力があること
夢を見た。
遠い過去。
辺境で暮らしていた夢。
最悪の夢見だった。
力があることは、この世界で最も尊ばれる資質だ。
社会の秩序や倫理に、力のあるなしという因子が大きく結びついている。弱者救済という概念が薄く、翻って社会が強者を利する仕組みを持っている。
冒険者ギルドを中心に形成されているものがそれだ。
この国には、複数の社会がある。
おおよそ真っ当な人間性というものが存在しないセツナさんがまだ討伐されていない理由は、ただ『相手を返り討ちにするくらい強いから』というシンプルな理由であるが、それだけではない。
大貴族の当主を殺したという罪は、あくまで『《貴族社会》における大罪』であって、この国全体での大罪には当たらない。
もちろん罪は罪だ。しかし少なくとも、国と貴族と冒険者ギルドと、全員が一丸となって全力でセツナさんを討伐しようとはしない程度には軽い。
「だからって暴力に躊躇いがなさすぎるんだよな……」
「ふ──来たでござるな、女遣いよ。くく、一日千秋の想いであったぞ?」
セツナさんは花咲くように微笑んだ。
透き通るような肌。絵画から浮き出てきたような美貌。道行く者は彼女の顔をもう一度見ようと振り返る。
でも容姿は暴力の前にはどうでもよかった。だいたいセツナさんの顔とか見慣れてるしね。
「な、なあ人斬りっ! 灰被りのヤツは来たんだし、俺たちはもう解放され──ぎゃあああッ!!」
「……我とこやつの間に口を挟むなッ!」
セツナさんは木棒を神速で抜き打ち、冒険者のひとの唇から薄皮を剥ぎ取った。
血は出ていない。だが、痛みだけはあるように斬ったのだろう。
「次は二寸踏み込む。顎から頬を裂く。生尽きるまで片手で頤を押さえ続けたいか? ……黙っていろ。座れ。動くな。殺すぞッ!!」
「いや人質解放してくださいよ」
「そうか。そうだな。おい、早く消えろ。何を座っている?貴様らにもう用はない」
セツナさんが僕が使ってるのと同じ棒で、スイっと冒険者の足下を払うと、厚い石畳に大きな裂け目ができた。
すごい武器だなぁ。僕が使ってたとは思えない。
人質のひとたちは茫々の体で逃げ出した。
「何やってるんですかね……」
「む? 異な事を問うでござるな女遣い。ぬしが官吏の真似事をしているから、手伝ってやったのであろ?」
「いや、あの。余計なトラブル起こしてくれやがったなこのひとって気持ちしかないんですけど。辺境人と冒険者のトラブルなんてそこまで珍しいことじゃないでしょ」
「そうだな。だから都合がよかった。ぬしが釣れたでござるからな。かまえ」
「かまえって言われましても……」
弟子のカナンくんとでも遊んでいてほしい。
カナンくんの命の危険がヤバいので口に出しはしなかったが、僕はそう思った。
「……む?」
すんすん、とセツナさんが鼻を鳴らす。
腕の振りで棒が僕の首に届く範囲に近寄らないでほしいという気持ちでいっぱいだった。
「雌犬の臭いがする」
……え?
なんですかそれ?
いや……、あの、何ですかその表情。こわ、え、なんか怖い。目が怖い。め、メリー助けて……。殺される……。
「かんしょうしない」
なんで……!?
今にも殺されそうなんですけど!? 心当たりとか絶無だし!
