亡国の
僕が相手の母国語を話してみるや、反応が一変した。
「×××△●●○○□□□?」
ん、いや、わかんないですけど?
けど、なーんか一気に態度が軟化したな。
軽蔑の中に、怯えというよりも馴れ馴れしさ? 僕を帝国関係者だと思っての態度だろうか。
まあ、僕は本心から『死にたくなかったらやめてね』って思っていたし、言葉だけでそれが伝わったようで何よりです。
……伝わったんだよね? たぶん。
「■■□■■○○△△△」
あ、はいー。
僕は相づちを打った。
「×△■□□○○」
ふむふむ。
僕は相づちを打った。
「■■○○●■△■○○□」
なるほどーー?
僕は相づちを打った。
うん。全っ然わからない。
でも、とりあえず僕はしたり顔で頷いたり、時々首を振ってみたり、なにか意味ありげなジェスチャーをしてみたりする。
と同時に、改めて相手をじろじろと観察してみた。
頭から被っている砂塵にまみれたマント。端が地を摺っていて、汗や泥濘が染み込んで変色したそれは、険しい旅路を越えたことを示している。
……思ったより小柄な体躯をしているな。そう考えてみると、声はちょうど変声期に差し掛かろうかといった声で、水分が足りないのか少し嗄れている。
幼さの残る足取りで、たった一人で、大平原を抜けてここまで辿りついたのだろう。
「×△×××△●○○□?」
おっと。なにか問いかけられている。
えーとメリー、ちょっと通訳お願いできない?
「やだ」
うーん……。嫌か。そっか。
じゃあ、しょうがないなぁ……。しょうがない。無理強いはできないね。
よし。僕はけらけら笑ってみた。
「けらけらー」
会話内容と同じくらい、雰囲気というのは影響を与えるものだ。
「けらけらげらげら」
そして、笑いとは多くの意味を持つジェスチャーである。
「げらげらげらげらっ!」
とても便利なのでいつも僕は多用している。
一応今回は、主にほがらかさを与えることを意図した。
「××!! ★△●△■□□!!!」
ん……? あれ、なんか相手が怒りだした。
怒りの感情でいいんだよね?たぶん怒ってる。言葉わかんないけど僕を指さしてなんか喚いてるし。
どうやら失敗したらしい。
でも困ったな……。怒っているのはわかるのに、何を言っているんだかわからない。
『ごめんなさい』という言葉は枕詞にも結びの定型句にもなるとても便利な言葉なんだけど、あいにく僕は帝国語でのごめんなさいを知らない。
ん? でも冷静に考えてみたら『なんか何言ってるかわからないけど怒ってる』ってシチュエーションは意外と日常生活の中でも時々あるやつだな。
そう考えると大したことなく思えてきたな。というか『喋ってる言葉自体はわかるのに何言ってるのかわからない』よりも『言葉がわからないから何言ってるのかわからない』の方がより解決の糸口は近い気がするし。なんというか、前者の方が色々絶望的な状況だよね。それに比べればぜんぜんマシ。いけるいける。
僕は自分勝手に自己解決して落ち着いた。
「■□!!」
あ、でも手元の石はダメです。当たると痛いのは嫌だし、何より、機嫌を悪くしたメリーが何をするかわからないからね。既に直立不動な体勢なのにメリーの足下の石畳にはミシミシってヒビ入ってる。
すすっと懐に入った僕は、乾燥してボロボロな細い手指からするっと石ころを奪いつつ、すいっと木製の水筒を握らせた。
「のど乾いてませんか?」
僕が手渡したそれには、水がなみなみと入っている。
綺麗な水というのは、実はかなり貴重な資源だ。濁った水を、濁っていると認識しながら、すなわち腹痛を起こすだろうとわかっていながら、それでも口にしなきゃならないことはいくらだってある。
水魔法なる技術を使えるなら、自身が抱えている魔力なるエネルギー源を水分へと変換できて旅が捗るけど、仮に使えるのならあんな格好はしていない。
「□□□……?」
ごくり、と喉を鳴らした。
僕はニヤニヤと笑った。
水の臭いを嗅いだ後、試しとばかりにそれを口に含んで──。
「はい。それ、毒が入ってます」
「!!!?」
即効性の身体の痺れによって取り落とした木製の水筒を、僕は空中でそのままキャッチした。ふう。石畳に落としたら割れちゃうからね。危ない危ない。
……しかし、まあ、随分と素直だね。見知らぬ相手から受け取った物をすぐ口に含むなんてさ。……いや、いいことだよ。猜疑心を抱えずに険しい旅路を終えられたというのは、素直に喜ばしいことだ。
「■■△■■……!! ■■……■…………!!」
はは、なーに言ってるんだか全然わかんないや。ふあああ……、僕は眠かったのであくびをした。
あ、まあ命を取ることはないので安心してほしい。後遺症もないです。
症状としては……まあ、全身が痺れて、意識をゆっくり手放すだけかな。
ダンジョン内とかで纏わりつくように濃い獣の気配とかを感じながら、それでも身体のために休息とらなきゃいけない時とかに自分に使ったりすることがあるので、まあちょっと即効性のある睡眠薬みたいなものだ。
その手足の痺れも慣れるとちょっとクセになるしね。
「いやーー申し訳ない。心苦しい。大変恐縮です。失礼いたしました。ごめーーーーん、ちゃいっ」
僕は帝国語の話者には伝わらなさそうだなって思いつつ、思いつく限りの謝罪の言葉を並べてみた。
それとも、もう聞こえていないかな。
・・・
・・
・
「ん。よい。よくやた。すばらしい」
ああ、うん。我ながら、結構上手くやったと思うよ。ふふ、やっぱメリーもそう思う? やっぱねー。わかるよね。ふふふ……。ありがとね。
じゃ、今からこの子宿屋まで運ぶからさ。ちょっとの間どいててもら──。
「うごかないうちに。めりが殺す」
「やめて?」
というか、じゃあなんで『よくやった』とか言ったの?
