69.ハルトラがしゃべった!
本日から第四章「フィアトム防衛編」が始まります。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
ハルトラがしゃべった。
というと、語弊があるので言い直してみる。
正しくは、ハルトラの言葉を俺が聞き取れるようになったのだ。
『良い天気ね、ご主人様。こういう日はひなたぼっこに限るわね』
「おにーちゃん、はるとらはなんていったの?」
コナツが「ねえねえ」と服の袖を引っ張ってくる。俺は渋い顔で数秒をやり過ごした。
海の上を渡る客船の中だ。
二泊三日のクルーズも、いよいよ終わりの時が近づいている。
あと数時間もすれば王都フィアトムに到着するはずだ。
魔物や血蝶病に罹ったタカヤマたちに襲撃され、一時は海上で停止していたこの船だが、船員たちによる修理が突貫で進められ、何とかほぼ予定通りに航路を進行している。
タカヤマたちは三人とも死亡が確認された。
そして鳥型の魔物たちは、その二割方を俺がテイムしていたのだが、今は全て隷属印も解除している。今頃はもともと彼らが住んでいたという土地に戻っている頃だろうか。
そして今現在。
広くも狭くもない客室で、俺はコナツによって右に左に揺さぶられている。
リクエスト:「ハルトラは何て言ったのか」に関しては、もう一時間ほど前から延々と聞かれ続けているので、単純に十七回くらいは問い掛けられているんじゃなかろうか。
そう、俺はネノヒマナという少女のリミテッドスキル"段階通訳"を得たことで、魔物の言葉が……ハルトラの言葉が、理解できるようになったのだ。
しかもスキルの補助があまりに強いのか、《言語伝達》の魔法の効果は切れることがなく、いつまでもハルトラの言葉は理解できる言語として俺の脳内には響いてくる。
そうなるとコナツは居ても立ってもいられないようで、飽きることなく俺に同じ質問をぶつけてくるのだ。
「ええっと……天気が良いから、ひなたぼっこ日和だね、みたいな」
いい加減疲れてきた俺は、だいぶ適当な返事をした。
しかしそんな躱し方ではコナツは納得しない。
「それじゃあわかんない。ちゃんとおはなしのしかたもまねしてよ」
「ええ……」
なかなか手厳しい指摘が飛んでくる。
俺は致し方なく、頭に流れてくる言葉の響きをそのままなぞって口にした。
「……えっと。……良い天気ねぇ、ご主人様。こういう日は、ひなたぼっこに限るわねぇ……」
「それでそれで?」
『ニャンニャン。にゃうにゃう』
「にゃんにゃん。にゃうにゃう」
……って、今のは確実に口で「にゃう」って言ったよな。
人間が言うタイプの「にゃう」だったよな。
俺は裏切りのハルトラをぎろりと睨んだ。睨まれた猫はといえば、気にせず寝台のシーツの上をごろごろしている。
「兄さま、とっても愛らしいです。ユキノは感無量です」
「う……」
見守るユキノからの相の手も何気にキツい。
妹に「愛らしい」と形容されて喜ぶ兄はあんまり居ないんじゃないかと思う。少なくとも俺はまったくうれしくない。
そして俺たちを驚かせたのが、何とこのハルトラ、メス猫だったのだ。
聞こえてくる言葉遣いはサバサバとしたお姉さん、という感じで非常に快活だし。
知らなかったとはいえ、名前が「ハルトラ」ではあまりにもワイルド過ぎた気がする。ちょっと悪いことをしたなぁ、と思ったが、今のところ本人(本猫?)からは特にその件でお咎めは受けていないので、怒りを買っているということはなさそうだ。
「おにーちゃん、いいなあ~。こなつもはるとらのことば、きいてみたい」
「そうだよな。そう出来たら一番、話が早かったんだけど」
唇を尖らせてコナツは羨ましそうに同じことを繰り返している。
だが《言語伝達》は残念ながら、術者本人が自分のみに催眠暗示のように使用できるタイプの魔法で、ハルトラの言葉を直接聞き取れるのは俺だけとなっている。
「それにしても、珍しい魔法ですね。というかリミテッドスキルが補助する魔法って、あまり汎用的なものがないような気がします」
「確かにな。ユキノは別として」
ユキノの言う通りだ。
そもそも俺が今まで入手したスキルを振り返ってみても、冒険において最も使用するべき攻撃魔法に関連するものは何と一つもない。
ユキノも回復支援に特化したスキルを有しているが、言ってみればそれも攻撃魔法には属していないのだ。
そこには果たして理由はあるのだろうか?
