44 金の毛並みの猫
「……あぇ……? ウレアさぁ?」
「……う……」
エリノアは寝癖のついたぼさぼさの頭でむっくり寝台の上に起き上がって、眠そうな目を擦りながら顔を怪訝に歪めている。
ブレアは思わず口ごもった。
「い、や……こんな夜分にすまない……その……」
ブレアは懸命に事情を説明しようとするが……エリノアと目が合うと、この状況に焦りが生じた。
真夜中に断りもなく若い娘の寝室にいるなどということは、ならず者の所業だ。寝起きに暗がりから男が現れれば恐ろしいに違いなかった。
まずは驚くか、叫ぶか……
そう思っていたのだが。
――しかし、娘の反応はそのどちらでもなかった。
思わぬことに、エリノアはブレアを見た途端、眠そうに大あくびをした。
「――またなの……」
「!?」
そのまま呆れたように見つめられたブレアが困惑している。
(……ま、た……!?)
しかしブレアの戸惑いをよそに、エリノアは眠そうに目元を手でこすりながら、語尾の不安定な声でぶつぶつ言う。
「なんなのょこんな夜中に……その手にはもう引っかからないわょ……ブレア様ごっこはやめなさいって、言ってる……で………しょ……」
言ったかと思うと、エリノアは眠そうにガクッと頭を落として……座ったまま、うなだれた格好で動かなくなった。
「エ、エリノア……?」
もしかしてまた眠ってしまったのか。
ブレアが焦って顔を覗きこもうとする。
と――
「!?」
唐突に、エリノアがヌッとブレアの頭に手を伸ばしてきた。
いきなりガシッと顔を掴まれて、ブレアがギョッと目を瞠る。
「ふ……ぁあぁ……もぅ……あんた本当に暇ねぇ……」
エリノアはやれやれと大あくびをしながら――……
そのままなんと、ぐいぐいと――ブレアを布団の中に引きずりこんだ。
「……っ!?」
その瞬間の――
唖然とし……
真っ赤で……
強張ったブレアの顔の――……
壮絶なことといったら……
もし誰かが見ていたとしたら、きっとものすごく哀れだと思ったことだろう。
しかし青年の驚愕を黒猫の抵抗だと思っているエリノアは手を緩めない。目を閉じて、自分も布団に戻りながら言う。
「そんなに遊びたいんだったら、昼間にあそんだげるから……こないだネコジャラシを取ってきたのょ……だから夜わ寝て……お願ぃだから……もぅ瞼が重くて死にそぅ……」
「………………」
何か……猫を抱くような形で、包みこむように頭を腕に抱きこまれたブレアは――呼吸を忘れ、動く事ができなかった。
ただ……
痛いくらいに心臓が鳴っている。
と、その心音に気がついたのか、エリノアは目を閉じてぬくぬくした顔で「やっぱり小動物は心臓の音が早いねぇ……」などとのたまっている……
その言葉に疑問を抱く……余裕はやはりブレアにはなかった。
そうして男が身動きできないでいると、彼が大人しくしていることに満足したらしい娘は、布団の中で、よしよしと彼の金の髪を優しく撫でる。
「いい子、いぃ子……ふぁ……つまんない時はわたぃがかまってあげるから……おとなひく……おとなしく……ぉ、と………………」
――それきりだった。
それきり、再び深い眠りについたらしいエリノアは、ブレアの頭を抱えたまま、今度は寝息も立てずに瞳を閉じている。しばらくすると、ひそやかにすぅすぅと呼吸する音が聞こえて来て……
それを耳にしたブレアは……
己の中で、何かがグラグラと大いに揺れているのを感じた。
静かな吐息を間近に聞くと、その揺らぎが大きくなっていく。
それはおそらく理性とかそういったもので――
(――こ、れは――)
……と、ブレアが苦悶の表情を浮かべた時だった。
布団の上で、チッと何か、舌打ちするような音がした。
「っ!?」
途端――ブレアは急な浮遊感にギョッとする。
次いで、すぐさま周囲の空気が変わり、開放感を身に感じたブレアは慌ててガバリと身体を起こす。と――
「…………な、ん……」
驚愕した顔が左右に動く。
月明かりが消えていた。そして
――エリノアが、いない。
周囲は真っ暗だ。ブレア以外には人の気配はない。
しかしすぐに慣れた感触に気がついた。
手に触れるすべらかな布の感触に、彼はそこが己の仮眠用の寝台の上であることを悟る。
ブレアは唖然とした。
そこは、彼の仮眠室の中だった。
「ゆ……」
夢だったのか――……
そう思った途端、ドッと全身に汗が噴き出した。ブレアは己の膝の上にうなだれるようにして盛大なため息をこぼした。
……心底ホッとしたような……壮絶に恥ずかしいような……堪らない気分に苛まれていた。
「…………わ……私はいったいなんという夢を……」
暗闇の中で顔を真っ赤にした青年は……
結局その日も朝まで眠る事ができず。翌朝オリバーたちにものすごく責められることとなる。
と、その頃……
ブレアがいなくなってポッカリ開いたエリノアの布団の中の隙間に、モゾモゾともぐりこんで行く黒い姿が……
「……」
ブレアに災難を振り掛からせた張本人グレンは、そうしてエリノアの腕の中に収まってみたが……そこから見える腕の主がすっかり寝入ってしまったことに膨れっ面をして見せる。
「もー……なんだよぉ!」
どうやら……彼はエリノアがもう自分の頭を撫でてくれなさそうだという事が不満らしい。
「いつもはあんまり私の頭なんか撫でないくせにぃ! ……ちぇ、なんか損した気分……姉上め……なんで本物の私の頭は撫でないんだよぉ! 面白くないなぁ!」
ここで何かあればきっとブラッドリーが怒るはず……と思っていたグレンだったが……その前に、なんだか己と勘違いされたブレアがエリノアに優しくされているのが気に食わなくなってしまった。
エリノアはこれまでグレンを布団の中に招き入れたことはない。
身勝手で気まぐれな魔物猫は、恨みがましそうにエリノアを見て……呆れたことに。プンスカ言いながらもそのままエリノアの布団の中で眠るつもりでいるようだ。……たが。
そうは問屋が卸されなかった。
この時エリノアの部屋の扉の外には……息子の悪ふざけに気がついた女豹が棍棒を手に冷気を纏って立っていた。
暗闇の廊下に立つフリフリの寝巻き姿の婦人の顔は、何故か闇に紛れて表情が見えない。(※婦人がノーメイクだと顔が見えなくなる仕様)
そうして……
この件に対する黒猫への仕置きは、この直後、彼女の手によってあます事なく行使されたという。
エリノアは何故か朝からぐすぐす涙目の黒猫にとても不思議そうにしていたが……あまりにもグレンがうなだれているもので……可哀想に思ったらしい。約束通りネコジャラシを使ってグレンと遊んでやっていた。
そんな二人を見守っていた聖剣は、コーネリアグレースの問いにキョトンとして答える。
「え? 第二王子の侵入? ……ええ、気がついてましたが気になりませんでした。だってエリノア様は幸せそうに眠っておいででしたし」
主様は野原で金色の毛並みの猫とネコジャラシで遊ぶ夢を見ておられたようですー
……と、テオはほのぼの言ったらしい。
因みに。この件は婦人によって、ブラッドリーには巧妙に伏せられた。
理由はもちろん……
「世の中とトワイン家の平穏のため」で、ある。
お読みいただきありがとうございます。




