休みの日が充実してることって大事だと思う
「おいわい、する? する?」
勤務終了後。
玄関扉を出て、無表情なメリーから発された第一声は、ずいぶんと浮かれていた。
しないよ。
「おいわいする」
しません。まったくメリーはしつこいところがある。
確かに、王都にいた頃は、ランクが上がったり君がなんか役職貰ったときなんかでお祝いしたりしてたけどさ。
もうやらなくなって久しいんだし、やらなくていいでしょ?
「きふぃ。えらい。えらいなった」
肩書きが増えただけだよ。別に大したことじゃ──いや。つい癖で否定しようとしたけど、うん……、大したことなくは、ないね。
でも、偉さなら君だってそうだろ? 誰かから言われたことをこなすたびに、どんどん肩書きが増えていってた。
まだ、君と並ぶには全然足りない。
「でも。めりは、なれない。きふぃだから、なれた」
……まあ、そうかもね。君はなんかすごい人当たり悪いもんね。話しかけられても基本は無視だし。
「どうでもいい」
メリーはそういう子だ。どうかと思うくらい社会性がない。……もっとも、そんな彼女は、人を惹きつけてやまない力を持っているけど。
しかし、ロールレア家のお二人は、メリーの強さを知っていながら、メリーの力を利用しようとはしない。王都の貴族連中とは違う。
シア様は僕がメリーのダンジョン潰しに付き合うための休憩を取ることにやんわり反対するし、ステラ様はステラ様でそれを自分の娯楽にしようとしている節がある。真意はわからないけど、少なくとも『メリーのご機嫌を取っておこう』という薄汚い意図は感じない。
……正直、実感はわかないけど。
──たぶん、ステラ様もシア様も。純粋に、僕を信頼してくれている。
「うん。だから、おいわいするの。いんにたのんで、ごはんいっぱいつくる。おさけ、のんでもよい」
いや……、別に僕お酒とか飲まないけどね。飲まないけど……まあご飯のメニューが一品多い程度なら……。
でも、まあ、その、これだけは言っておこう。僕はけして乗り気じゃないよ。着任パーティとか昇進パーティとか、まったく乗り気じゃない。それは覚えておいてほしい。
……すぐ失っちゃうかもしれないからね。
この立場に、愛着なんかは持たない方がいい。いつでも引き払って身軽になれる準備を──、
「もっていい。もつべき。もつ。きふぃはがんばりやで、いいこで、かこいい」
…………まあ、感性は人それぞれあるけどさ。
どれもこれも、僕を評価するに当たってはおおよそ使われない語だと思うよ、メリー。
・・・
・・
・
今日は休日だった。いまだ僕の勤務条件は議論中ながら、やはり休みは必要だ。
情熱の火とは燻りやすいもので、やりがいや誇りとかなんかキラキラしたものがあっても、それが毎日走るための燃料になるような人間はそうはいない。
この世界に労働法はなく、この国に安息日を定めた宗教は僕の知る限り存在しない──あるとしても全然流行ってない──ため、休日の扱いは曖昧だ。
ほとんどの人間は休まないと走れないので、当然休みは取るわけだけど、各店でまちまちだ。不便なので、業種による休みを領地法で定めているようなところもあったりする。
つまり、やっているところは年中無休営業とかやってたりする。
「ふーんふふーん♪ おーやすみなーいの、かーわいっそうー♪」
僕は鼻歌を歌いながら、メリーと一緒に年中無休営業の優良店に来た。
サマラさん……って言ったっけ?あの邪悪な怨霊みたいな人が薬草を求めているので、僕は定期的に卸さなきゃいけないのだ。
「あ゛あ゛っ!?」
これは何事も暴力で解決する野蛮な冒険者の反応──ではなく。
可憐で美人だと評判な看板受付嬢、レベッカさんのメンチ切りだった。
うっわガラ悪いな……。普段から冒険者なんかと接してるからこうなるのかな……。可哀想だな……。
「アンタのせいですかんね? もう何度目だこのやりとり?」
「僕は数を数えられないタイプのよくいる冒険者なので。よくわからないです」
「なんで意味のない嘘をつくんですか。確かに、まあ、そゆひと結構いますけども……」
封建制社会において、ひとりひとりが教育を受ける機会はべつに保障されていない。むしろちょっとお馬鹿な方が愛嬌があって統治することが楽だとか考えてるフシがある。
で、まあ、数が数えられないタイプの冒険者さん──だいぶ表現に気を遣っている──は、だいたい金銭感覚がおかしくて、報酬の分配とかでトラブルを起こしやすい。
そういえば、カナンくんはその辺大丈夫かな。やっぱり孤児院で基礎教育を……いやでも彼自身の選択だし……。
