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外道釣り



 どんな煌びやかな都市にも影というものはできるもので、迷宮都市デロルにも治安の悪い場所はある。

 ──グラスアに並ぶ廃屋の、屋根の上から。


「はーーい。この街の新しいランドマーク。《宙吊りにされた売人》の出来上がりですねー」


「んんんんん!! んんんーん!!!」


 僕は、薬物の売人をぶら下げた。

 荒縄で全身を拘束して、口に枷をはめてるから、悲鳴もくぐもった声になる。

 いやー。近所迷惑にならなくて済んでよかったー。



「人には選択の権利がある。別に僕はですね。ひとには、自分から不幸になることを選ぶ権利だって当然にあると思うんです。けどですね?」


「んんんんー!!」


 けどー……うるさいな。僕は縄を蹴飛ばした。

 糸で両手両足を拘束されて、蓑虫のようになっている売人の男は、やはり芋虫のようにぶらぶらと揺れる。


「んんんんん!!」


 うるさいですね。別に落ちたって死にはしませんよ。人って結構頑丈だ。打ち所が悪ければ、まあ死ぬかもしれませんけど。頭から地面に正面衝突したりね。

 あーでも、そういえばあなたの手足は拘束してたんだった。こりゃ死んじゃうかもなあ……。どれだけ鍛えてます? どうもステータスっていうやつのVITとかいう数字が高いと結構生きてられるみたいなんですけど……あ、あまり高くない。その反応は低いですね?なるほどー。

 すると、あなたの命は荒縄にぶら下がってて。どうやら、いま僕が握っているみたいですね。


「となると、僕の機嫌は損なわない方が賢明だ。そう思いませんか?」


 ん?

 黙ってたらわからないでしょ。

 僕は縄を蹴る。ぶらぶらと揺れる。

 木枯らしを前にした芋虫のように。


「んんんん!! んんんんんん!!」


 んーんー言ってもわからないですってー。ちゃんとお返事してくださいよ。

 僕は縄を蹴る。揺れた男の顔面が、廃屋の壁にガツガツぶつかる。

 さて、これで少しは自分の立場が理解──、



「きふぃ。めりも」



 ……あのね。ダメに決まってるだろ。


 ダメだよ。ダメです。このひとそのまま死んじゃうでしょ。ほら、離れて。まだ素直にしてないんだからさ。

 君がやったら、縄が一撃でちぎれるどころかぶら下がってるヒトガタが吹っ飛んでそのままミンチになるだろ。

 ……だいたい、メリーはこんなことしなくていいんだ。ほら、空でも見ててよ。


「あお」


 そうだね。青いね。

 あーそうだ。ついでに耳も塞いでてもらえるかな? 五分くらいそっち向いててねー。

 うん。ありがと。



 ……さて。


「どんな選択をしても、その責任を取るのはそのひと自身だ。選択を積み重ねて、その結果が現在を作ってる。それが人生ってものだと思うんですよ」


 だから、悪行には取り立てがあるべきだし、善行には報いがあるべきだ。

 努力には、費やしただけの成果が伴っているべきだろう。

 ……得てして、世の中はそうでもないけどさ。



「──だから、僕はあんたみたいな手合いを許せない」



 グラスアの裏通りの、はしすみへりの、憲兵の制服を着てたら入れないようなところに、青紫の煙を口から吐いて、虚ろな目をして笑う一団がいた。

 銀貨ちらつかせながら話を聞くと、彼らは群がるように売人のことを教えてくれた。

 だから僕は、そこに糸を張った。


 濁りきった目をして、目に染みるような悪臭を漂わせた彼らの内にも、かつて家庭を持っていたという人がいた。

 ……彼らがそうなったのは、彼ら自身の選択の結果だ。僕は、いくらなんでも彼らひとりひとりの人生を何とかしてあげるほどの善人じゃない。

 それに、仮にメリーのお財布の中にある山盛りの金貨を、そっくりそのまま彼らに差し出したとしても、三日とかからず酒と薬物に変わっているだろう。

 そして何より、夢うつつの彼らは、自分が惨めな選択をしたなんて、認識すらしていない。


 ……だからこそ、許せない。

 たった一度の選択の誤りで、その後の人生すべてを棒に振るような悪意を、他人に持ちかけたことを。

 そのリスクを隠蔽して、弱者に売りつけ廃人へと変える所業を、僕は許さない。


 僕は間違っても正義の味方なんかじゃないし、痛いのと怖いのは嫌いだからできるだけ楽な道を選ぶし、もちろん自分がこれ以上ないくらいに卑怯な人間だって自覚はある。

 ──だけど、卑劣ではないつもりだ。


「いやー、そんなカッコだと。頭に血がのぼりすぎて、脳味噌ぼーんってならないか心配ですねぇー? ぼーんってーー」


「んんんんんーっ!!!」


 お。なんか身体を揺らし始めたぞ。筋トレかな?

