67.私刑
完全に折れた右足がぶらーんと頼りなく揺れているというのに、その場に平然と立ち尽くしている。
あるいはアドレナリンが出て痛みを実感できないのか。タカヤマはブツブツと、何かを低い声音で呟いている。
「ふざ、けんなよ、ナルミ……」
「…………?」
うまく聞き取れない。
しかし不用意に近づくのも憚られた。何を仕掛けてくるかわかったものじゃない。
俺がどうしようか惑う間に、背後の冒険者たちが何事か囁き始めた。
「おい、アイツら痣が――蝶の形の痣がある」
「嘘……まさか……」
どうやら彼らも、異様な振る舞いを見せるタカヤマを注視したことで気づき始めたようだ。
タカヤマは衣服が破けて露わになった右足首に。
そしてツチヤは胸元に、それぞれ真っ赤な痣の跡があったのだ。
俺の見る限り、タカヤマやツチヤには今のところ魔物化の兆しは見られない。
だが、だからといって安全というわけでもない。血蝶病に関しては、知らないことが多すぎる。
俺は振り返って、怯えた顔をしている冒険者たちに言い放った。
「皆さん、ここは俺たちに任せて。船内に避難してください」
「し、しかし」
「食堂に怪我人も集まってます。まだ船にも魔物が残ってるかもしれませんから、そちらに加勢をお願いしたいんです」
「! ……わ、わかった。それなら君たちに任せるぞ」
五人組のパーティが二つ。
合計十人が、ぞろぞろとデッキから船内へと戻っていく。ネムノキの活躍のおかげか、大した怪我人も居ないようで安心した。
こうして、デッキに残ったのは俺とネムノキ、それにコナツとハルトラ、ユキノとなった。
ユキノは操舵室の屋根に上る際に、鳥の護衛をつけて一旦別れていたのだが、問題なくデッキに戻ってきている。今はコナツの隣に立っていた。
対するはタカヤマ・それにツチヤの二人。
魔物たちに関しては、一部はまだテイムできていないが、《言語伝達》によれば既に敵ではないと考えていいだろう。
彼らは明らかに、自分たちを騙したタカヤマたちに対して憎悪に近い感情を抱いている。放って置いても俺たちに攻撃を加えることはなさそうだ。
と、考え事があらかたまとまったところで、目の前のタカヤマに臆する様子もなくネムノキが話しかけてきた。
「シュウちゃん、さっき手に入れたリミテッドスキルってどんなの?」
特に隠し立てするほどのスキルでもない。俺は正直に明かした。
「ああ、魔物と喋れるスキルだ。特に魔法も使ってないんだけど、なぜかふつうに発動してて……鳥の魔物の言葉がわかったんだ」
「へえ、珍しい。魔法名なしで発動したってことは、常時発動型だねぇ」
知らない単語を出され、思わず「何それ」という顔をするとネムノキが語り出す。
「その名の通り、永続的に発動し続ける魔法。だからずうっと魔力をちょこちょこ消耗し続けるんだよねぇ」
「……え、マジか」
「マジだよぉ」
それは――どうなんだろう。
手に入れたはいいけど、無用の長物となりかねないだろうか。利より害の方が多かったりして。
「じゃあおにーちゃん、はるとらとおはなしできるの?」
「……そっか、そうなるのか」
が、わくわくした顔のコナツに言われて初めて気がついた。
「それは一大事です……! ハルトラの言葉が分かるなんて!!」
コナツの言葉に、ユキノも瞳を輝かせている。
ハルトラと今まで以上に、しっかりと意思の疎通ができる。
それは俺にとっても、想像するだけで心が弾む光景だった。
しかしこの状況を許せない男が、その場に一人居たらしい。
「何、なんだよ、お前……ッ! いったい何なんだよ!?!」
先ほどまでは何かを呟いていたタカヤマが、急に俺を指差し大声で喚き始めた。
だが、その激昂の意味が俺には分からない。
