アイリーンさん厄介なんですけど……/高貴なる亡命者
「ダメになった服がこれで15枚かぁ……」
アイリーンさんは予想よりずっと厄介だった。
ステラ様とシア様はアイリーンさんと面識がある。
彼女は僕らが王都に向かってる間に、なんか邪神像みたいな造形の僕をご本尊とする謎のテロ組織みたいなのを作っていて、王都タイレリアキチガイ冒険者ランキングで毎年五指にランクインしてたセツナさんの仲間をしていて同志とか呼んでる始末だ。
テロ(未遂)組織の解体のため、僕の名誉とかを賭けて皆さんで協議をしてたことがある。
まあ、僕はいち早く逃げ出したわけだけど、対話を重ねていくうち、お二人もアイリーンさんという女性がナニモノなのか理解したのだろう。
ええ、はい。
だから、僕がそんな彼女を「洗濯係です」とか言って引っ張ってきた時の視線といったら……。
「マジなの?」とステラ様には狼狽した目で訊ねられ、
「……お前は悪意があるのですか」とシア様には失望を伴った目を向けられた。
ともすれば魔眼が発動していたかもしれない。
もちろん、僕自身ためらいがあった。僕もマジなの?って思うし、悪意あるのかな?って思う。当然、この人連れてきて大丈夫かなって感覚は僕にだってある。
でもセツナさんを呼ばれると話が2倍3倍にややこしくなって危険性は10倍20倍にと膨れ上がるんだから仕方なくない? ないでしょ。ないよね。ない。
だってセツナさん話を聞くやいなやとりあえず『下女の真似はせん』とか言って殺してきそうだし。そんな真似させる気ないですけどね。できるとも思ってないし。で、僕が『セツナさんにはそんなの無理でしょ。笑える』って自分の気持ちを正直に言ったらやっぱりまあ殺してくるだろうし、たとえば仮に、もし、万が一、天地がひっくり返ったり謎の何かが働いたりしてお屋敷づとめにノリノリだった時が大量刃傷殺害事件発生という時限式爆弾を抱え込むことになるので一番やばい。
僕作成・脳内限定公開《世界激ヤバ人間ランキング》に常にトップ層に位置し続けているランカーだ。
しかし、アイリーンさんは、本気で善意から『器用さと素早さが必要ならセツナさんを紹介してあげよう』と提案をした。そこには、害意も敵意も悪意もなかった。
でも当然僕には、そういうの、ほんと、やめて……!という気持ちしかないわけで……。一般的に人は連続快楽戦闘狂殺人鬼巫女とのエンカウントは恐れるわけで……。僕はうららかな春の日のような毎日を送りたいわけで……。
……だから、まあ、アイリーンさんは十分に僕を困らせてくれた以上、彼女を苦役に放り込んでも釣り合いは取れているだろう……。
そういうわけで、僕はアイリーンさんを洗濯係にするという選択をした。
したんだけど……。
「愛ですっ♪」
僕は今もなお困っている。
アイリーンさんは、持ち前の明るさと距離の近さで、どんどん多くの人と打ち解けている。メリーにもその辺見習ってほしい。
彼女が声をかけるのは老若男女を問わない。誰に対しても、さながら親しい友人のように距離感が近くすぐに親しくなる。メリーにもある程度見習ってほしい。
新人(と言ってもそんなに差はないんだけど)が、職場の人間関係の中に混ざっていくにあたって、まあそういうのって理想的な態度だと言える。しかし、僕はそれに苦い顔をする。
なにせ──。
「愛のひとはすごいのですよ? なにせ──」
なにせ、『なにせ』から始まる誇張劇がひどい。『滅私の聖人』『子どもたちの守り手』『世紀末救世主』って誰のことを言っているんだ。
隙あらば僕を高いところまで持ち上げる陽口(陰口の逆。いま作った)があまりにも聞くに耐えないので、僕は廊下とかを耳を塞いで通り抜けなければならなくなった。
で、彼女はどうも何やら事あるごとに僕を持ち上げているらしく、僕は家中から好奇と疑念の眼差しを向けられることになった。
割と前からそうだったけど……その目線の質が大きく変わっているのを感じて、本当に居心地が悪い。
「よい」
何がいいんだいメリー。
高いところから落とされれば衝撃はより大きくなるよね。物理学の法則で重力加速度は……ええと、この世界だと曖昧だけどさ。
必要以上に持ち上げられても僕は困ってしまうよね。いやそもそも持ち上げる必要すらないんだけど。僕は二足歩行なので常に地に足を着けていたい。
はぁー……、まるで他の人と積極的におしゃべりをするタイプのメリーが増えたみたいだ。ん、いやそれって普通に喜ばしいことのような……。いやでも僕の評価が過剰で空虚だからいちいち精神的被害を受けているしそもそもアイリーンさんは別にメリーでも何でもない。それに、個人に別の誰かを重ねるのはあまり行儀の良いことではない。その人は、その人だ。
ああもう、思考がぐるぐる回るなぁ……。回さざるを得ない。
ほんっと厄介な……。
「キフィナス氏」
ん──ああ、ビリーさん。
どうしましたか?
