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カルスオプト・リコラプスト


 ──キフィがカルスオプトの内部に入ってから、どれだけの時間が経っただろう?

 灰色の空には、月も星も太陽も昇らない。


 メリスの完全完璧な体内時計は、キフィナスと離れた途端にすっかり狂ってしまった。今のメリスには、離れている時間が永遠に思えてならない。

 一秒が一日に、一分が一月に、一時間が一年に感じられる。遠い昔に痛みを忘れた身体。しかし今、メリスの細い胸には、締め付けられるような疼痛がある。

 今のメリスの胸中にあるのは、大好きな幼なじみへのとてもたくさんの心配と、その半分の誇らしさだ。

 それが、胸をじんじんと締め付けて、締め上げてくる。


 ──ぎ、ぎぎぎ、と。鉄の軋む音がする。


「うるさい」


 メリスは、細心の注意を払いながら──あくまで当人にとってであるが──巨大な鉄甲の、その脚一本一本の動きを、純粋な握力によって止めている。

 スキル《距離完全無視オールレンジ》によって、メリスの手のひらは全世界を覆いつくすほどに広げることができる。メリスは、雲より上にある胴体から生える脚、そのひとつひとつを、同時に手のひらの中に押し込み、握った。

 もっとも、メリスにとって、これは呼吸と変わらない。むしろ、力を加えすぎないことを気にしているほどだ。

 絞るような圧力が加わったカルスオプトの脚部は、煤と鉄が力で融合していた。配管の流れを止められ、行き場を失った噴煙。メリスはそれを熱エネルギーごと握り潰し、鉄と煤に捏ねられて混ざった。

 握力によって生み出された超密度の圧力は、対象の温度をどこまでも上昇させる。煤にまみれた黒きカルスオプトの脚は、今や、その一本一本が赤熱し、燈色とうしょくの光と超高熱とを蓄えて熔解していた。

 メリスに切り刻まれた時のように、ダンジョンの性質である元の形へと戻ろうとして──メリスの腕力によってそれを阻まれ捏ね混ぜられ──元の形へ戻ろうと──混ざる──戻る──混ざる──戻る──というサイクルを繰り返している。



