スワンプマン
締め切ったカーテンの暗い部屋。
光源は、テーブルの上の燭台ひとつだけ。
迷宮都市デロルの忌々しい店の間取りと、寸分違わない部屋だった。
「ご機嫌よう。ああ、ボクがなぜ王都にいるのかが気になるのかい? 営業努力は大事だからね。ボクは、大きな都市には必ずひとつ以上、銀の扉で店の入り口を作っているんだよ」
「語っていただいたところ恐縮ですが、それについては砂漠の砂粒以下の興味しかないですねー」
僕がここに来たのは、いつも訳知り顔のクロイシャさんに訊ねるためだ。
──哲学者たち。あの連中がまだ活動してるのなら、僕は叩き潰さなきゃならない。
だというのに──。
「あなたのことより聞きたいことが──」
「どういうことですかっ!?」
戸を開けて早々、クロイシャさんが意味不明なことをのたまうせいで。
アイリーンさんが、食ってかかるようにクロイシャさんに訊ねてしまった。
「キミのことは知っているよ。アイリくん。愛を尊び愛を語る、風変わりな修道服を着た少女。ふふ、この国では宗教はずっと昔に廃れたのに面白いね。愛あるところに神ありと主張するような出で立ちだが、しかしその実、キミは──」
「アイリーンです! わたくしの名前は!」
「おや。キミは基本的に、誰に対しても自分を愛称で呼んで貰いたがっていると認識しているんだけど。嫌われてしまったかな」
「わたくしはあなたのことは存じ上げませんが! あなたの心に、愛がないことはわかりますっ!!」
「そうかい? ありがとう。ボクにとっては褒め言葉だよ。商行為に必要なモノは、情けではなく節度と互いの利益だからね」
「褒めてなどおりません!」
「表現行為をどう感じるかは受け手の問題だよ。言葉、文化、価値観といったコードによって、ヒトはコミュニケーションを成立させることができる。しかし、同じコードを共有していると言っても伝達不可能性が消えることはない。共有していなければ、もっと難しくなる。
コードの内、社会通念や倫理などと呼ばれるモノは、多くの世界でもある程度近似の形を取るものだけれど。中には、決定的に異質なモノだってある。
たとえば……そうだね。王国民と帝国民は近しいけれど。ヒトと魔人は遠い、とかかな」
「まじん……?」
「うん? おや、キミは知らなかったか。魔人と呼ばれる存在が、この世界ラーグ・オールにはいてね。市民社会にも一定数紛れている。彼らを一言で表現するなら、胎ではなく迷宮の核をルーツに生まれる存在さ。
その特徴として、彼らは利己的行動しかしないことが挙げられる。自らの胸の内にある衝動に従って、生命活動は自己保存と欲求の充足に費やされる。社会性動物は利他行動によって報酬系が刺激されるように出来ているが、単体で完結する魔人にはそれがないんだよ」
クロイシャさんは、いつもの調子を崩さない。
「抱えている衝動は、個体によって異なる。それによって、人間と共存できる個体もいれば、敵対するしかない個体もいる。冒険者の中には、自分がそれだって自覚のない個体だっているよ。ただ、わざわざ這い上がってきた子は、それだけ熱量を抱えていることが多いからね。よく、ボクの優良顧客になってくれる」
「顧客の情報を垂れ流すとか最悪の店ですね」
「おや。キミは、それを聞きに来たんじゃないのかな?」
僕が聞くのはいいんですよ。でも店の方針としておかしいでしょって話です。僕は優遇されたい。言うこと聞いてくれなかったらはーーやっぱ金貸しって最低の職業で人間性が腐ってるんだなーーってなりますよ。でも僕を優遇するのはどうかと思うし、いざ言うことホイホイ聞いてくれたらうーわ客商売をどう考えてんだろ最悪だよねーって批判しますよ。批判されて当然ですよね?
僕の中でそれは両立するんですよ。だってそうすればもう片方の理由で相手を殴れるし?
「相変わらず、キミは些かどうかしているところがあるね。ボクにカウンセリングの心得はないが、キミのために時間を作らなければいけないんじゃないかと思わさせられる」
余計なお世話ですー。僕は自分の気性に困っていないのでーー。
というか、僕のことなんざどうだっていいんですよ。
「さっきの発言。帝国を滅ぼした魔人って、どういうことですかね」
「言葉の通りだよ。レスターくんに両手両足をへし折られた、一見すると外傷が塞がっているようで内側の骨は粉砕されたままの、そこの少年の格好をしているのは魔人だ」
流石はSランク冒険者。判断力に秀でているね。
クロイシャさんは、そう言った。
「……というかメリー。治療したんじゃないの」
「あるけるように。した」
「……あのねえ。ほんと、メリー。君が怒ってるのはわかるけどそういう意地悪なことは──」
「わかってない」
……ええと? なにが?
