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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
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8 希望と甘さと、歓声と。

 テーブルの上で紅茶の湯気がくゆって空気に溶けていく。

 彼は懐から取り出していた、王家の紋章が蓋に施された懐中時計をパチリと閉じる。

 共にテーブルを囲んでいた兄は、彼の求めで席を立ち、今は奥の間の前にいる。

 訪問当初は、微笑みつつも警戒していた様子の兄は、しかし今ではどこか嬉しそうに表情を穏やかにしている。クラウスはそれを心の中で、嘲笑った。

 やはりあの者たちは根っからの善人。そうすべきではないと分かっていても、兄弟の情をいまだに捨て切れないのだろう。彼が弟らしい甘えを見せれば、こうしてすぐにささやかな希望に飛びつく。

 それを利用されるかもしれないとは分かっていても、もしかしたら、昔のように仲の良い兄弟として過ごしていけるかもしれないと、自分が改心したのではと思ってしまうのだろう。


(……甘いですねぇ、兄上)


 だが青年は、誰にも見られないうちに、その優越感に満ちた表情を消し去った。今は思慮深い顔で、真摯に、国を思う者でいなくてはならない。

 この国の王子として、それを手にするにふさわしい顔でいなくてはならないのだ。

 欲しいものを思えば、自分を偽ることなど造作もない。


 ──ああ、まずは、愚かなる兄上へ、決別の茶を。


 クラウスは、茶器から立ち上る湯気が消えていく様を、じっと見つめていた。





 ──その部屋に悲鳴が上がったのは、それから幾らも経たない頃だった。

 彼は、その悲鳴をどこか遠くに聞いていた。

 傍では侍従が腰を抜かしたように床にへたり込んでいる。

 悲鳴に駆け寄って来た者たちも、絶句する者たちの視線の先を見て、同じように顔をこわばらせた。彼らを気遣う気持ちが胸を過り、しかし、今、目の前にある異変をそのままにしておくこともできなかった。

 彼らが見つめる先には──思っていたものとは違い、けれども──確かに見覚えのある、鞘のない抜き身の刃。古びているが、褐色の柄には見事な装飾が施されている。

 柄頭には──


(……女神の印……)


 繊細に彫り込まれた紋様は、記憶の中のものと重なって。それを見とめた瞬間、彼は疑問に身が縛られたように動けなくなった。

 何故これがここにと、彼が戸惑いにかられた瞬間──背後で歓声が上がった。


「殿下──殿下が聖剣の勇者であらせられたのですね!」

「っ!」


 驚いた彼が振り返ると、数人の侍従が床の上で両手を組むようにして祈っていた。

 跪かれ、祈られていたのは──


 ──自分だった。


「⁉︎」


 唖然とした彼は、咄嗟に否定の言葉を口にしようとした。


 ──私にはこれがなぜここにあるのか分からない。

 ──ここには父王から下賜された宝剣が納められているはずで。

 ──聖剣を抜いた覚えなど……。


「⁉︎」


 だが、更なる異変に気がついた。喉に手をやる。──声が──出ない。


「っ」


 なぜ、と、喘ぐと同時に、おめでとうございますとゆったり落ち着いた声が耳に届く。


「おめでとうございます兄上。兄上が聖剣をお持ちだったのですね」


 聞いた瞬間──ゾッとした。その声は、どこかに愉悦を含んだ暗い声だった。

 奥の間に入って来た弟は、微笑みながら兄の傍にやって来た。三日月のような弓形の目と口元で、悠然と笑うその顔に、彼は──王太子は、咄嗟に己が謀られたことを悟る。


「っ」


 開け放たれた扉の向こうに、先ほど彼らが座っていたテーブルの端が見える。その卓上に、今目の前に立っている弟が持参して来た、茶を入れた器が見えた。


(……クラウス……)


 王太子の胸に悲しみが広がった。

 久しぶりに訪ねてくれた弟。警戒せねばと思ったが、彼は、殊勝な顔でやって来て、国のためにもそろそろブレアと良好な関係を築きたいので、とりなしてくれませんかと言って来た。それはもちろん王太子としても歓迎すべき申し出で。

 彼が歩み寄りを見せてくれるのならば、きっとこれからは国内も安定していくだろうと。何より、密かに誰よりも家族を案じているブレアが、クラウスの言葉を聞けばさぞ喜ぶだろうと嬉しかった。

 そうして国の展望について語り合いながら、共に茶を飲んでいると、昔の穏やかだった日々が思い出された。弟の幼かった姿を思い出し。愛おしかった仕草を思い出し、その面影を目にして。

