領主命令・ひとつめ
憲兵庁舎にて。
拡声器である《ティワナコンの大石》の放送室は、余計な声なんかが入らないように防音密室の空間だ。
旧ロールレア家邸宅にも放送室は備えていたそうだけど、既に爆破されて跡形もない。
だから、設備が復旧するまでは憲兵庁舎まで直接行く必要がある。
「ステラ様とシア様はわかるんだ。けど、キフィナスくんも一緒なのか? ……またなんかしたの?」
「僕にもちょっとわかりかねてるんですよねぇ……」
魔道具《ティワナコンの大石》の調整をしているロールレア家のご姉妹を後目に、僕は本官さんと小声で話をしていた。
本官さん以外、この部屋には憲兵は配置されていない。扉の外で数名警備をしている。
いくら領主が関わるといえど、突発的に動かせる人員はそう多くないのだろう。
「就任式のようなものよ。キフィナスさん、うちで働くことになったの」
「え゛っ……。ステっ、ろ、ロールレアさま……?」
本官さんの反応は極めて正しい。
「……あの、きみ。今度は何やらかしたの……?」
「まあ……成り行きとしか。あと、どうやら僕、いまから僕は首輪自慢を始めなきゃいけないみたいなんですよねえ……」
「首輪て」
「……おまえ。その表現は控えなさい。くび、くびわなど……いけません」
「ふうん。実際に付けてみる?」
「なっ、だ、だめですっ。破廉恥です」
破廉恥……?
シア様はこほん、と咳払いをした。
「……姉さまも。控えてください。ここは執務室ではありません」
「んー、アネットならいいんじゃないかしら?」
「……姉さま、それでは示しがつきません」
「だって、キフィナスさんはもう矯正のしようがないでしょ? それに、マオーリア家は爵位こそなくても、家格はウチとだいたい同じだわ」
「いえ、我が家は関係ありません。本官は一行政官として、為政者であるロールレア家の皆様に敬意を払わねば──」
「前々から思っていたけれど、そんなに畏まらなくてもいいのよ、アネット。幼い頃、あなたに遊び相手をしてもらっていたことは忘れてないのだわ。……ふふ。シアはお兄ちゃんだと思ってたわよね」
「……昔の話です、姉さま」
あ、いいですね昔の話。
僕飲み物とか持ってきますよ。唇は乾いていない方が開きやすいでしょうから──ってなんで僕の肩を掴むのかなメリーさんは痛いよ肩胛骨破裂しちゃう。
「だめ」
……うん。メリーがこうなるとやっぱ逃げるのは無理だな。
あ、本官さん、虐待の現場です。僕はいま虐待されてます。痛いです。多分ホネの5-6本は折れてるんじゃないかと思います。
「キフィナスくんはそうやってすぐノロケる……」
「いちいち大げさなのよね」
いやいやいやいや。これ喰らってみればわかりますからね。
本当に破壊力のある衝撃って、痛さよりまず重さが来るんですよ。それから痛さがくる。一度喰らってみれば……いやいや。ダメです。僕は思い直した。
訓練なしでメリーの鯖折りを受けるとか本当に危ない。
「……メリス。受けてみてもいいですよ」
「ん。しあなら。かげんする。たぶんできる」
不安すぎる……!
メリーがのっそりと動き、シア様に近寄る瞬間──僕は二人の間にインターセプトした!
そのままメリーの鯖折りが僕の胴へ!
ぐぎい、って声が出た。
……いや、いやいや? いやいやいや。いつもよりずっと強い。強すぎるんですけど。
あの、メリーさん? 全然加減とかできてないんですけど?
「きふぃ。あぶない」
危ないって自覚があるなら不用意に誰かに抱きつかないでほしいんだよなぁー!
これは一般論でね? あとは世界各地の法律的にもね? 他者への暴力というのは罪悪とされるんだよメリー。
「……キフィナス。おまえは、独占欲が強いのですか?」
いったい何の話をしてますか?
「キフィナスさんはそゆトコあるわよね」
「……ありますね、姉さま」
どういうところですかね?
ほらメリーも僕を弁護してよ。
「……。ん」
ん? ん、って言った? んって何!?
ひょっとして今肯定した!?