あ、そうだ。これ薬草です。
「はい。たしかに受領しました。こちら報酬です。……噂になってるから、人目のあるところで袋から出さないでくださいね」
『薬草を卸すだけで金貨が貰える冒険者がいるらしい』というのは、既に噂になっているようだ。
まあ、僕もズルいんじゃないかなーって思わなくもない。しかしどうも、魔力とか採り方とかの関係で、僕の採った薬草限定らしいし。そこはもう、しょうがないよね。人は生まれながらにして不平等だ。
……魔力に関しては、たぶん灰髪ならみんな同じことができると思う。元々魔力を持ってないから採取の時に干渉しないんじゃないかな。十分な検証とかはしてないんだろう。僕を捕まえればいいのだし、灰色の髪に対して世間は無関心だ。
まあ、むしろ無関心なだけまだ良識があると言えるけどね。納品1回につき金貨2枚というのは、ぎりぎりで良識を保ったままでいられる絶妙なラインなんだろう。
とはいえ、お金を見せびらかす趣味はないし、わざわざ迷惑をかけるつもりもない。僕はその忠言に従い、メリーを撫でながら小さな袋を胸元にしまい込もうとし──、
「あっ」
袋の口から中身を落とした。
きん、と高い音を立てて金貨2枚が地面に落ちる。ころころと転がって、待合いテーブルの脚にぶつかって倒れた。
朝に活動する冒険者は基本的には少ないけど、今日はどうもいつもより多めだ。彼らの視線が、足下に落ちた金貨に向いている。
あ、失礼しまーす。どいてくださいねー。僕のでーーす。
「あ……? なんでだ……? なんでこんなことすんだ……?」
「いやぁー、ごめんなさいね。やーーでも、わざとじゃないんですよ? ほんと。ちょっと手が滑っちゃったというか、袋の口をヒモとかで縛ってなかったレベッカさんも悪いところがあるんじゃないかなーって。いや非難する気はありません。もちろん僕が悪い。だから謝りましたね?」
「絶対わざとだろあんた……」
「いいえ。何度でも謝れますよ。ごめんなさい。僕が悪かったです。すみませんでした。でもですね。これは、悪さの比を考えてみませんか、という提案なんですよ。まあ6:4……いや7:3かな? まあ7は悪いみたいなところある。そこは認めなきゃいけないかな、みたいなところはありますよね、やっぱり」
「きふぃは。わるくない」
「いや全肯定されるのは逆に怖いんだけど」
「10:0でしょーがッ!」
「おや? 袋の口を縛っていないことにいっさい、何ら、なにひとつ過失はないと?」
「いやまあこちらの過失もありましたけど……! ああもうっ! いいですよ! どっかでトラブル起きても知らないですからね!!」
トラブル……ああ、トラブルといえば。
「そうそう。冒険者じゃなくロールレア家の召使いとして、報告事項がひとつありました。
B級冒険者のセツナさんが、領主姉妹のお二人と交戦しましたので。その報告を」
「えっ……りょ、領主さまは無事なんですかっ!?」
「幸い怪我もなく。なんとか追っ払えました。詳しくはこの報告書読んでくださいね。僕が書きました」
「なんですかこのハンコの打ち損じみたいなの……」
「僕が押しました」
「でしょうね!! 内容までふざけちゃいないだろうな……。えーと……、マトモなのが逆にムカつくなこれ……!」
レベッカさんは、眉間にシワを寄せて報告書を読んでいる。これをロールレア家が発行したものと認めるというハンコを、右端の試し押しと文頭と文末、それからちょっと楽しくなって裏にぺたぺた押した報告書だ。
当然書記官もいないので僕が書いた。ハンコも僕が押した。
魔力によって内部で果実を圧搾してインクにする《魔道ハンコ》とか、すごく馬鹿馬鹿しくて面白くなっちゃったのだった。最初から朱肉使えばいいじゃん?ってなる。お貴族さま性の高いアホアイテムだ。
レベッカさんの視線が報告書の最下部まで降りる。慣れているのだろう。読むスピードが速い。
「あの、『罰則を求めない』って……いいんです? ウチとしては、ついにここでもやらかしたかって感じなんですが……」
僕は、確かに結論部にそう書いた。ロールレア家のお二人からは当然異論が出た。
例えば『流石にお咎めなしとはいかないでしょう』とか『綺麗な女の知り合いだから庇ってるのでは』とか。
後者については全然違いますけどね。
「処罰しようとしたら人が何人も死ぬでしょうし。ギルドで捕縛とかします? できます?」
「いや……。予測できる被害が大きすぎますね」
別に温情とかじゃない。
単に、あれに責任を取らせようとしても無駄だからです。