「……新しく洗濯係となった、アイリーン嬢の件で、確認したいことがある」
えー、何か?
服を紛失・破損する件なら、その度ごとに補償金を出してるはずですが。
アイリーンさんの給金から。
「着古した服を身につけ、あえて彼女に破いてもらおうとする輩が何人か見受けられるようだな」
ええ。いつの間にか、破く側と破かれる側とでお互いにウィンーウィンの関係が築かれていた。
どうもアイリーンさんは『ご恩返しですっ、お賃金はいただけません』とかいう気持ちがあるらしく……アイリーンさんに渡されるべきお金が同僚に動くことを歓迎している節があり……同僚たちもそれを歓迎している……。
「あまり健全ではあるまいよ」
んー、えーと、ビリーさんはそう思います? そう思うなら、まあ、そうなんだろうなぁ……。
実のところ僕は、なんか珍しいなーって思いつつ、それもお金ってものが持ってるらしい効力を発揮する仕組みなのかなぁと納得していた。
人間関係を少々のお金で円滑にできるって便利だ。役人のひとにちょっと多くのお金を握ってもらう代わりに感謝の気持ちを表明してもらうこととそう変わらない気がする。一般的にそれは賄賂って言うんだけど、この世界では多少の賄賂を現場の人間の取り分として事実上認めている。
「まあ、そうですね。勤務態度を評価するにあたって、服装の乱れも評価の対象としましょうか」
僕の服はというと、インちゃんのお陰でシワひとつない、パリっとした着こなしなのだった。
まあなんというか僕が有利なので話題に出した。領主様のお召し物と使用人の身の皮は当然分けて洗濯されるものだ。後者の服はつまるところ作業着なので、値段だって当然一般庶民より高価いとはいえタカがしれている。だから、服装は意識の差になる。
今のロールレア家には、家柄のはっきりした忠臣よりも一山当てようと動いたヤマ師の方が多い。
人というのはどうも、これから得られるであろう中長期的な利益よりもすぐ目先の利益に飛びつきやすい。
「嘆かわしいことだ。……しかし、私が言いたいのはそこではない」
おや?
「彼女は、旧ロールレア邸爆破事件の参考人ではないのか?」
──鋭い。
いや、真相はぜんっぜん違うけど。
あの爆破事件は先代当主様の炭クズが主犯の言わば自作自演事件で、アイリーンさんはその機に乗じて動いた市民集団だ。
まあでも、たぶんアイリーンさんには機に乗じたとかいう意識はない。『僕の無念を晴らす』とかなんとか、なんか意味のわからない理屈で動いていたけど、そもそもあの集団に勝利条件は存在せず、集団を組織することの具体的な目的とかもなかった。
だからたぶん、一歩間違えればただの暴徒の群れになっていただろう。セツナさんはそれを望んでたフシがあるんだよな……。
そんな思考を頭の隅に追いやって、
「ビリーさんも覚えておいででしたか」
と僕はあたかも傍観者だったように相槌を打った。
「邪神像を掲げた可憐な女性が二等市民以下を扇動している姿はそうそう忘れまい」
「ええ。僕も……まあ、頭を抱えましたね」
主にその邪神像のモデルが僕だったってところとかね。
「アイリーン嬢は明朗闊達で心優しい女性だ。しかし、彼女にはそのような過去がある。更には、それを知っていて、彼女と親しくする者もいるようだ」
人事権を持つ僕に対し、ビリーさんは疑念を口にする。
僕は意味深長に笑い──。
「それでは──そんな彼女がこの家で勤めていることの意味を考えてみてください」
そんな、適当なことを言った。
「お館様は、寛大な器量と人徳を兼ね備えているということ……? あるいは領内の不穏分子の洗い出し……爆破の原因は未だ開示されていない……あの解雇劇は……?」
ビリーさんは形のいい顎に手を当て、ぶつぶつと思考に耽溺している。
……よし。引っかかってくれたようだ。
そう──特に、意味はないのだ。
なんか突然絡まれて、人員に空きがあったから補充した。
それだけ。
アイリーンさんには妙なカリスマ性があるけど、別にそれは何か結託して悪巧みに向かわせるようなものじゃない。
「……あの可憐な、アイリーン嬢の役割は……」
そんなものないですけど?