「ふふ。……本当に仲がいいんだな、きみたちは」
……なんですか本官さん。
いま僕は不当な嫌疑を掛けられてる?みたいなんですけど。初日にパワハラですよ。
「……正直に言って、わたしは不安だったよ。キフィナスくんは悪い子じゃない。礼節だって普通の町民よりもずっとよくできてる。でも、きみはほら……、ひねくれてるからさ……。でも、ちょっと安心したよ。きみがロールレア家の家人になることは、素直に嬉しい」
アネットさんは、そう言って笑顔を見せる。
……ううう。全身が痒い。かきむしりたくなる。
「で。キフィナスくんはどんな仕事をやるんだ? きみのことだから、結構ソツなくこなせるだろうけど──」
「家令よ」
「週2です」
「え゛え゛ーーーーっ!?」
・・・
・・
・
『ごきげんよう。私はロールレア伯爵家総領、次期領主のステラです。こうして《ティワナコン》を通じてあなたたちとお話しできること、とても嬉しく思うわ』
『……同じく、伯爵家次子のシアです。どうか、お聞きください』
ついに放送が始まってしまった。
録音石を通じて、二人の穏やかな声がデロル領全体に運ばれる。
……僕の手は、少し震えていた。
『伝えるべきことがあるの。……私の父、デロル領の現当主、オーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルが、行方知れずとなっています。耳が早い者は、王都の爆発事故を知っているかもしれないわね』
『……過日の伯爵邸爆破事件と同様のことが、王都タイレリアでも起きていたのです。なお、一連の事件の犯人と目される人物は、既に王都の憲兵隊によって逮捕されていますので、安心するように』
原稿を用意したこともあって、二人の言葉は淀みなく紡がれている。顔をつき合わせない、言葉だけの情報伝達の場合、言い間違いはより大きな不安を与えかねない。
一応、押されながらも僕もチェックした。というか、この本当のことを言ってないけど嘘はついてない発言内容を考えたのは僕とシア様だ。
ステラ様はどうも事実を伝えないことに後ろめたさを感じているようだったから、彼女の発言には事実だけを割り振っている。
『……父は、もう帰ってこない──かもしれません。発表が遅れたこと、どうか許して頂戴』
そりゃあ、炭になりましたしね。
『つきましては──ロールレア家の人員を大幅に改編します。……残念だけど、伯爵家の家人のうち、先の爆破事件に関与する者もいたのよ』
まあ、そりゃあ、前当主様が犯人ですしね。
そりゃあね。
『……彼らの処遇については、既に手配を済ませています』
『ええ。だけど……、私はその罪を赦します。彼らにも止まれぬ事情があり、それまで……我が家に忠誠を尽くしてくれたのだから』
僕は音が入らないようにあくびをかみ殺した。
ロールレア家にお勤めだった、本日付けで職を失う人たちについては、僕にとっては極めてどうでもいい話でしかない。
僕は家なんかに忠誠を誓わない。もちろん、その選択自体は尊重するさ。でも、理解できないものに理解を示す必要は感じない。
僕はただ、ステラ様とシア様の道行きの手助けをしてもいいかな、と気まぐれに思っただけだ。
それからも、スピーチは続く。
僕はほどほどに聞き流し──、
『……つきましては、新しく雇い入れる家人の代表として。当家のキフィナスから、貴方たちにスピーチを』
──来た。
ここからは僕の発言だ。原稿なんてない。
これまで、僕は色んな修羅場をくぐってきた。
そのたびに足が震えてのどが渇いて、逃げ出したくなって、それでも、どうにかこうにか切り抜けてきた。
……おかしいな、命が奪われるわけじゃないのに。ここは町中で、殴りかかってくる誰かがいるわけじゃないのに。
なのに、足が震える。
『ステラ様、シア様に。このような機会を与えられたことについて、心より感謝申し上げます』
……僕の声は、震えてないだろうか?
『ロールレア家所属、キフィナスです。姓はありません。誠心誠意、勤めます』
週2で。
そんな言葉を心の中で付け加えてみたけど、相変わらず震えは止まらない。
……言うべきことがある。これが対面じゃなくてよかった。音声だけなら、のどの渇きやあちこちに移る視線は入らない。
『さて。僕は灰髪で、冒険者で、辺境の出です。ですが、ご聡明であらせられるお二方は、身分に関係なく僕を雇い入れてくれました』
──覚悟を決めろ。
『今、ロールレア家には心ある勇士が必要です。繰り返します。
僕は灰髪です。疫病の媒介者、忌み子の無能力者。
僕は冒険者です。暴力しか問題解決手段を知らない野蛮人で、社会性が欠落している。
僕は辺境出身者です。ダンジョンでもないのに魔獣が闊歩するような場所で暮らしていて、常識を知りません。
……そんな僕ですが、微力を尽くして、彼女たちが作るこれからのデロル領の手助けをする所存です』
ゆっくりと一語一語を噛みしめるように唱えてから、僕は、ふう、と一息吐いた。
言うべきことは言ったつもりだけど。
うーん、やっぱり、ここからじゃ話し相手の反応が見えないな。
僕の言葉が届いてるのか……。不安だ。
よし、もうちょっとぶっ込もう。
『ですので、まあー、つまり僕が何を言いたいというと? 聞いたことありますよね、僕あれです。みんなからー、クソヒモ野郎とか呼ばれてる雑魚冒険者でーーす。で、そんな僕みたいなのが働いてるんだからいくらでもチャンスが──あ痛っ!?』
『あーーっ! あーーーーっ!! どうも魔道具の調子が悪いみたいなのだわ!!』
『……これにて放送を終了いたします失礼いたしました』
そして、《ティワナコンの大石》は魔力を失った。
「…………」
沈黙が場を包む。
みんな、なんか渋い顔をしている。メリーだけはいつもの無表情だった。
うーん、僕なにかやっちゃいました?
