キフィナスのダンジョン心得・休息
──ダンジョンで休息を取る上で、気をつけなければならないことは、しっかり安全を確保することだ。
安全確認を怠って奇襲を受けるほど危ないことはない。
敵の気配がなく、遮蔽物が身体を隠してくれる空間にたどり着いて、僕らは一旦休息を取った。
それにしても……草原の真ん中で休憩を取ろうとしたときに僕はすごい驚いた。警戒心というものはないのかな?
僕はクライアントであるという権限をフル活用して、『ここは場所が悪い』『木陰がいまいち』『物忌みだからだめ』とか適当に理由をつけて断っていた。
「ここなら休んでいいんだな~~?」
「はい。いいで──」
「ヒャッハー!! 水だ~~ッ!!」
僕の返答を聞くや否や、魔術を使える方のヒャッハーさんは魔力で生成した水を頭上にぶちまけた。
どうやら歩きながら詠唱してたらしい。
そのテクニックは魔獣相手に使えよ。
「水だ水だァ~~!!」
「こびりついたくっせえ臭いが落ちてくぜぇ~~!!」
「食糧もたんまりと持ち込んでいるからよ~~!」
「「「ヒャッハーッ!!」」」
水しぶきがキラキラと舞う中で、トゲ付き肩パッドの連中がキャッキャしている……。
その光景にどことなく狂気を感じ、僕はあさっての方角を向いた。
「ヒャッハッハ! 生き返るぜぇ~~!!」
どうもヒャッハーさんたちは水に漬けるとはしゃぐ習性があるみたいだ。
こうなると、彼らは霊長類よりも魚介類に近いのかもしれない。極めてどうでもいい生態学だった。
「さて、と……」
僕は瓶詰めで保管しているナッツの蜂蜜漬けを三粒つまんで食べた。
食べやすい。甘くておいしい。カロリーがある。
はい食事終了。僕は蜂蜜でべたつく指を草で拭った。
これであと二時間は動けるな。
……とはいえ、今日は僕ひとりではないわけで。
どれくらい休む気なのかは知らないけど、一応、糸は張っておこう。
「塩っ辛い干し肉じゃ食いもんにもなりゃしねえってのによーー!!」
「煮るぜ煮るぜ~~!!」
結構がっつり食べる気だな……。日帰りだって聞いてたんだけど。
ヒャッハーさんは鉄の盾を裏返して、たっぷりの水とそれより多い干し肉を入れて、火の魔術で沸騰させ始めた。
いやいや、あの、それは鍋じゃないんですけど? 目的用途外の使用は道具の寿命を縮める。間違っても工夫じゃないというかそもそも嫌だろ衛生的に……。いや、生まれや育ち、接している文化によって衛生意識もまた大きく異なってて、まあトゲのついた肩パッドを付けてヒャッハーと鳴く冒険者やってる生物の生まれや育ちや文化は察するに余りあったか。
……それにしてもさっきから、戦闘中の連携なんかよりよっぽど手際がいいなこの人ら。
まあ……、自身の魔力を水や火へと変換することができるのは、こと冒険においてかなり有用な技能であり、食事の用意もまたそれを活用したものなのは確かではある。
特に水はすごい有用だ。
緊張や運動によって汗が出るので、ダンジョン探索中はとかく喉の渇きが早い。
だけど、水ってけっこう重い。その上かさばる。
僕の《魔法の巾着袋》のような迷宮資源を持っているなら運搬の問題は解決するが、一般的な冒険者はおいそれと手を出せない値段がついている。僕はメリーに買ってもらったけどね。
魔術ひとつで飲用水の確保ができるようになるとかすっごい便利。ダンジョン探索で使わない理由がない。まあ僕は灰髪だから使えないけど。
僕はヒャッハーさんたちと離れた位置で、木の幹にもたれながら時間を潰していた。
あの中に混じるのは無理。絶対無理。そもそも混じろうとも思わない。
僕は指先をぴんと動かして、糸の反応を見る。
……問題ない。仮に魔獣や他の冒険者が近寄ってきても、これならすぐに判断ができる。
迷宮都市の保護ダンジョンってことで、不特定多数の冒険者がいるからな。即座に首を落とす鋭さの糸を張るわけにもいかない。
メリー、どうしてるかな……。
レベッカさんとは比較的かなり仲良しだけど、それでもやっぱり一人にするのは心配が──、
「なあ~~。センセも食うか~~?」
え? いえ。
満腹は動きを鈍らせますので少し足りないくらいがちょうど──センセ? 先生?
先生ってぼ……、私ですか?
「クソ犬どもを追っ払ってくれたからよー! アンタはダンジョンのベンキョーをしてんだろ~~?」
ええまあ。してますね。僕はしれっと嘘をついた。
ダンジョンの勉強って。迷宮構造学とか魔獣生態学とか色々あるけど……まあいっか。
いや、でも学会の発表とか出てるから『勉強をしている』は嘘じゃないな?
僕は正直者だった。善良だ。それと性格もいい。
「はい。私はダンジョンの勉強をしています」
「なんで二回言ったんだ?」
そうか……先生か。ふーーん。へえ。なるほどね?