 弟が、『殿下が初陣で父上から授かった剣がもう一度見たいです』と甘えたように言ってきた時も、なんらその真意を疑うようなことはなかった。懐かしかった。昔のように戻れたようで。この先は共に国を守っていけるだろうかと希望を見た気がして、嬉しかった。


 ──しかし、それもこれも、束の間の喜びであったことをリステアードは思い知った。


(……策の一つだったか……)


 ──甘かった。


 そう思ったが、怒りや焦りよりも落胆が強かった。それは、敵対してもなお、彼がその弟へ愛情を持っていたからに他ならない。

 兄弟共に、手を携えて国を守って行きたいという考えは、無理な理想だったのだろうか。王太子は虚しさを感じたが。周囲では、そんな彼の失望も知らず、侍従たちが感極まったような顔で彼と聖剣へ賛辞を叫んでいる。

 床に膝をつき、「お喜び申し上げます!」という声が、広い部屋のあちらこちらから上がる。

 胸は引き裂かれるように痛んでいたが、それでもリステアードの耳は、その歓声のいくつかに、怯えと恐怖が滲む声がまじっていることを聞き分ける。純粋な喜びの声に混じる、偽りの歓声。その者は──このクラウスの謀を知っている……。

 それを察したリステアードは、素早く室内を見渡したが──

 しかし。

 その声の主を特定する前に、室内に響く歓声が、一際大きくなる。

 ──どうやら騒ぎを聞きつけて、部屋の外から人が駆けつけて来たらしい。流石に王太子の部屋の中へは、皆踏み込んではこなかったが、開け放たれた彼の私室の扉の外から、衛兵や使用人たちが、王太子の手のうちにある剣を見ていた。


 国の希望。

 女神が勇者に与えた剣。

 国民達が待ち望んだ栄光を。他でもない王太子が握ったのだというその喜びは、一瞬にして彼らの中へ爆発的に広がっていった。

 それはこれまで聖剣の行方が分からなくなっていた不安を皆が抱えていたせいもあるだろう。

 しかしそのせいで──この場の違和感は置き去りにされ、歓喜する者たちの目には映らなかった。

 人垣の後ろの数人がどこかへ駆けていく。大声をあげながら。


「聖剣だ! 聖剣だぞ! 王太子様が聖剣の勇者であらせられたのだ!」


 叫ぶ声を聞いた王太子は焦った。侍従へ視線を送る。喉は潰されたが、すぐに間違いを訂正しなければ大変なことになる。筆談でもそれを伝え、聖剣が己のものではないと知らせなければ。


 ──しかし侍従は彼の求めに応じなかった。

 長年連れ添ったはずの侍従は、王太子を見ようともしなかった。代わりにクラウスが侍従の前に立ち塞がるように歩いて来て、微笑を浮かべて王太子を見る。


「良いではありませんか。慶事です。早く、広く国に知らせてやろうではありませんか」


 クラウスがそう言うと同時に、歓声を上げていた数人が追い立てられるように奥の間を出された。クラウスは彼らに「お前たちも、早くこのめでたい報せを広めにいけ」と告げる。

 そうして命じられた彼らが嬉しそうにそこを立ち去ると、残った侍従が奥の間の扉を閉めた。──クラウスの連れて来た侍従ではない。元からこの部屋にいた……王太子(かれ)の侍従だった。


 侍従らは扉の前を塞ぐように並び、室内と部屋の外とを隔絶させた。

 すると、室内は異常なほどに静まり返る。直前まで歓声を上げていた侍従たちも、皆、今は生気のない人形のような白い顔で俯いている。


「──……」


 リステアードは絶句した。たとえ喉に異常がなくとも、おそらく声は出なかった。

 長年連れ添った侍従の裏切りを知り、王太子が愕然とする。閉められた扉の向こうの歓声が、いやに遠くに感じられた。

 同時に、これまで感じていた違和感が、やはり気のせいではなく──クラウスの仕業であったということを彼は今更ながらに確信した。……分からないはずである。彼の乳兄弟でもある侍従が、よもや自分を裏切り、クラウスがたについていたなど、この人の良い王太子が疑うはずがない。


(──そうか、お前が……)


 王太子は。弟を悲しげに見た。

 この弟は、自分の喉を封じ、腹心の配下を奪い。聖剣の主と偽らせて、いったい自分に何をさせたいのか。

 王太子は、弟の周到さを思い知り、己の甘さを悔やみ、打開する策を思い巡らせながら。もう一人の己の弟を想った。


(ブレア……気をつけろ)


 この事態は、きっと自分たち王家家族と国とを、大きく変えてしまうだろう。




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