32 変化
優しいリードから食材を受け取って。エリノアは久々に家族のために夕飯を作った。と、言ってもリードがミートパイと野菜たっぷりのシチューを作ってくれていたもので──彼女が作ったのは肉団子くらいのものだった。
自分の作った料理と共に並べたリードお手製料理を見ると、エリノアの表情が穏やかにほころんだ。とても励まされていた。生活が落ち着いたら、彼には何かお礼をしなければと考えていると──玄関の扉が開く音がして。途端に家の中が賑やかになった。
「!」
「ただいま戻りましたわ。陛下、さ、あたくしに上着を」
「うん、ありがとう」
「ほらマリー、マール、マダリン、いつまでも陛下にくっついてないで手を洗って夕食の準備を手伝いなさい!」
婦人の声に続いてハーイと声がして、トトト……と、三匹が駆ける音がする。と、居間の扉が開いて。そこに現れた人影の瞳がパッと明るく輝いた。
「おかえり、ブラッド」
「姉さん! もう帰ってたの!? 大丈夫だった!?」
「うん、だけどブラッド──」
あなたこそ仕事は大丈夫だったの──と、自分の代わりに王宮で働いてきた弟に、エリノアが尋ねかけるが。
姉の言葉が終わる前に、駆け寄ってきた弟は速攻で姉の身体に抱きついた。──“エリノア”姿のままで。
「っう……」
「姉さん! どこも怪我してない!? 誰かに見つかったりしなかった!? 本当に絶対無茶なことはしないでよ!? 誰かに何かされたら必ず報告して!? 僕が始末してあげるから!」
「……(絶対に、言えない……)」
弟の熱烈な心配を感じたエリノアは、密かに絶対ヘマをするまいと決意する。ブラッドリーは尚も姉を抱きしめて。顎の下にあたる姉の柔らかい黒髪の感触を堪能しつつ、ふふふと笑う。
「やっぱり本物はいいなぁ。王宮にも姉さん以上の人間はいなかったよ。ま、分かってたけど」
「と──とりあえず元に戻ろっか?」
加速しそうな弟の愛に戸惑いつつ、エリノアは弟を宥める。
──“自分なブラッドリー”にぐいぐい頬擦りされると──なんだかとても奇妙な心持ちである。
そうしてエリノアがブラッドリーに戸惑っていると、コーネリアグレースが居間に入ってくる。と、婦人は居間のテーブルの上に並べられた料理を見て、あらと漏らした。
「あらまぁエリノア様ったら。夕食を作っておしまいになられたの? あらー」
「お、お帰りなさいコーネリアさん。お疲れ様でした。あの、大丈夫でしたか?」
「ほほほ、あたくしがついていて陛下が失敗なさるとでも? むしろ完璧すぎが問題視されるほどに完璧でした。……エリノア様、復帰後が大変ですわよ……」
「え!?」
「ふふふ。あ、陛下ったら、早くお召し物を変えてくださいな。メイド服を洗濯しませんと」
「ああ、そうだった」
ギョッっとするエリノアをよそに。姉から離れたブラッドリーと婦人は一旦居間を出ていく。と、今度は入れ替わりにグレンたちが帰ってきた。
「ただいま戻りましたぁ〜♪ あー楽しかったぁ♪」
「た………………」※メイナード。「ただいま」の意。
スキップしながら入ってきた少年と、本日も発言が最低音量の老将。
おかえりなさいとエリノアが言うと、弟姿の魔物が、にっかと笑いエリノアを見る。
「どうです? 私の陛下! 似合うと思いません!? やっぱり少年は半ズボンですよね!?」
帰って来るなり、変なポーズを取って見せるグレンにエリノアが微妙そうな顔。確かにブラッドリーに半ズボンは似合っているが、中身がアレだと思うと、姉の気持ちは色々とアレである。思わず沈黙するエリノアに構わず、グレンはシャララン! ……と、弾けるような笑顔を振りまいている。
「ふふふ! この魅力で、私はモンターク商店を豪商にしてやりますよ!」
「(何かしらの目的が変わっているような……)……それはまことに結構ですが……その格好……ブラッドから許可出てるの……?」
非常に疑問なエリノアであった。
さて。ヴォルフガングはまだ帰って来そうにないということで。トワイン家では彼抜きのメンバーで夕食となった。しかし──……
「………………ちょっと! ど、どうして私が作ったもの食べてくれないの!?」
一同とテーブルを囲んだエリノアは、悲壮な顔をしてグレンたちを見る。
「そ、そりゃあリードやコーネリアさんよりは私の料理は上手じゃないけど……」
少しくらい手をつけてくれたってとエリノアがしょんぼりしていると。彼女の両脇に座っていたブラッドリーとテオティルが慌ててエリノアを慰める。
「大丈夫! 僕食べてるよ姉さん!」
「エリノア様、私も食べてます。ほら」
