弱者の戦法
狂った心臓が、胸をひたすらに叩いていた。
「──ッ! ふッ……!」
カナンは冒険者狩りの男と対峙する。
お互いの得物は斧だ。カナンは柄の短い手斧を、男は長斧を構えている。
斧は一撃に威力を乗せやすい武器のため、駆け出しの冒険者に人気がある。
(直接ぶつかり合ったら、多分オレじゃ勝てない。オレのSTRは高くない……らしいし、体格あっちが大きい)
冒険者ギルドでは、新人にこう教えている。
──《適応》が十分でない冒険者は、魔獣の爪牙に攻撃を合わせてはならない。
相手の衝撃のピークに一撃をぶつければ、膂力の差によって肉体諸共に武器を破損してしまうためだ。
(なにより……オレは、大人が怖い)
「テメェのせいで……、全部めちゃくちゃなんだよ……!」
身勝手な男の言葉に、カナンは言葉を返すこともできず、相手の姿をしっかりと見据えることもできない。
恐怖があった。カナンの過去──局外者の幼児として、道行く大人に媚を売り、暴力を受けていた日々が、カナンの手足を縛っている。
「テメエさえいなきゃあ、ダニーも、ティックも、マイトも! テメエさえいなきゃああああああああああッ!!」
(『死』が、来るッ……!!)
「《パワアアアッ・スマイト》ォッ!!」
声を受けて、背の低いカナンは咄嗟に屈んだ。それは恐怖から来る逃避であった。
激昂の元に振るわれた長斧は、大振りの横薙ぎだった。
両者の思惑は運良く噛み合った。
──ぶおん、と。
生暖かな風が、カナンの頭上に凪いだ。
(……かわ、せた?)
「ああああたああれえええよおおおお!! テメエがいなきゃ、いなくならゃよおおおおお!! 俺は、おれだけはよおおお!」
──恐怖と怒りがない混ざった狂気。
カナンはそこに、かつての自分を脅かしていた幾多の大人たちを見て、足が震え──、
(……そうだ)
──あの日。カナンが救われた日。
カナンに青空をくれた人は、こんな風に震えていた。
一緒にダンジョンに潜った時だって、やっぱり震えていた。
痛いのも怖いのも嫌いだと言って、どれだけ喋るんだって呆れるくらい文句ばかり言って──。
(……それでも、アニキは笑いながら、とんでもないコトばっかすんだよな)
震えているのは、オレも同じだ。
体の震えを──カナンは己の友とした!
斧を振るう相手を、カナンは見据える。
膂力と《スキル》の力に任せた一振りは、カナンのそれより速い。一撃の破壊力もあるだろう。
「──だけど、それだけだ」
カナンは、もっと速くて、もっと鋭くて、もっと恐ろしい──人斬りセツナの斬撃を幾度も目にしているのだ。
「《ロック・クラッシュ》ァ!!」
「それに、合図まである……!」
振るわれる斧を避け、カナンは一歩、相手に近づく。
ゆらり、ゆらりと、誘われるような浮ついた足取りだ。
「くくッ。なんと無様な闘いか。我が首を落とさんとすれば、いずれも既に億回はくだらぬぞ?」
不甲斐ない弟子を見て、人斬り剣鬼が嗤う。
「くだらぬ、くだらぬ……くくくっ」
しかしカナンの表情は、己が命と対峙する者のそれだ。
死地に立ち、魂魄を研磨するもののそれだ。
首から下はいらないが、その頭だけは残してやらんこともない。セツナは気まぐれにそう考えた。
「がああああああっ!!《スマイト》ッ!!《バッシュ》ッ!!!」
一歩ずつ。
左右に斧が振るわれるたび、カナンは歩を進める。
「死ねッ死ね死ね! 死ねよおおおお!!」
右に左に、吹きつける暴風雨のように振るわれる戦斧の鈍刃。
《スキル》は熟練の戦士の一撃を模倣するが、その動きは決まりきった一定の動きとなる。
故に、その武威は大なれど、振るわれる軌道は単調だ。
此処に至りて、カナンは相手が自分と同じ──弱者の側であることに気がついた。
しかし、このままでは勝てない。
カナンの方が力は弱く、《スキル》を扱う技量もない。
だが──弱者には、弱者なりの闘い方がある。カナンはそれをよく知っている。
「オッサン。いいこと教えてやるよ。オレ、背ちっちゃいからさ。横に振っても当たらないぜ?」
「あああッ!?」
相対するカナンの言葉に、頭に上った血で逆上せた男は逆上した。
感情的な反発と合理の理解がない混ざり、一瞬、思考にノイズが走る。
そしてスキルではない唐竹振りの一撃を叩き込まんと、凶刃を振りかぶる相手!