「きふぃがおもうより。めりは。ずっと、おこてる」
……ええとね、メリー。
僕は──、
「その判断も妥当じゃないかな。逃がすと、最悪万単位で死者が出る」
「……大きな都市のほぼ全員を殺せるってことですか?」
「真正のレガリアにはそれだけの力がある。そいつは《スワンプマン》だよ」
……スワンプマン? 何それ。聞いたことない。
メリーを見ると……無表情だ。嘘は吐いていないらしい。
「想念は形を成す。骸に遺る未練から、手足が生えることもあるのさ。特に、場所が場所だ。帝国全土がそのまま反転したとなれば、最終皇帝が生み出されるのも道理ではある。
そいつは、自分がハインリヒ帝であるという認識を持ったままでいる。身体組成は寸分違わずハインリヒ・ヘザーだし、意識の連続性だってある。瞬きしたその瞬間、自分の顔をした死体が突然現れた、くらいの認識だろう。
しかし、その魂魄は違う。赤き迷宮核が作り出した模倣に過ぎない。そいつの行動理念には、帝国の繁栄を取り戻すことしか存在しないんだ。
土地も人も資源も、取り戻せやしないのにね」
クロイシャさんの言葉は、どこまでも透徹だった。
僕は石を投げようとした少年のことをろくに知らない。
砂塵にまみれた大きなマントに隠れた髪の色も、眼の色もどうでもいいと思ってる。
思想も理念も信条も、言葉すらわからないんだから何だっていいやって気持ちしかない。
……だけど、誰だって譲れないモノはあるだろう。
生きている限り。呼吸が続く限り、ひとは何かを考える。考え続ける。
クロイシャさんの言うところには。彼には確固たる勝利条件があって──それは決して達成されない。
「それどころか、元凶の側だよ。あの国を滅ぼしたのは迷宮災禍だ。自分で振りまいた災厄を、そうと気づかずに回収しようとする。
ああ、熱量は高いさ。自身の血統、帝国の重ねた歴史、レガリアの正当なる継承者……と、自分では思いこんでいるんだからね。
もっとも、ボクの語彙で表現すれば、それは道化という。無謀を無謀と知りながら、それでも宿願を果たそうとするヒトの熱量は、この身を熱く焦がしてくれるけれど、道化に投資をしてもね……」
……それは、あまりにも報われないだろう。
「……嘘です! あなたは、嘘をついていますっ!!」
アイリーンさんが叫んだ。
「ボクは商売柄、嘘偽りは避けているんだけれど……そうだな、キミにもわかる例を出すとしようか。
キミは、この少年に『愛』を感じないのだろう? だからキフィナスくんに同行している。違うかな」
「……それは……」
「辺境の旅路で心をすり減らした。醜いモノを見た。筆舌に尽くしがたい体験をした。そう思ったかい?」
「はい! 幼くして、愛を見失った──」
「そうじゃない。
そいつには、最初からそんなもの存在しないんだ」
アイリーンさんが絶句した。
「繰り返しになるけれど。そいつの胸にあるのは、帝国再興の望みだけだよ。人の心も理解できない、不相応な力だけを持ち、同調者を集めて元帝国の土地まで心中の旅に繰り出すだけだ。骸の山を築き上げても、まあそいつ一人は死なずに生き残り、王国まで戻ってまた人を集めて、そして帝都までの無意味な吶喊を続けるだろうね。
既存の社会にとって有害だし、ボク個人としても困ってしまう。潜在的な顧客を奪われるわけだから。
正直──この辺りで殺してしまった方がいいと思うよ。何なら、請け負ってあげてもいい」
「は?」
…………長々と語ってもらってあれだけどさ。
なーーーーんで、胡散臭いあんたの発言を信じなきゃいけないのかな?
「おや? ふふ、キミはそういう表情もできるのか」
何がおかしい。
僕はテーブルを蹴った。……足が痛い。僕の力ではびくともしなかった。
いい家具使ってんですね。僕はもう一発蹴った。……痛い……。
「ねえ、メリー。……今の発言って、全部本当なのかい」
「ん」
「そう。……じゃあさ。やっぱり、この子は僕だと思うんだ」
排斥されて、排斥されて、排斥されて。
彼は、どこに行けばいい?
誰が味方になってくれる?
僕にはメリーがいる。
信頼できる人がいる。
……照れくさいけど、たぶん、うぬぼれじゃないなら……、居場所がある。
「おや? キミの胸の内に、熱が灯ったね。……キミの心には、やはり炉がないんだね。燎原の火のように、原始的で非文明的で、社会にとってはあまり有益ではない──怒り、というのかな。キミを突き動かすものは、それなのかい?」
知ったことかよ。僕は僕がやりたいことを、やりたいようにやる。やりたくないことはやらない。目の前で──ちょっと歩いて届く距離でやってたらやめさせる。
それだけだよ。
痛いのは嫌だ。
怖いのは嫌だ。
理不尽は嫌いだ。大嫌いだ。
「……ほんと、毎回毎回不快になるんだ。あんたの話を聞いてると」
「そう。ボクはキミと話すのは愉快だけどね。キミはなかなかユニークだから」
「知ったことじゃないよ」
主役は僕じゃないだろ。あんたが長々語ってたのは、この子の方だ。
本人は何も知らない。自分が何者なのかも知らないし、自分の勝利条件が、ただ自分が掘った大穴を埋めようとするだけってことも気づかない。
……理不尽だろそんなの。聞いているだけで馬鹿げてるだろ。そもそも、まだ子どもなんだぞ?