セツナさんが所属している冒険者ギルドは、ある程度権力から独立した互助機関だ。冒険者は都市移動権を保障されている──つまり領主に裁量権はない。権力は振るうことのできる力によって規定されるので、彼らの存在は領地に浮いた戦力があることを意味する。
もちろん、冒険者ギルド側として、その地の領主との関係は維持しなければならない以上ある程度の便宜を図ったりしてご機嫌は取る。しかし、権力関係としては微妙な位置にあるのだ。
これが労せず捕まえられるその辺の無能なチンピラならとっ捕まえて首だけくれたりするだろう。しかし今回は天性の殺戮者なわけで、まあ、リスクとリターンが釣り合わない。
──規則は、力によってねじ曲げることができるのだ。
それなら、不問にして貸しを作った方がいい。
レベッカさんはやりづらそうな顔をした。僕はばちっとウインクをした。
「……あの、ひょっとして、キフィナスさんが今後、渉外役になるんです? マリクさんは?」
「前任者さんか……。個人の名誉のために黙秘させていただきます。あ、五体満足ではありますよ。そこはね。そこは」
「すごい不吉なこと言う!? あの、なんでアンタがって疑問はやっぱ尽きないんですけどッ……これからのデロルは大丈夫なんでしょうねぇっ!?」
「ええ。そこはご心配なく。新しい領主様は、冒険者と領民の関係にも心を砕かれていて──何より、この街をより善くしようという志がありますから」
僕は笑いながら、ギルドを後にした。
今日は他にも用事があるのだ。
・・・
・・
・
「ようこそ。《貧者の灯火》へ。……おや。少し見ない内に、随分と顔つきが変わったね」
「どうも、性悪金貸しのクロイシャさん。お金ください」
相変わらず昼なのに真っ暗な部屋だ。
闇に溶ける黒髪の持ち主に、僕は手のひらをクレクレと動かした。
そこにメリーが金貨を落とした。僕はメリーの財布にそっと返す。クロイシャさんがくすくすと笑った。
笑わせにきたわけじゃない。メリー、座って。
「それは『ロールレア家の財務担当として、当店から運営資金を借り入れる』という解釈でいいのかな。今日はお休みだと記憶していたけれど、キミは意外と勤労意欲があるらしい」
……休みと判断したのは格好を見ればわかる。でも、なぜ僕が財務を担当してることを既に知っているんだろう。
口の軽い同僚たちが原因だろうか。それとも辞めた前任者か。前者であればむしろいい傾向だけど、後者だとするとロールレア家で抱えてる機密は漏れていると考えられるな。どんな機密があるのかは知らないけど。
僕の人事情報は目の前にいる全く油断ならない相手に知っていてほしい情報じゃない。そう考えてることだって悟られたくないので、
僕は笑って、
「耳が早いようで何よりです」
と取り繕った。
「商人に求められるのは、期を見て先んじる力さ。そして、それを支えるのは広い視野だ。
しかし、ヒトというものは面白いね。僅かな切っ掛けで、心のうちに炉を組み上げる。キミの胸の、堆く積もる灰の内に燻る、確かな熱を感じるよ。いや、それとも以前から隠していたのかな」
「相変わらず何言ってるのかよくわからない人ですね……。僕はお金を貰えればそれでいいんですけど?」
「ボクは金銭の授受さえあればいいと考えていないからね。金融とは経済の大動脈であり、その一部を担っているという自負がボクにはある。心を無くした経済活動とは、討伐できない化物に等しいものだ。見えざる手など存在しないし、あったとしても手の主に良識はない」
「はあ。経済論は存じ上げませんけど。僕には貴族さまがお金をいっぱい抱えているように見えますねー」
「そうだね。富の寡占と分配は、ヒトが私有財産を獲得した時点から生じた課題だ。しかし、少なくともこの国の彼らには『経済活動のための経済活動』をしないだけの理性がある」
「権力者の人たちが王都の災害とかいうのでごっそりいなくなっただけでは? よく知らないですけど」
「ああ。王国歴990年の旧王都の災禍は痛ましく。10年を経るというのに、なお爪痕が残っている。ボクも掛け替えのない友人たちを失った。掛け替えのきく債権と一緒にね」
はー。結構貸し倒れしてるんですね。
「信念を貫いて、しかし報われなかった者も少なくはない。骸には財産はないから、取り立てはできなくてね。……肉も骨も風化して、最後に残るものは想念だ。ボクは、鬼灯のように儚く色づくそれを、尊いと思う」
そうですかー。
はい付き合ってあげましたー。お金ください。
「ふふ。つれないね、キミは。