本来、物体という本性で。あまり食事を必要としないテオティルも、エリノアの落胆ぶりを見てフォークを握りエリノアの肉団子を口に入れている。それを見てエリノアも僅かにホッと表情を和らげる。が──……
そんなエリノアたちに隠れて、他の魔物たちがコソコソと頭を突き合わせている。
「…………どうする?」
「…………どうするって、ねぇ……」
グレンとコーネリアグレースが言いながら、エリノアが作った肉団子を恐々と見ている。
「……やばいわ、とっても身体に悪そう……だからこの家の食事はあたくしが取り仕切っていたのに……」
うっかりしてたわと婦人。母のため息を聞いて、グレンも眉間にシワを寄せる。
「これ食べたら……私たち……消し飛んだり……しない?」
婦人は息子の言葉に、さぁてねぇと困り顔。
実は──エリノアの作る料理は、つまり聖の属性に振り切れていた。魔物たちからすると、それは毒に等しい。
「最近、聖剣坊っちゃんが傍にきて馴染んできたせいか、聖の力がますます強くなってきているわねぇ……メイナードが私たちに防御魔法をかけているけれど、そろそろもう一段階くらい強化しないと……それに流石に直接口から取りこむのはねぇ、恐怖だわぁ……」
知らぬところで魔物たちを恐怖させているエリノア。グレンがチッと舌を鳴らす。
「厄介だなぁ、まったくあの女神の勇者は……」
「仕方ないわ、せっかくご用意いただいたのに申し訳ないけれど。今日はエリノア様をスルーしましょう。陛下もお怒りにはならないわよ」
どうして彼らがエリノアの料理を食べたがらないのか。それはもちろん彼らの王は分かっている。だから今も、姉が悲しんではいても、無理に彼らに食べるようには命じてこないのだ。
「…………」
「ま、陛下は肉親の中和でエリノア様の聖の気には耐性がおありになるから。陛下がお慰めするでしょ」
さ、ではあたくしは有り難くリード坊っちゃんのミートパイをいただきましょうと、婦人は手をすり合わせている。そんな母の言葉を黙って聞いていたグレンは……チラリと、弟と聖剣に慰められているエリノアを見た。
僕たちが食べてるよと魔王は必死だが、エリノアはそれでも魔物たちにスルーされる己の肉団子を見てしゅんとしている。
片や、聖剣は楽しそうに食べてはいるものの、やはり食事というものを正しく理解していない彼は、食事量も少なく、どちらかというと肉団子の形状を楽しんでいる。
「可愛らしい形です。コロコロしていて、とても転がしやすい、で? えっと、これを刻んで口に入れて咀嚼するんですよね?」
「…………(こいつやっぱり馬鹿だ)」
そう思ったグレンはメイナードを見る。
老将は無言だが、ヨボヨボしながら腕をクロスして見せ、『老体には厳しい』と言外に訴えてくる。
コーネリアグレースに至ってはもう自分は食べぬと決めこんでいるし。テオティルが転がして楽しんでいる肉団子に興味津々の娘たちを止めるのに必死だ。そしてグレンだって、こんな魔物の身体に悪そうなものを食べる気は毛頭ない。しかし──
久しぶりで張り切ったのか、エリノアが作った肉団子はなかなかに大量で。一向に減らない肉団子をグレンは呆れたような目で見た。
(もうちょっと計画的に作ればいいのに……大体自分が聖の気質に振り切れてるって、どうして今でも気が付かないわけ? 少し考えれば分かりそうなものだけど……)
「……」
あーあとグレン。ブラッドリーに慰められるエリノアのしょぼくれた顔を見て、ふん、とグレンは鼻を鳴らす。
まったく、魔王様にあんなに気を使われて生意気なんだからと思いつつ──やれやれ馬鹿だなぁと思いつつ……
グレンは、テーブルに手をついた。
「え……?」
テーブルの軋む音がして。エリノアがポカンと顔を上げた。
その目の前に、テーブルに手をついて彼女のほうに身を乗り出してきた、ニンマリした黒い獣の顔。突然顔を近づけてきた魔物に、エリノアが瞳を瞬かせている。──その隣で、ブラッドリーが壮絶に顔を顰めていた。
「? え? え、何……?」
戸惑うエリノア。の、隣からドス黒い顔で睨んでいる魔王に、グレンは「えへ」と誤魔化し笑いをしてから。彼はニンマリしたまま、エリノアに向かって、あーんと口を開けて見せる。
「へ?」
「ほらぁ、そんなに言うんならぁ、姉上が私に食べさせてくれないとぉ♪」
「あ゛!?」※ブラッドリー。
「え……」
「あーん、ほらほらぁ姉上早くぅ♪」
「え……う、うん……」
グレンの甘えきった催促に、エリノアは戸惑いつつフォークを握る。
魔物の珍行動は不審だが、せっかく作った料理を食べて欲しかった娘はつい傍の皿から肉団子を取り、それを半分に割ってから、グレンの口にフォークで入れてやる。
