79.当たらぬも八卦
その後、他愛ない会話を少しだけ交わし解散の流れとなった。
訓練場に集合したからと、今さら訓練の真似事なんてしてもほとんど意味はない。
残された時間は少ないが、それは各々が自由に過ごすべきだとアカイが強く主張したためだった。
俺もアカイの意見には賛成だ。
時間のない中、今から全員で連携の練習などしても実戦ではほとんど役立たないだろう。
一応、申し訳程度に《魔物捕獲》を使って近隣の魔物をテイムしてこようか提案したが、その案はヤガサキによって丁重に断られた。
ワラシナの《回転運》の結果通りなら、血蝶病者による襲撃は二日後となる。
だがもしも、明日だったら。それどころか今日これからだったら?
ヤガサキは言葉を選んで話していたが、つまりはその可能性を考慮してのことだった。ワラシナの占いが外れた場合、俺が城に不在なのは戦力的に痛いと考えたようだ。
そのため、俺たちは城から一歩も出ることなく、自分たちに割り当てられた客室や、最上階のホールを行き来するだけの時間を過ごすこととなった。
――そしてそれから、二日が経った。
翌日の朝になっても、未だ誰の襲撃もなかった。
+ + +
また一日が過ぎ。
暇を持て余した俺は城内を見て回って過ごしていた。
一人でだった。今までは出歩くときは必ずユキノたちと連れ立って、必ず一人の時間がないように警戒していたのだが……占いの日付から時間が経つに従って、次第に警戒心は緩くなりつつある。
俺だけでなく、他の全員もそうだろう。気を張り続けるにも限界がある。
襲撃が発生しうると考えられていた一昨日に関しては、全員が交代しつつ夜の見張りを務め、まともに睡眠ができない状況でもあった。
それでも何もなかったのだから、みんな困惑しているのだ。喜ぶべきなのかと思いつつ、素直に安心はできない。そんな感じだった。
アカイは強い言葉でワラシナを責めたし、ワラシナはそれから部屋に篭もりがちになった。
アカイが責めたのはワラシナだけではなく、襲撃予定日に城に戻ってこなかったハラに対してもなので、そう気にする必要はなかった気はするが……以前にも占いを失敗したらしいワラシナには、アカイの糾弾は激しく響いてしまったのだろう。
ワラシナに関しては昨日から《回転運》を何度も試し続けているようだが、うまく結果も出ないらしい。
ヤガサキとアサクラは自分の部屋とホールを行ったり来たりしている。ミズヤウチはたまに廊下ですれ違うが、挨拶にも言葉を返してこないくらい無愛想で、何をしているかもよく分からない。
だからといって俺は別に、彼らの仲を取り持つような真似をするつもりはなかった。
彼らと共同戦線を張るのは単純にその方が都合が良いからだ。この城を攻めてくる血蝶病者を一人でも多く殺すことだけが目的であり、急務でもある。
ユキノを暗闇の中で毒矢で射たことも。
エリィの父を嬲って食い殺したことも、決して忘れない。
マエノたちは俺の知らないところでもきっと、もっと多くの罪を重ねてきた。
「えーっと……」
考え事をしながら歩いていたら、三十二階建ての城の、その一階まで辿り着いていた。
せっかくなので、すっかり顔なじみになった衛兵に挨拶を交わしつつ正面扉から出してもらった。
見上げると、これは単純な目の錯覚だろうが、雲の中まで届くほどの巨大な城が聳え立っている。
先ほどまで歩いていた最上階は、地上からでは肉眼で確認できないほど遠い。
まずこのフィアトム城は、城としては非常に変わった構造をしている。
天を突くように真っ直ぐに立つ一個の長大な城を、とぐろのように取り囲んだ塔が守っているのだ。
城の出入り口は、地上にある正面扉が一つ。これは衛兵によって守られている。
それに二つ目は、アカイたちの案内で俺たちも使った、塔の最上階から直接繋がった城への隠し扉。
俺が見かけた衛兵たちは、この隠し扉に不審な者を通さないために配置されていたのだろう。
この特殊な構造は、あらゆる外敵から城を守るという意味もあるだろうし、敵側にとって非常に攻めにくい意味を持つと言ってもいいだろう。
俺が観察した限りでも、この城を攻めるのに正面突破以外の方法を取るなら、塔を上る以外には無い。