 


 こうして吊し上げていることにも、もちろん意味がある。こいつが取り扱ってる薬剤《ブラッド・ピル》は王都で作られてたもので、つまり組織的な犯行の可能性が高い。口を軽くされると困る手合いが、静かになってもらうために飛んでくる可能性がある。僕は薬草でも採りながら糸の調子を整え、



 ──その時、一陣の風が吹いた。


「ッ──!」


 僕は咄嗟に、屈みながら荒縄の根本、売人の頭のすぐ上を掴んだ!

 鋭利な切り口で、荒縄がばっさり斬れている……。


 心当たりは、ひとつしかない。


「セツナさん、ですか」


「くく。そうでござるよ。女遣い」


 セツナさんは、いつの間にか僕の背後にいた。


 その手には、セツナさんの背丈よりおよそ2倍くらい長い、一本の棒きれが握られている。……僕から盗ったやつだ。どうやら、鈍器で縄を切り裂いたらしい。相変わらず意味がわからない。

 僕の指先から伸びる糸も、その一瞬のうちに斬られている……。

 人差し指の先をくいと動かすと、張力から解放された糸が、ぴっと音を立てて地面に垂れ下がった。他の指も同じだった。


 いざ会うにしても。ほんと最悪なタイミングだなって、僕は思った。


「えー、あ、カナンくんはどうしたんです?」


 僕は動揺を悟られないよう、世間話をする。

 あわよくば世間話で帰ってくれと願いつつ。


「あれは、迷宮にった」


「付いていかないんですか?」


「野垂れ死ねばそれまででござる」


 最低だな。保護者としての自覚は……いや、この人にそんなもの、あるわけないか。


「気になるなら、ぬしが付いてやればいい。それなら、我も同行してやらんこともない」


「絶対嫌ですけど?」


「うむ。外道釣りの方が楽しいからな」


 ……あー、話題を逸らせなかった。

 釣りね。そうですね。街中で人間ぶら下げて釣れるのは、ほんと、外道くらいだ。


「ほれ、掛かってやったぞ。どうだ?」


「外道だって自覚があって何よりなんですけどね。実は僕、あなたを釣るつもりはなかったんですけどー?」


「くくっ」


 何が面白いんですかねー?

 僕はちっとも面白くないんですけどー?


「愉快だぞ? さっきまで暴力を振るっていたぬしが、そいつを守ろうとしていることなど。実に愉快でござる」


「……守ろうとはしてませんよー。僕の手から握力が抜けたら、この人はまっさかさまに落ちて死ぬんですから」



「だが、ぬしは落とさぬな」



 …………はあ。

 なんでバラしてくれるかな、この人は。

 ああ、もう。いつまでこの体勢を続けてるのも結構つらい。というかバラされたなら無駄だ。

 僕は、売人の男をいったん屋根へと引き上げた。


 ……セツナさんの鋭い殺気を受けて、男は既に体液漏らしながら失神していた。



「何を斬るかを決めるは、何時なんどきも己自身であろうに。ぬしは、そこを他者に委ねようとする」


「……それは、」


「王都の頃からそうだ。不快であれば、そっ首を斬って落とせばよかろうに。ぬしはいつも回りくどいことをするな?」


「報いを与えるのは、僕じゃなくて……」


「くだらぬ。まつりごとともがらなど、裁けぬ相手も多かろうに。愚図共が与える報いとやらで、ぬしが満足いったのがどれだけある? 多少の金を積めば、いくらでもねじ曲げられるぞ?」


