王都タイレリアの夜
街灯の無遠慮な光は、月明かりをかき消すほどに眩い。
迷宮都市の若き長ステラは、目隠しをした吟遊詩人の案内で、冷えた夜霧が覆う王都デイメア通りを歩いていた。
「……めまいがしそうだわ」
人工光は夜霧の中で乱反射し、辺りに何条もの白いもやを作っている。
《紅蓮の魔眼》を持つステラは視力に秀でているが、それが却って、夜霧と薄闇の縞模様を強調させた。
「おンや。《魔灯酔い》たァいけヤせん。目をつむるのがイイでしょう」
「雑踏の中で目をつぶって歩けと言うの?」
「あたくしは見えとりませンよ」
「……そうね。軽率でした。ごめんなさい」
ステラは、自分を先導する盲人に謝罪する。
「いンえ? 目あきのひとは、一言目にヤ謝って、二言目には不便だと同情をし、三言目にゃ可哀想と哀れみやすがね。コイツとあたくしは、生まれて以来のつき合いなんです」
「そう」
「空気の流れ、衣擦れの音、汗の臭い。顔の真ん中の玉っコロが揃ってなくても、見ることはできヤすからね。旦那の子と聞かされりゃ、あなた様は仕草がよく似ておいでです」
「……そう。それは、嬉しいわ」
あの日までは、その言葉に無邪気に喜んでいたのだろうとステラは思った。
今となっては──どうなのだろう?
魔人を名乗る父の肉体を灰に変えたのは、他ならぬステラだ。
何十人、何百人と殺めた外道を葬った。
その行いに、いっぺんの後悔もない。
「間違いは、誰かが糺さねばならない」
かつての父の言葉を、口だけを動かすようにステラは呟いた。
それはほとんど無意識で、喧噪と夜霧に消えゆくほど小さな声であったが──。
「旦那も、よく仰っとりましたね」
詩人は、ひとりごとに対し、懐かしむように応えた。
ステラは一言「そう」と答え、
(あなたは、何故、道を外れたのですか。優しい声で、暖かな手のひらで、わたしたちに伝えた言葉は、偽りだったのですか)
ステラは、
(偽りでないとすれば──あなたの言う『間違い』とは、何だったのですか。それは、外道に身をやつさなければ、糺せないものなのですか)
自分の行いに、
(なぜ、伝えなかったのです。なぜ、私たちを犠牲にしようとしたのです。なぜ、なぜ、なぜっ……!)
後悔は──。
「ステラお嬢さん? 足が止まっとりますが、まだ目が眩みやすか」
「──あ。ええ。ちょっとね」
「それなら、あたくしの裾を掴んでくださいな。ゆっくり歩きやす。 目を閉じて、五分じっぷんもすれば、目眩ぐのも落ち着くでしょう」
「ごめんなさいね。それじゃあ、お言葉に甘えるわ」
──ステラが目をつぶると、銀色の夜霧が二人を覆った。
一陣の風が、王都の夜霧を吹き消す。
霧が晴れたそこに、ステラの姿は既になかった。
* * *
* *
*
夜の闇を裂く幾条もの光源に、やかましさを感じて仕方ない。
もちろん音が出ているわけじゃないんだけど、見ているだけでうるさいなって感じる。
多分、そう感じるのは、けして僕だけじゃないだろう。
王都タイレリアは、今日も、まるで夜闇を恐れるかのように光で道を照らしている。
人や草木が眠っても、タイレリアの明かりだけはいつまでも眠らない。
僕は足下の巨大なクレーターを見ながら、明日の朝の掃除は大変そうだなと思った。
「で。着替えがないんだけどメリーさん。巾着袋も置いてきちゃったしさ」
僕はだぼついた袖でメリーのほっぺたをぺちぺちする。メリーはまばたきの一つもせず、ぼうっとしている。
「ん。きふぃのねまき。もこもこ。すき」
「そっかー」
