地底彩る残雪の白
「転げ落ちれば一直線。落ちた時の痛みちうモンは、高ければ高いほど痛いのでございますれば、彼女のイタミはいかほどでしょう?
あたくしのような一詩人にはわかりかねますが──マア、その後の行動が、示しておりましょうかね。
正気と狂気のはざかいは、薄い半紙でありまして。ビリリとしびれるしなぷすが、髪の毛いっぽんずれるだけ。
押して、混ぜて、まぜてまぜまぜ、落ちて、混ぜて、まぜてまぜ、ぐちゃりぐちゃぐちゃ♪
人は勤勉であるべきです。
他者に優しくすべきです。
努力は報われるべきです。
li la ah, li li la. . .
真面目であるは最大の美徳です。
真面目であれば天運を寄せます。
真面目であればありさえすれば、いつ、なんどき、いかなる時も報われるのです。
ですから、真面目でなければいけません。
ですから、真面目でなければ生きていけません。
ですから、真面目でなければ生きている資格がありませン!
失敗とは努力が足りないが故に起こるものです。あまねく人はすべからく不休の努力をすべきなのです。天網恢々疎にして洩らさず、努力をすれば報われる。
しかし──皆々様のお思いの通り、努力した者が報われるのは、それ以上の努力していない者がいるからに御座います。サボってばかりでへらへら笑う、憎ったらしいあんちくしょうが、不相応な幸運を手にする例なんざぁいくつも見ておりましょう?
げに恐ろしきは認知のゆがみ、こうはなりたくないもので?
li la lulila la lu li la la ...♪」
盲の詩人は、懐から小瓶を取り出した。
「サテお立ち合い──取り出したるは秘密のおくすり。純白無垢の甘美な粉薬。
東方の賢人がヒッソリ彼女にことばで伝えた、はたまた西方の知者が彼女に送ってよこした──由来はどうでもヨござんす。効果こそが──仇名の由来になりました、眠るように命を奪う逸品の毒薬にございます」
小瓶の中には白い粉末があった。ビワチャはそれを指でつまみ上げ、手元のカップへと加える。
──ごくり。喉を大きく鳴らして、一息に嚥下した。聴衆はその姿にざわめいた。
そして一呼吸置き──ぺろりと細長い舌を出す。
彼女が口に含んだそれは、ただの白砂糖であった。
「ンーまッ、あたくしはこの通りピンピンとしとりますがネ。本物の威力ときたら、そりゃあもう違います。なにせ、ひと匙なめればピンピンコロリ! 魂も砕く妙薬秘薬、手にして笑うはおぜうさま。
虫も殺さぬあの娘、年に一度の式典の、ケーキの中にひとつまみ。
サラリと井戸に、ふたつまみ。
しかしされども大丈夫! 心根正しきものなれば、白い毒など効きませぬ。
真面目にコツコツ培って、備えた天運毒などはじく。
少女の願いは純粋です。
正しき国を作りませう。
少女の願いは純粋です。
美しき国を作りませう。
少女の願いは純粋です。
優しき国を作りませう!
サテは、サテは。
Cattles died, Littles died, Rattles died
畜生死んで 餓鬼くたばり、喧騒すらも消え果てて
And then there were none.
