普段の仕事
「食事というのは、何より無防備な瞬間です。だから、気をつけすぎるということはない。例えば奇襲とか──毒とかですね」
「……あんた、随分疑ってくれるじゃァねえか」
「毒なんて塗っちゃいねえよ~~」
「そうですかー。じゃあ食べてみてくださいな?」
沈黙。
「おいおい、困ったぜぇ? 仲良くやろうじゃねえかよ?」
「いやぁ……困りましたね? もちろん、人との出会いは喜ばしいことですし、まあ見るからに頭と衛生状態が悪い感じですけど、仲良くやるにやぶさかではない。
相手が寝首を掻こうって気じゃなければ、ですけどね」
男たちは、無言のままゆるゆると動く。
僕を囲むような動きだ。
「別に僕は、いま貴方の、その小汚い手の中にあるお肉をですね。自分のおくちで食べてくれるのならですね。疑いを抱くこともないんですよねーえ? あ、それとも今のうちに僕、謝っておきますか?謝ったら食べてくれるなら謝りますよー。疑っちゃってごめんなさいねー? それからお金だって払っちゃいますけどー」
僕は銀貨をピン、と弾いた。お金があるアピールだ。
あっ糸張ってるんだった絡まる絡まる……おっとと。張ってた糸は絡まったし、銀貨はキャッチできずに草陰に落ちた。
いまいち締まらない。
「へ、へへっ。やっぱり持ってやがるじゃねえか……!」
「あのーー。おにくはー。食べないんですかーー? まだー? まだですかーー?」
僕は相手との相互理解を意識した態度を取ってみた。
「よーしわかった。質問変えましょうー。ここは特別保護ダンジョンで、迷宮資源のために管理されていますねーー。じゃあ、具体的に何がどう役立つのか教えてくださいな。僕は『普段の仕事を見せてほしい』と依頼しましたよね、覚えてます?」
……沈黙。
男たちは、もう言い逃れできないくらい、完全に僕の周囲を囲んでる。
「なあ。もういいだろ? やっちまおうぜ」
「やっちまうか」
「やっちまおうや」
おやー? おやおやー?
一体どうしたんですかー?
「へへっ。悪いなァ~~センセ。オレたちのためによ、ひとつ財布になってくれや」
「ヒャハハ! アンタは魔術も使えないんだったなァ~? 全員でイッセーにかかりゃ──」
僕は指を動かした。糸が男二人を宙吊りにした。
「な、なんだぁッ!?」
「さあ?」
僕はとぼける。
その間に糸をくいっと操って、宙吊りにした二人を──肩パッド一族のうち、魔術を使ってた肩パッドたちだ──しっかり窒息させて意識を奪った。
「無詠唱魔術かッ!?」
しいて言うなら便利な道具とてこの原理?
まあ、その勘違いは利用させてもらおう。本当は張ってた糸で全部片づく予定だったんだけどちょうどいい。
「説明しましょう。風の魔術系統は、地・水・火と並んで使い手が多い。そして、不可視であることが最大の特徴です。練度の高い魔術師は、見えない刃で敵対者の首を飛ばすことだってできる。ただ、どうしても距離を離すと威力が減る傾向にありますね。速度はその分速いんですけど」
僕はフードを脱いで、隠していた緑髪(染めた)をちょうどよく吹いてたそよ風に流した。
説明に嘘はない。すべて正しい。しかし当然、まったくもって僕とは無関係だ。
「遮る木々の少ない草原は、風がよく通る」
これは気持ちよく流れる──といってもダンジョンってだけで僕は嫌な空気だなって感じるんだけど──そよ風への感想だ。
「ギルドは『魔術は使えねえ』って……!」
「ハメられたのかッ!?」
レベッカさんは僕の職業以外、何も嘘をついてませんよ。
僕は風魔術使えるなんて一言も言ってないのに、彼らの中で僕の人物像がどんどん上方修正されていく。
彼らが対応できない魔獣を追い払ったことより、魔術が使えることの方がよっぽど彼らにとっては驚異だと思えるらしい。距離を保ちながらも、じりじりと後ずさりをしている。
距離を離すと威力が弱くなるという言葉が、相手の行動を縛っているのだ。
一歩。
二歩。
……三歩。二人抜けて緩んでいた包囲は、これでもう包囲の体を成していない。
こうなれば、後は簡単だ。
──隙間から逃げる! 全力疾走だ!!
「あっ! 逃げやがるぞ!!」
「逃げたってことは……きっと魔術の《条件》で撃てねえんだ! 追うぞッ!!」
「うおおおおおおっ!!」
だだっ広い草原で、僕と屈強で人相の悪い成人男性複数名とのおいかけっこが始まった!