 ──そして、熱によって膨張したカルスオプトの胴体部から、銀の燐光が漏れ出た。

 メリスの透明な金の眼に映るそれは、メリスのよく見慣れた──その地に生きる人々が、打擲打倒打破すべき対象と同じ色をしている。


 キフィナスは知らなかった。

 ダンジョンの入り口だとして自分が通り抜けた場所こそ、終着地を示す《銀の門》であったことを。


 カルスオプトの内部で、どれだけ銀色の扉を探そうとしても、けして見つかりはしないことを。


 そして、メリスは知っている。

 蘇った機工都市カルスオプトとは。

 ダンジョンでありながら、それ自体が銀の門の支配者──機工の要塞、《主》でもあることを。





 ──が、が、が、と、空転する鉄が鳴く。それはまるで、鉄塔のあげた苦悶の声だった。

 だが、メリスは全く意に介さない。一切の感情を動かすことなく、握り絞め続ける。

 ダンジョンの主がたとえ知的存在であっても、これまでメリスが容赦をしたことはない。


 ダンジョンとは、星の記憶が形を成したモノだ。『辺境を走る鋼鉄の魔獣』という共通認識は、その有り様に影響を与える。

 錬金小人ホムンクルスを抱えた『都市』という概念と、辺境をならして回る『魔獣』という概念がない混ざり、カルスオプトは両義性を獲得した。

 ありとあらゆる【スキル】を所持しているメリスには、それが理解できる。世界の法則について理解を促すスキルも、そこには多数存在するのだ。

 スキルの有無で、世界の見方すら大きく変わる。

 ……メリスの大好きな幼なじみは、ひとつとして持っていないものだ。



「きふぃ」


 キフィは、裂け目をくぐったその瞬間から、雲より高い機工要塞の最前線にいる。

 怪我をしていないだろうか。

 悲しんではいないだろうか。

 苦しんではいないだろうか。

 ……死んじゃっては、いないだろうか。


「きふぃ。きふぃ。きふぃ。きふぃ……」


 メリスは、祈るように彼の名前を呟く。一秒が十年、一分が百年、一時間が千年に思えるが、未だに何も──、


「久しいな、メリス。息災だったか」


 ──空気の流れから、メリスは自身に接近する存在を感知する。

 メリスは声の主を一瞥すると、それに返事をすることもなく、カルスオプトの胴体部へと自分自身を『掴んで』投げつけた。


「積もる話はあるが、とりあえずその黒い魔獣が王国に──」



 華奢な少女の体躯は砲弾となって、胴体をえぐり、突き破り、大穴を開ける。

 そうして、メリスは一直線にキフィナスの元へと向かった。



「……あいつめ。キフィナスがいないと、話すらままならんとは」



* * *

* *

*



 僕は胴体からキフィナスくんAパーツ/Bパーツに分かれそうになりながら、メリーの体温を感じていた。


「きふぃ。しんぞうのおと。ばくばく」


「ああ、うん……まあ、ね」

 

 僕にぺったりと貼りついたメリー。その肌は、どこかひんやりとしている。

 ……いや、これは単に、カルスオプト内部の気温がメリーの体温より高いだけか。


「こわかった? いたかった?」


「まあ、そうだね。怖かったし、痛かったよ。だから、ずっと心臓が跳ねっぱなしだった」


「も。だいじょぶ。めりが。まもる」


「……うん。ありがとう。メリー」


 メリーに抱きしめられていると、有事を前にずっと早鐘を打ち続けていた心臓が、その拍動を平時へとシフトさせていく。

 メリーの隣は、世界で一番安全で、まあ、基本的には安心できる場所だからだ。


 ぺったり。


 ぺたぺた。


 ぺた……。



 ……で。メリーはいつまで僕を鯖折り(だっこ)してくれてるつもりなのかな?


「ずっといっしょ」


「ずっとってなんだい。そろそろいいと思うんだ。僕の心臓のドキドキももう止まったし」


「や。はなれない。ぜったいや」


「動きづらいんだけどさ。せめてここから出た後にしない?」


「やなの」


「いや、あの、動きづらいっていうか胴体がそろそろやばいんですよ。きっと痣とかできてるよ大蛇に締め殺された犠牲者みたいなやつ。このままだと心臓がゆっくり通り越して止まっちゃうんだなーー」


「だいじょぶ。めり。なおす。あとない。のこさない」


 傷跡を残さないことで第三者への通報を難しくしてるのかな? わあ洗練された手口だ。本官さんとか絶対助けてくれないもんね。

 で、あのひとが助けてくれないなら多分憲兵隊にかけ合ってもどうにもならない案件になる。なにせ、街の子どもがペットの小鳥を逃がしたってだけで、たったひとりで町ひっくり返す勢いで捜索するような人だからね。

 そんな人が見過ごすって絶望感すごいな。


「めりは。きふぃをきずつけない。きずつけさせない」


「いや、あの、現在進行形で傷ついてるんですけどそろそろお腹の感覚なくなって──あっ唐突に戻ってきたメリーきみなんかしたねって痛い痛いいたいいたーい」


 痛いです。おなかが痛い。痛い。

 というかメリー。ほんと、今の僕、煤とかにまみれて汚いからさ。離れてほしい。

 君まで汚れちゃうよ。


「いい。めりも。よごれる」


 洗濯物の手間を二倍に増やすのはよくないと思うんだけど。どう?


