125 花
……エリノア様、と聖剣が呼んだ。
彼女らが、王都の外へ遠出したその日の夜のこと。
「……あのエリノア様? これは……なんですか?」
「え? あ……それ?」
ピクニックから戻ったエリノアのバスケット。トワイン家の居間で、その中身を出す手伝いをしようと中を覗きこんだテオティルは……荷の中に、何かを見つけて不思議そうな顔をした。
問われたエリノアは、青年の手のひらの上にそっと乗せられた花を見て、ああ、と苦笑する。──ついさっき、野原で摘んだ小さな野花。
「えっと……きれいだったから思わず……」
そう恥ずかしそうに言う顔は、しかしすぐにかげってしまう。
「?」
「きっと明日にはダメになっちゃうよね……」
きれいだったから。できたらブレアの部屋にでも飾れないかなと思って摘んで来はしたものの……もちろんピクニックには花瓶なんか持って行かなかった。すぐに水につけることでもできれば持ちも違ったかもしれないが。帰りの道中ずっと摘んでそのままだった野の花はおそらくすぐに萎れてしまうだろう。
すぐに萎れるような花を、王子の部屋になど飾れるはずがなかった。
エリノアはしょんぼり肩を落とす。
するとテオティルが首を傾げる。
「? なぜですか? エリノア様が持っているのに?」
「へ?」
聖剣の不思議そうな声に、エリノアが顔を上げる。テオティルは、さも当たり前という顔で続けた。
「萎れるなら生気を補ってやれば良いのでは? エリノア様ならば難しいことではありません」
テオティルはそう言うと、ほらと、エリノアの両手を取る。
「ん? テオ?」
何するの? というエリノアに、テオティルは微笑む。
「ちょうどいいです、少し練習しましょう」
「練習?」
テオティルは、キョトンとしているエリノアの両手の間に、ふわりと挟むように花を持たせる。その手を己の手で包みこんで……
ぽかんとするエリノアに、テオティルは言った。
「あなたの身には、女神の聖なる力が与えられています。この小さき花に、癒しを施すつもりで祈ってみてください」
「え……いや、癒し……?」
そうは言われても。力とか、魔力だとかに疎いエリノアには、よく分からない。と、テオティルが「怪我した者の手当てをするような気持ちでいいのです」と助言する。
「う、うん……」
分かるような、イマイチ分からないような……とにかくエリノアは、緊張した顔で野花のことを思った。
何やら唐突に始まってしまった、聖剣による初心者勇者への癒し方講座。
……しかし。よく分からぬままに手当て手当てと心の中で祈っても、手のひらにも、花にも、特に何かが起こるような気配はない。
うーん……とエリノア。
(癒す……癒す……小さき花……小さきもの……小さな……怪我をした子を手当てする……怪我をした……)
テオティルの言葉を手がかりに、そんなふうに考えていると……まるで連想ゲームのように数珠繋がりでエリノアの思考はコロコロと転じて行き……しまいには、手のひらの中の花が……うっかり小さなブラッドリーのように思えてきた。
あまりにもとっぴに転がってしまった発想だが……いつもの通り、残念なことにエリノアのその思考に突っ込む者は不在。彼女の傍には“人間の思考”という名の頭のネジが、最初から備わっていない聖剣テオティルがほのぼのと控えるのみ。誰もエリノアを止める者はいなかった。
しかしなにせ──この娘、年がら年中弟の健康を祈ってばかりいるもので。自分が癒すものと言えば相場は“ブラッドリー”だと決めこんでいるらしい。
(怪我した子……怪我したブラッドリー……ブラッド……ブラッド……ブラッドリー……)
そうすると、だんだん心の中が変な祈りで満たされた。
女神の力を借りようというはずが……なぜだか魔王の名を唱えているのだからなんともおかしな調子だ。そんな祈りを捧げられた女神もきっと困っているに違いないが……娘は本気だった。
