66.制裁
俺は不安定に揺らめく船体の上に立ったまま、六羽の魔物を飛ばす。
指示通り、その内の一羽はコナツを攫った鳥を地上へと追いやるように動き、あとの五羽はタカヤマとネノヒが跨がる巨大鳥を取り囲むように包囲網を作り出している。
期待以上の動きだ。もう少し制約の類があるかと思ったが、存外言うことを聞いてくれるものらしい。
「おにーちゃん、とりつかいになったのー?」
首根っこを掴まれたまま空中に浮かぶコナツは、ぱたぱた手足を動かしながらそんなことを言っている。
しかしタカヤマの切羽詰まった叫びはコナツの声を容易く掻き消してしまう。
「……ど、どういうことだ!? 何でこの魔物たちがナルミの言うことを聞くんだよっ……?!」
狙い以上に混乱した様子のタカヤマは、その勢いのまま味方であるはずのネノヒをキッと鋭く睨みつけた。
「おいネノヒ! お前ちゃんとスキル使ってんのかよ!? お前のせいだぞ!」
びくり、と華奢なネノヒの肩が震えた。
遠目にもわかるほど縮み上がり、おずおずと弱々しい声音で言う。
「ま、マナが悪いの……? マナはちゃんとやってるのに……何で……」
「いいからさっさと魔物どもの指示権を取り返せよッ!」
「う……」
涙目になったネノヒは、自分を取り囲む魔物たちの間できょろきょろ視線を彷徨わせた。
しばらく経ってから、控えめな口調で語る。
「と、鳥さんたち、ナルミくんにテイムされてるって。だからもう、ネノヒのお願いは聞けないって言ってる」
「は――?」
愕然とタカヤマが目を見開く。
それを聞いた俺はといえば、なるほどなと頷くだけだ。
同時に《分析眼》でも確認してみる。
距離はそれなりに開いていたが、何とか魔法は問題なく発動した。ネノヒは魔法耐性も低いようだ。
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子日 愛 “ネノヒ マナ”
ベーススキル:"言語理解"、"言語抽出"
アクティブスキル:"魔力増幅"
リミテッドスキル:"段階通訳"
習得魔法:《言語伝達》
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スキル名や言動から判断するなら、きっと、ネノヒには魔物と会話ができるような特殊な力があるのだろう。
おそらく魔物たちと会話し、何らかの方法で説得してこの船まで連れてきたのだ。
そして俺たちを攻撃してほしい、とでもお願いした。
例えばこの鳥たちが、ネノヒのテイムモンスターだったなら、基本的に横から所有権を奪ったりすることはできない。
でも――ネノヒが魔物たちを操っているわけでないのなら、話は変わってくるのだ。
「ハルトラ!」
勢いよく駆け寄ってきたハルトラに向かって、屋根の上からジャンプする。
柔らかな毛の上に着地を果たした俺はそのまま、未だ困惑から立ち直れずに居るネノヒの乗った鳥に向かって魔法を放った。
操っている魔物たちのおかげで包囲網が完成し、その鳥はほとんど空中にいながら身動きが取れていなかったのだ。
「《魔物捕獲》!」
『――!』
手の平から放たれた黒い波動が、大型の鳥を喰らう炎のように立ち上る。
ネノヒはぎょっとして、自分もやられると思ったのかその背中から飛び降りてきた。
「ネノヒ! 何やってる!」
タカヤマの叱責が飛ぶ中、強かに腰を打ちつけてしまったネノヒは「うう……」と蹲って呻くばかりだ。
そして呻いているのは彼女ばかりではない。
『グ……グァ……』
苦悶するように羽をブルブルッと震わせた魔物が――やがてギラリ、と目つきを鋭くし、指示を仰ぐように遥か頭上から舞い降りてきて、俺を見下ろす。
これでコイツも《魔物捕獲》成功だ。脅威がひとつ減ったことにホッとする。後ろの冒険者たちにも、安堵の雰囲気が流れ出した。
《魔物捕獲》とは、俺が多用している《略奪》や《分析眼》と同じく無属性魔法の一つである。
そのため、元素に呼びかける詠唱はいらず、魔法名のみを発音すれば発動することができる。その代わり、成功率が低いのもネックなのだが。
六羽の魔物たちは操舵室で船長たちを攻撃したり、廊下で暴れていたのを、俺が一羽ずつ《魔物捕獲》で捕らえたものだ。