そして誰もいなくなった」
土の匂いが残る宮殿。
玉座の前にて。
「世界が、滅びる……?」
困惑があった。
荒唐無稽な話だ。空が落ちてくることを心配する人間はいないし、歩くときは空を見上げるよりも足下を見た方がいい。
今日ある幸せが明日も続くと、多くの人は保障もないのに信じている。
ステラ様とシア様は──彼女の言葉に、大きな衝撃を受けているようだった。
……けれども、実のところ、僕に困惑はなかった。ああそうなんだ、と素直に受け入れられた。
救済計算式とやらを演繹するために大地を走り続けた《機工都市カルスオプト》や、王都で何やら怪しげなことばかりやってた連中こと《哲学者たち》。彼らの目的は、世界の救済とかいう漠然としたものだったけど……こうして、魔人の口から語られる言葉は、その行動を裏付けるものになる。
──だからって、連中を肯定できるかどうかは別の問題だけどさ。
「……ごめんなさい。あなたがたは、知らなかったんですのね。……昔からそう。取り返しのつかない言葉を吐いたことに、吐いてから気がつくの」
「どういうこと……? どういうことなの、スノーホワイト!」
「……ええ、ええ。これならいっそ、すべてをお話しした方がいいのでしょうね……。今を生きる人たちには、その権利があるのでしょう。
言葉の通りですわ。──遠くないうちに、世界は滅びます。わたくしたちは《名付け》を受けた生命です。だから、世界の危機を理解できるんですのよ。
世界が危機に瀕しているからこそ、わたくしのような弱い存在であっても役割に呑まれず、あなたがたとお友達になれている」
「……何を、言っているのです……?」
「大地に残る、知的生命体の想念──星の記憶を再生し、現生人類に利するシステム。滅亡と再生を繰り返し、すっかり擦り切れてしまった世界で、なおヒトという種が生きるための試練場。
それが迷宮です。魔人とは、そんな修練場で、現生人類が築く文明の階梯となるための──踏み台になるための演者なのですわ」
……スノーホワイトは、今すぐにでも泣き出しそうな顔で、それでも笑顔を貼り付けていた。
生きているうちに、取り繕うのが上手くなったんだろう。
好意を受けても悪意を受けても、笑っていれば受け流せるものだから。
「ごめんなさい。あなたの言ってること、……たぶん、半分もわからない。だけど、あなたは踏み台なんかじゃないわ。
この街を誰より愛してる、わたしの友達。でしょう?」
「ああ、ステラ……。あなたは、本当に優しいひとなのですわね」
……だけど。
「…………どうして、あなたはそんなにも優しいんですの?
どうして、あなたはあのとき……、わたしのそばに、いてくれなかったの?」
──苦悩なんて理解しようがないくらいに立場の違うひとから貰う同情は、いちばん心に刺さる。
「誰もがみんな、あなたみたいなひとばかりだったら、よかったのに。
あなたがいたら、あなたさえいたら、夜眠ることが怖くはなかったのに。
どうして? どうして? どうしてなの……!?」
「スノーホワイト……?」
「わたしの名前は! スノーホワイトなんかじゃない……!! 世界の色のひとつなんかじゃない!! 惨めな残雪の色なんかじゃない!わたしは■■■■■!! お父さまとお母さまに付けていただいた名前は、■■■■■……なのにッッ!!!
あ、あああっ、あああああああっ!!!
ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいっ!!
優しくされる資格なんてないのは自分が一番わかっているの! それでも、それでも、尋ねてくれる人なんて絶対いないと思ってたここに、わたしに、来てくれた人に、わたし、ほんの少しの間でいいから、優しくされたいって思った!! なのに、その優しさが痛い! 痛い! 痛いのよ!!
……胸がずっと痛むの。わたしの第二の生は、この痛みを抱え続けてつづいている。
きっと報いなのでしょう。だけど、私は、ただ、当たり前のことを望んだだけなのよ?
善き人が報われる国が欲しかった。
隣の人と笑いあえる国がほしかった。
嘘も隠し事もない、誰かを傷つけるひとのいない国が! ほしかった!!
なのに、どんどん逆になっていった!!!
わたしを愛して、そのために他の誰かを傷つけて……?そんなこと望んでないじゃない!?
わたしだって重たいものを持ちたかった!あなたたちみたいに働いてみたかった!玉座だってそう!お父さまがお休みになっているあいだに、ただ、ほんのちょっと座ってみただけ! 座り心地を確かめてみたかっただけなの! それがなんで、姫さまは王位を望んでいるなんてことになるの!?
どうして、そんなの望んでないってわたしの言葉を誰も信じてくれないの!?
わたしの耳が彼らを悩ませるのなら!
わたしの口が彼らを惑わせるのなら!
わたしの目が彼らを狂わせるのなら!
いらない! 何もいらない!! こんなのいらない!!
なのに……! 針で潰しても酸で焼いても切っても裂いても炙っても! 魔人と化したこの身は、傷を残すこともないの!!
終わらせられない!! あのときは、なにもかも、あっけなく終わったのにッッ!!