心の中は、姉さんが治してあげるからねっ! という……弟愛に満ち満ちて、祈りにも次第に熱がこもって行き……
「……あ……」
その時のことだった。
重ねた手にあたたかな感触を感じてエリノアが声を漏らす……と、瞬間──……寛大なる女神の印が輝いた。
両手の印の輝きと共に、エリノアの手のひらからはポンッと花が飛び出て行って。
彼女が驚いているうちに、娘の目線の高さまで飛び上がった花は、ふわりふわりとエリノアの手のひらに舞い戻る。
「わ……」
エリノアは手のひらで花を受け止め、小さな驚嘆の声をあげた。
野花はキラキラと輝き、見るからに活き活きと生気に溢れている。先ほどまでは少しだけ葉の先が垂れ下がっていたものが、それもピンと見違えるように張りを取り戻している。
エリノアは……息をもらした。
こうして落ち着いた状況で、しっかりと自分の意思で力を使ったことは初めてだった。(※泣きながらオリバーがキノコの魔物になるのを防いだり、知らないうちに指輪の邪気を清めたりしたことはあるが)
いつも訳も分からないままに行使していて、こうしてしみじみと力を感じたことはなかったのだ。
「はぁ……」
自分でやっておきながら、エリノアは花の輝きを呆気に取られて見つめている。
「……私……本当に……女神様に選ばれた勇者なの、ね……」
今更にそうにつぶやく娘の……背後には聖剣。今更かよ……と、突っ込んでくれる者はやはりいなかった。
と、エリノアの手元を覗き込んだテオティルが言う。
「おや……エリノア様ちょっとやりすぎましたね」
「へ?」
「癒しの力を与えすぎです」
「え? あ……そ、そうなの? 加減が分からないわ……元気になったように見えるけど、ダメだった? やりすぎると逆効果なの?」
やり方としては一応分かったものの、程度が分からずエリノアが困った顔をする。と、テオティルは、小首をかしげ、己の顎に指をかけて言う。
「ダメと言いますか……」
私が思うに……と聖剣。
「?」
「そんなに花が輝いていては、贈られたブレアはとても不審に思うのでは?」
「あ」
真顔でとてもとても当たり前のことを指摘され、はた……と、花を見つめるエリノア。
手にした野花は、宝石かと見紛うほどに元気に眩く輝いている……程度以前の問題だった。
このままではとても外部の人間には見せられないということで。
エリノアはこの後、テオティルに習いながら必死に力の調節に励むこととなる。
聖なる力の練習とあって魔物たちにはとても迷惑がられたが──苦戦もしつつ……なんとかブレアの部屋の花瓶に飾れるまでになったのは、なんと深夜のことだった……
それでも懸命に力の調節に努めたエリノアを、テオティルは「愛の力ですねぇ」などとのたまって。
文句を言いつつ部屋の隅で最後まで特訓に付き合っていたヴォルフガングは……その時、魔王が遠出の疲れで早々に眠っていて本当に良かったと思ったのだった……
──そうしてその花は。
無事ブレアの部屋の隅に飾られ──……て、いたのを、ブレアがわざわざ寝室の寝台横に移した。
ブレアは花を毎夜穏やかに眺め、あたたかな気持ちで、かの娘を想った。
それは忙しい彼に一時の安らぎを与え、心を癒し、彼の眼差し同様、彼の心の中で静かに想いを育てて行った。
……けれども。
彼には与えられなかった。
その花が──……
なぜか一向に枯れないことに気がつく余裕は……
これ以降の彼にも。そして、エリノア自身にも。
──けして与えられることはなかったのである……
お読みいただきありがとうございます。
これにて、長かった三章を閉じたいと思います。
次が4章……というか終章になると思います。
物語は佳境に入ると思いますが、頑張りますので、またお読みいただけたら嬉しいです。
…ついでに別作品、人狼×薬師娘のラブコメも更新中です( ´ ▽ ` )よろしければお暇な時にでも♪