「ふっ、ふっ……!」
「ヒャッハッハッハ!! 逃げろ逃げろ~~!!」
僕の足は遅い。
もちろんできる範囲で鍛えてはいるつもりだけど、どんなに鍛えても、身体能力で灰髪は普通の人間には勝てない。
……だから、全力で逃げてもいつか追いつかれる。
距離が縮む。
後ろから届くヒャッハーの声がドップラー効果でどんどん高くなってくる。
ヒャッハー(↑)ヒャッハー(↓)ヒャッハー(↑)ヒャッハー(↑↑)
縮む。縮む。縮む……!
「ヒャッハーーッ!!」
僕の背で斧が振られ──僕は地面に頭から飛び込んでかわす!
柔らかな草──薬草が、擦れた僕の膝の衝撃を和らげてくれた。
「へへっ。追いかけっこも終わりだなァ~~? センセ」
……斧の一撃はかわせたが、一度体勢を崩してしまった今、もう逃げることは叶わない。
「遺言なら聞いてやってもいいぜぇ~~? ヒャッハッハッハ!」
遺言……遺言ね。
「そうですね……。ここは背が低い草が広がった空間だ。
ずっと遠くからでも、僕らのおいかけっこはよく見えていたことでしょう」
「なんだぁ? 賢ぶっていちいちよくわからねえことを言いやがって」
「逃げきれるなんて、最初から考えてなかったんです。ただ、ちょっとの間だけ、時間を稼ぎながら走る必要があった」
「人生最後のおしゃべりだ~~。ゆっくり喋らせてやろうと思ったが、いい加減オメェーの言葉を聞くのも厭きたんだよッッ!!!!」
振り上げた鈍色の斧が、陽光できらりと光る。
食事が無防備な瞬間なら、その次に無防備な瞬間はいつだろう?
それは、獲物を追いかけ、ついに追いつめた──まさしく、その瞬間の横合いだ。
「死ねええええっ──えがあっ!?」
僕に斧を振らんとする肩パッドの太腿に、フォレストウルフが勢いよく噛みついた!
「おやおやー? この狼、随分と気が立っているようですね? 仲間でも殺されたのかな?」
「クっ……、っソがあっ!」
怒り狂うフォレストウルフを斧で打ち倒したが、次いで2匹掛かりで飛びかかってくる。
それを弾けば3匹、4匹……ああ、もう限界かな?
もちろん、魔獣は僕の味方ってことでは全くない。僕にも飛びかかってくるけど、そこはまあ慣れで簡単に捌ける。
「ぎゃああああ!!」
おっと、肩パッドのうちナイフ持ってる方の目玉を、目つつきが潰した。
そこにフォレストウルフが飛びかかる。男は剣を滅茶苦茶に振り回して、なんとも上手く当たって狼の身体を跳ね飛ばす。しかし横合いから別の狼が飛びかかってきて、腰に噛みつかれている。
他もだいたいそんな感じ。人間のおいかけっこは魔獣のランチバイキングに変わった。
「あ、あ……」
「ぐあ、あああっ!」
「生きたまま全身を喰われるのはどんな気分ですー? 僕は絶対やだけど、嫌だからこそ感想を聞きたいですねー? 感想どうですかー? ヒャッハーって言え」
僕より弱っちい魔獣の群れに対応できなかったのは演技じゃない。金銭が目的なら、眼球を治さなければいけない状況までは演技しない。
その一方で、対人戦においての実力は未知数だ。魔獣を狩るための技術と、人間を殺すための技術はイコールじゃない。
それを試すために無策で多対一の状況で戦う──命を賭けられるほど、僕は強くない。命だって軽くはないつもりだ。
──だから魔獣の群れを呼び込み、混迷した状況を作った。
痛いのは嫌いだ。怖いのは嫌いだ。
……でも、大事なものが毀損されるかもしれないって不安より、嫌なことはない。
「さ! それじゃあ、中堅冒険者として頑張ってくださいね! なあに、まだ腕から出血して武器が持てないだけです。 がーんばれ、がーんばれっ。あ、そこの貴方は太腿ですね。そこは大動脈があるので出血がまずい。でも大丈夫、まだ武器は握れますね? 意識がふらふらしますか?がんばってー」
僕は飛びかかってくる魔獣を処理しながら言った。
魔獣の群れを呼び込んだ利点は、もうひとつある。
──こっちの方が、より効率よく相手の心をへし折れる。
「ああ、死にそうになったら僕、助けてあげますよ? そこは安心してください。メリーから道具を色々貰ってますので。意識を失う、なーんてこともありませんからね──ひキっ、ヒ、ひひひひっ!」