……返してよ。名前を返して。傷つく、まともな体を返して。わたしの国を!国民を返して!!お父さまをお母さまをお兄さまをお姉さまをジェーンを返してよっ!! なんでわたしだけ生き返らせたの!? 可憐な姫さま、たおやかな姫さま……ちがう! ひとりじゃ何もできない!みんなが当たり前にできることがわたしにはできない!わたしの耳の届かないところで、役立たずの若白髪って呼んでるのは知ってるんだ!!でも、だけどそれでも愛してくれて、だからわたしだって大好きで……!!」
喉を引きちぎるような慟哭が響く。
嗚咽混じりの、息絶え絶えの、支離滅裂とした語りにステラ様も、シア様も、すっかり呑まれている。
「……だからね? あなたたちと、今度こそ国を作るの。今度こそ間違えない。今度こそ失敗しない。今度こそ皆でしあわせになるの。
だから……、いっしょにいきましょう? ここで、ずっと。おわりまで」
「できないよ。僕らはそんなに暇じゃないんだ。『世界が滅ぶ』って言うなら、なおさらにね」
代わりに僕が答えた。
「ちょっとキフィナスさん!そんな言い方ないでしょう!? ごめんなさいっ、この人いっつもこんなことばかり──」
「言葉を飾る方がよほど残酷だと思うよ。できないものはできない。大切なものがあるのは、こっちも同じことだ。
それとも、ステラ様はだれかへの同情でデロル領の統治を諦めるのかい?」
「それは……」
ステラ様が言葉に詰まった。
シア様の方を見ても、僕に返す言葉はないらしい。
そうだね。恨まれるのは僕だけでいい。何か言いたげな二人を隠して、僕は前に立つ。
「……そうですの。でも、あなたならわかるでしょう? ここは穏やかです。誰も、あなたを責める者はいません。ステラもシアも、あなたを傷つけない。わたしの髪を見ても、あの目をしないんですもの。
灰の空、灰の大地──破滅の色をした、あなた。わたしと同じ、生まれついての不具者の髪をしたあなたは、いままで沢山傷ついてきたはずです。これからも傷つくはずですわ。
だから……、ここで、楽園を作りませんか?」
「作りませーん」
「……石を投げられたことだって、一度や二度じゃないでしょう?」
「それが?」
「悲しいと感じたことは? 苦しいと感じたことは? この身が他の人と同じだったら!そう思ったことは一度や二度ではないでしょうッ!?」
「別に?」
僕は笑顔を作って、ウインクをキメた。
……まあひょっとすると、上手く作れなかったかもしれないけど。
彼女の言葉に何も思い当たることはない、なんて真顔で言えるほど僕の面の皮は厚くない。人並みだ。いや、痛がりだから人より薄いかもしれない。
ただ、僕はこう考える。
たとえば。右を見ても左を見ても砂しかない
平地と、足を踏み外しそうな険しい山道との分かれ道があるとして。
どんなに無謀で過酷でも、その報酬が大したことないものだったとしても。見たことのない山頂の景色を目指し、険しい山道を選んで歩く権利が、人にはあると僕は思う。
もちろん、その道中のどこかですっ転んで痛い目見ても、それは峻路を選んだ人間の痛みだ。
──僕の痛みだ。僕だけの痛みだ。あんたの痛みじゃない。
「逆に、あんたの痛みだってあんたにしか理解し得ないよ。傷口に寄り添うことはできなくはないけどね、寄りかかられるのは邪魔なんだ。
余所を当たってほしい」
それから。
長い沈黙があった。
「…………そう、ですか」
彼女は、ぽつりと言う。
感情を押し殺した声だった。
「わかりました。それならば──。
わたしと一緒に、世界の破滅まで過ごすか。
わたくしを殺し、破滅が待つ世界に帰るか。
……お選び、くださいませ」
──僕はキレた。
ふざけんな。
「きふぃ」
「……ああメリー。……決めたよ。だからちょっと下がってて」
ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな!
僕の頭はあいつの一言ですっかり煮えてた。
魔人って生命体はつくづく理解不能で、対話すらできないのかって思わさせられる!
ああ、決めたよ。決めたとも。
どうしようもない選択肢をどうもありがとう。
「自分の命を重しにしようとするな! 僕らを……、友達になろうってステラ様とシア様を巻き込むんじゃねえよ!」
──余計なお世話だ!
どうしようもない、ロクでもない二択のどちらかを選ぶ必要がどこにある?
「……どうして? わたしを殺して、迷宮の核を砕くだけでしょう?
