70.邂逅
「断る」
そして俺はといえば。
ネムノキの言葉を耳で聞いた瞬間に、そう切り捨てていた。
まずポカンと口を開いたのはネムノキだ。
彼はまるで言葉が理解できなかったかのように眉を寄せ、それから首をこてりと傾げ、ついでにぐるりと一回転させた。意味はよくわからない。
が、何はともあれネムノキには言っておきたいことがある。
「こっちはまだ頭痛の理由もわかってないんだ。ここでおまえに勝手に離脱されたら困る」
「えぇー……そんなこと言われてもなぁ」
これはもちろん、俺側の都合だ。
ネムノキの話を聞いて、何か、過去に見聞きしたものがフラッシュバックしたような――そんな光景が、目の前に映った。
でも荒々しい残像のようなそれは、未だ実線を結んでいるわけじゃない。ひどくあやふやなものなのだ。
それでも、無視していいような類ではない気がする。ここでネムノキと別れてしまえば、答えは確実に遠ざかってしまうように思うのだ。
「だってシュウちゃんさぁ、この後お城で王と会おうと思ってるでしょ?」
ネムノキが困ったような顔で見てくるが、俺ははっきりと首肯した。
「うん」
ユキノが視界の端で俺の方を向いていた。彼女も薄々察しはついていたのかもしれない。
そう、俺がフィアトムにやって来た最大の目的は、ラングリュート王に会うことにあった。
国のトップたる彼に会うのは簡単ではないかもしれないが、それでも、俺たちがこの混迷の状況を打開するにはそれは必要な一手となるだろう。
それに王だって血蝶病の情報を少しでも欲しがっているはずだ。そういう意味では、お互いの利害は一致しているようにも思う。
しかしネムノキはわかりやすくジト目になり、ぼそぼそと小声で文句を言い募った。
「でもボク、あそこに戻りたくないんだよ。諸事情あってというかぁ」
「戻りたくないってことは、やっぱりソラはあの城から来たんだな」
隠す気もなかったのだろうに、指摘するとネムノキは「はぁあ」と深い溜息を吐いた。
「……まあそういうことぉ。ハッキリ言うとねぇ、リミテッドスキルがないボクはあそこにはもう入れてもらえないんだよね」
「どういうことだ?」
「行けば全部わかるよぉ」
結局、やはりそれ以上は話す気がないようだった。
ネムノキはそれきり後ろを向いてしまう。フィアトムの街の方角ではない、船着き場から左に向かって岩山のある方角だ。
コイツはいつもこうなのだ。肝心なところで話をはぐらかすし、欲しい情報に限って口にしない。
でも、しばらく共に行動していたら、そんないけ好かないところにも少しは慣れてきた気がする。
「シュウちゃん、ちょっといい?」
ユキノたちには聞かれたくない、という意味だろうか。
俺は無言でネムノキに接近した。すると彼は泣き腫らした子どもよりもずっと赤い目を真剣に開いて、隣に立った俺を強く見つめる。
「ひとつだけ、伝えときたいことがあってさ」
こっそりと耳打ちされる。
耳に当たる息はくすぐったいが、気持ち悪くはない。
虫が囁くような小声でネムノキは言った。
指先が指し示すほう、
「この先、本当に本当に、困ったことがあったら……あの子に、助けてって言うといいよ」
「……コナツに?」
静かな街を前に呆けるばかりの、自分が話題の渦中にあると知らないコナツが立ち尽くしている。
金髪の少女は華奢な体躯をしていて、誰よりも幼く弱々しい生き物に見えた。とてもじゃないが、窮地に助けてくれるような存在とは思えない。
そんな俺の胸中を見透かしたのか、ネムノキは念押しするように続けた。
「そしたらきっと何とかしてくれるからさ」
「…………」
思えば再会した当初から、ネムノキはコナツにこだわっていた。
出会った当初はリミテッドスキルと引き換えにコナツが欲しい、とまで言っていたのだ。意外と簡単に引き下がったので、あまり気にしないようにしていたけれど。
しかしどちらにせよ、これ以上喋るつもりはネムノキにはないだろう。
その言葉を信じるにせよ、信じないにせよ、ネムノキにとってはコナツは重要人物なのだ。今はそれだけは覚えておこう。
「じゃあね、ボクはもう行くよ。シュウちゃんも元気でね」
俺の肩をぽんと軽く叩いて、ネムノキはその場を立ち去ろうとする。
どういう言葉が別れに相応しいのだろう、と俺は一瞬だけ思考したが――明確な答えが出るより先に、何となくその言葉がぽろりと零れた。
「またな」
そう口にすると、遅れて立ち止まり――白髪頭が振り返った。
大きく目を見開いたまま硬直した顔と、しばし目が合う。
やがて、彼は不器用にはにかんでみせたらしい。
その淡い表情は霞がかった景色に溶けていくようだった。
「…………うん。またねぇ」