(かかったッ!)
一呼吸……技の立ち上がりは、一呼吸分、確かに遅れた!
その刹那、地を舐めるような低い姿勢でカナンは駆け──!
「がら空きだっ!!」
斧を振り上げた隙だらけの胴体に、手斧の一撃が炸裂した!
ちょっとした確認を終えた後、メリーと一緒にたらたら街を歩いていた。
この街に見るべきところはない。箒を突き刺して看板のようにしている酒の出る宿屋、ぽつぽつと軒に立つ行商人。
噂話以上の特産品のない、陰気で小さな街だ。
しかし、貧しさを感じさせる街並みの中で、その屋敷だけは大きく目立った。
「こーんにっちはー」
僕はひときわ大きな屋敷のドアベルをガッチャンガッチャン鳴らす。
偉さと大きさはだいたい比例の関係にあるので、鼻持ちならない偉い人に会いたい時は大きな建物を目指すといい。
火炎瓶とかもセットだとなおよし。
「何用ですか?」
あ、なんか整った顔立ちのメイドさんが出てきた。まあメリーの方が普通に上だけど。
接客を担当するパーラーは、同じ貴族様相手に見せびらかし合うものなので、見た目がいいことが多い。まったくバカバカしい話なんだけど、貴族同士だと顔を会わせてお喋りする時間より、待たせる時間の方が長い。接触時間が一番長いというのもあって、その家の顔を示すものとして認識されたりもする役割だ。
……灰髪の冒険者風情に接客係をやらせる領地は、普通、ない。
「いやー、急な用事がありまして。ご当主の、えーっと、フェルドラ……フェ……ええと、フェルディナンド・ディ・シ・ドーレン……えー、ソ・ダルア子爵?に。お会いしたいなって」
僕は打ち捨てられた看板でカンニングしながら言った。
「……?」
看板を見て首を傾げている。
ああ、これですか? この街の誰もいらないようだから、僕が持ち帰ったんですよ。ほんと、貴族様の名前って長くて覚えづらいからすごい困る。
とはいえ、使い終わったら別にいらないので、帰ったらステラ様にあげよう。まあゴミだけど、なんかステラ様は錬金術の研究と称していつもゴミばかり集めてるし、気に入る可能性はゼロじゃないと見ている。けして分のいい賭けじゃないが、試してみる価値はあると見た。
仮にステラ様がいらないとしても僕はこれを渡す。これを持ってくることになったのは貴族様のお名前が長いことに起因するので、ステラ様にも責任はあると思った。もっと短くていいでしょ。1/10でいいよ。
「どこの誰かは存じ上げませんが、旦那様にお目通りを希望されるならば──」
「えー、やだなー。めんどくさいのでとっとと通してくださいー。あー、こう言えばわかりますかね?