それ故に黙っていると、タカヤマは俺のことを充血した目で睨み、早口で叫んだ。
「クラスでも一番馬鹿にされてて、虐められてて、惨めなだけのちっぽけなヤツだったくせにッ! 今さらしゃしゃり出てきて、オレらが大事に使ってるリミテッドスキルをお前だけ何個も持ってるとかおかしいだろうが!! 弱者は弱者らしく惨めったらしいままアホみたいに死ねよッ」
「タカヤマ、くん……?」
背後のツチヤが青い顔で、怯えたような声を出す。
タカヤマは意に介すことなく、あるいはもう聞こえてすらいないのか、笑いながらふらふらと俺に向かって近づいてきた。
フラミンゴのように片足立ちしながら。
「兄さま!」
叫ぶユキノを手で制し、俺もタカヤマに向かって歩き出す。
手にはすでに短剣を握っている。タカヤマもそうだ。俺の武器よりずっと刀身の長い両手剣を支えにするように、歩行が困難な老人のようにぶるぶる震えながらも、ゆっくりと距離を詰めてきた。
「なぁ覚えてるだろ? ナルミ? いつだかお前の体操服がボロボロに破れてたことがあったよな。お前はイシジマの所為って思ってただろうけど、あれはな、オレやハヤト、それにクラスの男子みんなで集まってハサミやカッターで切り裂いたんだ。――知らなかっただろ、あははは!」
「……ッ」
斬り掛かってくる。
一撃をギリギリの所で躱すが、タカヤマはさらに剣を横に振り回してきた。
「それに、お前の机に落書きしてやったのもオレたちなんだ。お前は嫌われ者だからさぁ。クラスの女子もノリノリでみんなで楽しんだんだぜ。あのときは、あははぁ、楽しかったなああぁ……」
狙いが正確ではないので当たらない。
が、それ故に迂闊に近づくこともできない。何をしてくるか分からない危うさがあるのだ。
「……お前はみんなに嫌われてて、生きてる価値もないゴミクズなんだ」
その言葉は、まるで俺ではなく。
自分自身に言い聞かせているように、ゆっくりと、一字ずつを噛み締めるように呟かれた。
「オレやハヤトが、オレたちみたいな勝ち組が、お前みたいな負け犬にやられるもんか……お前みたいな……」
体力が底を尽きたのか、ようやく剣を振り回すのを止めたタカヤマの顔。
それはまるで幽鬼だった。
俺への怨念だけで、ただそこに立っている幽霊だ。
……だとしても、その身勝手な感情を真摯に受け止めてやる義理など俺にはない。
俺ははっきりと事実を突きつけた。
「惨めなのはおまえだ、タカヤマ」
「な――」
その表情が驚きと、そして数秒後には一気に怒りの色に染め上がる。
「自分が負けるのが分かってるから、とにかく喋り倒して俺を動揺させようとしてるんだろ? でも悪い、そんな姑息な手には引っ掛からないよ」
「な……なァ、……」
「おまえは勘違いしてる。俺は別に、おまえたちに好かれたいなんて微塵も思ってない。ずっと前から」
タカヤマから目線を外し、後ろを振り向く。
それだけの余裕があったし、今はそうしたかった。
「……俺にはユキノが居る。それで充分なんだ、俺は」
「兄さま……」
目が合った先、ユキノがふわりと柔らかく破顔する。
俺も彼女に向けて微笑んだ。
「あれ? ボクはぁ?」
その横で意外そうに自分の顔を指差しているネムノキは、まぁ、放っておいていいだろう。
視線を戻すと、タカヤマは茫然自失とした表情のまま、その場から動けず固まっていた。
同情も共感も、あるわけがない。
俺はその隙だらけの懐に滑り込み、脇腹を切り裂いた。
「《略奪》」
「ウっ……」
一撃目で、リミテッドスキルを奪う。
二撃目はさらに深く。一切の容赦はしない。
タカヤマは大きな音を立ててその場に崩れ落ちた。
血の海がその身体を中心に広がっていく。その真ん中で、タカヤマは最後までブツブツ何かを呟いていた。