相手も群れでやって来ている以上、ハルトラのように忠実に俺の命令をこなすわけではないだろうが、消極的な命令であれば大した反駁なくこなしてくれるのは実証済である。
「頼みたいことがあるんだ。仲間は攻撃しなくていいから、――」
さっそくその魔物にも指示を飛ばそうとして、一度取り止める。
そうだ。ネノヒが動物と会話する類のスキルを持っているなら、今この状況で活かさない手はなかった。
俺はハルトラの背から降りると、しゃがみ込んだままのネノヒに近づいていった。
「おい、鳥ども早く動けッ! あいつらを殺せよ! ほら早く!」
「タカヤマくん、無理だよ。今までだって、あの子の言うこと聞いてただけなんだし……」
ボスに当たるであろう超巨大な赤い鳥の背で、タカヤマが何事か喚くのをツチヤが宥めている。
今やその鳥も、周りの小さな鳥たちも、俺たちに攻撃する意志はほとんどないように思われた。
「……《略奪》」
ネノヒには避ける気力もないようだった。
子どものように泣きじゃくるネノヒに剣を向けるのには、幾許かの抵抗を感じたが、俺はその擦り剥けた二の腕に剣を走らせた。
白い肌に、赤い線が一本。
そこから僅かに血が滲み出すと、ネノヒは口をへの字型にする。
「痛い……」
『よくも……』
その涙声に重なって、何者かの声が聞こえる。
慌てて顔を上げると、明らかに怒気を孕んだ口調が尚、続ける。
『よくも嘘を吐いてくれたな』
この声は……間違いない。
俺がテイムしたばかりの魔物が発しているものだ。
怒りの気配に満ちた、しゃがれた老婆のような声音が俺の頭の中だけに響き渡っている。
『この船に、我らの仲間が囚われ運ばれているなど。我らを騙したな。言葉の通ずる人など初めてだ、面白いと、我らはお前を買っていたというのに……』
魔物の言い分によれば、ネノヒはうまく魔物たちを誘導して、この船に奇襲を仕掛けさせたということらしい。
たぶん、タカヤマかツチヤの指示なんだろうと思った。泣き喚くネノヒには、そんな嘘が吐けるほどの器用さは見出せない。
『我らにも無用の犠牲が出た。こうなってはお前を生かしてはおけぬ。……』
そして魔物は――許可を求めるように、俺のことをじっと見つめた。
迷う理由はなかった。俺は無言で頷く。
その結果、どんな結末になるか想像できた上で頷いたのだ。
――キュウウウウウ、と高く澄んだ声でその魔物が鳴いた。
周りを囲んでいた鳥たちも、タカヤマとツチヤが乗る鳥さえも、その全てが一斉に降下してくる。
烈風のような風が船の上まで怒濤の勢いで押し寄せた。
「うわああ……ッ!?」
慌てふためいて冒険者たちが逃げ惑っている。俺も彼らの方に走りながら、
「ハルトラ、コナツを!」
背後に向かって叫ぶと、騒ぎの中でハルトラが無事にコナツをキャッチしている。
「こなつ、やっぱりこうやってはこばれるの~!?」
鳥から猫へ、続けざまに首根っこを咥えられたコナツが文句を言っているが、特に怪我をした様子もない。
そしてデッキの隅まで避難した俺たちの背後。
冗談のように、グシャッッ、と何かが潰れるような音がした。
その光景は、とても直視できるものではなかった。
誰もが目を背け耳を塞ぐ。俺もそうした。それでも音はまだ続いている。
これは――そう、咀嚼の音だ。
それも、いくつもの嘴がひっきりなしに突いては、ぐいぐいと繊維を千切って引っ張っている。
いつまでもいつまでも、その制裁は終わらない。
死ぬまで……いや、死んだところで、その肉片が藻屑となるまで続くのだ。
「うわー、超グロテスクだぁ」
その声に、ちらりと片目を開けて見遣る。
ネムノキはその光景を何でもないように見つめながら、おえ、と嘔吐のポージングを取っていた。ふざける余裕まであるらしい。
しかし実際はそこで胃の中身を勢いよく吐いたのはツチヤだった。
「おぶッッ、うぇ、んげぇ……」
先ほどの急降下により船の上に投げ出されたツチヤは、ふらふらと頼りない歩調で歩き、デッキから海へと吐瀉物を撒き散らした。
その丸まった背中に、仲間を失った悲しみは見出せない。単に、本当に、気分が悪くなったから嘔吐した。それだけのように見えた。
「……ふざ、けんなよ」
そしてもう一人、悲哀とは程遠い声音を発した男が居る。
俺は振り仰ぐとその男の姿を見つめた。
着地に失敗し、足の折れたタカヤマだった。




