僕は人望が少ない
害意には害意を以て。
敵意には敵意を以て。
悪意には悪意を以て。
僕は、他人に対してそういう風につきあってきた。
僕には、人よりできないことがずっと多い。
スキルだのステータスだの魔術だの、この世界での常識が、僕にはまるで理解ができない。
まあ、そんなこと今更言ってもどうしようもないことなんだけど──何より僕には人望がない……というか、知り合いが少ない。
いや別に、世界中の誰とでも友達になったりとか、そういう不可能を望んでいるわけじゃない。世界中の人間で輪になって手を繋いでる中に混ぜてもらうより、手を繋いで動きが不自由になってる皆様方をすり抜けて自由でいたいって気持ちはある。
人間関係を管理できるキャパシティって人それぞれに違ってて、多分僕はそれが人より狭いんだろうな、ということはひしひしと感じている。
これまでは、別にそれで問題が起こるわけじゃなかった。
それでもいいかなって気持ちがあった。
僕の隣にはメリーがいるから。
でも、そんなことを考えていたツケを今払わされている。
「お困りの波動を感じました、愛の人っ。だから──来ちゃいました♪」
「帰ってください」
僕はいま、スリット入ったシスター服の人と対面している。
アイリーンさん……、迷宮都市デロルに生息している都市内で出会うタイプの魔獣だ。
なんか突然僕の宿屋に来た。夕暮れ、晩ご飯前に来やがった。
「ええと……アイリーンさん?」
「アイリですっ♪」
「アイリーンさん」
「アイリです♪」
「アイリーンさん」
「アイリっ♪」
僕は真っ正面にある顔から目を逸らした。
距離が近いんだよこのひと……なにやら甘酸っぱい匂いが髪とかからするんだけど、本当に至近距離まで近づくから否が応でも反応してしまうし。何考えてるかわっかんなくてほんと苦手だ……。僕はメリーをくっつけながら思った。
いやまあ……困っているかいないかで言えば、まあ、困っていなくはないんだけども。
──新しい洗濯係を用意する。
ステラ様とシア様から貰った新しいミッションは、実のところ僕にとって結構悩ましいものだった。
一日目。「まあ任せてくださいよ」と言った。
声かけてみたけどダメだった。
二日目。「大した問題ありません」と言った。
とか言いつつ進んでなかった。
三日目。「臨時洗濯係のレディさん結構頑張ってますよね」と言った。
もう色々うやむやにして臨時の人をそのまま正式採用すりゃいいんじゃないかなと思った。
四日目。すなわち今日。
臨時洗濯係レディ・バードの窃盗癖が明らかになった。
僕は頭を抱えた。
「お困りですよね? お困りの波動をひしひしと感じますものっ」
波動ってなに……? あの、え、怖い。ぐいぐい来ないでくださ、や、やめっ。ぺたぺた頬を触ってくるアイリーンさんから、僕はメリーを抱きしめつつ距離を取った。
だいたい、あなた救貧院で働いてるんじゃなかったんですか?
「はい。でも、愛の人がお困りですので。それなら、わたくしは何を置いてもあなたさまを優先するのです」
なんで……?
「あなたさまが、お困りだからです」
……ええと、わからない。
なんでメリーはこくこくと頷いてるのかな。
あー…………、ええと、その。
僕はむずがゆさを感じた頭を掻きながら、
「やっぱりお帰りください」
と断ることにした。
というのも──洗濯というのは、何のかんので結構な重労働だ。
ダンジョン内にあった地球の歴史では、洗濯機とかいう魔道具?を開発して社会進出とかが大きく進んだらしいけど、実際に動いているものを見たことがないのでよくわからない。なんか?箱の中で回して?水の渦とか作るらしい。
魔術で渦を作るまではいけるだろうけど、その渦に衣類放り込めば全部解決、というわけにもいかないだろう。
扱いを違えればダメになる服はいくらでもある。《スキル》で作られたものとはいえ、そんなに頑丈にできてるものばかりじゃない。
洗濯って結構大変なのだ。
領主はもちろん、そこの寮を使ってる使用人の衣類なんかも洗うので結構枚数が多い。洗濯物が多ければ多いほど、洗うための水量は多くなって、水ってば重たい。
水属性の魔術や魔道具なんかを便利に使えばその辺は解決しないこともないけど、オークなんかの魔獣の脂で作られた粉石鹸で衣類を洗う行程は、当然手作業だ。朝から夕暮れ時まで作業するなんてことは珍しくもない。その上、手が荒れる。僕は毎日洗濯してくれるインちゃんにユニコーンの角の粉末を使った軟膏を渡している。
