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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
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67 魔王

 

「っどうなってるんだ!」


 広い王宮の廊下の隅。配下たちに守られながら物陰に身を潜めたクラウスが舌打ちを鳴らした。イラついたように荒い息をこぼしながら──しかし瞳にはどこか怯えが滲んでいる。

 聞こえてくるのは大勢の悲鳴。恐る恐る従者の背中から頭を出して廊下の先を覗くと、その先で逃げ惑う使用人たちとそれを追っていく蛇の大群が見えた。使用人たちの顔は恐怖に満ちている。──が、もちろんクラウスには助けに向かう気などさらさらない。蛇の群れがいってしまったのを見届けると、再び忌々しげに舌打ちを鳴らして配下たちを急かす。


「おい、今のうちだ! 逃げるぞ!」


 そうして迷うことなく使用人たちが逃げていった方向とは逆へ廊下を進む。従者や側近たちに前後を固めさせ、隠れるように先を急ぐ。彼にとっては、自分は守られるのが当たり前。そのために誰かが犠牲になろうとも当然のことだった。何故ならば、自分は王の息子。そしていずれは王となるはずなのだから。


 ──けれどもどうしたことか。幾らも行かないうちに、先を急いでいるはずのその足が急に止まる。配下たちの中でクラウスがよろめいた。


「う……」

「ク、クラウス様⁉︎ どうなさったのですか⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎」


 己の金の髪を鷲掴むようにして、廊下の壁に寄りかかった王子に、周りの者たちが驚いて立ち止まる。主人の顔を覗きこむと苦しげな表情。配下たちの顔が陰った。


「クラウス様……やはり先程の兵たちと共に逃げたほうが良かったのでは……」


 従者が不安そうに言うと、クラウスが激昂して怒鳴る。


「馬鹿を言うな! あいつらを誰がよこしたか分かっているだろう⁉︎ ブレアなんだぞ!」

「も、申し訳ありませんっ」


 噛み付くような叱咤に従者は内心でしまったと思ったが。主人は怒りをあらわに従者を睨みつける。


「ブレアが手配した兵など敵だ! あいつはきっと……この騒ぎに乗じて私を消すつもりに決まっている!」


 怒りのあまりか……自らが隠れていることなどすっかり失念しているようで……。そんな主人に、配下たちは慌てふためいた。なんとか掻い潜ってここまで逃げてきたが、王宮は今、何者かの襲撃に見舞われている。

 情報によると敵は複数。空から現れて、魔法のような技を使うという。そこここにうろついている蛇もその者たちが放ったようで、蛇に襲われた者たちは皆、毒にでもおかされたように動かなくなった。クラウスの配下たちも抵抗はしたが──蛇は剣では切れず、矢も効かない。──とてもまともな存在には思えなかった。

 だからこそ、今は逃げるしか手立てがないというのに、大声を出すクラウスに、配下たちも焦る。


「ク、クラウス様落ち着いて! 奴らに見つかってしまいます!」

「うるさい! ああうるさい!」


 従者に声を落としてくれと懇願されるも、クラウスは気が立っていて手がつけられない。頭を抱え、イライラと怒鳴る。従者を含めた側近たちは困り果てて顔を見合わせた。ただ、彼らにも、主人がここまで苛立っている理由には心当たりがある。

 ──実は……クラウスのもとにはつい今しがた、“隣国プラテリアに異変あり”の報せが届いたばかりなのである。

 隣国のクラウスの伯父プラテリア城主には、彼が謀った王太子、兄リステアードを預けてあった。報せはその幽閉中の王太子が何者かに奪われたというもの。──これは由々しき事態である。

 遡ること数日前。プラテリアでは怪しい男たちが捕らえられた。その者たちは拷問では何も吐かなかったが、どうやらクライノート国民であるようだと報告を受けたクラウス。彼はそれを聞いて、その者たちが、王太子を捜索するブレアか、もしくはタガート将軍の手の者ではないかと感づいた。ゆえにしっぽを掴まれないように重々気をつけろと書簡を送ったばかりだったのである。だというのに……彼らはまんまと王太子を奪い取られた。