ぺちぺちする。無反応。
メリーの言うとおり、僕の寝間着はもこもこしていて暖かい。
ぴりぴりと顔を刺す、冷たい夜霧の中でも肌寒さを感じないほどだ。
「あったか。もこもこ」
でもそうじゃないんだよ。そうじゃないです。
経緯的に、ステラ様は王都にて生成されたダンジョンに進入したと見るべきだ。
シア様の魔力探知では、王都南側で反応が途絶えたと言っていた。住民管理の都合から、台帳は作るものだけど、基本的にそれを外部の人間に公開したりはしない。だから、シア様は大まかな位置しか掴めなかったらしい。
それだけでも十分だ。おそらく、馬車で南門を通って、そのままどこかでダンジョンに入ったのだろう。
都市部にダンジョンが生まれることは、別に珍しいことでもない。何年かいたけど、王都タイレリアも結構ダンジョンが生成されやすい場所だった。
邪魔な位置に生まれたダンジョンのコアは即座に処理するし、その名目でメリーがコアを壊しやすいのだ。だから、ダンジョンの生成数が盛んであれば盛んであるほど、その土地はいいものと言っていい。
まあ、領主様というのはダンジョン利権でごはんを食べてるので、その親玉が立地のいいところを占めているのは当然といえば当然の話だった。
まあつまり。何を言いたいかといえば。
僕、こんな格好で準備もなくてダンジョンとか潜りたくないんですけど、ということだ。
二次遭難とかほんと勘弁してほしい。笑い話にもならない。
「きふぃ。ねむい。ねてもよい」
…………え? もしかして、僕を気遣ってくれたの?
「ん」
うーーん……。まあなんていうか、なんていうかなんですけど。
君に気遣いっていう概念があったことがまず驚きだし、されたらされたで逆に困るよね。
「めりが。してもよい」
いやいや。メリー主導で誰かに会わせるとか事件の臭いするし……。
君がデロルの領主様のお二人をけっこう気に入ってるのはわかるけど、任せられないよ。
「だって、頼られたのは僕だからね」
もう眠気は、結構前にどっか行ってるんだ。
多分、一足先にステラ様のところに行ったんじゃないかな。
……まあでも、とりあえず。
こんな格好で迎えにいくのはちょっと恥ずかしいから、ちょっと服屋さんとか寄ろうかな。準備って大事だし。
今のステラ様なら、ダンジョンで帰れなくなることはあっても、差し迫った命の危機はないだろうからね。
・・・
・・
・
「お久しぶりです。服貸してください」
「お前……って、おい、キフィナスか!?」
「そうですけど。あ、ついでに地図もくださいねー」
僕が寄ったのは王都の憲兵隊の南詰め所だ。
冷静に考えてみると、いくら眠らない王都といえど、夜中に服屋は空いてない。だから寄った。
詰め所のドアはメリーの解錠スキルによってこじ開けられている。
さて、左のキャビネットの三段目の……ああ、あったあった。
へえ、ギルドの支局がまた増えたのか。あ、このお店潰れたんだ。なるほど、流石に三年も経つと色々変わってるなー。
「おい。その地図を置け」
「別にいいでしょう? 一枚なくなったところで、誰も気づきはしませんよ。それよりテーブルの上にあるその瓶、中身なんですかね」
「あー……。活力の水だ」
活力ですかー。ぷんぷん酒精が漂ってきますがー。
美味しそうなお水ですねー。勤労態度としてどうかと思いますよ。
テーブルの上、酒とドーナツとつまみと……ひとりで宴が始まってるじゃないですか。
あ、この服着替えですか?貰いますね。
「俺のだ」
……臭いです。
ちゃんと洗濯してますか?