――ああ、また。
頭痛だ。今回は鈍い。
でも、以前にもこうして、ネムノキに手を振られたことがある。
だけど、どこで? 俺はコイツと友だちだったわけでもない。
ほとんど関わりのない一クラスメイトだ。それなのに俺は確かに前にも、ネムノキと手を振り合って別れた経験がある……。
「珍しいですね」
迷路に迷い込むのを、人知れず防いだ。
ユキノの声に、俺はのろのろと顔を上げる。
遠ざかっていくネムノキの背中から目線を外し、ユキノは俺のことをじっと上目遣いで見つめた。
「……何、が?」
「兄さまが、彼を引き留めるとは思いませんでした」
ああ、と俺は頷く。
その指摘は正しい。俺自身も、そう思っていたくらいなのだから。
「……何でだろうな」
合歓木空という人間を、心の底から信じているわけでもないのに。
それなのに、彼の存在を無視してはいけない、と心のどこかが警鐘を鳴らす。胸がざわついて、頭痛はもっとひどくなる。
記憶の残像が確かなら――きっとどこか――中学に入るより以前に、俺はネムノキと会ったことがあるようなのだが。
「おにーちゃーん? いいかげん、すすもうよー」
「……ああ。ごめん、コナツ」
立ち止まっているのに飽きたらしいコナツが文句を飛ばしてきたので、俺は慌ててユキノにも話しかけた。
「ユキノ、城に行こう」
「はい、兄さま」
ユキノは深く追求することなく、笑顔で頷いてくれた。
+ + +
ゴーストタウンのような雰囲気の街を三人と一匹で進んでいく。
遠目で見ただけでは分からなかったが何かに破壊されたような家屋や、荒れた花壇があり、思っていた以上に荒んだ街並みだ。
それに――先ほどからずっと、見張られているような感覚が付きまとっている。
恐らく家屋から、物陰から、用心深く俺たちのことを何者かが見つめているのだ。
誰かに話を聞ければと思っていたのだが、この様子では叶わなそうだ。異様なまでに余所者として警戒されている。
「う~……」
視線を感じてムズムズするのか、コナツが時折小さく唸っている。
城の見える方向に向かって、できるだけ真っ直ぐに街路を進んできたが、フィアトム城は曇った空に揺らぐばかりで一向に近づいてきた手応えがない。
しかし残念ながら、この調子では街中には俺たちを泊めてくれるような場所はないと見ていい。
つまり今日中に城には到着しておきたい。
「ハルトラ、あの城まで三人乗せて走れるか?」
『無理寄りの無理。だいぶ無理』
「おにーちゃん、はるとらなんて?」
「余裕ですさあどうぞ御主人、って言ってる」
ミャア! とハルトラが抗議の声を上げた。
それでも巨大化すると大人しくしゃがみ込んでくれるので、一応は了承してくれたようだ。
先頭に俺。
その後ろにコナツ、ユキノという順番で俺たちはハルトラの背中に跨がった。
「よしハルトラ、進んでくれ」
「むっ……私はこの順番に、些か納得がいかないのですが……」
『ミャアミャア(それならコナツごと主人を抱きしめちゃってはいかが? 減るもんじゃないし)』
「そっそんな破廉恥な真似はできませんー! もうハルトラったら!」
「ふつうに会話してる!?」
ユキノの意外な才能に驚きつつも、俺たちを乗せたハルトラは時速三十キロ程度ののんびりした速度で街を抜けていく。
さっそく見えてきたのはフィアトム城の正門だった。城の位置からするとかなり手前だ。
詰め所もあるし、門番も待ち構えている。
ふつうなら焦る場面かもしれないが、久方ぶりにふつうの人間を見かけると、それだけでちょっとだけ感動を覚える。
「待て!」
二人の門番が十字の形に槍を振り下ろして進路をふさいだ。
「ハルトラ!」
俺が呼びかけると、ハルトラはその場に急停止した。
言われた通りに止まった俺たちに、しかし門番は不審そうな顔つきを隠そうともしない。
「おまえたち、城に何の用だ? 事と次第によってはタダじゃおかんぞ」
「えっと……俺たち、王さまに召喚された《来訪者》なんですけど」
門番の顔つきが変わる。しかしまだ、槍を下ろすには至らない。
「……《来訪者》だというなら証拠を見せてみろ」
「えっと……」
一番手っ取り早いのはリブカードを見せることだろうか。
でも出来れば、それは避けておきたい。リブカードを見られるのは、ほとんど自分の手の内を晒すのと同義だ。
「――門番さん、その必要はないわよ」
そこに鶴の一声が響いた。
「彼らは間違いなく《来訪者》の二人で……あたしたちの顔見知りだから」
俺は門番たちの姿を通り越し、さらにその奥に顔を向ける。
らせん状に連なる道を、二人の人物がこちらに向かって降りてきていた。
知っている顔だ。
朝倉悠、それに赤井夢子だった。