 これを知った時、母ビクトリアは実兄プラテリア城主の無能さを罵ると共に、クラウスへの失望を隠そうともしなかった。母の冷たい眼差しを見て焦ったクラウスは、ブレアとタガートの両名を牽制するための策として、前々から目をつけていた兄の情人であり、タガートの養女であるエリノア・トワインを利用することを考えた。娘の弟を密かに攫い、娘を手駒とするのだ。それはクラウスにとって、とてもとても簡単な仕事に思えた。人質さえ確保できれば、弟を殺すと脅せば、娘はきっと意のままに動くだろう──と。だが……


 容易くあるはずのその企みは、何故か失敗に終わる。

 クラウスは愕然とした。相手は単なる町民である。厳しく躾けているはずの己の配下たちが、どうして揃いも揃ってそんな少年一人を捕らえることができないのだと……配下たちは国王の目すら掻い潜り、王太子を隣国に攫っていった精鋭のはずなのに。

 けれども、これはクラウスには分かりようもないことだが──そう思ったのは何も彼だけではなかった。配下たち自身、自らの能力には大きな自負があった。それゆえに、容易いはずの任務を失敗したことに彼らは追い詰められてしまった。まさか──単なる町民と軽んじるそのトワイン家の少年が、人智を超えた存在──魔王だったなどと。彼らに考えられようはずがない。

 混乱し、王子の命令に追い詰められたクラウスの配下たちは血迷った挙句王都に火を放ってしまう。王都は大規模な火災に発展し大きな被害が出て……

 もし……これらが、誰の仕業なのかが明らかにされてしまえば……クラウスは、もうおしまいだった。


 ──けれども。

 廊下を逃げるクラウスは、何故か口の端を持ち上げる。くつくつと喉の奥で笑うような声を出し、狂気の混じる瞳を細める。


「ふ、ふふ……だが……天はまだ私たちを見放してはいないようじゃないか……!」


 クラウスが喜んでいるのは、四方から響いてくる悲鳴。王宮に満ちた混乱である。クラウスは堪えきれないというように大笑いする。


「どこの誰だか知らないが! 実にいい時に王都を襲ってくれた!」

「で、殿下!」

「この混乱に乗じてすべてを有耶無耶にできる……王太子を攫ったのも、大神官を殺したのもこの襲撃者たちの仕業だ! そういうことにすれば……ああそうだ、聖剣の偽物の件もこいつらのせいということにしよう! なあいい考えだろう⁉︎」


 襟元を掴まれ同意を求められた従者は困惑しきり……が、クラウスはそんなことにはお構いなしで廊下の壁に肩を当てながら腹を抱えて笑い続ける。


「いっそ盛大に被害が出ればいい! どうせこんな時にでしゃばっていくのがブレアだ。あいつも消えてくれればこの国は私のもの! ああ……そうだ! もうこの際……この機に奴らを暗殺すればいいじゃないか⁉︎ ぁははははは‼︎」

「お、おやめください殿下、誰かに聞かれたら……」

「はははははは!」

「……ク、クラウス様……」


 そのヒステリックな様子には、流石の側近たちも異変を感じはじめる。今のクラウスの様子はどこかおかしかった。非常事態中とはいえ、いやに興奮し、どこか自暴自棄になっているように思えて……。

 側近らは困惑気味に視線を交わした。もしや追い詰められすぎて、王子はおかしくなったのではと互いの目が語り──もうこの際王子を置いて逃げるべきかという迷いが彼らの胸に生まれた時。従者たちの目がギョッと見開かれる。一瞬目を離した隙に、周囲も憚らずそこで笑っていたクラウスが──突然苦しみはじめていた。


「っう……ぁああっ!」

「クラウス様⁉︎」


 壁に肩をぶつけるようにして床に沈んでいったクラウスを見て、側近たちが慌てる。クラウスは頭を抱え、怒鳴るようにうめいていた。


「な、んだ……! これは! いったいなんなんだ……‼︎」


 固く頭を抱えうずくまったクラウス。

 その頭の中にはずっと──不気味な声が響いていた。

 ……どこだ、どこだと──無視しても、逃げても追いかけてくる低い不気味な声。闇の底から轟くような憎しみに満ちたその声は、だんだん彼に近づいてくる。王子であるクラウスや彼の母ビクトリア妃を呼び捨てで名指しし、口にするのもおぞましいような呪いの言葉を叫び続けている。わんわんと耳にこびりつくような声はうるさくてうるさくて……クラウスの精神をジリジリと追い詰めていく。──それなのに。