 ……それは、その。


「人間など、喉元を過ぎれば熱病の苦しさを忘れる生き物でござろう。正しさよりもやすさに流れるものだろう」


 そうかもしれませんけど……、



「だから、我が斬ってやっているのだぞ?」



 ……いや、そこは余計なお世話です。セツナさん。


「……つれぬな、ぬしも」


 そう言ってセツナさんは地上に視線を向けた。


「ほう。ぬしの目論見通り、そこの蓑虫に関心を寄せるやっからも集まってきたようでござるな」


 セツナさんの言葉に屋根の下を見ると、先ほど会話した中毒患者が集まっている。

 その中に、臭気に顔をしかめている、比較的身なりのいい男女の姿もある。



「そうさな。──ここはひとつ。全員まとめて首を落としてやろう」


「なっ──」


 僕は咄嗟に指を動かして──既に糸は斬られている!止められない! 瞬きの刹那、既に彼女は地面に降り、木の棒で人々を薙ぎ払う体勢になって、

 それが僕には、

 スローモーションで見えていて、


 今にも凶器が迫っているのに、


 誰かが目の前で死のうとしてるのに、



 それでも身体がついていかず──。



「くく。おまえが止めるか、化生よ」



 メリーが、振り下ろされた棒を握りつぶし、粉々に破裂させた。

 透明な眼差しが、セツナさんを正面から見つめている。

 そのまま、しばらくお互いに見合って動かない。


「……いささか、分が悪いな。我は、貴様を斬る剣を持たぬ」


「やーい。やーい」


 二人がお見合いしてる時にこっそり地上に降りていた僕は、メリーの後ろに隠れてやいのやいの言ってみる。

 うわ睨まれた。こわい。

 僕はしゃがみこんでメリーの背に──メリーはちびなので当然隠れきれないけど──隠れる。

 そんな僕を、セツナさんはじろじろと眺めている……。



 見ている…………。



 まだ見ている………………。

 えっ長い……。

 いつまで僕を見てるんだというかなにが目的なんだ……。




「ふむ……。棒っきれを一本寄越せ、女遣い。そうすれば、我はここから消えてやってもよい」


 しばらく僕を眺めた後、セツナさんは突然、よくわからないことを言った。



「え、なんで……?」


「いま持っているのがよい。ほら。よこせ」


「なんで……!?」


 えっちょっと僕が買ったものですけど自分で買えばいいでしょってうわっセツナさん力強い。痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い……僕は強引に武器を奪われた。

 ひどくない?

 いやまあ、帰ってくれるって言うなら渡しますけども。でもこれって、およそ文明社会に生きる人のやることじゃないよね。

 暴力で解決するとか全然夜盗のそれなんだもん。

 まあいいや。これで帰ってくれるならシメたものだ。


「ほら帰ってくださーい。セツナさんは自分の言ったことも守れないひとかなー? さーとっとと帰ってくださいねーー」


 僕は調子に乗ってみた。


「くくッ。よかろう。ああ、そうだ。きゃつらの手足の腱は最初に斬っておいた。そこの蓑虫も含めてな」


 はい?

 セツナさんがそう宣言した直後。ばたばたと、人が倒れ込んでいく。

 ええ……?


「ではな。また会おう、女遣い」


「二度と会いたくないんですけど……」


「ならば、あの弟子めの腕でも落とせば会いに来るか? くくっ。それも悪くはないな」


「え、それ本気で言ってないですよね?あの、セツナさん。答えて、答えてください?」


「くくく。くはははッ! さらばだ、女遣いよ!」



 そしてセツナさんは、助走もなしに、屋根を悠々と飛び越えて──。


「なあ化生。ひとつ問うが。……お前とて、我と同じ想いではないのか?」



 背中越しのセツナさんの問いに。

 メリーは、いつものように無言だった。





「……何だったんだあのひと」


 ……まあいいや。災害か何かだと思って忘れよ。

 まあ何が問題って都市のどこかに人型災害が潜伏してることなんだけど。正面から何とかするの難しいから忘れよ。


 さて、そんなことより通報だ。

 恐怖と、ついでに関係者がいれば口も滑りやすくなるだろう。

 僕はこの、通報の瞬間が大好きだ。善行って感じがする。



「ちょっと行ってくるね」


「ん」



・・・

・・


「──というわけで足の腱が全員斬れてるんですがこれは自然災害の手によるモノで僕は関係なくだけど薬の売人は捕まりましたのでジャックさんに引き継ぐといいと思いますけどとりあえず本官さん来てくださいよどうせ暇でしょパトロールとかいっていつもその辺歩いてばっかですし──」


「また君はさあぁっ!! なん゛っっ……で!こうさあっ……!!」




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― 新着の感想 ―
[良い点] いいことしてるんだけど最後に苦労するのはアネットさんか........ [一言] セツナさんって結構かまって欲しいタイプかな?
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