ええと、僕は一旦しきり直すのと休養を取ってもらうために寝かせたんだけどさ。
ぶっ殺そうとしてるメリーさんはなんで僕があんなことしたと思ったんですかね……?
「しってる。きふぃは。あまあまのあまちょろ」
ああ、うん。これだけつき合い長いんだし、やっぱ流石にわかってるよね。
それにしても……甘チョロではないです。表現が悪い。優しい、って言ってほしい。メリーにこんな単語教えたの誰だよ。
「きふぃはだまらせる。めりがすぐ殺す。しずかでよい」
わかった上で殺すとかやめてくれる!?
あのね。そうやって何事も暴力で解決しようとすると、いつかセツナさんみたいになっちゃ──えっ嫌だなホラーじゃんそれ。怖っ。僕怖いの嫌いなんだけど。喩えに出しといてなんだけど本気で嫌だった。
嫌なのでやめよう?
「……めりは。ことば、わかった」
うん。
だから通訳を頼んだけどメリーは断ってくれたよね。
「きふぃをばかにしてた」
ん? うん。だろうね。
僕は灰髪で、基本的に人は見かけによる。少なくとも僕は自分があまり褒められた人間じゃないって自覚は持ってるよ。
それなら、ちょっと殴られたからっていちいち殴り返すことを考えても仕方がない。だって身体はひとつしかないしね。
「おーとのころ」
……いやまあ、王国に来たばかりの頃は僕だって多少はやり返してたけどさ。あくまで多少だけど。
でも、冒険者界隈は一度舐められたら舐められ通しだし、その頃はまだそんな自覚も芽生えてなかったからだよ。
狭い場所に何百人何千人って暮らしてることがどういうことなのか、っていうのを知識としては持ってても実感はできてなかったからね。
「ん。いまは、きふぃ、ぶたない。だから、めりがぶつ」
君が撲ったらそのまま撲殺が成立して相手死ぬだろ。
「死ねばいい」
……あのさ、メリー。
やっぱり、そういうのはよくないよ。
目の前で倒れてる──あっそういえば名前すらわかんないな──彼は、険しい旅路を終えてここまで来た。
言葉はわからないけど、それは踏み潰した血豆の痕が何より語っている。
きっと彼は、メリーと出逢えなかった僕だ。
「ちがう」
いいや、違わない。
君がいないなら、僕はきっと好き放題に荒れてた。
だから、どんなに口汚く罵られてても気にしない。だいたい、何言ってるかわからないしね。
「ちがうの」
同じだよ。
「こいつは。ていこくの。こうてい」
へえ、そうなんだねーー……んッん!?
え、何それ……何それ!
帝国の皇帝!? まだ子どもだぞ!? こんな小汚い格好の……というか子どもにそんな重責を……いやでも姫様もそういう感じだったらしいけどって今はどうでもいいとして……。
……ほんとに? いや、メリーは僕と違ってこういうところで意味なく嘘はつかないか……。
……ヘザーフロウ帝国の皇帝ってマジぃ……?
