かくして、再び日常へと
行きは急いでいたからメリーの必殺技《地獄の特急便》を喰らって恐怖体験を味わったわけだけど、帰りは別に急ぐ理由はない。
よって、のんびり普段の歩調で帰ることができる。メリーの歩幅に合わせた、ゆっくりなペースだ。うわあ速度が早いと空気って壁になるんだなぁ、なんて奇妙な感慨を抱かなくてすむ。
「きふぃ。のる」
すむんだよ……? すむはずなんだよ……? すむのに…………。
メリーは、華奢で小さな背中を僕に向けた。どうやら、僕におぶさることを要求しているらしい。
……だいたいそれ。さっき、カルスオプトの内側で十分やってない? 同じ体勢だよね。もうよくないですか。
「たりない。ふそく。もっと」
そっかーー、足りないかーー。
ええと、まあ、なんていうか──嫌だ。嫌です。嫌!
メリーはちびなので、僕の足はどうしても地面に着くわけなんだけど、そこでメリーさんに走られると、僕の足は地面でもってすり下ろしにされてしまうことになるよね。
そうしないためには僕はメリーにおぶさりながら下半身を地面から浮かせるためエビぞりをするという、かなり不自然な体勢を取らないとならないわけですね。
それって疲れるよね? 僕つらいよね?
「…………」
なんですかメリーさん。煤まみれの真っ黒な顔で、そんなに僕のことをじーっと見て。無言で見つめても僕の答えは変わらないよ。変わらな……気まずいなあ!
僕が気まずさに明後日の方向に目をそらすと、その位置には既にメリーが立っていて、やっぱり目があった。うわびっくりした!
……どうやら、僕が首を動かした瞬間に目線の角度を正確に把握して超高速でその位置まで動いたらしい。
たぐいまれなる身体能力を駆使して僕をびっくりさせるのやめてくれませんか。
「びっくりさせてない」
しました。僕がしたんです。
「めりは。きふぃのめ。みてただけ。かたちがよい。かわいい。かこいい」
……どっちだ? 本気でそれだけなのか、それとも僕にプレッシャーを与えて僕の選択に干渉しようという意図を含意しているのか……? 喋らないから純真に見える(メリーにわかのレベッカさんはメリーを純真無垢だと信じている。この子の理解が足りない。ははっ)けど、メリーはそういう謀りをする子だ……。
いやまあ、メリーがどんな考えをしてるにしても、なんか気まずさというか、罪悪感というかがどんどん膨れてくる状況に変わりはないわけだけど……。
仮にたばかってたとしても、僕の態度がメリーにそうさせてるわけだしなあ……。
「……。きふぃ。いや?」
「嫌ですけど」
でもそこは折れない。僕は、嫌なものは嫌って言うぞ。
嫌です。怖いから嫌です。
「いや? ……めり、きらい? きらいなった」
「別に君の好悪とは関係ないよ。でも、その、ね? ……嫌なものは嫌だよ。メリーはもう聞き飽きたと思うけど、僕は怖いのが嫌なんだよ」
「こわくしない。めり。まもる。いつもまもる」
「君そういうしつこいところあるよねー……」
……いや、まあ、確かに?
王国の出入りを管理する関所を僕らは通ってないわけで、行きと同じく、メリーの馬鹿みたいな高さのジャンプでぐるっと囲う壁は超えないといけないわけだから、どうしたってモンスターマシンのお力はお借りしなきゃいけないわけで。
だから、『ここから走ってひとっとびするか』、それとも『壁の近くまで寄ってから飛ぶか』という選択は、ただ、早いか遅いかでしかない。それはわかる。わかるんです。結局僕は君に運んでもらうことは変わらないよ? だから、君はここで、僕がおんぶされることを要求してるわけだ。その方が帰りも早いしね。メリーさん合理的だもんね。
けどね、やっぱり、その……処刑ってさ。あー、僕はあえて、今の僕の心境を表現する正確な語句として、この単語を使うけど。処刑って嫌でしょ。たとえそれが避けられないとしても、刑の執行ってできれば遅い方がいいでしょ?覚悟の準備がいるんですよ。僕は怖いの嫌なんだって。ああもちろん、僕はいついかなる時もメリーを信頼してる──だからそういう顔をしないでほしいんだけどずるいよ──と同時に、同時にですね?メリーって子がー、すごーーーーく雑なのも知っているわけですよ。『がさつ』じゃなくて『雑』だよ。君ほんとに雑だからね色々。体内に入ったら一緒って考えてるんだろうけど蜂蜜漬けのナッツとミートドリアと納豆と赤葡萄は同時に口の中に含むものじゃないです。他にも色々言いたいことはあるけど──まいいや。とにかく、僕は君の生来の雑さをよく知っているわけです。
そうなると信頼と疑念は50:50くらいになるわけで、まあつまり、君のことはもちろん信頼してるけどそれはそれとして僕はギリギリまで自分の足で歩きたいなあってなるわけなんですね。わかるかなメリー。わかった? あの、僕の胴体から手をどけて?僕がだらだら喋ってるからしびれを切らしちゃったのかなー?メリーそゆとこあるよねー。くそっ他の人ならこれだけ口回せばすっかり流されてくれるのに流石メリーは僕への対応をよくわかってるって離して?て離して。その手。手です離してください。離して。いい子だからその手をお膝に置いて。僕を下ろして。やめて。やめっ、や──。
・・・
・・
・
……気づいたら、なんか、僕、宿屋に帰ってた。
煤まみれの体も、服も、なんか問題なく着替えが終わってた。
「おはようございます、キフィナスお兄っ。夕べはびっくりしちゃいました。お兄が、まさかあんな……」
僕が? 僕がどんな? 何を?