 その声は、何故かクラウス以外の人間には聞こえないようだった。自分の耳にはこんなにうるさくまとわりついてくるというのに、他の者──すぐそばにいる従者にも側近にも、誰にもそれが聞こえていない。──ゾッとした。クラウスは堪らず床の上で頭を抱えて叫ぶ。


「ああああっ! くそ! くそぉおおっ‼︎」

「で、殿下しっかりなさってください!」


 この機会を逃せばもう後が無いというのに、それどころではないというのに。このままでは恐怖と苛立ちとで今にも気が触れそうだった。案じるように覗きこんでくる者たちですらもこれが聞こえぬのかと思うと忌々しくなってしまう。クラウスは、顔を覗きこんできた従者を苛立ち紛れに突き飛ばす。


「うるさい! この役立たずが! さっさと向こうに敵がいないか見てこい!」

「ひっ」


 突き飛ばされた男は慌てて転がるように廊下の先に走っていった。

 クラウスはそれを睨みつけよろめきながら立ち上がる。この好機を掴むためにも、彼はなんとしても母や派閥の者らと合流しなくてはならなかった。彼らと口裏を合わせ、悪事の詳細を知る者たちは速やかに消しておかねばならない。あの、大神官を殺害させた下男と同じように。


 しかし。それを王宮に現れた異形たちが阻むのだ。廊下には気味の悪いマダラ柄の蛇がうじゃうじゃ這いまわっている。

 クラウスは……何故だかあの蛇たちが自分を探しているような気がしてならなかった。あれは、おそらくこの頭の中に響く声と関係がある。クラウスの顔が歪む。瞳には悔しげな涙が滲んでいた。


「っくそ、せっかく苦労してリステアードを引きずり下ろしたのに……なんで計画通りにならない! なんなんだよ! いったい誰なんだ! どうして私を呼ぶ⁉︎ どうして私が……こんな苦労をしなくてはならない! 私になんの恨みがあるって言うんだ! くそっ! くそぉっ!」


 思い通りにならないことに憤ったクラウスは、喚きながらそこにいた側近の脚を苛立たしげに蹴りつける。側近が呻きながら膝を折った、瞬間、クラウスの身体がギクリと固まった。


「⁉︎」


 ──耳の傍で──……


 誰かが囁くように笑った。


 ……

 ……

 ……──そこか……


「!」


 クラウスは息を吞んで身を凍らせる。

 確かに、今耳元で嘲笑うような声がはっきりと聞こえた。目を見開いたクラウスは慌てて後ろを振り返った。──だが……周囲には側近たち以外の姿はない。皆、急に目を剥いて自分たちを凝視する主人に驚いて、彼が次に何を言い出すかと怯えるような顔をしている。が……それ以外には──何者の姿もない。


「だ、誰だ⁉︎」


 声が震えた。クラウスの耳には低い笑い声が聞こえ続けている。笑い声の主はクラウスを見つけて喜んでいるようだった。


「ひっ……」


 恐怖に駆られたクラウスは後退り──たまらず走り出す。


 気でも違ったように、死に物狂いの形相で駆け出した男の気配を感じて──……ブラッドリーであったものが笑うように揺れた。

 まだ場所は離れていたが、男の憎悪に満ちた感情は、広い王城の中にあっても際立つように濁り切っていた。王宮には今多くの恐怖が渦巻いて見つけ出すのに手間取ってしまったが……判別さえできればあとは容易い。魔王の心はその濁り切った魂にすっかり囚われた。