「めりは。きふぃとおなじものをみる。おなじことをかんじる。かんじたい」


 ……ええと。……困るな、そんなまっすぐな目で見つめられると……。

 だからって、汚れまで共有しなくてもいいでしょ。


「するの」


「しません。それに、できるだけ早めに片づけないといけないしさ。のんびりするのはその後で。好きなだけ、ゆっくりしようよ」


 王国に住んでる人がどれだけいるか知らないし、僕の人生に関わらない大多数がどうなろうと、正直、僕の知ったことじゃないけどさ。

 やっぱり、せっかく知り合えた人たちには、できるだけ笑顔でいてほしいからね。

 あの人たちが、今日も昨日と変わらない日常を過ごせるのなら──まあ、僕もほんの少し、小さじ一杯程度の苦労なら、してもいいと思えるよ。


「……。めりは。さみしかた」


「そっか」


「せんねんくらい。まった」


「あー、それはごめんね。ところで僕、体感3000年くらいカルスオプトにいたけど。メリーの三倍くらい上だね」


「…………。いちまんねん。まった」


 うわ、後出しずるい。


「めりのかち。しょうり。ゆうしょう」


 あー、はいはい。

 泣く子とメリーには勝てないな。それで?


「しょうひん。だっこ」


 ……ええと、今してるのではなく? あ、違う。

 じゃあ、そうなるとつまり。

 えー、僕が君をだっこしろと?