「途呆けるな。王都の夜霧に紛れる雌犬だ」
ん……? ああ、グレプヴァインの話か。
それなら、別に僕だって付けたくて付けたわけじゃない。会いたいかそうでないかと言われたら二度と会いたくないし僕の人生に一切関わって貰いたくないと思っている。
ただ、ちょうど今迷宮都市デロルにいるってだけで──あっやば。
「ほう?」
セツナさんが鯉口を切るように木棒に手を添えた。いつもの癖だ。
セツナさんの持つ刀は鯉口がとても緩い。というか、セツナさんの刀を垂直に立てようとすると鞘が落ちる。
何かあるとすぐ抜刀して人を斬るからだ。何かなくても斬ってる。
そんなセツナさんとグレプヴァインには、お互い危険人物らしく因縁がある。
僕らが王都にいた頃の話だ。
冒険者ギルドだって優良冒険者を手当たり次第に傷つける相手への対応は当然考えており、セツナさんへの懲罰として戦闘員のグレプヴァインに白羽の矢が立ったことがあった。
そうして、白銀の矢の撃ち手をセツナさんは撃退した。お互いに痛み分けだったらしいけどね。
しばらく静かでよかったです。
「今度こそ殺してやるとしよう。なあ?」
「えーと……」
……グレプヴァインを憎む気持ちはある。
でも、正直、勝手にやっててほしい。
僕の知らないとこでやりあってほしい。
その上で相討ちしてくれれば僕の人生における勝利条件である『のどかな春の日だまりのように穏やかな生活を営む』に二歩分は近づく。
是非やりあってほしい。ちょっとやってきてください。
「我を連れ立てよ」
え? いやでも、僕の目の前で殺し合うのは勘弁してほしいっていうか……。
「場所は伝えるのでセツナさんだけで行ってくれませんか? セツナさんがあいつとぶっ殺し合うのはむしろ望むところなんですけど。なんて言えばいいのかな……、その。
僕はセツナさんと一緒にいるのが嫌です」
セツナさんが木棒に手を添えた。
「今すぐ行きましょう。僕はセツナさんと一緒にいたい気持ちになりました」
「ふふン? 面映ゆいことを言うではないか」
・・・
・・
・
冒険者ギルド。
何やらぶ厚い金属製に新調された裏口の戸には、『関係者以外立ち入り禁止!!!!』とデカデカと書かれている。
ドアノブを押しても引いてもびくともしない。
「あっダメっぽいですね帰りま」
セツナさんは扉を四角にくりぬいた。
僕はぎょっとした表情のレベッカさんと目が合った。
「ついに襲撃かッ!?」
叫ぶレベッカさんが壁に掛けられた斧を構えた。
どうしよう。
おおむね間違ってない。
「ええとですね、これには事情が──」
「命が惜しくばあの雌犬を出せ」
八つ裂きにされた斧の刃が地面にカラカラと落ちる。
そこで初めて、僕はセツナさんが既に棒きれを振り抜いていたことに気づいた。
まずい、まずいまずいまずい……! ギルド職員相手への暴力行為が確定した……!!
いやいやいやいや違うんです違うんですよ僕はただセツナさんに同行していただけで別に僕発案とかそういうわけではなくてまあちょっと二人で潰し合ってもいいかなみたいな気持ちがなかったとは言いませんけどあくまで不可抗力でしてだからえっと違くてちが──え?
