拗る
「ふーん。へーぇ。こーんなかわいい領主姉妹をほっぽらかしにして。あんな、礼節規範の伴わない、よその国の肩書き貴種を優先するのねー?」
「ええと……」
迷宮都市デロル。
帰還して一夜明けるなり、僕は職場であるお屋敷に行った。
『何日か空ける』と文を立てたけど、結果的に仕事を空けることはなかった。でもまあ、事前に連絡したし正直一日くらい休んでもいいかなーって思うんだけど、放置するとなんか拗れるんじゃないか、みたいな直感があったのだ。
「ふーーん。そういうひとなのねー」
手遅れかもしれない。
「わたしはね、拗ねています。あなた、多分言わなきゃわかんないから言うけどね。わたし、拗ねてるの。ねえ、キフィナスさん? どうすればいいと思う?」
「ええと……僕の知る限りこの国で一番美味しいお菓子とか……いかがですかね?」
「そう。ありがと。後でシアと分けることにするわね。それで?」
僕がスメラダさん作成のお菓子の入った包みを差し出すと、ステラ様はひったくるように受け取った。
それで? って声色が怖い。こう、いかにもいつも通りですよって声色が逆に怖い。
困ったな……。美味しいものでご機嫌取れると思ったのに……。昨日の晩から作ってもらってたのに……。万策が尽きた。
「あ、もちろんシアはもっと拗ねてるわ。私よりずっとね」
「…………拗ねてはおりませんが。……不快では、あります」
拗ねられている。拗れている。
……実のところ、今日はメリーも拗ねていた。
宿屋に帰ってから。夜、改めて僕はああいう意地悪はやめようよ、性格悪いよ、と注意した。
メリーはその場では反論とか異論とかなく、ただじっとそれを聞いてくれてたんだけど。翌日目が覚めると、僕がおはようって言っても返事を返さない。髪の毛を梳いてもご飯を食べてもくすぐってみても、全っ然、口きいてくれない。
ただ、べったりひっついて、僕の顔をじろー……っと見つめてくる。自分が悪いことをしたとは一切思ってない顔だ。
したよ? メリーさん。したよね?
「…………」
メリーは相変わらず無言だったし、他の二人も無言だった。
僕は三方から冷ややかな目を向けられている。
居心地が……、居心地が悪い……。
「あ、そういえば急に解決すべき案件をおもいだしたので僕このあたりで──」
「……おまえは。わたくしたちよりも、あの少年の方がよいのですか。……見ず知らずの、おまえに手ひどい罵倒をする、余所の国の王族が……、わたくしたちよりも、大事ですか……?」
「……はい?」
え、なんでそんな話になるの? 僕はこじれを感じた。
──大事であるはずがない。だいたい、好きか嫌いかで言ったら大っ嫌いだ。
やたらと偉そうな……見るからにお貴族さま然としたお態度とか蹴っ飛ばして転ばしてやりたくなるし、自分を嫌ってくる相手をわざわざ好きにはならない。普通にならない。
そもそも、名前すらまともに覚えてないですよ、僕。ハイン……ハイン……ハインツ様でしたっけ? もうぜんっぜん興味がない。まだステラ様たちの昨日の夕食とかの方が気になるレベルだ。つまり最高に興味がない。『今日はいい天気ですね』から始める天気トークの方が4ランクくらい関心としては上だ。
「興味がない相手のために、仕事を放り出して王都まで行ったの?」
「ええ、まあ。そうですけど」
たとえ相手が誰であっても、僕は似たようなことをしただろう。それが僕にとっての正しいことだからね。社会とはそれぞれの個人がそれぞれの選択の元に進めたイベントをそれぞれ勝手に発生させているものであり、その前後関係がどうなっているかなんて事情は通常知りえないものだ。人は常に自分の選択に付随する責任を支払い続けている。
それでも、目の前で転びそうな人がいたら手を差し伸べるくらいはするよ。
今回王都まで行ったのは、相手の肩書きがなんともご立派だったので、僕の狭い交友関係の中で社会的立場が上なひとたちに話をつけてもらおうとしたってだけだ。
……というか、僕は当初『なんかのトラブルで貴賓者待遇で迎えた皇帝様が迷宮都市まで来たのかな』って認識だったわけで。それなら王都で信頼できる人に引き渡せばまあ解決かなーって思ってた。
それがなんかシームレスに暴力行為に移行して、しかも最終的には当人そっちのけに頭上ごしにべらべらと、そいつが一体何者なのかを部外者の第三者から説明される……なんて、想定もしてなかった。
彼女が一度として間違ったことを言ってないのはメリーが保証している。──けど、僕がその言葉を信じてやるかとは別だ。僕の中で、発言の正しさとは事実の正誤ではなく発言者の好感度に大きく依存する。
まるで取扱説明書でも読むみたいな態度で他人の勝利条件を開示する行為には、僕はどうしようもなく嫌悪感を覚える。
……もちろん、アイリーンさんには十分警戒してもらうようには伝えてるけどさ。
「……あのとき。キフィナスさんは、私たちを助けてくれたものね」
「ええ、まあ。間に合う距離にいたので」
乞食だろうと一般人だろうと魔人だろうと、一切何の関係もなく、僕は二人を助けただろう。
むしろ、正直に言えば貴族である方が面倒だなって感覚だった。
「でも。……別に、お二人が大事じゃない、なんてことはないですよ。
僕がいま、こうして着慣れない礼服を着てるのは、……あー、ええと、その。……ステラ様とシア様だからです」
……なんだか、頬が熱い。
「ふぅん。そう。……私たちだから、ね」
「……そうですか。……お、おまえは、わたくしたちが大事ですか?」
シア様が遠慮がちに、だけどまっすぐ僕を見つめてくる。
……『はい』か『いいえ』の、簡単な質問だ。
なのに僕は、なんだか息が詰まって……。
「……だ、大事です」
喉が乾いて、いつもみたいに舌が回らなくて、羽虫のように小さな声で僕はもごもご呟いた。
「ねえ、もう一回言って頂戴?」
……あの、ステラ様?