「ん。じょうほ。だきょう。おりあい」


 ……まあ、痛いよりはマシか。

 どいてメリー。その絞殺刑やめて。

 うん。ありがと。



 ──僕は、背中からメリーの華奢な躰を抱きしめた。

 ふわふわな髪が、僕の顎をくすぐる。


「ん……」


 メリーは、鼻にかかったような声を出した。


 メリーを抱きしめると、身長の違いから、必然僕は覆いかぶさるような体勢になる。

 ちょっと不安定だ。


「これでいいかい、メリー」


「もっと」


「……ここ、ダンジョンだよ。危ないよ」


「めりは。ぜったいにきふぃを。きずつけさせない」


「ああもう……。君はずるいな、ほんとに」


「……。ん。めりは。ずるい」


「まさか開き直られるかー。まさかだよ。返す言葉がなくなってしまうよね」


 僕はため息をつきながら、その体勢のままダンジョン探索に戻る。

 メリーが満足するまでこの体勢を維持しなきゃならない。

 四足歩行の動物が懸命に二足歩行してるって感じで、僕はのたのた足を動かしている。気分はグリズリーだ。


「ああ、ちょっと待って。今明かりをつけるから」


 僕は、メリーが配管とか壁とかにぶつからないようランタンを出そうとすると──、


「だめ」


「ぎゃっ!」


 僕の腕がぐっと掴まれた。痛くて思わず声上げた。

 あの、だめじゃないんですよメリーさん。明かりないと君壁とか配管とかに身体ごりごりぶつけるでしょ。


「べつに。いい」


「よくないですー。暗闇で転んだら危ないよ」


「なら。つける」


 メリーが指先をつい、と動かすと、周囲の空間が明るくなった。


 火とか雷とか、光源らしきモノはどこにもない。

 ただ事実として、視界を覆い尽くしていた暗闇が、なにやら薄らいで、肉眼でもはっきりと煤にまみれた歯車やゼンマイバネが見えるようになった。

 どうやってるのかはわからない。なんで見えてるんだこれ……。


「いく」


 ……まあ、メリーが物理法則とかぶっ壊すのはいつものことだ。今さらだ。

 この子は、大体なんでもできる。

 もちろん、それに頼りっきりにはしないけど。


「目的地は、この歌の流れてるとこだから」


「ん」


 かすかに聞こえるメロディは、まっすぐこの先にある。

 無機質な、感情を感じさせない、リズムが不定の──だけど、確かに音色だと思う。


「誰かいるかもしれないから、慎重にね」


「だいじょぶ。めり。殺す」


「あー、敵じゃないかもしれないからね。慎重にね? ほんと慎重にね?」



 そんな調子でのたのた歩きながら、僕はメリーとお話をする。


 足下の見えない暗闇、蒸し殺すような暑さ。

 でも、メリーの隣にいると、そんなものは日常の延長線だった。


「れすたに。あった」


「れすたって……レスターさん? あー、あのひと苦手なんだよなぁ僕……」


 いや、うん、まあ。裏表とかない人だけどさ。ないけど……なんていうか、真っ直ぐすぎるというか……。

 その、ほんとに近衛騎士になるとか思ってなかったわけで……。

 ご飯食べてるときに『姫君に近づきたいんだが』とか急に言われて。まさかそれ、本気で僕に訊ねてるとか思わないでしょ、普通は……。


 ……レスターさんに会った、か。

 じゃあ、カルスオプトはレスターさんが止めてるってことかな。


「元気そうだった?」


「いきてた」


「生命活動の有無を聞いたわけじゃないんだけど。まあ、元気なのかな」


 事態を説明して協力してもらうなんて、メリーも成長してるんだなぁ。

 ……説明したよね? 何も言わず、押しつけたりしてないよね?


「…………」


 メリーさん? あの。ちょっと?



・・・

・・



 そうして僕らは、のたのたと目的地にたどり着いた。

 メリーを抱きしめたまま歩いても、おっかなびっくり周囲を警戒しながら歩くよりよっぽど進むペースが早かったあたり。改めて僕ってばクソ雑魚だなーって思った。

 いやまあ、僕の勝利条件に腕っぷしとか一切関わらないからいいんだけどさ。



 ──そこにあったのは、一基の、小さなオルゴールだった。



「これは……?」


 手のひらに収まりそうな大きさの、鉄製の小箱だ。

 箱の中では、櫛のような形の硬板が、回転するシリンダーを撫でていて、その度にぽろん、ぽろん、と音が鳴っている。


 その動力源は──どうやら、カルスオプトの運動エネルギーらしい。触手のように無秩序に伸びた何本もの配管が、オルゴールのハンドルに絡みついている。

 どうやら、カルスオプトが全身を動かすと、このオルゴールのハンドルも動いて音を鳴らすシステムらしい。

 そういう仕組みだから、曲調がなんとも不定だ。突然早くなったり、かと思いきや急に遅くなったりする。


 テンポの分を差し引いても、音程がおかしかったり、音を外していたり……、お世辞にも出来がいいとは言えない。

 これが吟遊詩人の演奏だったら、酔漢に石のひとつでも投げられてるところだろう。


「ん。これが、コア」


 コアって? ……このオルゴールが、ダンジョンのコア?

 いやいや、まず僕は銀の扉をいつ抜けたのさ。それに、ダンジョンには主がいるだろ。

 それに、コアが器具の形を取るっていうのもよくわからないし。だいたい、カルスオプトの核っていったら《階差機関》のはずだ。

 メリーの言葉である以上、そこに間違いはないんだろうけど……。


 僕が頭をひねっていると、じっと僕を見ていたメリーが、ぽつぽつと語り始めた。


「ダンジョンは。きおくの。かたまり」


 記憶の……?


「そこにいたものの。それをおもうものの。ほしの、きおく」


 ……ええと、ごめん。よくわからない。

 そもそも、まず、いつ僕は扉とかくぐったのかってところからわからないんだけど。

 いつダンジョンのボスを倒したのかもわかんない。


「さいしょから」


 え、最初?

 ……ってことは。飛び散ってひしゃげた鉄塊の破片の中に、銀色の光があったってこと?

 いや嘘でしょ?嘘じゃないの?あ嘘じゃないの。そっか……。うわ、今さら自分の行動に怖くなってきた。ほんとに?

 え、ここが最深部ってことは。ひょっとしてボスって油で流されたりしてたの?


「カルスオプトのぬしは。カルスオプト」


 え、なんで……?

 どういうこと……?