身体が、うごか、な……。
「なんだそのふざけたポーズ! 『違う』っていよいよ言い逃れきかない現行犯だろ!!」
「違っ、ほんとに身体が動かないんですって!!」
「《影縫い》だ」
──僕は両手を上げて片足を持ち上げた体勢のまま視線だけを動かす。
すると、僕の影に銀の矢が突き刺さっていた。
……黒のレインコート、創傷面の女。
「君を射止めることは容易い。セツナを嗾けるのは君の常套手段だったな、キフィナス」
……違う。
あんたに言われたくない。
「何とも懐かしい顔ぶれだが……、ここは物が壊れる。場所を変えるぞ、セツナ」
「クク。知らんな。なぜ我が貴様の都合に合わせねばならん?」
「合わせるさ。合わせなければならない。もし戦闘で私の手許が少し狂えば。流れ矢がキフィナスの脳天を貫いてしまうからな」
──心臓をぐっと握られたようなプレッシャーに、僕の汗腺は狂ったように冷たい汗を噴き出した。
背骨にナイフを突き立てられる感覚。燻された鉄火場の空気が鼻を掠める。ここが冒険者ギルド、都市の真ん中でなければ、物理的な意味で矢のひとつでも掠めていたかもしれない。
……グレプヴァインは、僕の頭蓋骨に穴を開けることを躊躇しない。
「セツナ。今の君は剣を持っていない。そんな粗末な得物で、動けないキフィナスを守りながら私を討てるか?」
「…………貴様は、今日、殺す……!!」
ゆらりと、セツナさんの歩法が変わった。
陽炎のように揺らめき、その姿を瞳に映さない。というか首が動かなくて物理的に見えない。
そして──暴風が吹いた。
「きゃあああああっ!!」
机が舞った。棚がひっくり返った。冒険者ギルドの職員が叫んだ。
いや、あるいはこの悲鳴は僕だったかもしれない。動けない中で、致命の刃が幾千幾万回翻っていると考えるのは恐怖しかない。
鎌風隼。
吹き荒ぶ暴風に身を変える、セツナさんの烈剣だ。
冒険者ギルドの事務室は──もう、めちゃくちゃに荒れている。
「……ッ! 挑発をしすぎたか! 少し席を外す! 事情は、キフィナスから聞いておくようにッ!」
レインコートの端を裂きながら、グレプヴァインが地面に顎先を掠めるほどに低い姿勢で駆ける。
「はい! ボコボコにします!」
「やめてください! 僕は違います!」
「おらっメリスさんをこんな稚拙な犯行計画に付きあわせンなッ!」
違うんで──あー、それは、うん。
そうですね、僕もそれは本当にそう思う……!
やるならもっと上手くやりますよね。
・・・
・・
・
弁明に弁明を重ねた。
冒険者ギルドが閉まった後も、朝まで僕は喋り続けた。舌がちぎれるくらい喋った。
結局二人とも戻ってこなかった。まあそれは正直どうでもいいとして。
なんとか罰金刑で済んだ。
「く、くず…………!!!!」
僕がメリーの財布からお金を出したときのレベッカさんの顔が忘れられない。
「ねむい。ねむすぎる……」
陽射しがまぶしい。
適応を進めた冒険者の新陳代謝は薄くなるので、この眠気はつくづく僕が冒険者に向いていないことを示していると言える。
朝の迷宮都市デロル。
まだ店が開いていない、無許可営業の露天商たちも幌を屋台に掛けて準備の最中だ。
表通りにいつもの賑やかさはない。
だからこうしてふらふら歩いて、メリーの手を取りながらくるっと踊ってみたりなんかしても、僕に奇異の目を向ける相手はいないわけです。
「一つ先の通りを曲がれば宿屋だけどー……ここはその手前で曲がってみたりなんかして?」
「ん。ついてく」
徹夜で僕のテンションは少し変だった。
ふらふら~っと歩いて……わっ!
「いたた……、あ、すみません。大丈夫ですか?」
人にぶつかってしまった。
相手は……あ、昨日セツナさんに人質に取られてた人だ。
大丈夫ですか? 僕は繰り返した。
「△△□×××■■□○●○」
え、なんて?
「ていこくご」
帝国語? ああ……。例の帝国の難民かな。
ウチにも来たのか。王都だけで受け入れてればいいのに……いや、まあ大都市だし来るか。
ええとどうするかな……帝国語はあまり得意じゃないんだけど。
具体的には『死にたくなきゃやめろ』と『僕らに構うな』しか使えない。
うん。異文化交流にはあまりにも向いていない手札だな。
「●○××△▼▼▼~!!」
あれ? なんか怒ってる?
足下の石を僕に向かって投げようとして──あっメリーまでなんか怒って──やばいどうしよええとええと──そうだ!
「『死にたくなきゃやめろ』」
よし!
僕の異文化コミュニケーション能力が最高に役立った瞬間だった。




