黄金郷の吟遊詩人
錬金術とは、読んで字の如く。
より少ない資源を投下しながら、黄金を──正確には、金とはあくまで象徴に過ぎず、より貴重かつ用途の多い資源を──得ることを目的とする学問である。
次期迷宮伯ステラ・ディ・ラ・ロールレアが関心を寄せる学問でもある。
辺り一面を金で埋めた《黄金郷タイレリア》の町並みは、夜霧を纏う王都タイレリアと寸分違わない。
名前を聞いてから風景を見れば、ここはつい今し方、ステラと詩人が歩いていた通りだ。枯れ木のようなほっそりとしたシルエット──これは、王都の至る所に設置されている魔灯だ──が、地面から伸びている。
掲げられている看板の屋号も変わらなければ、家々の寸法も変わらない。
「ああ、ああ! 麗しきタイレリアよ! 災禍に折れず、十年ばかしで、とうと築かれた人類の最先端、最前線にある都市よ! 魔灯の光は夜を切り、陽の落ちぬ不夜の城下となれり。滅亡の影を踏みながら、それでもヒトは歩みを止めず。旧都を超える栄華を築く、勤勉さと敬虔さよ!
しかし──人々の脳髄に刻まれた恐怖の記憶が、未だ癒えることはなかったのでありましょう」
詩人に抱かれたリュートが鳴く。
「ここは、ヒトの願いが生み出した 永劫無可有の黄金郷。表の世界、ラーグ・オールのタイレリアの、鏡の似姿でございます。
lala, ta li la lu, la ta ti, tila li ti...♪
『今日も、昨日と変わらぬ一日でありますように』。そんな些細な、素朴な、大それた願いが結実した小迷宮。
この黄金郷にて、皆々様は隣人を、朋友を亡くすことはありません。何故ならここに住民などいないのですから。
玉座に坐す御方も、円卓に座す兵たちも、その顔ぶれを変えません。何故ならここに生者などいないのですから。
ええ、ええ。今日は昨日と変わりません。明日も昨日と変わりませんとも。何故ならここは──すとっと、時が止まっているのですから。
久遠に臥したる者は、死することはないのです。ここには生病老死愛別離苦、その一切がないのでございます」
詩人の語りに合わせて、リュートが甲高い声で鳴いていた。
──この黄金の都市に、生命の気配は存在しない。
右を見ても左を見ても、一様に、濡れた黄金色をしている建物が立ち並び、ぎらぎらと目を灼くように金属光沢を見せつけている。
それはステラの目に映るものすべて──地平線の向こうまで、金一色の世界である。
この黄金都市は、まさしく錬金術の理想といえた。
しかし、いくらステラといえど、この状況で『向こうに見える王城の壁を剥がしたらどれだけデロルの財政が潤うかしら』とは考えない。いや正確には頭をよぎった。
が、思考はそれ以上の疑問によって塗りつぶされた。
リュートの音が途切れる、その合間に。
ステラは、詩人に話しかけることにした。
「……あなたは、何者なの?」
ステラは、いよいよ自分を連れていた詩人に問うた。
きっとそれは、ここまでついていく前に訊ねるべき問いであった。
「あたくしは──魔人ビワチャと申しやす。あンなた様のお父君と、人工魔人計画の賛同者でありますよ」
「人工、魔人……?」
ステラにとって《魔人》とは、おとぎ話に出てくる存在だ。
曰く。それは《魔獣》と同じく、ダンジョンの魔力から生まれ出で、ヒトの形をしていながらに、獣の力を行使することができるという。
鳥のように空を舞い、魚のように水を泳ぎ、豹のように地を駆ける、ヒトならざる存在。
──そして、狂気に走った父が名乗っていた肩書きだ。
「ええ、はい。あたくしは、それなんでございやす。びえびえと泣くヒトの身から、涙を流さぬ魔人と相成りました」
目の前の相手が人間ではないことに、しかしながらステラは、違和を感じなかった。
ステラは冷静に、瞳の先に魔力を流し──、
「おや。こりゃいけやせん。あたくしは盲ですよ。殴り殴られっちゅうのは、好いちゃアおらんのです。そう身構えんでくだしゃんせ?」
魔人ビワチャはステラの視界を外れ、その背後に立っていた。
耳元で囁かれ、振り向いた先には既にその姿はない。
ステラが周囲を見回すと、金色をした民家の屋根の上にいた。
(……無事では、済まないわね)
ステラは、その一瞬で彼我の力量差を理解する。
口ぶりは穏やかだが、相手の方が格上だ。
彼女の《焦熱の魔眼》は、視界に入ったあらゆるものを、一切の制限なく燃やすことが可能である。
しかし、着火の瞬間には相手の姿を視界に収めていなくてはならない。高すぎる熱波はステラの肉をも焦がす。そのため、必殺の炎は相手の"内側"で起こす必要がある。
一瞬で間合いを詰められた時に対応ができない。
(恐らく、父から私たちの魔眼について聞いていたのでしょう。私の魔眼は、けして万能ではない。人を相手するのなら、シアの眼の方が、ずっと使い勝手がいいのだわ)
ステラは、キフィナスが持っていた道具で視界を奪い、姉妹の魔眼を封じた一幕を思い出していた。
ステラに灰髪の人々を貶める意図はないが、純然たる事実として、魔力を持たない彼らは身体能力が他人よりも劣っており、《スキル》を行使することもできない存在だ。