「そうおもわれたから。そうなた。そゆもの」


 そういうものって……。

 説明してもらってなんだけどさ。メリーそういうとこあるよね。はあー。

 ……ま、いいや。どうせ、僕が気にしたってしょうがない。

 コアってことは、これを壊したら終わりなんだよね。うん。すぐ壊そう。今すぐ壊そう。ほら壊そう。

 だって一秒でも早く帰りたいし。

 僕にとって、カルスオプトは罪の記憶そのもので──。


「きふぃは、わるくない」


 ……そう? 弁護ありがとうメリー。

 じゃあ、機会があったら僕も君を弁護してあげよう。すっごい無理筋なやつを、私情だけで、一切の論理とかを無視して庇う。まったくの無根拠でも、気休めみたいな言葉と煙に巻くだけの会話法の二つの頼れる武器で、しっかり庇わせてもらうよ。


「こんきょは。ある」


 ……一応聞いてみるけど。

 なんだい?



「このうたは。あのとき。きふぃと、めりが。うたった、うた」



 ……え?


「よくきく。わかる」


 僕は、耳を澄ませてオルゴールの音色に集中する。



 ──血豆を踏み潰しながら僕らはゆく 安らぎの地を目指して

 西の水晶砂漠は 足がちくちく

 陽の光受けて ななつ──なな、いろ──。



 …………ああ、ほんとだ。

 昔、この広間で、そんな歌詞をつけて歌ったやつを、オルゴールが無機質な金属の音で奏でている。

 僕がとちったところも含めて、このオルゴールは、あの日の、僕らの稚拙な──もちろんメリーの口笛は上手いけど──歌を忠実に再現している。

 はは、道理で聞くに耐えないわけだ。


「きふぃのうたのために。ここは、うごいてた」


 ……いや、メリー。

 君は知らないかもだけど、カルスオプトは『世界を救う』とかいうお題目のために動いてたんだよ。

 それが、僕の歌の為って。いくらなんでも突拍子がない。


「エンジンは。ここに。ない」


 確かに、機関室に《階差機関ディファレンス・エンジン》がなかったのは、そうだけどさ。

 ……僕の歌だよ? 稚拙な、即興で作った、吟遊詩人のままごとみたいな──。



「それで、すくわれた」


 ああ。確かに僕の行為は、カルスオプトの大きな足を掬ったって表現できるけど──。


「ちがう。すくわれたの」


 …………救われた?