わからないし、考えるには判断材料が少なすぎる気がする。
そもそも俺たちが見聞きしたリミテッドスキルの数は、クラスの半数も満たしていないのだし。あれこれ考えてもあまり意味はないかもしれない。
「……あ!」
ハルトラのしっぽをちょんちょんつついていたコナツが、むくりと起き上がる。
ボゥ――とくぐもった汽笛の音が鳴ったのだ。
俺たちは顔を見合わせる。船が王都に着いた合図だろう。
既に荷物はほとんどまとめてある。
俺たちはそれを手にしてから、部屋の外に出たのだった。
+ + +
「やったー! とうちゃく!」
やはり魔物に襲われた一件もあり、乗客内には未だ色濃く不安が漂っていたようだ。
簡易的な船橋にはどっと人が押しかけ、しばらくは通れそうもなかった。
進みの遅い行列に並び続けて、十数分が経ち――俺たちはコナツを先頭として、久方ぶりの地上に降り立った。
王都フィアトムは、今まで見た街とは比べものにならないほど活気に溢れ、豊かな土地なんだろうと俺は思っていた。
ついさきほどまでは。
「あれー……?」
ハルトラを両手に抱えたコナツが勢いを殺して立ち止まり、身体ごと首を右に傾ける。
俺も同じ気持ちだった。そこに広がっていたのは、想像とは大きく異なる光景だったからだ。
まず、見渡す限りほとんど人の姿がない。
時折、注意深そうな目つきをした住人らしき人物がちらほらと外に姿を現すが、すぐに屋内に姿を消している。
そのせいで、街の広い往来はどこもかしこもがらんとしている。
あちこちに掲げられた色とりどりの看板や装飾だけが、空虚で、妙に寂しく見えた。
そして見上げた先、街並みを越えた遥か高くには――王城だろう城の輪郭がうっすらと浮かんでいる。
しかし遠すぎて全貌はハッキリとは見通せない。まるで霞がかっているようだ。
船から降り立つ人々は、俺たちのように立ち止まることなくそそくさと街の中に姿を消していく。
その流れの中、俺たちは立ち止まり、あまりの光景に困惑を隠せずにいた。
この街に流れる空気は不穏で、淀んでいた。想像とのギャップをうまく呑み込めない。
「シュウちゃん、びっくりしてる?」
そう後ろから声を掛けてきたのは、遅れて船橋を渡ったネムノキだった。
「でもねぇ、ボクが初めて来た頃からフィアトムはこんな感じだよぉ。元の楽しい街に戻ろうって一部の人ががんばることもあるんだけど……どうしても長続きできないんだよねぇ」
「……もしかして、血蝶病の影響ですか?」
ユキノの言葉に俺ははっとする。
そうだ。どうして忘れていたんだろう。
この世界に召喚された時に、ハルバニアの王――ラングリュート王ははっきりと口にしていたはずだ。
血蝶病によって多くの民は死に、暴動も起こった。貴族や王族にも、何人かの犠牲者が出ていると。
今までその事実に触れる機会はほとんど無かった。訪れる町は、貧富の差はあっても活気があったし、人々が毎日を懸命に生きていたのだ。
そのせいで記憶の片隅に追いやられていた。
「じゃあ、このあたりでボクらもお別れしよっか」
そして彼はユキノに答えることなく。
おもむろにそう呟いた。