だからもし、仮にあのダンジョンからちゃんと動く洗濯機を持ち出すことができていたら、《迷宮資源》認定されるんじゃないかなぁ。
そんなこと考えるくらい大変な作業で……まあ、その、なんだろう。
「アイリーンさんの手を煩わせるようなことは、一切ありません」
──『僕のため』って動いてくれる人に、押しつけたくはないなぁ、と思ってしまった。
彼女が僕を慕ってくれる理由が全然わからないし、なんかそれ逆に怖いんだけどさ。
「これでも僕、なんか結構偉いらしいですよ? だから、あなたは……」
「はい。ご出世、おめでとうございますっ♪」
なんか食い気味に祝われた。別に祝って欲しいわけじゃない。
官僚型組織には上と下とがある。申し訳ないけど、僕はなんか上なので、下の人を重作業にほっぽり出せてしまう。洗濯の話だ。
で、下の人は下の人で面白くないから、袖からほつれた絹糸をひっぱり集めてくすねたり、当て布をポケットに仕舞ったりする。レディさんが袖を少しずつ切っていたのも酌量の余地はあるというわけだ。
そしてその点で言うなら、トレーシーさんの勤務態度はとても良好だったんだよな。
彼女がいなくなったから、僕がやろうって話だったんだけど……、なんか、シア様が許してくれないしさ。
まったく我ながら、ほんとおかしな話なんだけど。
歴史ある旧家の使用人連中を全とっかえするより、政策立案と称して思いつきと嫌みを思いつくだけ並べたり、ふんぞり返った貴族様とその領地に混乱を引き起こすより、
こんなちっぽけな問題の方が、ずっと解決が困難だったりする。
害意でも、敵意でも、悪意でもなく。
僕のために動いてくれる人に、損とかしてほしくないしさ。
「そういうわけなので、お帰りくださ──」
「めり。やる」
は? なんだい突然。
いやいや無理でしょ。洗濯板は割れるし服は裂けるし下手すると仮設の石造りのお屋敷すら砕けるよ。
それに、君は別に、僕につきあって誰かに従ったりとかしなくていいんだよ。
「やる」
そう言って、メリーはいつものように壁とか床とか破壊しながら高速で移動し、僕らの部屋にてきちんと畳まれていたであろう、インちゃんによって洗いたてられた僕のシャツを持ってきた。
既に引き裂けてた。
「……ええと、メリー?」
「…………。きれる。きてもよい」
着ません。着れません。
もう原型を留めてないじゃないか。
あーあー酷いな……。ほら、羽織ってみたけど布面積より肌面積の方が絶対多いよね?
「せくしーですねっ♡」
「ん。よい」
何言ってんだこの人。メリーも何言ってるの。
……ああもう、ほら。アイリーンさんも大概不器用だって僕知ってますからね。
まあ、今シャツが布製のゴミに変わりましたけど、僕らでいくらでもなんとかできるので、早くお帰りくださいよ。
そろそろ晩飯時なんです。準備とかしてないので──。
「あれ? お兄、玄関でお友達と立ちばなし……? ……また女のひとなんですか?」
お母さんの手伝いをしていたインちゃんが台所の方から現れて、じとっとした目で見てきた。
「はいっ。はじめまして。アイリーンと申します。アイリ、とお呼びください♪」
「あ、はい。わたし、インディーカって言います。お兄……キフィナスさんとかからは、インって呼ばれてます」
「まあっ♪ 仲良しさんなんですね。愛ですねっ♡」
「あ、愛……!」
インちゃんは顔を真っ赤にした。
「今日はですね、そこの愛の人が、困っているようなので──」
「困ってることとかないよ」
僕は食い気味にごまかした。
その声に反応したインちゃんが、僕を上から下にじー…っと点検するように視線を動かす。
僕は目を逸らした。
「……やっぱり。そうじゃないかって思ってたんですよ、おにぃ」
さあ。何のことだかわかりません。
夕食の準備をスメラダさんとしてきてくださいね、インちゃん。
「しますケド……、おにい、あとでおはなし聞かせてくださいよ」
はい。今日も休み時間にメリーとダンジョンを冒険したので、その話をしてあげますよ。
「え?嬉しいっ! ……けど、ソッチじゃないですから」
はいはい。後で後で。
僕は不満げなインちゃんを見送り、アイリーンさんに向き直る。
「余計なお節介はやめてください。僕は困ってなんかいないですし、器用で動きが早い人を求めてるんですよ」
「なるほど……、あ! 同志セツナがよかったですかっ!? じゃあ今から紹介を──」
「すみませんやめてください本当にやめてください明日からよろしくおねがいします」
僕は流された。
害意には害意。敵意には敵意。悪意には悪意。
だけど……善意には、どう返せばいいんだろうか。




