進路
「で。どっちに進めばいいのかしら」
自前の炎の魔眼で目に映る範囲で泳いでいた魔獣をすべて焼き捨てながら、ステラ様が疑問の声を上げた。
氷の回廊から見渡す先は、四方八方に溶岩の海が広がっている。
一般的な冒険者は、荷物を圧迫しない範囲で食料を詰め、食料が尽きない範囲で実入りのいい迷宮資源を探索する。ダンジョン最深部を目的に進む冒険者が少ない理由は、単純に正しい道がわからない、ということも大きい。
壁のない地形ならなおさらだ。こういった地形の場合、外れの道を通ると奇妙なことが起こることがあるらしい。『後ろに歩いていったパーティメンバーが前からやってくる』だとか。『謎の見えない壁がある』だとか。
まあ、僕はほとんど体験したことないけどね。
「ええと……。メリー。メリーさん? その。道順はどっちなのかなー?」
ステラ様とシア様をいつまでもダンジョンの中に居させるわけにもいかない。僕はいつでも正規ルートを知っている人間地図に尋ねた。
「…………」
メリーはツンとしている。僕はほっぺをつついた。まったくの無反応だ。
今日のメリーにはやる気がない。まだ拗ねてる。
僕にべったり貼りついたまま、ぶすーっとしている。僕がマグマの海に落ちそうになって慌ててた時も、メリーはただ無表情で僕の顔を見ていたし、今もそれを続けている。
「困ったな……。メリーが拗ねきっている」
メリーに拗ねられると困る。ぎゅっとへばりついてくるから僕の体は痛いし、髪の毛を撫でようとするとイヤイヤするから手が寂しい。
……なにより、いい加減声を聞きたい。寂しいから。
「………………。こっち」
メリーがぽそ、と呟きながら指さした。
──喋った!よーし機嫌直したんだねメリーそれじゃあおしゃべりしよう!手始めにえーとそうだね何でもいいや天気の話でもしようかこれだけで3時間は喋れるしさ晴れた空って気分がいいよね地平線の向こうまで広がる青は心に清涼感を与えてくれるようでその点このダンジョンはいかにも洞窟って感じで風情もへったくれもない空気も悪いしほんとすぐに帰りたくなるよねってあれメリー? なんでまたそっぽ向いてるのまだ拗ねてる?喋ってよーねーねー、ねーねーねー。あっだめだ喋ってくれない。メリーってば指でばってんマーク作って口に当ててる。
……これは深刻だぞぉ……?
「別段いつもと変わらなくないかしら」
「は?ほんとステラ様の目利きってカスですね」
「!? ちょっと! 酷くない!?ねえシアっ!」
あっ。つい口が滑った。
やべっ。
「いえ。気のせいです。空耳じゃないですか?」
僕は空耳を主張した。
「しゃべった本人が空耳とか言い出すのおかしいでしょ!?」
「……慎むように」
内容を訂正しない辺り、やっぱりシア様も考えるところがあるんだろうなって思う。僕はシア様にアイコンタクトを送った。目を逸らされた。
「謝罪!謝罪を要求します!あと訂正なさい!!」
ステラ様は自作の魔道具をぶんぶん振って抗議している。
「ごめんなさいねー。空耳ですけどごめんなさいーー」
僕は謝った。でも訂正はしなかった。
「逆に腹立つ!! なんであなたの謝罪って妙にムカつくのかしら!?」
「理不尽ですーー」
「その語尾伸ばすのやめなさいっ!」
「理不尽です」
「理不尽じゃないわよ! ああもうっ……! あなたワザとやってるでしょ!?」
「…………姉さま。姉さま。この辺りかと。メリスが絡んだときのキフィ……、の、言動に、是非を問うても仕方がないでしょう」
「……そうね。シスコンだものね、この人。いいでしょう。不問にします。空耳ってことにしてあげるわ」
「やっぱり空耳じゃないですか。やった」
「いちおう言っておくけど、これ今わたしたちだけだから許すんだからねっ! あなただから空耳にしてあげるんだからね!?」
・・・
・・
・
メリーが指さした方向に、シア様が氷を延長していく。物理法則をガン無視して伸びていく空中回廊。その先頭に立つのは僕だ。10尺の棒で、シア様が作った氷の地面を擦っていく。
シシシ、シシシと、木製スプーンをシャーベットに滑らせたような──いや実際それと同じか──涼やかな音が鳴る。しかし棒の先には、氷の結晶粒ひとつ付いていない。僕の力ではかすり傷すら無理ってことだ。知ってるけど。
下を向いて歩いていると、やっぱり鮫がステラ様に燃やされている。
「ねえ。景色がずーっと溶岩でぜんぜん変わらないのだけれど。出てくる魔獣も例の鮫ばかりだし、ちょっと退屈なのだわ」
なんかステラ様が貴族みたいなこと言い出した。
「退屈なくらいでちょうどいいんですよ。まあ貴族様の保養地には明らかに向かないですけどね。バカ貴族がバカンス気分で入って即マグマに落ちるとかバカだなって笑えて割と楽しいかもしれないですけど。あ、ところでバカ貴族って言いましたけど個別具体的に誰かを指してるわけじゃないので不敬には当たらないですよー」
「あなた、ほんと貴族のこと嫌いよね」
「人並み程度ですー」
「まあいいけど。私とシアはあなたのこと好きだし「姉さまっ!」──ホントのことでしょ? それで、あなたも私たちのことが好きよね?」
「え? はい。好きですよ」
「すっ……!」
ん? シア様?