それでも、キフィナスは手持ちの瓶を割るという一手のみで姉妹の動きを止めた。
──あの時、ステラはほんの一瞬だが、本気で彼を害そうと考えていたのに。
「あたくしは、あなた様とお話をするためにここに来たんでございやすから。どうぞ、そう構えないでくださいな」
「ええ……。そうね。ごめんなさい。魔人、と聞いたものだから」
「魔人、と一口に言っても、色んな連中がいるんでさ。ダンジョンに居を構え、進入してきた冒険者の命を奪うっツ古風な輩もいりゃア、あたくしやクロの姐さんのように、ヒトの隣でぬくぬく暮らす者もおりますからね。気質も価値観も、只人のそれと、そう変わりゃありやせん」
その言葉にも、ステラは警戒を解かない。
「価値観が変わらない、とあなたは言うけれど。──あなたは、父の所業を知っているの?」
ステラは、これを聞くためだけに、見知らぬ相手についていった。
──人は生まれながらにして平等ではない。
持つ者と持たざる者との区別は、生まれによって定められる。貴族の子は貴族となり、平民の子は平民となる。時に平民の子が功を上げることはあれど、それは優れて生まれたからに他ならない。
だから、あまねく力を持って生まれた者には皆、すべからく、その定めに殉ずる責任を果たすべきなのだ。
領民を導くことは、生まれながらにして定められた、領主の義務である。
かつて、父オームは幼きステラにそう語った。
(ステラが緋色の眼をしているのは、人々を正しく導けという思し召しだと。生まれに恵まれたことを喜び、人に尽くせと。あなたは、そう言っていたのに)
──そんな父が、年端もいかぬ幼子を虐殺していたという事実は、彼女にとって耐え難い矛盾であった。
「ビワチャ、と言ったわね。ご存じなかったかしら。父は……、オームは、何百もの子どもの命を奪ったの」
「ええ、はい」
「私は、地下室で遺体の山を見たわ。……どの子もみんな、死んでなお、顔をしわくちゃにした表情で、痛みに悶えていたの」
「ええ。存じとりますよ。金の王笏は、王権を委嘱したレガリアは、支配のために痛みを与えるンですから」
「あんなの、生命への冒涜でしょう……!」
「そいつは。計画に賛同した皆々さま、いずれもご承知の上でしたねぇ」
魔人ビワチャは、あっけらかんと言った。
「彼らの中でも、あンなた様のお父様──オームの旦那は、たいそう立派な方でございましたよ」
「だけど……」
「人工魔人を生み出すために。恐怖と苦悶を刻み込まれた魂が、どうしても必要となるンです。白紙として生まれた人の子は、世界へと適応していく過程でその紙面を埋めていく。幼ければ幼いほどその余白は広く、負の感情は書き込む上で効率がいい。囚人だけで賄うには、出力が足りンのですよ」
「……何を、言っているの?」
「世界は、間もなく滅びようとしているンです。人工魔人計画は、その滅びに抗おうという信念のもとに、生み出された計画なのですよ」
その声は、狂人の妄言と断じるには理性の色が濃い、とステラに感じさせた。
「たとえば──ダンジョンの生成速度は加速し続けていやすね。10年前は、ひと月に一カ所できれば上等だったそれが、いまや日にひとつ、ふたつとぽんぽンと増える。対応できない領地だって増えていやす」
「……それが、世界の滅びの兆候だとでも言うの?」
「はい。ダンジョンは、枯れた世界に生きる我々にとって、実りでありヤしたけどね。かといって生成速度が対応できる以上に早ければ、それは土地を奪う災害でしかないンです。ある日街中に、突然ぼつんと、何やらいかがわしい次元の歪みが生まれる。対応しきれずに沈んだ国は、数多ありやす」
「だけど、王都も私の領地も、いくらだって対応できるだけの人材は──」
「ただの兆候に過ぎンのですよ」
魔人は語る。
「いずれ、決定的な滅びが来る。つきましては、まず間引きが必要なンでございます。元々、世界ラーグ・オールに生きる人々すべてを賄いきれるだけの資源など、ありゃあせンのですがね。
東の果てから西の外れ。辺境に生きる人々の数は、タイレル王国の総人口よりも未だに多い。人道主義は大変結構ですが、資源にゃ限りがあるンでさア」
「それは……詭弁だわ。今は王国の、お父様の話を──」
「タイレル王国の国内でも、別に飢饉は無縁じゃありンせんよ。迷宮都市は、裕福なとこですけどもね。そもそも、かつての王家が直轄領を貴族に株分けしていったのは、度重なる飢饉に窮したためでありやすからね。人っ子ひとり、生涯に渡って消費する資源はいかほどでしょう? 世界のために──」
「誰かの生き死にを──誰かから選択肢を永遠に奪うことを決める権利が、あんたらにはあるって言うのか」
声と共に、錆びた火かき棒が魔人の白い顔をめがけて飛んでいく。
しかし、それは空を切り、柔らかな黄金を大きく凹ませた。
「……はあ。まったく。変なところで、変なひととお話なんてしないでくださいよ。僕は痛いのも怖いのも嫌だっていうのに」
声の主こと灰髪の冒険者キフィナスは、縦も横もぶかぶかの、何やら妙にだらしのない格好をしていた。