「お、おい、お前……」
ブラッドリーがギョッとして目を瞠った。しかし彼の配下は、姉に顔を寄せたまま、ニコニコと肉を噛み、そのまま飲みこんでしまう。
「…………」
「あは♪」
いつも通り人を食ったような顔で笑う魔物を、ブラッドリーは眉間にシワを寄せたまま黙って見ていた。何も知らないエリノアは、おずおずと問う。
「えっと……どう? おいしいかな……?」
「うーん…………塩加減が……イマイチ?」
グレンは言いながら笑い、チョロリと舌を出す。……喉の奥に焼けるような感触を感じたが、魔物はそれをおくびにも出さなかった。
一方、イマイチと言われたエリノアは肩を落とす。
「う゛……ごめんなさい。色々迷惑かけたから……せめておいしいものを食べて欲しかったんだけど……」
長らくコーネリアグレースに頼りすぎて、料理の腕が落ちたらしいと渋い顔をする。
「次は、上手く作る……」
しょんぼりして。半分になった肉団子を己で食べようとするエリノア。──の、フォークの先の肉団子を、不意にグレンがかじりとった。
「ちょ……っ」
「えへー」
驚くエリノアに、グレンはまったくと小馬鹿にしたような顔をして見せる。
「勇者様ったらぁ、すぐにそんな可愛い顔をしちゃうんだから」
言ってグレンは大皿の上からもう一つ肉団子をつまんで口に入れ。それからパッとエリノアから離れて行った。次の瞬間には獣人姿から猫の姿に変わった魔物に、瞳を瞬かせていたエリノアが、声をかける。
「グレン? もうご飯いいの?」
「もうお腹いっぱいですよぉ。塩分過剰で喉も渇いたしぃ。ま、姉上がもっと私の口に合うものを作れるようになったらまた食べてあげますよ。その時は、またちゃぁんと、食べさせてくださいね♡」
黒猫は笑い、ふわんふわんとしっぽを揺らし。それからエリノアにウィンクをして、部屋から出て行った。
「……グレン?」
「…………」
エリノアは黒猫の背にどこか違和感を感じたのか、不思議そうに彼が出て行った扉を見つめている。
そんな姉と同じく、配下の後ろ姿を無言で見ていた少年は。テーブルの隅で黙している老将を見て。すると視線を受けて老将は頷き、次の瞬間にはその姿を消した。
「塩分きつかったのかぁ……ん? メイナードさん? あれメイナードさんは? あれ? どうかしたのブラッドリー?」
グレンの言葉を聞いて、ほとほとと反省したような顔でため息をついていた姉は。弟の険しい顔と消えた老将に気がつく。だが、そんな姉に、ブラッドリーは静かに微笑んで首を横に振った。
「ううん、なんでもないよ姉さん」
「? そ、う……?」
「そうだよ。ほら、いいから姉さんも食事して」
「う、うん……」
ブラッドリーに促されて、エリノアは再びフォークを握った。
そんな姉を、ブラッドリーは愛しげに見る。
──己の身体に悪いと分かっていても、姉の料理を食べたグレン。
どうやら彼にも少しは姉を重んじる気持ちが生まれたらしいと魔王は思った。しかしそう察した少年は、今はあえてそれを姉には伝えなかった。……おそらく、あの捻くれ者の魔物は、そうされることを望まない。
……ただと、ブラッドリーは姉の顔見つめながら考える。
改めて考えると不思議であった。
魔王と配下、そして女神の勇者という、本来なら殺伐とした関係でもおかしくない自分たちに、確かになんらかの絆ができつつあることが。
彼と姉だけならまだしも、魔物たちにまで。
それにと、ブラッドリーは、己の心中を探るように胸を押さえる。
それに。不思議と──彼の中にも、以前のように、配下を使い捨てしても構わないという気持ちが、もう、ないのだ……。
(……)
ブラッドリーは目を閉じる。
その変化を、よしとするか、悪しとするかは、まだ魔王であるブラッドリーにはよく分からなかった。
(…………だけど……)
ブラッドリーは思う。
──姉はきっと、それでいいと言ってくれるのだろう。──きっと。
お読みいただきありがとうございます。
ブレアと“エリノアなブラッドリー”の話にするつもりが…グレンメインになりました…( ´ ▽ ` ;)
もう完璧に日常系ですね…ラブ…ラブをもっと増やさないと…!
ま、まあでもたまには猫メインもいいものですよ!\(( °ω° ;))/(誤魔化し)
とりあえずまたがんばります!笑
こちらとは別に、珍しく短編小説を書かせていただきました。
「悪役令嬢に…向いてない! 密かに溺愛される令嬢の、から回る王太子誘惑作戦」という、悪役に向かない令嬢と、その彼女を溺愛する男のラブコメです。お読みいただけると嬉しいです(^ ^)