僕はたんこぶのできた頭をさすりながら言った。
「『やっちゃいました?』じゃないよ! これもうや゛っちゃってンだろ!! もうこれ災害だよ!? きみ無敵か!? あーこれどーすんだ……、だいたい大規模な人員整理とかきーてないしオーム様の件も公開してないしぃ……、わたしはどう説明したら……あっ!!! あ、あの、ステラ様、シア様!! そのですね、キフィナスくんは悪い子じゃないんです! ただ、ちょっと、その……!」
「……ええ、大丈夫よ。わかってるわ、アネット。なんか唐突に自分の経歴を語り出した時点で止めるべきだったわね」
「……首輪を着用させることは検討すべきかもしれません。もちろん他意はありませんが……」
あ、メリー。いたいのいたいのとんでけ、って?
やだよ。痛みじゃなくて僕の首が飛ぶだろ。物理的に。
「何やら反応が芳しくないですが。やっぱり人事を刷新するに当たって新規採用者は必要でしょう? 僕はあれです。先ず隗より始めよって諺に従って……あーそっか、この国にはないか……えーとですね? 『新しいご当主様の元ではこいつのような人間ですら高い地位を得られるのであれば』と考える人を上手く釣り上げるための撒き餌ですよ」
「……あなたに考えがあるのは知ってるわよ。でも……。突然あなたにスピーチをさせた私たちも悪かったかもしれないけれど……」
いやいや。僕ひとりで、フレキシブルな休み時間で、かつ週2で家を回すのはまあ流石に無理がありますので。どこかでこういうのやる気ではありましたよ。押し込まれてる最中に、今回ちょうどいいなって思っただけです。
領地運営を考えた上で、やはり、まず人員が欲しいですよね。その上で、今までのロールレア家に勤めていたような人とは違う顔ぶれが必要だ。
そうなると、僕を看板にするのが手っ取り早い。
「──あなたの名誉はどうなるの」
「めいよ?」
僕はすっとんきょうな声で復唱した。
めいよ……ああ、名誉ね。騎士様とかが後生大事に抱えるやつだ。僕にはついぞ縁がないやつ。
長い旅路に、余計な荷物は抱えるだけ無駄だ。身軽な方が、ずっと自由に動ける。
だいたい、僕は名誉なんてない八流冒険者なわけで──。
「あ。そういえば、メリーはやっぱり冒険者続けるんだよね?」
「ん。ダンジョン潰す」
「だよね。えー、そうなるとやっぱり僕は冒険者なので。確認したところ、まだ粗暴で品性が卑しい犯罪者予備軍の賎業でしたので、名誉なんてなんかキラキラしたものはありません」
「……おまえどれだけ冒険者のことが嫌いなのですか」
「ほんと職に貴賎とかないからやめなさいキフィナスくん!」
そう言われましてもね。僕はこれで、控えめに表現するという配慮をしているつもりですよ。できる限りの配慮をね。ほんとギルドの職員さんとか同情しますよね。つくづくろくな仕事じゃない。
……カナンくんには、本当に、そんな仕事を選んでほしくなかった。
「……ああ、もうっ! いいです! 不問とします! ほんと、なんでそんな目をするのかしら!? ただし、あなたには人事も担当してもらうからね!」
堰を切ったように、ステラ様が叫ぶ。
どうやら、よくわからないけど許しを貰った。
「まあ、そこは妥当なところですよね。僕は顔が広くなくもないですし。少なくとも誰かを貶めるのに慣れた連中の見分けはつく。ええ、やりますよ。週2ですけどね」
「それから! あなたは、あなた自身を尊重するように! これは──領主命令です!」
えええ……?
「……副領主も、同じ命令を下します。おまえは、今の姉さまのお言葉を最大限に配慮なさい」
あー、えーー……は、配慮します?
僕は曖昧な笑顔を浮かべてみたけど、みんなはなぜか不機嫌だった。
そして、そんな風に話をしている内に。
僕の原因不明な手足の震えは、いつの間にやらすっかり治まっていた。
「……キフィ……、ナス。……おまえ、担当業務が懲りずにまた増えたのです。出勤日数も増やしなさい」
「ええー。じゃあ、休み時間を多く取りたいです。そこでメリーとダンジョン行くので」
「ふうん。私も混ぜてくれたら、業務としてあげてもいいわよ? 優秀なダンジョン調査者は、それだけで抱えておきたいもの」
「……姉さま。命の危険がある場所に出入りすることは賛同いたしかねます。……調査は、わたくしが担当します」
「ずるいわ。シアったら」
「あ、僕らダンジョンは壊しますよ」
「めりは。まびく。潰す。破壊する」
「それじゃあ、詰めないといけないわね。領主にとって、ダンジョンとはすなわち資源なのだから。ここは──」
「あの! 失礼っ! どうか、本官の耳の届かないところでご協議いただきたいです! これ以上本官に同僚にも話せない案件を背負わせないでいただきたいっ!」