何やら思考の大迷宮に入っているその姿を見て、僕はけらけら笑いながら懐中時計(なんかシア様から貰った)を眺めると──ん?あれ? あ、やばい。冒険者ギルドとの協議に遅刻しそう。
僕はぐるぐると見当外れな方向に思考を巡らせているであろうビリーさんに出かける旨声をかける。
「では、僕はこの辺りで失礼しますが。ただひとつ言えることはですね。ステラ様もシア様も、支えた──……仕えたいと思えるに足る、立派なひとたちですよ」
「……キフィナス氏。私には、あなたの言葉はいつも空虚なものに映る。相手を惑わし、欺き、真実を灰煙に捲き──しかし、その言葉だけは信じさせてもらいたいものだ」
僕はけらけら笑いながら、もう急いでもギルドの会合には間に合わないだろうからと屋台のごはんを食べた。
そんなにおいしくなかった。
タイレリア王国の問題は、大小を問わず王都に集約される。
数年ほど前に活動を止めているはずの外交飛脚人が地方都市・ダルア領で目撃されていた件も、当然例外ではない。
「王家の威光が軽んじられている!」
新生タイレル城・金剛石の円卓にて。
今日も若き騎士たちが、政務官の真似事をしている。
レスターは彼らを冷ややかに見つめる。
(王家の威光なんてものは、この国にはもう存在しないだろう。大方、またあいつがやらかしたな)
冒険者にして近衛騎士のレスターは、その犯人に心当たりがあった。
合理と非合理、情と非情、正義と非義。時と場合でどちらにも傾ぐ、白と黒では塗り分けられない存在──愉快な灰色の友人だ。
「職業騙りはタイレル大法典にも罪と認められるところで──」
「地方領主の手によるものか」
「我らが武力の示威が必要なのでは──」
若き騎士たちの血気逸る議論を前に、騎士団長エーリッヒ・マオーリアはただ沈黙を保っている。
腰に佩いた剣だけが、カタカタと音を鳴らしていた。
(団長殿は、相変わらず無関心と見える)
レスターは考える。
我らが近衛騎士団長殿は、いまこの場に集まっている連中を、部下だとは認めていないのかもしれない。
ただ、王都タイレリアを覆う悪徳を払うための道具に過ぎないのだと。
そしてそんな態度を受け、騎士たちは功を稼ごうとするのだろうと。
(まあ、俺には関係がない)
どうせ、この騎士どもも団長殿に一喝されるのだ。
レスターにとって重要なのは、寝所に臥せっている──それでも眠ることのできない──タイレル王家の正統なる王胤──リコ姫だ。
(そして、姫様に出会わせてくれたあいつには恩がある)
あいつは知恵が回るくせに詰めが甘いところがある。
目先の目的を達成するために、どう考えても合理的とは言い難い選択をすることがある。
そして、そんな愚かな選択をしたこと、それ自体を楽しんでいるような──そんな愉快な奴だ。
「諸君。発言してもよろしいかな?」
レスターがひらひらと手を上げ、被疑者の便宜を図ろうとすると──、
「大変ですッ!!!!」
戸を破壊するような勢いで、一人の騎士が足を大きくもつれさせながら駆け込んできた。
「ヘザーフロウ──帝国からの亡命者です!!」
その声に続き、一人の少年が悠然と入室する。
まだ幼き顔立ちは、しかして精悍であった。
少年は、タイレル王国の騎士たちに向けて、
「余は、ハインリヒ=ルドルフ・レ・エーリカ・ハイダクラウト。……ハイダクラウトブルーメ帝国、皇帝だ」
まだ声変わりのしていないながら、堂々とした声で、
「余の国は、一夜にして滅んだ。ついては──生き残った2万3000の臣民へ、貴国の援助を希望する」
急を告げた。