僕はげらげらと嗤った。
・・・
・・
・
「うっわぁ……」
録音石で録っていた正当防衛の証拠音声を聴いたレベッカさんは、こいつマジかよという目で僕を見た。
「彼らは無事、『普段の仕事を見せてほしい』という僕の依頼を達成してくれましたので、報酬を差し上げてくださいね」
「ほんと性格最悪ですよね……。つーかこの、何この最悪すぎるぶっ殺し音声作品……」
人聞きが悪い。まず勝手にご飯になりにいっただけで僕は直接危害を加えてないですし、そもそも魔獣に食い殺される前に追い払って全員無事だ。
それに、これでもこの後の、まあ……えぐいなってなる部分はカットしてる。《特級概念瓶・死の否定》を使ったところとか魔獣の咀嚼音と殺して殺してって悲鳴がまあヤバいなって感じだったし。
というか何メリーを膝に乗せてるんですか。返してください。大丈夫ですか大腿骨折れてませんか。
「ぐきって鳴りましたけどメリスさんから与えられる痛みならぜんぜんご褒美ですし後でライフポーション飲みます」
こいつマジかよという目で僕はレベッカさんを見た。
いい人だと思ってたのに変態だった。
ほらメリー、こっち。変態が伝染るよ。
「ん」
メリーは僕の膝に座ッ……痛い痛いめっっちゃ痛い!
こっちって言ったけど座れっていうわけじゃ──!
「代わりますか?」
ぎっ……か、代わりません。幼なじみに変態がうつるくらいなら痛みを受け止めます。
あ、メリー三つ編みにしてる。大きめのおだんごが肩から垂れる後ろ髪をまとめていて……へえ……? なるほど、悪くないですね。
なかなかです。いいですね。レベッカさんがやったんですか?
「どうですーかわいいでしょ? キフィナスさん、髪いじりませんのでやりました。ハサミが通らないのがほんと残念ですけどやっぱりメリスさんってば素材がいいのでもっと色々弄ろうかなって思ったんですけどそれなら全然シンプルな方が強いなって思ってこのかわいらしいふわっとしたクセっ毛も細かく編むと台無しになっちゃうのでゆるく編んでますふわふわなあんだわっかにゆび入れてきゅるきゅるよりたいっ!!」
強い強い強い強い。勢いが強いです。つよい。
わかりましたから落ち着いてください。
「──はっ! す、すみません、取り乱し……」
それと別に僕は髪の毛いじらないわけじゃないですよ。メリーの髪の毛で遊ぶと平気で夕方くらいになるから予定ある時にやらないだけです。ふわふわで手触りいいから時間が溶ける溶ける。とはいえ時間の浪費もいいところなんで自重してるんですよ普段は。都市生活ってすごく大変ですよねやっぱり。時間という概念が都市生活者とそれ以外を分けたみたいなところある。僕も時計買おうかな。ああそうそう、時間がかかるのもそうですけどね、それより何よりメリーってば自分の髪なのにどれがいいって選ぼうとしないんですよ。僕に選んでって言うんです。それ君の髪だろう。僕に聞いてどうするの。まあ、そういうこともあって、だから手を加えなかったんですよ。ハサミが通らないのが残念というのは同意しますけど。そこは完全に《適応》の副作用ですね。東京の頃は髪短くしてみたり色々できたんだけどなぁ。いやまあ、それでも、まあいつもの髪が一番似合って──あー、悪くないと思いますよ、僕は。もちろんこの髪型も新鮮でいいですけどね。
「えっショートのメリスさんあるの!? ズルい! ──はっ! あの! メリスさんがかわいくて話が進みませんっ!」
大都市の冒険者ギルドの看板受付嬢さんの姿がこれかぁ……。
「……ば、バックヤードだからセーフでしょ」
セーフゾーン広いですね。それに結構立ち入り自由なんだな。
「本来ここ、指名依頼のときくらいしか冒険者さん立ち入れないですからね? キフィナスさんはDラン万年薬草野郎のくせになんか頻繁に入ってきやがりますけど、あんたほんと悪い意味で例外ですからね?」
例外扱いをしている側に責められるのはちょっと納得がいきませんけどね。
それなら例外扱いしなければよいのでは?