「ふふん。じゃあ、キフィナスさんはシアのどんなところが好きなの?」
「ええと、そうですね……。理知的で、目標をしっかり見据えているところ……ですかね。細かいところに配慮できるところも素敵だと思いますね。お話ししてると、すごく気が回るんだなーっていつも感じます。あ、これは僕がその辺気にしないだけかな?まあ僕はいいや。えーとそれから、意志が強いところも好きですね。知ってます?シア様、以前僕の宿屋の窓ぶっ壊して入ってきたことあるんですよ? あれは正直割と迷惑でしたけど、ステラ様のためって真剣になれるところはやっぱり好感が持てます。ああそれから、紅茶がすごく美味しいです。家庭的ですよね。それと──」
「……や、やめなさい。そこで止めてよいです。……あとで聞きます。わたくしたちは、探索をしなければなりません。無為な時間を作るべきではありません」
そういえばそうだった。
多分もっと沢山出せるけど、このくらいにしとこう。
僕は再び先頭に立った。
「だって。よかったわね、シア?」
「……姉さま。…………ゆ、油断はいけません。本義を思い出すべきです。私たちはダンジョンの実態を知るためにここに来たのです。うわついた考えは控えてください」
「シアはいつもお利口さんね。お姉ちゃんは嬉しく思うわ。でもほら、わかるでしょ? もっとこう……、吟遊詩人が謡ってるような。冒険っ!って感じのやつ、したいのよ」
「……あのですね、ステラ様。後ろからなーんか聞こえたから口挟みますけど、吟遊詩人は冒険者やってるわけじゃないんで歌には誇張があります。冒険してる人と歌ってる人は別の人です。ご存知でしたか?」
「言われなくてもご存知だけれど」
「いーえわかってないです。吟遊詩人ってリズムやテンポや語呂のため、何よりウケを狙うために5mの蛇を20mの亜竜にするくらいは平気でやりますからね。詩人の努力によって事実はどんどん誇張されてくものなんですよ。ですから、一般的な冒険者のダンジョン探索ってこんなもんです。退屈で、キツくて、一秒でも早く帰りたいものです。だから冒険者なんて辞めた方がいい。毎日の仕事で危険な目に遭うとか嫌でしょ普通──」
あ。氷の回廊がぶつ切れてる。
「ここか」
僕は転ぶと危ないので小走りでそこに向かい、虚空に向けて突きを入れる。見込み通り。木棒の先がなくなった。
「……ここは? 視界に収めているのに、氷を生成することができないようですが……」
「ああ。次の階層への継ぎ目ですよ。以前もあったでしょう。洞窟の地形から一歩先に進んだら雪国だったやつ。ちょうど、その境目に当たります」
僕は木棒を戻しながら答える。
先の方がびっしょり濡れている。無色透明な液体だ。肌に触れても刺激はない。少し匂いが付いてるけど、不快なものではない……。これは……普通に真水かな?
「興味深いわね。すると、シアは四方八方に氷を伸ばせば正しい道順を確定できるってこと?」
「ステラ様の魔眼で焼けないところがあってもわかるんじゃないですかね。魔力が保つのか、とかの問題は僕知らないですけど」
「……薄い氷を伸ばすのであれば、可能かと。本日はマジック・ポーションも48本用意しています」
え。アレをそんなに用意したの……? 僕は驚いた。
マジック・ポーションは本っ当にマズい飲み物で、その割に銀貨3枚前後(相場はよく変わる。この世界に定価って概念はない)と結構高いお値段するアイテムだ。
具体的には鼻水みたいな味がする。
「なんてこと言うの。飲みづらくなるじゃない」
「……ですが。魔力が切れかけている時には、美味に感じられます」
「1回の探索中に48本もあんなもの飲むとか普通に拷問として使えるやつですからね。というか1本も飲まなくていいです。質の悪いポーションは悪酔いしますし、お二人にポーション飲ませるような探索はしませんよ。そんなの僕だってしんどいですから」
安全第一で行くことは絶対条件だ。危ないことはしてほしくない。
──だから、僕は次の階層への準備を怠らない。
さて……。恐らく地形は水辺だろう。酸素確保のため、僕は風の石笛を取り出した。これを吹くだけで酸素の問題は解決する。
問題は、この水に毒があるかどうかだけど……。これ、舐めた方がいいかなぁ……。絶対気持ち悪くなるけど、今確認した方がまだいいよね……。うーん……。
「ねえねえっ! せーので踏みましょ? せーのでっ」
……僕が悩んでると、ステラ様が隣に立っていた。
いや、あの、なんですか。まだ悩んでる最中で──。
「……良い案ですね、姉さま」
「よくないですけど?」
「あと30秒でいくわよ。さーんじゅ、にじゅーくっ、にじゅーはっち……」
「いや、あの、ちょっと! まだ安全確認とか十分にしてなくて、僕ほんと悩んでんですからね!?」
「……ひとりで悩まずとも、よいのです。おまえ一人を危険に晒したりはしません」
「にじゅーいっち、にじゅー、じゅきゅー……、」
「そうは言いますけど、僕とあなたたちじゃ価値が──」
「じゅーさん、じゅーに。……ぜろ。行くわよシア」
「……はい。姉さま」
「えっカウントが一気に飛ん、あっ、待ったいつでも戻れるように一歩以上は待っま──ああもう僕も行くしかないなこれ!?」
背中を押されるように一歩を踏む。
景色が切り替わる。
そこには──。
青い空。白い雲。輝く太陽。
砂金を散りばめたような浜辺に、顔が映るほどに澄んだエメラルドグリーンの水面。
「きれい……」
──溶岩溜まりを抜けたら、そこは海だった。
「あのひと、あんなこと言ったけど。どう見ても拗ねてないわよね」
「……はい。私にも、そのように見えます」
先行するキフィナスから数歩後ろを歩く姉妹。
彼女たちの視線の先には、キフィナスの一挙一動挙手投足、そのすべてを見逃すまいと熱視線を送るメリスの姿があった。




