからこそ、この瀉血という儀式は医療行為として認識されるに至ったのだろう。
でもさ~? 期間を空けて、何度も何度も血を流すよりも。原因がどこなのかを定めて、患部をばらばらにして、それから回復魔術をかけた方がずっと早いよね?
患部がどこにあるかわからない? なら解剖をすればいい。役割を明らかにすればいい。こんな風にね。
早く処置できるなら、それだけ多くの病人を治すことができるようになる。二人の急病人と一人の医者がいた時に。両方を救えたら素敵だよね~?
……だから、彼らの苦しみには、人間の部品のひとつひとつにどんな役割があるのかを示すという、とっても大切な理由があるんだ~! 素材にはまだ使えるって理由の方が大事だけどね~。
世界の滅びを回避できたあとも、人々の営みは続くんだから。そこは勿体ないよね」
くすんだ灰髪の男は、涙を落とした。
「一人の痛みが、百人を癒せる。十人の痛みで千人を、百人の痛みで万人を!!!
なら、少数の痛みは享受してもらう他ないよね~? 世界を動かそうという者は、良識の痛み、人倫の痛み、そんなつまらないモノは早々に捨てるべきなんだ。
ラスティくん。きみはこの世界を変えたいと思った。緩やかな支配を不健全だと感じた。そして破滅が迫っていると知った。だからここにいる。違ったかな~?」
両目から涙を流しながら、灰髪の男は深い靨を作って笑う。
ラスティは、肯定も否定もできずにいる。
「この国の──世界の発展は、意図的にコントロールされているんだよ。発展した文明は自死に至る。アポトーシス・ファクターを生み出すようにできている。だから発展を是としなかった。
しかし、そのせいで! 迫り来る滅びに対抗できない!! それどころか、その滅びがどこから来るのかさえわからないッ!! どこかで生まれたアポトーシスか! それとも迷宮災禍の反転か!! ただの莫迦げた妄想か!? それならば、何人がその妄想に殉じてきた!! 妄想ではない!妄想であってたまるものかッ……!! はッ、はッ、はあッ──」
「ドくター」
金毛獣面の女が、過呼吸になった灰髪の男を支える。
「……はッ、はッ、は──ふう……。いけないな。もうひとがんばりしないとね~。
遠方からスポンサー様が来るんだよ。オーム様を亡くした今、わかりやすい成果を出しておかないといけないんだ~。
思えば、あの方ほど安定した人工魔人はいなかったな~。……きっと、信念があったのだろう。本当に惜しい人を亡くしてしまった。
その娘の近くには、彼らがいるしね~……」
「……キフィナス氏、ですか」
「うん。メリスは──全能であるからこそ、自分では何も選ばない。
問題は彼だ。ぼくと同じ灰髪で──ぼくと彼は、相容れない。せっかく王都から逃げられたのに、なんでここにいるんだか……。しかも、あの『人斬り』までいるというんだから堪らないよねぇ。
こっちは、一秒でも早く人々の想念を背負える器を、天使を作らないといけないってのにさぁ~~……。
あ〜、やだやだ。ほんと困っちゃうよね。
世界の真実を前に、選択の余地なんてないってのに」
「……それにしても、よくも冒涜なんて言えたものだね~。
ラスティくんだって、さっきからずっと、目を離せていないのに」
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《人工魔人》
組織の協力者には、人間社会に溶け込んだ魔人の存在もある。魔人の生命は、自らの内にある願望の充足を目的としている。世界の危機は、人間社会にて願望を充足する魔人にとっては障害となるのだ。
魔人は世界と接続しており、世界が破滅を迎えつつあることを本能的に理解する。
かつて、未来に待つ破滅に抗おうとした魔人によって、魂に痛苦を刻み、肉体を変成させ、思想を研磨する──後天的に想念を燃料とする存在へと至る計画。魔人と同じ、世界と接続する者たちを増やそうという思想の元、人工魔人を生み出そうという試みは続いた。(発案者は自らを素体として──手本として、自らの全身を解剖した)
《ステータス》《スキル》の存在するタイレル王国において、個人の能力の高さは権力に繋がる。老いない身体もまた、権力者の望むところにある。
数百年前以上から秘密裏に研究は進められるも、旧王都グラン・タイレルの崩壊によって、解剖された魔人を含む成果物の多くは散逸した。
迷宮都市デロル前領主、オーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルは、数少ない現在も残っていた成功例のひとり。
身体的能力の高さ、強靱な精神力、胸の内にある願望の純度。あらゆる能力において、彼は他の被検者に比べ優越していた。
個の生命についての如何は、全体において大きな意味を持たない。
世界を継続するという大業の前には、瑣事に過ぎない。