しかもぶかぶかだし。縮んでおいてくれればよかったのに。
「お前な……。数年ぶりだってのに、ちっとも変わらないな、お前」
「そうですか? チャーリーさんは横幅がまた増えたようですね」
「本当に変わらん失礼さだな!」
「そちらこそ、お変りのないやる気のなさですね」
「……ちっ。しょうがねえだろ、俺が担当する事件は、三回に一回は『犯人なし』なんだからよ」
チャーリーさんはそう言って、ぐいとボトルを呷る。
『犯人なし』とは即ち、捜査を禁じるというお達しだ。
王都にはお貴族様が多く、たっとき彼らの行いはそのまま正当化される傾向にある。
「昔は、こんなんじゃなかったんだがな……」
旧王都グラン・タイレルの災禍にて、この国の中枢にいた人材の多くが帰らぬ人になった、と聞いたことがある。
中年男性で、食生活を気にした方がいい、髪に少し白いものが混じってきたチャーリーさんは、かつては熱心で優秀な憲兵だったらしい。
自分で言っていた。過去は美化される傾向にある。
王都の憲兵隊は、総じてこんな感じだ。
「お前もそろそろ酒の味を覚えてもいい頃だろ、キフィナス。メリスは……まあ、あっち行ってな。まだ早い」
チャーリーさんは、テーブルの隅をとんとんと指でつついた。
「めりは。あね。まざる」
「あー、申し訳ないですけど、僕はお酒とか飲む気ないので。あと、旧交を温めている時間もあまりないです。あなたの大好きな貴族様関係で、ちょっと依頼を受けてまして」
「お前が冒険者らしいことを……?」
丸い体型のチャーリーさんが目を丸くした。
「ええ、まあ。どうも次期伯爵のご令嬢が、ここらで姿を消したそうなんですよ。ダンジョンに入ったのかなと」
「……伯爵家の令嬢だろう? ダンジョンなんか入るわけが」
「あるひとなんですねーそれがー」
「……そうか。つくづく、貴族ってのはわからんな」
おっと。それは貴族様の行き来が絶えない王都の憲兵としてあるまじき発言ではー? 首が飛びますよー?
「既に切れてるようなもんだ。10年前からな」
そう言って、チャーリーさんは手元のグラスを空にして、下品なげっぷをした。
僕はメリーの耳を塞ぐ。久しぶりに会ったけど、やっぱりこの人は汚いもので、あまりメリーに見せたくないものだった。
「まあ、なんだ……、元気そうで、少し安心したよ」
「そうですか。僕も、まだ健康を崩されてなくて何よりです」
「じゃあ、俺は夜勤だから寝る……んごぉ」
チャーリーさんは、そう言って目をつぶるとすぐに寝息を立て始めた。寝つき早いなこの人……。
「うわー……相変わらずドーナツに蒸留酒浸して食べてる。ほんと、よく未だに憲兵でいられたなぁ」
ごーごーといびきを立てる。僕はメリーの耳を塞ぐ。
まったく、ほんと、いいご身分じゃないか。
僕は手提げ式の魔石暖房機と、暖炉の火かき棒と、つまみのチーズを拝借した。
せいぜい目を覚ましたときに困ればいい。チーズはネズミの餌にするくらいなら僕が貰います。
そして飲みかけのボトルに金貨を2枚入れた後、憲兵の詰め所を後にした。
さて。
僕はさっき快く貰った地図を取り出し、南側の表通りに印を付けていく。
「地図から考えるに、恐らくステラ様の行動範囲はこの辺りで──ぐえっ」
「ここ」
メリーは地図を広げていた僕をそのまま引っ張って、次元の歪みを指さした。
あー……、メリーが言うことだ。
間違いなくここにいる。
「いちばん。おく」
地図いらなかったなとか、まあ、思うところはなくもない。なくもないけれど──まあ、一秒でも早く、迎えてあげるべきだろう。
僕は地図をくしゃくしゃに丸めて、空いているポケットに突っ込みながら、
いつものように、自分自身がくしゃくしゃにされる感覚を味わった。
目を開けたステラの眼前に広がるのは、黄金の尖塔の群れだった。
「ここは……?」
夜霧はない。
細い柱、角度の異なるアーチ、天を刺すような尖塔。
それらは、いずれも黄金で出来ていた。
右を向いても、左を向いても、床を見ても、金一色の世界。
空すらも、この都市を映したように金色の陽が燃えていた。
「あたくしの秘密基地です。ここなら、普通のヒトが立ち寄ることもないでしょうから」
「……ここは、どこなの? 王都じゃ、ないわよね」
「はい。ここは《黄金郷タイレリア》。ただびとたちの想いにて産まれた、ダンジョンの最奥でございヤす」
まるで明日の天気を問われたかのように、その声は軽かった。




