19 安全第一、エリノア。
――ブレアが聖剣とブラッドリーのことを思い出したのではないか。
そう疑念を持った時、もちろん、エリノアはブレアを家に連れて行けないと思った。
――いや、半信半疑なわけだ。
あの見た目に反して頼もしい老将がいくら消耗したからといって、そう簡単に魔術というものは解かれるものなのかと。
しかし、エリノアは魔術については素人で。疑いを持ったまま、ブレアを自宅の傍まで連れて行くなんて気にはとてもなれなくて……
そこでエリノアは、安全第一で、回避策を取ることにした。
つまり、ブラッドリーや聖剣がいる自宅には直接帰らずに、別の安全な場所に立ちよって、そこでブレアと別れるのだ。
そう考えた時……最初に思い浮かんだのはリードの顔だった。
頼もしい幼馴染の顔を思い出し……だが、それはすぐに思い直した。
今ばかりは彼に頼ることができない。
思いがけない想いを打ち明けられた昨日の今日だ。
こんな緊急事態の混乱した頭で、しかもブレアを連れてなど。今うかつにモンターク商店に行けば、なんらかの墓穴を盛大に掘る気がした。
(……と、なると……やはり……あそこしかないか……)
ひたいに浮かぶ冷や汗をぬぐいながら、エリノアはその家を思い浮かべる。
そこはできることなら不用意には近よりたくない場所だ。しかし、今、エリノアが自然に立ちよれる場所は他にあてがなかった。
それにその家がある区画はとても警備が行き届いていて、どんな輩がいるかも分からない城下とは違い、一国の王子たるブレアを連れて行っても危険が少ないと思えた。
エリノアとしては、我が身も大事だが、ブレアのことを危険に晒すのはもってのほかである。
(……よし)
エリノアは決心すると、自分の肩にとまっている小鳥にこっそりと、家へ遅くなる旨だけを伝えてくれるように頼みこむ。
連絡もなしに帰宅が遅くなれば、今度は別の危機が向こうからやってくる。魔王と言う名の危機が。……それはとても怖い。
頼まれた小鳥はどうにも不満そうだったが、エリノアが急かすと不承不承飛び立って行った。
それを見送って……エリノアは、意を決し、ブレアの背中に声をかけた。
「あ、あの、ブレア様――」
――そうしてたどり着いた閑静な街並みの中、ある屋敷の前でエリノアはブレアに頭を下げた。
「……もうここで結構です、ありがとうございましたブレア様」
娘に丁寧に頭を下げられたブレアは、傍に立つ屋敷を見上げる。
風格のある石造りの館は彼にも覚えのある場所だった。
――ルクスオアーゼ侯爵邸。
つまり、タガート将軍やルーシーたち一家の住まいである。
「義姉に会うために今日はタガート家に帰る」と言う娘についてここまで来たブレアは、やや寂しそうな顔をしてエリノアの言葉に頷いた。
――結局、ここに来るまで、二人はほとんどまともに話が出来ていない。
エリノアはずっと張り詰めた顔で黙りこくっていたし、話しかけようものなら飛び上がって逃げていきそうな娘の顔にはブレアも戸惑って……
その結果、普段から重いブレアの口がさらに重くなり、ジリジリと後ろをついてくる騎士たちの気を大いに揉ませることとなった。
二人は重苦しい空気を伴ったまま歩き続け、やっとエリノアの声が聞けたと思えば……それが別れの言葉なのだからブレアが落胆したのも無理はなかった。
彼にはエリノアが急にうろたえはじめた理由も分からず、それも不可解で、彼の心をざわめかせていた。
そんなブレアの胸の内などは露知らず。エリノアはこわばった顔で、おずおずとブレアを見上げる。
「その……お忙しいのにお付き合いいただき申し訳ありません。あの、屋敷におよりになりますか?」
そう言ってタガート家の玄関扉のわきに立ったエリノアに、ブレアはいやとため息をつく。
「せっかくだがやめておこう……今はタガートも宮廷に詰めていて不在のはずだ。家長もおらぬところに私が急に訪問しては迷惑だろう。……ここで失礼する」
そうですかと応える娘に、ブレアは黙りこんでその顔を見た。
(……う……)
物言いたげで静かな瞳にエリノアがたじろぐ。再びエリノアの緊張がじわりじわりと高まって、二人の間の空気が張りつめていく。
「……エリノア・トワイン……少しだけいいか……?」
「は、はい……」
ドキッとして頷いて。返事をしたものの――……その声に、エリノアが一瞬不思議そうな顔をする。
王子の声のトーンはいつもと変わらない。だが、それがどこか寂しげに聞こえて。
見下ろしてくる表情の乏しい顔も、なぜだかしゅんと気落ちしているような気がした。
(あれ? どうなさったんだろう……)
秘密を暴かれるのではと怯えてばかりいたエリノアの心の中に、ふと青年を心配する気持ちが芽生える。
ブレアの悲しそうな顔が、自分のせいのような気がして。戸惑いながら見ていると、逡巡する様子を見せていたブレアが、やはりどこか沈んだ顔で口を開く。
「……このまま帰っては何も手につかなくなりそうだから聞いておく。……先ほどは、なぜ叫んだのだ?」
「……そ、れは……」
エリノアがギクリと身をこわばらせ、ブレアは真っ直ぐにその顔を見ていた。