しかし構造上、外側からは丸見えなのだ。その間に矢や石が飛んできたら、遮蔽物もないのだから賊は避けることも叶わないし、ついでに言えば一歩でも道を踏み外せば真っ逆さまに墜ちてぺしゃんこになる。
血蝶病者たちがどんな手で攻めてくるのかは現時点では何とも言えないが、ワラシナの人数予想が外れたとしても、生き残っているメンバーは多くて五人のはずだ。
その数少ない人員で取れる作戦は限られている。恐らく陽動に人員を割く余裕もない。
だとすれば十中八九、塔を使って城に攻め入ろうと考えるのだろうが――
考えている最中、背後から足音がしたので、俺は思考を中断して振り返った。
「あ、アカイ」
つかつかと早足で歩み寄ってきたのはアカイだった。
サイドテールの髪をブンブン揺らしてやって来た彼女は、開口一番に言い放った。
「――なんで妹に「兄さま」なんて呼ばせてるの? 気持ち悪」
……もしかしてアカイなりの挨拶なんだろうか、コレ。
ここまで来ると喧嘩腰も逆に清々しくなってくる。
だが厳密には俺が呼ばせているわけではなく、ユキノから申し出があり……なんて経緯を、アカイに言う必要性もない。
他人がどう思ったところで何の関係もないのだ。俺自身の感情も必要ない。
ユキノがそうしたいと言うなら、俺はどうしても拒否する理由のない限りそれを許可する。それだけのことだった。
「それが言いたくてわざわざ追いかけてきたのか?」
「ハァ?」
アカイは眉をねじ曲げ、露骨に表情を歪めた。
「あたし、前にも言ったけど、あなたたちのこと好きじゃないの。
実質このグループのリーダーがヤガサキさんみたいになってて、彼女が仲間に引き入れようっていうから仕方なく従ってるだけ」
だから何だろう。感謝しろ、とでも言いたいのだろうか。
しかしその要求に応じる理由もない。俺は淡々と、アカイの言い分の前半部分に対して言葉を返した。
「安心してくれ。俺もおまえのことは好きじゃない」
「な――」
だからといって特別嫌いなわけでもないけれど。
とは、余計かと思って口にしなかったが、あるいはそれは失敗だったのだろうか。
アカイは胸の前で拳を握った。
もはや殴りかかってくるのでは、と危惧するほどに、怒りで顔が真っ赤に染め上がっている。
それからしばらく、わなわな震えていたのだが……やがて、アカイは怒気を孕んだ甲高い声で叫んだ。
「――さっさと殺されちゃえばいいのに!」
そう捨て台詞を吐いて、来たときよりも早足で去って行く。
その場に残された俺はといえば、はぁ、と頬を掻くくらいしかできない。
結局、それが言いたかったんだろうか。だとしたらよっぽど暇人である。
俺はアカイのことが好きでもないし、嫌いでもない。
今も相手するのが疲れるな、と思う程度で、少なからず彼女に対する同情心も併せ持っていた。
俺が言うのも何だが、アカイは女友達の居ない子のようだった。
今までアラタ・アサクラという男友達二人とずっと仲良くしてきたところを、アラタが死んでしまったのは、アカイにとっては大きなショックだったのだろう。
口は悪いが、あそこまで自分の不満や不機嫌を他人にぶつけるようなタイプではなかったように思う。
あるいはアラタが、そのあたり気を遣ってうまくアカイと周囲との関係を取り持っていたのか。だとしたらアカイの考える以上に、アラタの存在は彼女にとって大きなものだったのか……。
ふと、気配を感じて振り向くと、俺たちの様子を見守っていたらしい塔の衛兵二人が非常に気まずそうな顔をしている。
「元気出せよ……」
「きっと明日は良いことあるよ……」
いや別に、俺がフラれたとかじゃないんだけど。
この疑いは弁解するべきか放っておくべきか少し悩んだときだった。
また、背後から足音が響く。
アカイが帰ってきたのか。俺は呆れる思いで振り返った。
しかしこちらに向かって歩いてくるのはアカイではなかった。
俯いて歩いていた、痩せ細った男は顔を上げ――俺の目線に気がつくと、立ち止まった。
「あ……」
どこか間の抜けた吐息を洩らして、唖然としている。
原健吾がそこに立っていた。