──デロル領から来ました。対戦よろしくお願いします」
メイドさんの顔は真っ青になった。
僕はけらけら笑った。
「して。何用かね、灰髪の、人喰い領地の使いよ」
豪奢な調度品がいっぱいの部屋で、頬杖をついて僕に話しかける成人男性。銀縁の眼鏡を掛けた、神経質そうな男だ。
この人がフェル……なんとかさんですね。
はじめまして。お初にお目にかかります。デロルの方から来ました。
僕は看板を見ながら言った。
「……ロールレアは道化師を飼ったのか? 穢れた家に相応しいな」
あ、メリーはストップで。これはただの挨拶です。遺恨が残るタイプの挨拶だ。
「いやまったく。その見方には同意できますねー。僕のような人間を雇うべきじゃない。歴史を捨てるに等しい行為だ」
だから、穢れた家とか言われる筋合いはもう消滅したって言えるんじゃないかな。
「フン。そんなものは、知ったことか。貴様らの動向など、俺の知るところではない」
「でも、ご存じでしたよねえ? あなたは、ウチの領地になぜだかご執心だ。でなければ──灰色の髪の男が、ロールレア家の関係者だなんて思うはずがない」
「……噂で聞いただけだ。人喰い領地の幼き愚かな姉妹に寄生する灰色の虱がいるとな」
メリーさん止まっててね。ほんとに。
「なるほどー? じゃあ、新規採用した使用人のうち、ダルア出身の何人かいた件についてはー。どのようにお考えですー? あれかな、隣のウチの方が魅力的に見えたのかなぁー? だって何もないですもんねーー、ここ」
僕はけらけら笑った。
「けらけら、けたけたけた。領民逃げ出す痩せた土地、栄えているのは屋敷だけだ。だから隣の領地に興味を持ったのかなぁ?」
「……っ」
フェなんとかは苦虫を噛み潰したような表情だ。
否定すれば認めたことになる。肯定はプライドが許さない。自縄自縛の二重拘束だ。
「で、それを踏まえて。そのうちのおひとり……そっちの四等市民の方がー。あなたのところの間者だって話が出てるんですけどー。どう思いますー?」
「……知るか。お前たちの自作自演だろう。俺の領地への敵意で、再編成した家を纏めようとした」
おお、そこは正しい。
仮にスパイっぽい人が見つからなくても、僕は誰か一人、素性が怪しい奴をダルア領のスパイってことにして追放してた。
「自作自演とは面白い見方ですね。じゃあ、四等市民の方がどうなってもいいと?」
「焼かれようが凍らされようが知ったことか。四等市民に価値はない」
……へえ。
価値はない、そう来たか。
「お前たちが、このダルア領に、ドーレン家に嫌疑を擦り付けようとしていたに過ぎん」
ははは。真顔で言い切ったぞ。
大した推理を披露してくれる探偵さんだなぁ。
「はは、はははは! いやーー。一言でゆーなら、自意識過剰ですねー。こんな小さなお庭、興味なんて持つわけないでしょう?」
じゃあ、僕はその推理を否定してやる。
「いやぁ、人間の心理というものは複雑怪奇なもので、端から見たらもう、何をどう見たってゴミでしかないものを、所有しているという一点において高く評価しちゃったりするんですねー。あ、これは一般的な話ですよ。一般的な」
僕はげらげら笑う。
「つくづく、無礼極まりないな。俺は貴族で、お前は平民だと言うことを忘れたのか? お前の首など、いつ跳ねても換えがきくぞ、灰髪」
「いいえ。あまねく人の命はすべからく尊重されるべきものです。僕は他人の首を落としてもすげ換えられるものだなんて思いませんよ。他の誰でもそうです。まあ、僕が人より劣っていることは認めますが、これでも人間の末席は預かっているでしょうし? だから僕の首だって換えはききません。跳ねられるほど安くはないですかねぇ」
「随分と減らず口を叩くものだ。唖の傍らの娘の分まで喋ろうという腹積もりか? フン。容姿は有望だが、まるで人形──」
「あ?」
いま何つった。
……おっといけない。冷静になろう。冷静に冷静に。
実際のところ、もう手は打ってるんだしやることは変わらない。
──ただ、これから何が起きようと一切僕の良心が痛まなくなるってだけだ。
「これ以上、上辺を撫でるような会話を続けてもしょうがないですね。切り替えよう。
あんたはスパイを放り込んで、それから冒険者を害することを目的に面倒な連中を放った」
もう、聞くべきことは聞いた。
「そこには僕の知り合いもいてさ──まあ、つまり。ほんの少しくらい、報復する権利はあるだろ?」
──ぱちん。
僕は指を鳴らした。
…………あれ?
何も起こらないな。
ぱちん、ぱちん……、おやおや?
「はは、ははは! まさか、今から道化芝居を始めるとはな? ロールレアの穢れた一族は、つくづく見る目が──」
あ、間違えた。左手だった。
僕は指を鳴らし──こっちの手じゃ上手く鳴らなかった。
「──な……、な…………!?」
執務室の窓のカーテンが天井部からゆっくりと裂ける。
ぺり……。
ぺりぺりぺり……。
「うーん、えい」
もう一回指を鳴らす。
今度は上手くいって、カーテンが床にべしゃっと落ちた。
窓の先。
ダルア領の穀倉庫が燃えていた。
「くふ──キ、きひひひっ! いやあーー、ひどい。ひどいですね! いったい誰がこんなことをーー??」
お相手の突然の不幸に、僕は思わず不謹慎な笑いを抑えきれなかった。