「お前の行動の意味が知りたい。……私は何か礼に欠いたことをしただろうか」
最後の言葉にエリノアが、え? と、顔を上げる。
「……れい?」
てっきり、聖剣の件で詰問されるのだと思っていたエリノア。……が、何やら違う趣旨の話が出てきて、一瞬話が見えなくなった。
「あれ? ……その、ブレア様が? 私に……ですか?」
首を傾けて問い返すと、低い声がああと応える。
「……あれ?」
なんか思ってたのと違う……とエリノア。
しかしブレアは真剣な顔でエリノアの言葉を待っている。
「ええと、ブレア様は別に何も……」
戸惑いながらもそう返すと、一瞬ブレアがほっとしたような顔を見せる。その顔に、エリノアもほっと気が緩み……かけたが。次のブレアの冷静な言葉で、再び窮地に立たされる。
「ではなぜ叫んだ」
「うっ……」
「魔王とは? なぜそのようなことを?」
「…………ぇ、えー……と……私、そんなこと、言いましたっけ?」
分かりやすく動揺するエリノア。
白々しく目を逸らすエリノアに、本当に、面白いくらい感情が顔に出るな、と思いながら。ブレアはじっとエリノアを見る。
「あ、あれはその、ブレア様に城下にお付き合いいただくなんて……後から侍女頭様にげんこつ喰らうなぁ、とか怖くて……あ! 魔王って、侍女頭様のことだったかもしれません!」
「……」
泳ぎまくる目、真っ赤な額から吹き出す汗。
はっきりいってバレバレの嘘である。
ブレアは思わず沈黙する。
もし、これが配下や政敵相手などであったとしたら、きつく追求するところだ。王族の問いに対して事実を偽ることは重大な罪。事と次第によっては、相手を罰することもある。
……が、娘の顔を見ていても、そんな気はカケラも起きなかった。
相変わらず、うろたえさせると面白いばかりに挙動不審で少しも怒る気が湧かない。もちろんそこには別の感情が大いに関係しているのだろうが、ブレアはため息をつきながら思わず呟いた。
「……困ったものだ、もしお前に悪事を働かれたら、私はお前を真っ当に裁けるか自信がない……」
「え!? な、何もしてませんよ!?」
悪事と言われてエリノアが後ろに飛び退る。……やはり挙動不審だが……それも面白くて、可愛い。
「……」
ブレアはもやっとした。少しだけ悔しかった。エリノアと自分、すでになんらかの勝負で自分の負けが決まっているような気がして。
ブレアはやや諦めたような顔つきで腕を組み息を吐く。
「……やはり手に入れるしか対処法がなさそうだ……」
「え? 手に……?」
叫び、とか魔王とかいう話題から急に話がとんで……意味がつかめなかったエリノアが、何を? と怪訝そうな顔をしている。
「……こんな時間にお買い物ですか? もうお店は……やってないと思いますが……」
「金では手に入らん」
不思議そうなエリノアにブレアはきっぱりと言う。
が、彼がそれ以上エリノアに何かを問うような様子は見られなかった。
(あれ……? ごまかせた……?)
いや、そんなことは全然ない。ただ、心の中でブレアが折れただけだ。が、もちろんそんなことはエリノアには分からない。
エリノアは不思議そうな顔をしてブレアを見上げていたが、ふと、視界に遠い空が映りハッとする。
明るい太陽の色が山のなだらかな稜線の向こうに消えていくのが見えた。それを見て、エリノアは一気に焦る。
こうしてはいられない。王子にはそろそろ王宮に帰ってもらわねば。
あたりの暗がりの中に、彼の護衛がわんさか出歯亀っていることはもちろん分かっているが……この暗闇に乗じて何者かが王子を襲ってきたりでもしたら大事である。
「あ、あのブレア様、そろそろ王宮に――」
お戻りくださいと、エリノアが言いかけた、その時だった。
バンッと激しい音がして。
「!?」
今まさに王子の身の安全について考えていたエリノアは、突然の衝撃音に、思わずブレアの前に飛び出した。
「襲撃だ!?」
気の立った猫のような顔で身を翻した娘が、己をかばうようにとんできて……そのさまにブレアが目を瞬いている。しかし彼は落ち着き払ったまま。
音はごく間近で聞こえたが、見るまでもなく、それがたんに扉を開いた音に過ぎないことをすぐに察知していた。……それよりも、娘の必死の形相のほうによほど驚いた。
――と、そこへ声が叩きつけられる。
「何をしているの!?」
「う……っ」
「?」
甲高い声にエリノアが首をすくめ、ブレアが眉をひそめる。
――見れば、タガート家の屋敷の扉が開け放たれていて、そこから誰かがつかつかと二人に近づいて来る。
「なぜお前がここにいるの!」
その――誰かによく似た赤毛の夫人は……ブレアには目もくれず、エリノアの前に立ち、まるで宿敵を見るような目で娘を睨んでいる。が……その顔を見たエリノアは、気が抜けたように緊張していた肩から力を抜いた。
「なんだ……奥方様でしたか……」
びっくりした……と、息をつくエリノアに、夫人は目を釣り上げる。
お読み頂き有難うございます。
少々、スランプでした。
そして何故か運のない一週間でした…
面白いですよ、古典的に鳥にふんを落とされたりしました。本当にすごい確率だと思うんですが、こんなことあるんですねえ…(゜゜;)