「ん」


 救われるって、何がさ。

 僕には世界を救おうなんてバカみたいに大きなバカな考えは持ち合わせてないし、今後も入荷の予定はないよ。



「ここにいた。いのち」



 メリーの視線の先には、煤にまみれ、黒く汚れた銀の円筒があった。

 追憶の中で、僕が何度も出入りした空間だ。ここには、死と再生──痛みが詰まっている。

 僕はなりゆきで、それを破壊した。


 確かに、これ以上の犠牲者を増やさない、その行為はある意味で『彼らを救った』って表現できるかもしれないけど──。



「ちがう。きふぃは。はぐるまじゃないって、おしえた」



 ──まだ活動していた頃のカルスオプトを、追憶という形で、体感時間で数千年ほど費やして学び取った今ならわかる。


 彼らカルスオプトの住人は、三日で死を約束されていた。

 製造されてから崩壊するまでの698年間、彼らは《缶詰クレードル》に入って全存在を分解・再利用して生まれ、そして死ぬというサイクルを続けた。

 そこに、意志は一切介在しない。自由もなければ、選択もない。

 彼らの存在は──世界の救済とかいう、途方もない、何百年とかけても答えの出ない問いを計算するという機構を支えるための、歯車だった。


「きふぃは。ひととして。おなじひととして、むきあった」


 ……そんなの、当たり前だろ。

 僕じゃなくたって、きっと同じことをするよ。

 それがただ、偶然、僕だっただけだ。



「それでも。すくわれたの。だから、これがある」


 メリーが、オルゴールを指さし、



「ここのいのちは。きふぃのうたを。えらんだ」


 ──彼らは、数百年前に命じられていた『世界の救済』よりも、10歳そこらの子どもの稚拙な歌を選んだと、僕に告げた。



「すくわれたの」


 風の涼しさも、

 土のにおいも、

 空の青さすらも知らずに生きた彼らは。


 最期の瞬間に、それを知ることができたのだと。

 だから、救われていたのだと。



「……でもさ。救われていたのは、僕たちの方だよ」


 メリーを化物だと恐れず。

 僕を灰色の髪だと疎まず。

 彼らは受け入れてくれた。


 辺境の村々を渡る、巡礼のような旅路で。

 受け入れられたことがあった、という事実は、僕らの足を動かす活力だった。


 メリーが今、いつものように容赦なく、ダンジョンのコアを見つけ次第破壊していないのも、きっと僕と同じ想いがあるからだろう。

 メリーの言うように。お互いに、お互いの出逢いが救いだったと言うのなら、それは本当に幸いなことだ。

 ……でも、だけど……。


「…………だけどっ、あのときの僕は、何も知らずにっ──!」


「いまは。しってる」



 メリーが、僕の言葉を遮った。


 ……ああ、そうだ。

 僕は、彼らのことをよく知った。


 彼らの身の上も、機工都市カルスオプトが誕生した経緯も、

 何年辺境の旅路を続けていたのかもわかるし、張り巡ってる配管の数だってわかる。


 ──その上で、僕は再度、カルスオプトを破壊することを選択する。

 今の僕が、もう一度、あの日を繰り返せたとしても、同じ選択をするだろう。


 僕は、自由のない、選択のない、使命とやらに規定された彼らの生のありようを、否定する。

 ……まあ、やり直せたなら、もう少しやりようはあるだろうけどね。


「……そうだね。うん、そうだった」


 だから後悔はない。

 そこに迷いもない。

 ……悲しみも、ない。


 僕は、彼らの事情を知ってなお。

 あの日の追憶よりも、今を選ぶ。


「カルスオプトを。壊そう」


 ──僕らの日常を踏み壊されないことを選ぶ。


「ふた、とじる。コア、こわれる」


「ああ。……じゃあ、僕がやるよ。これは、僕の役目だからさ」


 震える腕を、メリーから離して。

 僕は、オルゴールの蓋を閉じた。

 流れていた演奏がぴたりと止まる。


 そうして、オルゴールを鳴らすためのハンドルだけが、ぐるぐると空転を始める。

 がちがちと、箱の内側で何かがぶつかり合うような音が続いた。


「……これでいいのかい。メリー」


「ん。これで、おわり。ほっとけば。コア。こわれる」


「……そっか。ちょっとだけ、時間はあるのかな」


「ある」


 僕は、ぐっと背伸びをして、体をひねった。

 それから、あー、あー、と声を出す。



「──ダンジョンが崩れるまで。少しだけ、歌を歌おうと思うんだ」



 僕の提案に、メリーは目を、二、三回と目をぱちくりとさせ──、


「ん。めり。あわせる」




 僕は、すう、と大きく息を吸った。

 煤まみれの空気だけど、大きな声で歌うためには、肺がいっぱいになるくらいじゃないといけない。


「辺境の旅路、あなたたちと別れて2年と少し。僕らはついに、タイレリア王国まで辿りつきました。そこはいいひともいれば悪いひともいる、大きな、大きな国でした」


 稚拙な、即興の、吟遊詩人の猿真似。

 だけど、少なくともあの日よりも、ずっとマシにはなってるはずだ。



「〽出逢いが 僕を形づくる

  笑いあったこと 憎みあったこと 涙も汗も あれもこれも

  すべて自分のものにして 今ここに 僕は立っている──」



 この声が、どうか、彼らの魂の眠る場所まで届きますように。

 崩壊を始めた鉄の墓標(カルスオプト)の中で、僕らは、それでも歌を歌っていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] メリスの一途さがたまらない! [一言] メリスの愛がよくわかる... カルスオプト........良いダンジョンだった...
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