「殺してやる……ころ…………、し……」
――やがて、タカヤマは動かなくなった。
俺は血と脂に塗れた短剣をその服の袖で拭いがてら、再び立ち上がる。
見つめる先には、がたがたと震えるツチヤの姿がある。
その胸元に、鮮やかでいっそ毒々しいほどの蝶の痣が広がっている。タカヤマに比べても相当に大きい痣だ。
「……な、ナルミくん。あたし、リミテッドスキルは持ってないよ」
「そうか」
そんなことは、既に《分析眼》で調べているので知っている。
ツチヤは俺の返事に希望を見出せなかったのだろう。尚も必死に言葉を重ねる。
「や、やだやだ。殺さないで。ねえお願い、何でもするから。エッチなことでもサービスできるよ? そこのユキノさんと違ってあたしイロイロ奉仕できるから、ね、ねえ……だから……」
ツチヤは自身の胸元をこれ見よがしに開き、大きな胸の谷間を見せつけるように足元に擦り寄ってきた。
下卑た言葉を口にするツチヤに嫌気が差してくる。それにこの取り繕ったような態度もだ。
たぶんこうして、ツチヤはタカヤマにも取り入っていたのだろう。
今まで彼女は友人のホガミと一緒に、俺のことを蔑んできた。
ユキノに厳しい態度を取り、冷遇して嘲っていたのも知っている。
それをなかったことのように振る舞える無神経さが、癇に障って仕方がない。
でもそれだけでは彼女を殺す理由として物足りないように思う。
「今まで、何人殺した?」
「……え……?」
「人間だ。血蝶病に罹ってから、何人殺してきたんだ?」
ツチヤは俺の問いにしばらく沈黙した。
もう、つまりはそれが答えだ。
そうと知れているというのに、ツチヤは数秒の後に慌てたように言い募る。
「――ぜ、ゼロだよ! 0人! 当然でしょ!? ねえだから許してお願い、何だってするから――」
……ああ、この女は嘘つきだ。
それなら合格かなぁ、と思う。
だから、それが彼女の最期の言葉となった。
俺はツチヤの細い首に刺した短剣を、一気に引き抜く。
頸動脈を貫いたその傷から、どっと大量の血が溢れ出した。
どしゃりとツチヤが倒れる。
勢いよく噴き出た血が床面に広がっていく。
俺の右半身も、短剣を握る手にも返り血が飛んだ。
何の感情も浮かばない。ただ、生温かいなと思う。臭いがきつい。感想はそれくらいだ。
「…………ふぅ」
終わった。
存外、大したことはなかった。犠牲も出ずに済んだし。
もっとリミテッドスキルを生かせば結果も違っていただろうに、タカヤマは俺相手だと油断して策を練ることを怠った。勝てたのはそれが理由として大きいだろう。
魔法を連発しすぎたからか、足元が少しふらつく。
倒れかけた俺の身体を、そっと労るようにユキノが支えてくれた。
「……お疲れ様でした、兄さま」
「うん」
汚いものばかりに触れたからか。
久方ぶりに間近で見る彼女の横顔は、とても美しかった。
それはいっそ、触れるのが憚られるほどの清い煌めきだったが、ユキノは俺の服に付着した血が自身につくのも気にすることなく、俺に肩を貸してくれる。
「おにーちゃーん、こなつ、うもーだらけになってる。これじゃとりさんになっちゃう!」
「はは、ならないって。大丈夫だよ」
目の前で起こった壮絶な光景をなかったように振る舞えるのは、コナツが幼いからなのか。
ねえねえ、と服の袖を一所懸命に引っ張ってきて、コナツは普段通りに騒いでいる。
「…………」
その中でただ一人。
ネムノキだけは何も言わない。
黙って俺のことをジッと見ているだけだ。
ただ。
海風に乗って、たった一言。
「――もう、抑圧の獣じゃないんだねぇ」
そうきこえたのは、気のせいではなかったように思う。