「おなじ? きふぃと、おなじ?」
「えーーーーと……、あー、その。まあ……、目と耳があって、それから……耳がついてるよね。あ、口もあった。うん。だからまあー……、そう考えてみると共通項は多いんじゃないかな」
「おなじ?」
「近いと言えなくはないよね」
「おなじ?」
「なんですかメリーさん」
「おなじ?」
しつこいですよメリーさん。
* * *
* *
*
「クセは強いけど、やっぱり彼は有能なのだわ」
ロールレア家執務室。
キフィナスが作成した行政文書を、ステラとシアは確認していた。
普段の迂遠な口調反して、その文章は簡潔かつ正確なものだ。
「……そうですね。使用人の数は以前から半分以下になりましたが、仕事の能率は同じか、あるいはそれよりも高いかと」
「ね。ただまあ、本当にクセは強いけど」
裏書きに魔導印章が意味もなく多数押印されている書類を、ステラは『書き直し』の山に押し込んだ。
予算執行状況調査書に、確信犯的なふざけた一文『冒険者メリスのおやつ代』が入っていたからだ。ご丁寧に商人たちに見積もりを請求した証書まで貼りついている。
「……はい。しかし、この程度は慣れましたね」
『冒険者廃業プロジェクト』なる表題の書類を『処分』の山に置き、シアが姉に同意する。
「……週に4回と言わず、もっと来てもよいと思います。慣れましたから」
「ふふ。そうね、シア」
氷華がくるくると回る紅茶を一口。気品ある薫香が姉妹の鼻を優しく擽った。
時計の針も動きを緩めるような、穏やかな時間。
騒がしい青年の姿はここになく、居心地のよい沈黙が部屋を覆っていた。
「失礼しまーす!」
そんな沈黙を裂いたのは、話題の青年だった。
シアは弛みそうな頬を抑え、
「……本日、おまえは休みのはずでしたが」
と訊ねる。
「ああ、ごめんなさい。いやー。緊急性の高い案件がありまして? お休みとか言ってられずに報告するだけしよっかなって。いやぁ、これでも僕は責任感がそこそこありますので。休みよりも優先しなきゃなって時は来ますよ。来ます。そりゃあね。ただ、もちろん休暇はモチベーションに繋がるので大事にしたいという気持ちもある。どちらか片方だけじゃない。どっちも大事なんです。24時間戦えます、なんてのは嘘っぱちですよ。ただぼんやりしてるだけなら人頭はいらない。僕は無理をしません。それはお互いの為にならないって考えてるからなんですね。つまり何を言いたいかといえば、僕はちょっと眠いので、報告だけしたら長居せずに帰るつもりです。ごめんなさい?」
「長い長い長い。もう。いいから本題を言って頂戴」
「その前に確認を。ステラ様とシア様。──帝国語ってわかります?」
「何よ急に。喋れないわ。あの国は建国までがほとんど喧嘩別れで交流もほとんどないのだもの」
「……家庭教師から。語学の講義は受けました。恐らく、会話することはできるかと」
「わあ、シア様優秀ですね」
「えっシア?」
「……私の人生は、姉さまを補佐するためにあると、かつては考えておりましたので。姉さまの学習意欲に欠けていた分野は、一通り修めています」
「初耳なのだけれど……」
「……はい。姉さま。今では、それだけではないのだと、思っておりますので。……それで喋れますが、何か問題がありますか」
「いえいえ、問題なんて滅相もない。ただ、帝国語を喋れる人を探す必要がなくてよかったなーって」
キフィナスは笑顔を浮かべながら、執務室のテーブルの上に寝ている子どもを横たえた。
ステラはぎょっとした。
「彼は、ヘザーフロウ帝国の皇帝です」
「えっ……? ちょ、ちょっと待って? 何その、どういうこと!?」
「いやぁーー……、先に宣言しましたとおりー? 僕は帰ります。ごめんなさいね? いや、なんといいますか……、今日は冒険者をやる予定の日でして? というわけでこちらで失礼します後は頼みますごめんなさい!!」
「あ、こら! 待ちなさい! 説明なさい!!」
キフィナスは執務室の窓から逃げるように身を投げた。
「逃げやがったのだわ!?」
逃げるように、否、訂正。
逃げた。
「…………前言を撤回します。姉さま」
「……そうね。私も、彼のことを少し甘く見積もりすぎていたわ。慣れるわけないでしょう。クセが強すぎるでしょう! なんなの!?」
よし。とりあえず引継は終えた。
とりあえず帰って仮眠取って、ついでに何か冒険者らしいことをしよう。
でも冒険者らしいことってなんだろうな?
「きふぃは。めりがばかにされたら。どする?」
「え? なに突然。そんなの普通に人間として生まれたこと後悔させるけど」
「そゆこと」
何が? っていうかそれ何時の話? 誰? どこで? すぐやるから詳しい話聞かせてくれるかな。
絶対ボコボコにしてやる。




