閑話・冒険者ギルド看板受付嬢レベッカ・ギルツマンの優雅な余暇活動
「マオーリアさんめっちゃいい人……すごい性格いい……すてき……」
すっきりと片づいた自室にて。
レベッカ・ギルツマンは薄い化粧を落とし、使い古した毛糸の部屋着に着替え、自室でしか使わない丸眼鏡を掛けながらゆったりしていた。
一人用のマグカップに並々と注がれたホットココアが白い湯気を立てている。
「いっそがしい時に何回か対応してもらってたけどやっぱ改めていい人すぎる……差し入れとか贈りたい……」
伯爵邸爆破の時も、戒厳令発令の時も、ギルドで応対してくれたのはアネットだった。
それを思い返し、レベッカは顔をほころばせる。
「甘いものとかお好きなのかな……」
背すじをぴんと伸ばした姿勢。折り目正しい皺のない制服。かわいさの中に凛々しさのある顔立ち。
その一方で、背に提げた三つ叉の槍が、たびたび地面を擦るほどの背の低さというギャップだ。かわいい。
レベッカはかわいいものが好きだった。その上、やさしい。とても好きだった。
「それにひきかえ。あいつやっぱ性格最悪だな」
柔和な表情から繰り出される世のすべてを小馬鹿にしたような嫌み、はきはきとした口調で語られるふざけた物言い、煙に巻くような話術。
灰髪のことを差し引いても、キフィナスとは、悪評が服を着てそのまま声を掛けてくるような男だった。
レベッカがあーんをしなければならなくなったのは、今考えると、やっぱり腑に落ちない。
……いままで、誰にもそんな気っぱずかしいこと、やったことなかったのに。
「はあ……。メリスさんってば、どうしてあんなのを。マオーリアさんまで気にかけてるみたいだし……」
史上最強の冒険者・メリス。
彼女がこれまで踏破してきたダンジョンは、どれも攻略が不可能であるとされてきたものばかりだ。
そして、かわいい。ろくでもない男の胴体を抱きしめながら、首だけくいって向けて上目遣いになるところがかわいい。背が小さい。
何であんなのにくっついてるのかわからない。かわいい。
「ほんと、問題は例の、あんなのなんだよな……」
お手製のミニチュアハウスの家具を眺めながら、レベッカは思う。
──実際のところ、あの冒険者ギルド必注意人物は、いったい何を考えているのか、まるでわからない。
冒険者ギルドは、キフィナスが普段からメリスに付き添いダンジョンを探索していることを把握している。
ヘラヘラと『薬草採りだけが僕の仕事』なんぞと抜かしているが、その実、一週間に一度、一時間ほど空き地で草を毟っているだけだ。
残りの時間。あいつが何をしているのか、レベッカは把握していない。
ただ言えることは、冒険者ギルドにいる少なくない荒くれ者たちが彼を見る視線には、嫌悪以上の怯えが混じっていることだけだ。
「任せてよかったのかなぁ……」
レベッカは今更、自分が厄介な生物を善良でかわいい人に押しつけてしまったことに後ろめたさを感じてきた。
もちろん、問題自体は任せられるシンプルなものだ。
たった一言、『協力します』の一言で終わる、本来なら拗れようのないシンプルな問題。
(でも、それをぐっちゃぐちゃの修復不可能な状態にしかねないのがあいつなんだよな……)
レベッカは、キフィナスの口から語られる薬草採取への情熱など最初から信じていない。
それどころか、『薬草を採るだけで都市で生きていくことを保証する』とかいうふざけた権利を仮に得たとして、それをいつ手放しても全く惜しくないだろうとも思っている。
それだけ、あいつは妙だ。
(重要案件なのに。重要案件なのに……)
迷宮都市はダンジョン資源が豊富で、研究・開発が盛んであるが、それでも《迷宮兵装》に匹敵する性能の道具を作れる職人というのは、王国内でも数が限られる。
かのテンガイ老の《大豪剣ゾーク》や、故ルピカ師の《光輝の鎧》、旧王都グランタイレル北職人組合の《フルアーマード・ハイエース》など、既に散逸したものも数多くある。
《呪医》と関係を繋ぐというのは、すなわち《迷宮兵装》級の道具を管理できるということだ。
その重要さを、どれだけ認識しているのか。
(いやでも、重要さを認識していればしているほど、あいつはめちゃくちゃにしそうな気がする……!)
今更ながら、レベッカは大きな不安に駆られてきた。
もう遅いだろうが着替えて同席した方がいいだろうかと思いを巡らせていると──足下で、にゃん、という鳴き声。
「もふにゃんごろ? どしたの」
『もふにゃんごろ』と名づけられたら黒猫が、レベッカのすねにスリスリと体をこすりつける。
猫──ダンジョンから回収された《生物資源》のうち、迷宮外でも定着した生き物だ。迷宮都市デロルにも、一定数の野良猫がいる。
彼らはある程度の収入を持つ家庭のペットとして人気がある。
「ごはんなら朝出かけるとき用意してたでしょー? そんなに食べるとおでぶさんになっちゃうんだから。だーめ」
ぬああん、と抗議するような声。
その後も、レベッカのすねを行ったり来たり……。
ごろごろ、ごろごろ、ごろごろ……。
「ああもうっ。一口だけだからね!」
飼い猫のかわいさに耐えかねたレベッカは、戸棚から餌を取りだし、手製の皿に二口分よこした。
みやお、みやおと鳴きながら、旺盛な食欲を皿に向ける黒猫のお腹は、ここ最近出っ張り気味だ。
レベッカはそれを見る度、気を抜いた未来の自分はこうなってしまうかもしれないと危機感を覚えながらココアを飲んだりパイを食べたりする。
レベッカの給金は、もっぱら同居人の黒い猫を養うことと、
「あ、そろそろニス乾くな。磨いて気泡落とすぞ……」
趣味の工作のために使われていた。
「ふふーんふーんふーん♪」
目の細かなヤスリを握り、作業室へと向かうレベッカ。
その頃にはすっかり、懸案事項など忘れていた。
そして眠る前に、ふっと思い出し、最悪決裂してもいいけどどうか妙なトラブルにだけはなるなよ……!と不安な夜を過ごした。
私服のレベッカ・ギルツマンは、けっこう、残念なひとだった。
《迷宮兵装》
ダンジョンにて出土した資源の内、破壊力が高いものを指す。危険物であるため、所持することにも罰則がある。
ダンジョンから回収された資源は、用途が武器と認定された場合、土魔法で作られた人形を相手に、どれだけの破壊をもたらすか検査される。
研究者たちによって用途が明らかになったものが、結果として《迷宮兵装》へと指定され、国に回収されるという流れが多い。
説明書きもなしに武器だと判断できた以上 、それらは扱いやすいものであることが多く、王都タイレリアの王宮、地下宝物庫は許可なく立ち入るだけで極刑を免れない。
ただし、場数を踏んだ冒険者とは、得てして切り札を抱え込んでいるものだ。
迷宮都市において、冒険者が畏怖される理由のひとつでもある。
爆弾を抱えて歩く隣人に、果たして人は、どれだけ親切でいられるだろうか。