「一見正論のようで何も正論じゃないからな? 素行を改めろって言ってンですよこっちゃ」
素行を改めろと言われましてもー。僕ってこれで、なんか迷宮都市の領主様のけらいやってるのでー。
「家来って表現がまずアウトだろ。まあ確かに、S級冒険者で超かわいいメリスさんだけじゃなく、キフィナスさんもここデロルにとって重要人物になってますが……不本意ですが……素行が……」
「素行素行と言いますけどー。目先の金に目が眩んでクライアントを殺そうとする冒険者よりマシではー?」
「っ、それは……」
レベッカさんから見て、彼らはかなり疑わしい冒険者だったんでしょうね。まあそれはその通り。実際、僕は命を狙われました。
レベッカさんは優秀だ。いくら僕を嫌っていても、レベッカさんは仕事で僕に不利益を被らせることはないし、僕によって誰かが不利益を受けることもよしとしない。レベッカさんのそういうところ、僕はとても好きだ。
「ちっ。私はキフィナスさんのそういうとこが嫌いです。迷惑かける自覚を持つなら治せよ」
はいー。検討しておきますー。
とまぁ、この調子のレベッカさんが僕を混ぜた時点で、だいぶクロであることは意識にあったわけだけど。
冒険者として三流未満でありながら、彼らの装備はしっかりしていて、Dランク──それなりに長々やってるか、伸びしろのある新人のランクだ──になれている時点で、副業があるなとアタリを付けざるを得ない。
ここのところ、何か変化がありました?
「ええ。ここ最近、新人冒険者の未帰還率が少し高くなってまして。……あのひとたち、最近来た流れの冒険者だったんで。正直、他の冒険者さんたちから疑いの目を向けられてたんですよね」
冒険者は、一ヶ所に拠点を定めるタイプと、色んな領地で冒険者やるタイプとに分かれ、流れとは後者のスタイルを指す。
冒険者は何かと縄張り意識が強いから、まあそいつら同士でも揉める。揉めごと起こさないと気が済まないのかな?
「冒険者狩りなのは自白してくれましたよ。さっきの音声のカット版で。聴きますー? 晩ごはんにおにく食べられなくなるかもしれませんけど」
「やめろ。……あのひとたちの身柄は、もう憲兵隊に渡したんですよね?」
「もちろん。罪を裁くのは私人の暴力じゃなく、法であるべきだと僕は思います」
「ついさっき暴力を振るったり率先して法の抜け穴を探す人間の言葉じゃないだろソレ。私、これでも色々聞いてんですよ?」
だからってギルドに渡したら処刑始めるでしょ。
流石にそれ見過ごしはしませんよ。
「まあ……ウチは直接手を下しませんけど。《あなぐら掘り》さんとか、パーティ単位で見せしめ欲しがってる冒険者さんはいますね」
地元の人ですよね。積極的に見て見ぬふりしますよね?
だから録音石で記録に残したんですよ。
「まあ……アレ聴かせれば収まる……かなぁ……?」
いや知りませんけど。
「……んーまあ、何はともあれ。キフィナスさんが奇妙なこと言い出したときは何の何だ!?って思いましたけど、終わってみればまあ、悪くない落としどころですね。ウチの問題ひとつ解決しましたし」
解決……。解決ねえ?
僕は曖昧に頷いた。
「やめてくださいよその不吉な態度」
「これで終わったとは思えない……」
「不吉な発言はもっとやめろ。あのですねキフィナスさん。いつもいつもいつもいつも冒険者のことをすごい悪し様に言いますけど、悪意を持った人なんて、全体からすればほんと、ごく一部のことであって──」
……つくづく、レベッカさんはいい人だな、と思う。
「あーそうだ。確認ですけど。あの人たち、ここの前はどこ拠点にしてました?」
「色々な場所を転々としてますけど……ひとつ前は、ダルア領ですね」
「……というのが、今回の顛末になります。冒険者ギルドと領主との関係強化、および治安の回復という目的は達成できたかと」
「そうね。ありがと」
「……『顛末になります』ではありません。わたくしは、おまえがそんなことをしていたなど初耳です。……事前に聞いていたのですか、姉さま?」
「いいえ? 私も初耳なのだわ」
「まあ、まったくの空振りに終わることも考えられましたしね。その後も二回ほどやりましたが、そっちはただの素人でした」
「そう。熱心ね。これからもその調子で励んで頂戴」
「……よいのですか、姉さま。」
「──『家令の目は領主の目。家令の手は領主の手』よ。動きづらいなら、事後報告でも構わない。信頼ってそういうものでしょう?」
「………………あー、えー、なんですか。今後は……、あの、まあ、気が向いたら? 事前に報告とか、その。重要なら……しますよ。はい」
「きふぃ。かわい」
「……かわいくない。三つ編みモードのメリーに言われたくない。かわいくない」