「……はい。もう一度言ってください」
え、あの、シア様まで……。
……いや、もう一回って言われても、あの。
「……聞こえてなかったわけじゃないですよね?」
「ちーさすぎて聞こえなかったのだわっ♪」
「……はい。そうです。姉さまが聞こえなかったと言っています。同意します」
……聞こえなかったってことは大したことじゃないんですよ。
「そんなことないわ。私たちにとって、すごく、すごーく大したことよ。だから、もう一回言って頂戴」
「……やです」
「……もう一回、言いなさい」
「やです」
「「もう一回」」
「やですってば!」
・・・
・・
・
押し問答を続けている内に、いつの間にか居心地の悪い雰囲気はなくなっていた。
「せっかくだし、このお菓子開けましょっか」
「……はい。私が紅茶を淹れます」
僕が持ってきたお菓子──蜂蜜のチーズタルトだ。これ滅茶苦茶おいしい。大好きなお菓子で、とっておきだからスメラダさんに作ってもらった。
僕もご相伴に預かれると思ってなかった。うれしい。
「……美味しいですね。濃い蜂蜜の味わいに、チーズの酸味が絶妙に合っています」
「ええ。これほんとに美味しいわ。どこで買ったの? メリスさん……じゃないわよね」
「はい。がさつで乱暴なメリーにはこんな繊細な味つけができるわけがないで……いたたた。ええと、僕がお世話になってる宿屋です。スメラダさんって言うんですけど、料理にすごく凝ってるんですよ」
「そうなの。ウチ付きの料理人にしたいくらいだけど……キフィナスさんの関係者ならダメね。きっと厄介なのだわ」
「贅沢のために領民の血税を費やすのはよくないと思いまーーす」
「もう。キフィナスさんもわかってるでしょうに。貴族社会では歓待は重要なこと。どれだけ良い催しができるかは、その貴族の力を示すことでもあるのだわ」
「……それに、領主が職人を厚遇する──税を投下することで、その産業を潤すことができます。『贅沢のため』と言うのは表面的な見方に過ぎません。文化を興すことは、他領との取引においても有利材料となります」
「でも毎日食べたいだけですよね?」
「それはそうよ? この腕なら、きっと他の料理も美味しいのでしょうし。毎日食べられてるあなただけズルいのだわ」
「……地方領主の訪問も控えております。この腕であれば、それだけで大きな成功を見込めるかと」
「そうですか。一応、話持っていきますね。多分スメラダさんは二つ返事で了解してくれると思います」
ほらメリー。君も一切れどうぞ。
僕はメリーにあーんを促すと……メリーは、ぷい、と無言でそっぽを向いた。
「あら?」
そっぽを向きながらも、僕の腕にからみついたまま、ただ無言で僕の顔をじいっ……と見つめている幼なじみは、どうやらまだ拗ねているらしい……。
「えーと、あの、メリー? だ、ダンジョンいく……?」
「……………。いく」
……よし! 一日ぶりに声を聞いた!
「あの、そういうわけなんで。ちょっと早めですけど、ちょっと休み時間を取りたいと思います。メリーの分のタルトも残しておいてくださ──」
「私も一緒に行くわ」
「え?」
「……私も同行します」
「はい?」
「ふふん。迷宮都市の領主として──改めて、ダンジョンについて知っておかないとね?」
そう言ってステラ様は、いたずらっぽい笑顔を見せた。