 ──アレを始末するのだ、

 ──アレを始末するのだ……


 負の力の渦巻く中に埋もれ、魔王はそれだけを考えていた。アレはいつでも自分の大切なものを害してきた。罰を与え、もう二度とそのような行いができぬようにしなければ。


 ──そうしなければ、いつかアレは私の一番大事なものを喰らうだろう

 ──始末し、ナ、けレ……バ……


 しかしどうしてだか思考が鈍く、その“一番大事なもの”がなんだったのかが次第にぼんやりと分からなくなった。思い出したくても、怒りが強すぎてすべての愛しさがその向こうに覆い隠されたように見えない。それがまた苛立ちにつながった。


(だガ……)


 魔王は思い直す。きっと、アレを始末すればまたそれが見えるはずだ。

 魔王は、渇望するように廊下を逃げていく男の背を追った。邪魔のものは破壊した。他にも逃げ惑うものたちがいたがそれは視界にすら入らなかった。ただひたすらに、くすんだ金の髪の“アレ”を追う。すると次第に狩るものとしての高揚感が魔王を支配していった。配下に預けていた膨大な魔力が帰ってくると、さらに力の流入に彼は翻弄されていった。彼の中にあった小さな少年ものが、制止の声を上げた気がしたが──魔王の耳には入らなかった。

 彼は己が圧倒的強者であったことを思い出していた。魔王としてのさが、女神への憎しみ、そして人間を軽んじる感情。

 ふと気がつくと、身に纏っていた黒い影が次第に薄れ、その中から力強い己の腕が覗いていた。それは少年のものではなく、確かな筋肉と魔力の満ちた戦士の腕だった。かつて多くのものを薙ぎ払った、彼の、威風堂々とした王の姿がそこにあった。

 魔王は試しに逃げ惑う背中に向けて腕を振るってみた。するとそこから伸びた黒い影が男の足首を捕らえた。


「⁉︎」


 派手に転倒した男が慌ててこちらを振り返る。と、驚愕した瞳と目が合った。己を見て恐怖する姿を見ると──高揚するような、ほっとするような気持ちに駆られる。


 ──ああ、やっとこの憎しみから解放されるのだ。そう思うと、泣きたいほどに嬉しかった。


 嬉々として腕を掲げた魔王は空を握り、その中には確かな感触。手の中には魔力を凝縮させた剣が黒煙を燻らせている。それは今の彼の凶暴な感情をそのまま形にしたような棘のある残酷な姿をしていた。その刃は迷うことなく、そこで恐怖に引きつっている男の眉間へと導かれるだろう。そこから溢れ出るだろう色を想像するとうっとりした。その色は、きっと彼をさまざまなものから解放してくれる。そう思うと、腹の底から笑いたい気持ちになった。が、


「──っ駄目‼︎」

「‼︎」


 剣を振り下ろした瞬間。突然、背後から声が聞こえた。彼の剣は、敵の眉間からほんのわずかという距離で止まる。


「ブラッド! 駄目よ!」


 泣きそうな声にはどこかで覚えがあって。一瞬誰だったろうと思った。──でも。後ろから誰かに頭を押さえつけられているように振り向くことができない。耳元で誰かが囁く。


 ──殺せ。我らはこんな虫けらに煩わされていい存在ではないはずだ。


(──ああ、その通りだ……)


 同調すると、彼を止める声は聞こえなくなって。魔王は、ああやはり気のせいだったのだと納得した。しかし、気がつくと殺そうと思った男が彼の前から逃げ出していた。死に物狂いで逃げていく背中を見て、暗い笑いがこみ上げてくる。


 ──逃げるか。──無様な。──いいだろう、せいぜいいたぶってやる。○○○の受けた痛みをお前も味わうがいい。

 魔王は影を揺らして笑った。──もう、誰のためにそれをしているのかも思い出せなかったが。





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― 新着の感想 ―
[一言] 大分飲まれている。勇者はこの状態から弟を取り戻せるのか。ワクワクしますね。
[一言] 早くブラッドリーを止めて!エリノア! と、思う反面、クラウスが二度と悪さが出来ないようにお仕置きしたれ!……って思ったりもする。 クラウス、ビクトリアにのみお仕置き → ブラッドリー正気…
[一言] ヴォルフガング!今すぐエリノアさんをブラッドに向けて投げるんだ!
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