なるほどなるほど。そっかそっか。
じゃあ、もうちょっと先生らしくしようかな?
「──魔獣が来ますよ。張った糸に動きがありました」
僕の小指がぐっ、ぐっと動いた。
この高さは魔獣だろう。担当する糸は高空に張っていた。
「糸……?」
ええ。ダンジョン内に安全な箇所は少ない。休息を取るなら不意打ちを避けなければなりません。
誰か一人は見張りに回ったり、単身なら入り口に鳴子を付けたり、まあ……色んなやり方がありますかね。そこは各自でご相談ください。
みなさんは、見張りを立てていませんでしたね。
魔獣だけでなく、冒険者同士のトラブルも少なくない。自分が今ここを利用している──それも、油断なく──ということは、しっかり表示しておくに越したことはないですよ。
そうして、糸の隙間を縫って高空から一羽の鳥が進入してくる。
子どもくらいの大きさで、短く鋭い嘴、背中から頭にかけて赤みがかった羽毛……。
「《目つつき》ですか」
時速100キロくらいの速度で飛びながら、執拗に目玉だけを狙って抉ってくる怪鳥だ。頭おかしい生物だな。
これなら鋭い糸張っとくんだったな……。
いやー厄介だ。僕は投擲の腕前は悪くないと思ってるけど、流石にこんな速度で空を自由に飛び回る相手に当てられるほどじゃない。
「あー、奇襲は防げましたね。奇襲は。
──それでは皆さん。頑張ってくださいな」
僕は目をつぶった。
「が、あああああっ!!」
「くっ、あッ! 目がぁっ!!」
対応できるかできないかで言うと、実のところ対応はできる。
メリーから貰った《大質量惑星の重力を詰めた瓶》。
急降下する直前に、タイミングを合わせて瓶の中身を出せば、目つつきは地面に向かって勢いつけて突進することになる。
こいつの対処で一番簡単なのは、誰か一人が囮になって、横合いから不意打ちをぶち込むことだ。
目玉だけを狙ってくるということは、すなわち痛いけどまあ死にはしない。嘴は短いからね。
それに、たとえ目を潰されようが、回復魔術とか《ポーション》があれば後遺症は残らない。そういう理由もあってか、鑑定スキルではEランクの魔獣と認定されているのだろう。
まあ、僕は絶対嫌だけど。誰かの目玉を囮とか、そういうことばっかりするから冒険者の価値観は乱暴になる。いやまあ、僕とメリー以外の誰かが囮やってくれる分には別にいいけどね。
「ひ、ひいいいいいっ!!」
トゲ肩パッドの人たちのうち、自分の傷を省みない勇者はいないようだった。
そういう意味では、この冒険者らしくない反応はなかなか好ましい。
好ましいけど、これじゃ全員の目玉が潰れるまで終わらないな……。
Dランク……、Dランクってなんだ?
いつもメリーと一緒に潜るダンジョンだと、これ出るときは一度に10羽くらいまとめて出てくるんだけどなぁ。いや、それはそれで参考にはならないか。
はあ……。
僕はやっぱりガスマスクを被って、目をひん剥いて逃げるモヒカンさんに向かう鳥の前に、木の棒を置いた。
風を切って舞う鳥は吸い寄せられるように木棒の先端にぶち当たり、翼を折って墜落した。
そして、ぴあっと鳴く怪鳥の頭を、ぴょいっとジャンプで踏みつけて首の骨をへし折る。
やっぱり囮戦法は効率的なんだなぁ、と僕は思った。
「素早い相手なら、その動きを読みましょう。目を狙ってくるという習性を利用すれば、相手のルートはしぜんと定まります」
……うん。やっぱり基礎的な部分、生き物を殺すことに慣れていない感があるな。
しかしそれは、むしろ社会生活を送る上で有利な特性であるような気もする。
次に同じ相手が出てきたら、是非試してみてくださいね。
「お、おう……。そうだセンセ、一枚どうだ? 肉がよくほぐれてよぉ」
センセ。センセね。
ほーん、ふーん……やっぱり悪くない響きだね。うん、結構悪くない。
あ、肉? 肉ね。
「ありがとうございますー。じゃあそれ、その鍋の中にあるやつ、いちまい貰えますか?」
手に持った肉の切れっ端は、比較的いい部分みたいなのであなたたちでお召し上がりくださいな。
──僕が謙譲すると、男たちの動きが一瞬、不自然に止まった。
「おや? 食べないんですか?」
「いや、食うぜぇ? 食うけどよぉ~~……」
僕は一度、満腹だからと断っている。
その上で、彼らはもう一度僕に声を掛けてきた。
僕には、それがどうも引っかかってならない。
……人を信じるのは、めいっぱい疑った後からでも遅くない、と僕は考えている。
だから──。
「どうして食べないんですか? 食べましょうよ。食べていいんですよ? 食べよう。食べてみましょう。それだけでいいんです。なんで静かになっているのかな? ……ほら、食えよ」
繰り返す。
休息を取る上で気をつけなければならないのは、安全の確保だ。
そして一秒、二秒、三秒と時が過ぎ……、
その間、彼らは僕の言葉に言葉も行動も返さず、
そこにはただ、何より雄弁な沈黙のみがあった。