死して残るは、骸だけ──」
「──黙ってたけどさ、僕らはあんたの脳内当てクイズを解いちゃいないんだ。イキモノが全部姿を変える、だっけ? 解いたのは、終始どうでも良さそうにしているメリーだよ。ステラ様でもシア様でも、もちろん僕でもない。
あんたの死生観じゃ、死んだら骨だけになって終わりなんだってな。……そんなワケないだろ?」
人が死んで、綺麗に骨だけが残るはずがない。
火葬でも水葬でも風葬でも鳥葬でも土葬でも。
生者は、死者から受け取るものがある。……適応とかいう数字だって増えるし、そんなの関係ない僕だってそうだ。
カルスオプトの8500の命は、僕の生き方を大きく変えた。
はじめて相対したときは呪いだった。
二度目は祝いに。僕の誇りになった。
「他ならぬあんた自身が。既にここにはない、骸すら残らない人々に囚われているじゃないか」
「──ッ!」
「胸の内に、絶対に果たせない願望を抱えている。それで苦しんでる。
それは、この地に暮らしてた人々が、あんたに遺してったものがあるからじゃないのか。
さっき知り合ったばかりの、好きな食べ物すら知らない僕らを、そんな大切な相手の代わりに出来るなんて本気で──」
「……そこまでです。キフィ。おまえの言葉は、必要以上に彼女を傷つける。……その意図は理解しているつもりですが……、望むところではありません」
「ええ。私たちが、引き継ぐわ」
……シア様、ステラ様?
「お友達とお話するのだから。よく回る舌と皮肉とイヤミが得意技の執事が出る幕はおしまいなのだわ。ほら、あっちで適当に時間を潰してなさいな」
すれ違いざまに。
あとは任せて、とステラ様は言った。
* * *
* *
*
「ねえ、スノーホワイト……、って呼び方よりも、呼ばれたい名前があるのよね?」
「……は、はい。私は、■■■……、カティアと」
「そう。カティア、ね。改めてよろしくね。
まずは、そうね──あの人を嫌わないであげてほしいの。無駄にお喋りで、そのくせわかりづらくて、いちいち皮肉屋で……、だけど、すっごく優しいお人好しなんだから。私の自慢の家臣なのよ?」
「ええ。……キフィナス、と言いましたか。彼は、わたしに詰める局面でも、わたしをスノーホワイトとは呼びませんでした。
……地の底にひとり、みじめに溶け残った残雪とは」
「……はい。そういうところです。そういうところなのです。……良いですか、カティア。やつの振る舞いには気をつけてください。考えていないようで考えていたり、逆に考えているようで考えていなかったりするのです。極めて厄介で──」
「うふふふっ。シアは、あのひとがお好きなのですね」
「なっ──!」
シアの顔にほのかに朱がさした。
それを皮切りに、三人はお友達としての会話──魔人と冒険者でも、古の亡国姫と現代の大領主でもなく、ただの年頃の娘としての会話を楽しんだ。
「ねえ、カティア」
「なあに、ステラ?」
ステラは、こほんと咳払いをし、真剣な顔をした。
「ロールレア家現当主にして次期領主。ステラ・ディ・ラ・ロールレアの名において。
領主として、あなたに決を下します」
「……同じく。ロールレア家次女にして次期領主補佐、シア・ラ・ロールレアの名において」
「「迷宮都市デロル、地区《忘却と喪失の都バランモーア》の住人、カティア。
あなたを──無罪とします」」
領主姉妹は、その罪状を詳らかにするより早く、毒殺公女と呼ばれた娘に無罪判決を告げた。
「おや? もう一曲、ですかい? ヤ、ヤヤ、こいつぁなんとも楽士冥利に尽きる!たいへン嬉しい申し出にございヤすが──イヤイヤ夜も更けて参りやしたので、あたくしはこの辺で。既に終わった物語、千と一話はこさえてやすが、すべて見せては飯のタネがなくなッちまいます。
ええ。ええ。句点のついた、ぴりおど置かれた、昔々のお話にございヤすからね。メデタシメデタシで結ばれますれば、続くことはない物語です。
しっかしどうにも、あたくしゃ新しい話ちうもんが得意でありませんのでネ。ホトボリ冷めたらまた来やすヨ。
それに何より、お手元のグラスやコップが進んでおりやせン。こいつァいけません。
ここはどうか、あたくしのおヒネりと一緒に──どうぞ、もう一杯、そこのお兄さんからお酒を頼んでくだしゃんせ?」