胸の内には報われない努力を果たせという衝動しかない? 何だよそれ。
そんなのってないだろ。
「キミは、魔人相手にも人道的だね。そもそも同じ種族ではないというのに。キミも冒険者として、多数の迷宮を攻略してきたろう? 魔人と出会ったことは、一度や二度ではないはずだ」
……降り懸かる火の粉は払う。そいつがダンジョンの主で、話し合いにならなくて、どちらかが死ななきゃいけないなら戦うしかない。その時には、強い方が勝つって単純な原理を頼らせてもらうよ。
でも、ここはダンジョンじゃない。
「そうかな? 現生人類にとって、魔人は限りなく敵対者だよ。共存できる衝動を抱えていたとしても、本質的にちがう生き物だからね」
けど、ただ生きてることが罪にはならないだろ。例えそれが法律に明記されていたって、僕はそれを認めない。従わない。破り捨てて見なかったことにするよ。
だって、おなじ自由意志を持つ──少し力が強かったり、考え方が違っていたとしても、その部分は変わらないだろ。
なら、選択の権利はあるべきだ。力を持っているからという理由で、自由に生きられないなんてことが許されていいはずがない。
その上で、その選択の責任を──良いものだろうと悪いものだろうと──選んだ人間は取るべきだと、僕は思う。
「だから、あんたの言ったことは全部聞こえなかったことにするし、僕はこの子の力になりたいと思う」
「ふふ──やはり面白いね。キミは」
僕はテーブルを思いっきり蹴った。
すごい痛かった。
・・・
・・
・
そうして。
皇帝様……えーとハインリヒなんとか君?は、アイリーンさんの救貧院で引き取ることになった。
「感動しましたっ! さすが愛のひと!さすあいっ!」
「舐めてんですかね」
さすあいって何だよ。馬鹿にしてるのかな?
……いやまあ、馬鹿にされても仕方なくはある……。結局、僕はそういうコネとかないからアイリーンさん頼りだし……はっきり言ってただ遠回りをしただけだしな……。
お人好しで危なっかしい当主様から叩き出されるって時点でプランが崩れきってるんだよなぁほんとにもう……。想定してないことばっか起きる……。
「いや、なかなか面白かった。やはり、キミはいい話し相手だよ」
「あ? 僕はちっとも面白くなかったですけどーー」
「それは済まないね。でも、ボクが面白いので諦めてほしい。……ふむ。しかし、こちらばかりが得をするというのは商売人として些か問題かな」
クロイシャさんが指を鳴らした。
すると、銀色の扉がぼんやりと中空に現れる。
「迷宮都市に繋げてあげたよ。あとは……そうだね。キフィナスくんが知りたがっていることを教えてあげよう。
──哲学者たちは、未だ活動を続けている。彼らは、この王国が帝国や共和国へと枝分かれするよりもずっと昔から活動しているからね。王都以外にも活動拠点はいくつだってある。
例えば……キミが仕えているロールレアの家だって、彼らとの関係は深いよ。キミもその程度は調べていただろうけど」
「……今は違うだろ」
「家名と家紋を背負っている以上、その言は通らない。望むと望まざるとに関わらず、運命の輪はキミたちを巻き込むことだろう」
「……そうか」
「だから、早めに帰った方がいいと忠告しよう。
ふふ。ボクはキミとの友好関係を続けたいと思っているからね」
友好関係?
僕は何言ってんだこの人と思いつつ、銀の扉を棒でつついて安全を確認するやいなや、
僕らは別れも告げずにその場を後にした。
「ああ、面白いなぁ……。炉を抱えていない、原始的な熱というのもまた味わい深いものだ」
「……同じにおいがするな?」
「ああ、ロマーニカ。スワンプマンだよ」
「…………キキの魔法の綻びではないか」
「うん。ひょっとすると、指揮官は既に亡いのかもしれない。もう、管理ができないんだ。打ち倒されたキミが人の形を取っているのだって、システムの破綻を示しているようなものだしね。ああ、そういえばその子たちも来たよ」
「ほう? 眼が疼くと思えば、あの小僧どもが来ておったのか。余にも逢わせよ」
「ダメかな。キミが何を言い出すかわからないし、そもそも、ボクの客であってキミの客ではない」
「卑劣なやつじゃ! ……くっ、手足がありさえすれば!」
「そうだね。キミの手足がないことで、ボクは調度品を壊されずに助かっている」
「おのれ、クロイシャっ!!」
「ふふふ……。ロマーニカはすぐ煮えてくれるから好ましいね。キミがいるだけで、黄昏が来ても凍えることはなさそうだ」