いや、しかし申し訳ない。ご足労いただいたところ悪いけれど。タイレル4世金貨3000枚という大型融資の後で、領地の運営資金を貸し出せるほどの手持ちがないんだ」
「はあ。バカみたいな額貸し付けたんですね。でも、とりあえず今あるだけでいいですよ?」
「それと。対価として承る君の物語には、今はあまり聴く気分ではなくてね。灰色の髪を持つ青年の物語は、つい先日耳にしたばかりだから。彼の物語は、なかなか聞き応えがあったよ。そして、多くの王が備えていた風采もあった。あれは血筋かな? ……おっと、これ以上喋ると顧客の個人情報の漏洩になってしまうね」
「えーと、灰髪は全員似たようなもんってことです?」
「いいや? そんなことはないよ。人種や性別、能力の多寡……ヒトはみな、それぞれの物語を持っている。同じ文脈を共有しているから、展開に類似点はある。それでも、ひとつとして同じ物語はない。それだけで命は尊い。
まあつまり──融資をしてもいいけれど、日を改めてほしいということなんだ。それから、本件はキミ個人への融資ではないしね。キミが王になる、というなら話は別だけれど……」
ロールレア家の運営資金として使うなら、姉妹どちらかでいいから連れてこい、とクロイシャさんは言う。
「ステラ嬢は高潔で決断力に富む。しかしそれは、潔癖さと置き換えてもいいかもしれない。シア嬢は判断力に優れるが、自主性に欠けるね。重臣たちを一斉に解職するというのは、いささか驚いたよ」
「事情があるんですよ。部外者が知らなくてもいい事情が」
「それはすまない。ボクは商人だからね。ゴシップも商いの種になるし、聞かなくても事情が入り込んでくるんだ。これまでの家臣たちへの退職金と、新しく雇用した者たちの給与。支払いを十分に済ませる蓄えは、どうやら残っていないようだね。そのために、今日はキミが来たんだろう?」
……本当に、この人は苦手だ。
暴力を行使する素振りは見せず、それでいて一手一手詰めるように、秘密を暴くように言葉を組み上げてくる。
僕が浮かべる曖昧な笑みの、その内側まで覗かれているような──そんな恐ろしさがある。
「せっかく来てくれたんだ。お茶でも飲むかい? ひとりの友人として、歓迎するよ。キミに紹介したい奴もいるし──」
……結構です。あなたと友だちになった覚えはないです。
引き留める声を置き去りにして、僕らはそのまま帰った。
……はあ。クロイシャさんとは、毎度上手くいかないな。
給与をどこから出すか、というのは確かに問題だった。税の徴収で財政は立て直せるだろうけど、給与の支払いが迫っている。徴収を早めるわけにもいかない。
政情不安に繋がりかねないからな……。あ、今僕すごい家臣っぽいこと考えてる。
うーん、クロイシャさんが黙ってお金だけくれれば色々と話は早かったんだけど……。
「潰す?」
潰しません。
セツナさんから悪影響を受けないでほしい。
「おはようございまーす」
「おはようございます。キフィナスさん。お休みは何してたの?」
「お休みの日はお休みらしく、買い物とかいったり、のんびりしてましたよ」
「へえ。羨ましいわね。今度私も付き合っていい?」
「え? あー……、ええーー……、やだな、仕事とオフって使い分けるべきかなーって僕思うんですよね。いや、どうしてもって言うなら断りませんけど。でもやっぱり、こう、労働者と使用者の適切な距離感ってあると思いますし?」
シア・ラ・ロールレアは知っている。
キフィナスが昨日一日、迷宮都市デロル中を駆け回っていたことを。
シアは一日中、彼に付着させた氷晶の魔力反応を感知していた。
「だいたい、メリーとのんびりしてるだけですからね。大したことはしてません」
「ん。めりは。きふぃといっしょなら。いつでものんびり」
冒険者ギルド、商店の各店舗、憲兵隊庁舎。
解雇した家臣の家々を周り、終いには東西の関所にまで足を運んでいる。
──そんな休みがあるものですか。明らかに、なにか仕事をしているでしょう。
「…………うそつき」
シアは小さく、ぽつりと呟く。
「何か言いました?」
「……いえ。はやく仕事の準備をしなさい、と言っただけです」
「はーい。……いや、唇の動きからどう考えても違ったような……」
キフィナスは首を傾げる。どうやら本当に聞こえていなかったようだ。
とぼけた男。嘘だらけの男。ふにゃふにゃ笑顔の男。
しかし、シアは何故だか、彼を糾弾しようという気になれなかった。
──これは、姉さまも知らない、わたくしの、わたくしだけのひみつ。
シアはふいにそんなことを考えて、小さく咳ばらいをした。
その頬は、林檎のように赤かった。