「いん」
「あっ、これ言っちゃダメなやつでした! ごめんなさーい」
インちゃんは、そう言って舌をぺろりと出す。
多分、この子はわざと話題に出した。
……え、でもやだな、僕の知らないところで僕がよくわからないことになっている……。
いやまあ、僕には色々と悪い噂──灰色の髪は病気をまき散らしてるとか、たとえば僕が冒険者ギルドを潰そうとしてる邪悪だとか、そういう事実無根のやつとか──があるので、僕の見てないところでも僕への認識はどんどん変わるわけだけど、なんか、そういうのとは質が違う何かを感じる。
「いやー、でもカッコ良かったですよー?お兄っ」
「ん」
「何の話なのか全然わからないんだけど……。僕がなんだって言うんだい、インちゃん。それでメリーは何でそんなにうんうんと頷いているんだい」
「やー。喋っちゃダメなやつなので。ね?」
「そう。だめ」
「ヒントとかないかな。答えでもいいけど。むしろ答えがいいけど。ない?」
「ふふふー。どうします? メリスさん」
「ないしょ」
「ふふ。というわけでっ。お兄にはヒミツなのです」
インちゃんは上機嫌に笑っている。それに釣られて僕も笑った。インちゃんの笑顔には、そういう愛嬌がある。
それに比べて、メリーの表情筋は固いよなぁ。いや表情豊かだけど。僕は手元にあったメリーのほっぺをぺたぺたした。
やらかい。
「あ、そういえばインちゃん。今日の分の宿賃……あ、メリー。財布おねがい」
「ん」
僕はメリーのほっぺをむにむに動かすことで忙しいので、メリーにお財布を出してもらう。
これは迷宮資源なので、メリーが握っても壊れることはない。
メリーは財布の端をがさがさと振り、金銀銅貨をじゃらじゃらと手のひらに並べ、銀貨以外を床に落とした。
こうしないと、硬貨に修復不可能なへこみができてしまうためだ。
これを拾うのは僕の役割になる。なのであまり落とさないでほしいな、とほっぺをうりうりしながら思う。
「はい。2名様で銀貨1枚。確かに受け取りました」
この光景に、インちゃんは特に驚く様子もない。
これは、いつものことだからだ。
インちゃんは、おおらかな母、スメラダさんと違ってきっちりしている。
料金が2名で1泊銀貨1枚となれば、必ず、朝いちばんに銀貨1枚だけを徴収し、『数ヶ月分』とかは許してくれない。
だから、普通のお店と違って、メリーに支払いを頼むことなんかもしょっちゅうある。なにせ朝だから、僕も眠いしね。あと、僕の財布が空になっていることもあるし。なんか、気づいたら空になってたりする。
「今日も一日、がんばってくださいねっ!」
インちゃんの元気な声。
いつもの朝の光景──。
「うん。がんばるよ」
「……ええっ!?」
インちゃんが、なぜか僕を見て、すごく驚いている。
え、どうしたの?
「え、だってキフィナスおにぃ、いつもなら『僕は頑張らないよー。メリーがその分頑張って貰うだけでー』とか言うじゃないですか!?」
いや、まあ……言うけどさ。
「いつもはもっとヒネてて素直じゃなくてっ……。まるでお兄じゃ、ないみたいでした。いやお兄はお兄ですケド……」
「そうかな」
「そうですよ。何かあったんですか?」
「──あったよ」
──誰かに、胸を張って語れるような冒険譚ではないけれど。
僕の胸には、たしかな感謝がある。
「……そですか。わたし。今のおにぃ、いつもより好きですよ」
「めりは。いつも。すき」
「あ、ズルいですメリスさんっ。私だっていつもお兄のこと好きですよ!」
「ん。いんは。よいこ」
メリーとインちゃんがわちゃわちゃしている。
それは、いつもどおりの朝で──。
「ああ、ようやく……帰ってこれたんだな」
僕は、しみじみと思った。
「あ、そういえば。領主様の代行様から、キフィナスお兄に、『よろしく』と。透き通るような青い髪の──」
「えっと……シア様から? 何かあったのかな」
「いや、特に何かあったワケじゃなさそうでしたけど……やっぱり、お兄の女性のお知り合いだったんですか? 女性の」
「なんで女のひとであることを強調するの? いや、まあ、確かに、僕の知り合いに男のひと少ないけどさ……」
「深いイミはないですケド……あ、そろそろ朝食できますね。今日は、おかーさんのとっときです」
ふわり、といい匂いが漂ってくる。
スメラダさんのとっておきか。……楽しみだな。
デザートはあるかい?
「白ぶどうのシャーベットです。好きですよね? 果肉のところだけをシャーベットにして、皮はそのまま食べられるようにしてますよ。私も手伝ったんです」
へえ、それは楽しみで──。
「──キフィナスさんいますかっ!!!?」
宿屋の戸を開けて、大声が突然飛んできた。
「いません。おひきとりください」
僕は反射的に答えた。
ごはんが食べたかった。




