68・現れたのは
フォスタリアのうめき声が聞こえて、クレイルドは振り返る。
「大丈夫ですか、フォスタリア閣下。ひどい揺れでしたね。お怪我は……」
「で、殿下の心配には、及びません……。私は百戦錬磨の戦士ですから、怪我とも無縁です」
フォスタリアがシリアスな表情で顔を上げると、その鼻の両穴から血の筋が覗いていた。
「……」
クレイルドは冷静になろうと深呼吸をしてから、フォスタリアの側に膝をついてハンカチを差し出す。
フォスタリアは受け取ると、それで鼻をおおった。
そしてもう片方の手で胸元に隠し持っていたスプレーを突きつけ、クレイルドに至近距離で噴射する。
クレイルドはフォスタリアから意識的に視線をそらしていたため、反応が遅れた。
鋭い刺激が顔面をおおう。
「っ……!?」
(しみるような刺激と、苦みのある匂い……アドーラ毒草を利用した、安価だが強力な催眠薬か。触れれば即効性があったはず)
丸一日は目覚めることも出来ない睡眠薬を連射され、クレイルドはすでに意識が回らなくなっているのを感じた。
床に手を突き、気を失うように崩れ落ちる。
フォスタリアは睡眠薬を吸い込まないように、クレイルドから離れた。
「……殿下に教えてあげましょう。魔獣を退治する英雄は、私一人で十分なのですよ」
フォスタリアは常に持ち歩いている手鏡を取り出すと、鼻の下に伸びる赤い筋を丁寧に拭き取る。
「そしてこれだけはしっかりと覚えておいてください。私が鼻血を出したことは忘れるように」
どちらなのかわからないことを言いながら、フォスタリアは会議室を出た。
*
空にたゆたう大きな白雲の影に、こそこそ隠れている緋色の翼竜の姿があった。
その背には竜騎士の鎧兜を身につけた人を乗せている。
互いの視線の先には、青空を泳ぐ飛空船があった。
『あそこにクレイがいるのか……』
ヴァルドラは興味津々な様子で見入っている。
『飛空船から、加工された強い魔力を感じるな』
「魔力は動力として利用されているんだよ。立派な船だから魔法防壁も作れるし、設備も充実しているんだって」
『しかし、防壁は張り巡らされていないぞ。それに機体がほとんど前進していない』
「本当だね。故障しているようには見えないけれど、どうしてだろう。もしかしてあの場所は絶景ポイントで、みんなで景色を楽しんでいるとか?」
『景色を楽しむ……。も、もしかしてクレイも甲板に出ているのか!?』
ティサリアとヴァルドラは飛空船に目を凝らす。
しかし甲板に人影はなく、代わりに翼を生やした大形の猿のような生き物が、飛空船の周囲に群れをなして飛んでいた。
『……あれはクレイではないな。ガーゴイルだ』
「ガーゴイル? あれも魔獣?」
『人が石と魔力から作り出した生命体だと、クレイと暮らしていたとき聞いた。アルノリスタの研究所から逃げ出した個体がいるらしいから、おそらくそれだろう。あいつらの魔力は人造の匂いがするしな。野生化しているのは幾度か目撃したが、これほど集まっているのははじめて見た』
「十頭くらいいるよね。もしかして飛空船が進んでいなかったり、魔法防壁が張られていないのは、ガーゴイルがいたずらをして、設備が故障してしまったとか?」
『ありえるな。しかしあいつらは、わざわざ飛空船に近づいて何をして……ん?』




