閑話 酔っ払いたちの女子会④
それでもなんとか動悸を抑え、青年は言葉を絞り出した。
「エ、エリノア……すまないが……その、膝から降りてくれないか──」
そうでなければ色々とまずい。
ぎこちなく離れてくれるように伝えると──途端にエリノアの目が据わる。
持ち上がった眉頭が、いかにも納得いかないと言いたげだ。エリノアはブレアの鼻先にまで顔を近づけて彼を睨む。
「え? りゆぅは?」
「り、理由……?」
ブレアの喉元を汗が伝って落ちた。と、エリノアがムッとした顔で言う。
「あにょね、それは真っ当なようきゅうなの? 毎日毎日あたひのこと、さんざん座布団扱いひといて?」
エリノアは自分の頭の上を指さしながら悔しそう。もちろん……その指さされた頭の上に毎日のしのし乗ってくるのは、黒猫グレンである。
「あたひクセっ毛だから髪の毛まとめるの大変なのに! せっかくまとめた頭を遠慮なひに踏みつけて……しょりゃあ(そりゃあ)肉球で踏まれてるんだと思うと微妙になんかうれひぃけどね!?」
唖然とするブレアに、エリノアはそもそもと拳を握って言い募る。
「毎日毎日あんたの抜け毛を拾うのにどんだけ苦心してると思ってるのよぉ!?」
「抜け……」
──もちろん、エリノアが言っているのはグレンの抜け毛だが。発言が、ブレアの部屋付き侍女のエリノアの仕事と微妙にリンクしてしまうところがあった。部屋付きなのだから、エリノアもそりゃあブレアの私室の掃除もすることはあるだろう。ブレアは、自分の毛髪はそんなに抜けていたのかとギョッとして。とても恥ずかしくなった。青年は非常に心苦しいと言いたげに、苦悶の表情を浮かべて謝罪する。
「……すまない、……気がつかなかった」
「…………ひーんっ」
「っ!?」
ブレアが謝ると、今度はエリノアが唐突にシクシク泣きはじめる。……これを密かにどこかで見ている本物のグレンは、『すっごい面倒なタイプの酔っ払いだな!』と、無責任にも笑い転げているわけだが……
いきなり膝の上で泣かれたブレアは思い切り慌てた。
「エ、エリノア……?」
「どうせ拾わされるんだったらその毛を堪能させてくれればまだ本望なのにぃ! 撫でようとするとあんたったらすぐに逃げるひ! どうせならモフモフさせてよぉぉっ」
エリノア、魂の叫び。──が、しかし、ブレアにしてみれば、ちょっと呆然としてしまう発言であった。
「も、もふもふ?……」
よもや自分にそのようなものを求める人間がいるとは思わなかった……。
「何よ! ブラッドリーにはお腹だって撫でさせるくせにぃ! あたひも撫でたいよぉっ」
「!? そ、それはどういう……!?」
えーんと嘆きはじめたエリノアに、ギョッとしてブレア固まる。
“ブラッドリー”とは、確かエリノアの弟の名前か何かだっただろうが、しかし、なぜ私が彼に腹を撫でさせるというのだろうか……と、生真面目に考えて──ハッとする。
そういえばエリノアは酔っているのである。その発言を真正面から受け取っても仕方がないのではないか。ここはシラフの自分がしっかりせねば。それに何より、こんな夜更けに他でもないエリノアと二人きりでじゃれあっているのは正直危険だ。冷静さと辛抱強さには自信があるし、理性も強いほうだろう……が……ことエリノアに関しては、ブレアは自分が思いがけないほど揺さぶられるのだとすでに知っている。
「…………」
どうしたものかと苦悩するブレア。
このまま膝の上に座らせて彼女の酔いが覚めるのを待てばいいのか、それとも己の理性とエリノアの身の安全の確保のために、早急にこの部屋から連れ出したほうがいいのか。せめて二人きりでなければと思うのだが、廊下の衛兵を呼ぶ気にはなれない。このデタラメながら、可愛いエリノアを他の男になど見せたくはないし。かといって、彼女の同僚侍女を呼ぶのも可哀想な気がする。
職場では人間関係が良好であることが何より大切だ。もしこの状態を同僚たちに見られたとエリノアが知ったら、のちに彼女はとても気に病むのではないか……。
ブレアは、膝の上にエリノアが座っているという恥ずかしさに耐えながら、しばし黙りこんで考えた。──と、その口が不意につぶやく。
「……、……、……仕方ない」
一瞬硬い表情をしたブレアは、いつの間にか泣き止み、彼の膝の上で再びケラケラと一人笑っているエリノアを、無言で抱え上げ、立ち上がる。
「あ、れぇ?」
眠そうな目のエリノアが、遠ざかっていく床を不思議そうに見ている。
「はら? わたひ空を飛んでますか? ん? グレン? ルーヒーねへさん?」
「いいから……じっとしていなさい」
相変わらずトンチンカンなことを言うエリノアに、ブレアは静かに言い聞かせる。と、彼は横抱きに持ち上げたエリノアを連れて、そのまま──……
自分の寝室へと入っていった。
二人が奥の間へ消えていくと、ブレアの居間の中は、平時の静けさを取り戻していた。
すみません、結構長くなってしまいました( ´ ▽ ` ;)
多分、次で閑話終わりです!




